3.11

July 27, 2012

誰が責任者で、どう責任を取るの?

福島第一原発事故の調査報告書が出そろいました。根本原因を、東電は想定以上の津波の高さ、民間事故調は津波の備えへの不十分さ、国会事故調は「人災」といい、政府事故調は地震・津波・原発事故の複合災害への視点の欠如にあるとした。この複合災害に対し、首相官邸は危機管理能力を発揮できなかったことを4事故調ともに認めるところでした。しかし、誰が何をどう誤ったのか?、彼等が挙げた根本原因の責任の所在が何処にあるのか?全く明らかではありません。

国会事故調 『Message from Chairman 』はこう結んでいます。Fukushima_2
Quote
Many of the lessons relate to policies and procedures, but the most important is one upon which each and every Japanese citizen should reflect very deeply.
The consequences of negligence at Fukushima stand out as catastrophic, but the mindset that supported it can be found across Japan. In recognizing that fact, each of us should reflect on our responsibility as individuals in a democratic society.

教訓の多くはこれからの政策及び手続き関係しますが、ここで最も重要な、一人一人の日本国民が真剣に考えなければならない事が一つあります。

福島における怠慢の結果は壊滅的でしたが、それを支えていた「思いこみ」は日本のどこででも見つけることが出来ます。事実を客観的に認識して、民主主義社会のの一員としての責任に基づき、我々一人一人が真剣に考えなければなりません。
Unquote

国民の代表である衆参両議院の下に設置された憲政史上初めての事故調査委員会の報告、ということでは評価するのですが、それまで『鬼畜米英』を叫んで対米戦争を続けてきた日本は敗戦、アメリカ軍の占領下になると、一転して『国民一億総懺悔』になったのと大した違いがないようにも思えてきます。

「集団主義、マニュアルに対する執着、指示に対して疑問を呈さない習慣など、日本の文化が招いた『メイド・イン・ジャパン』型の災害だった。」と結論し、根本原因を日本の文化に持って行くのは、一つの逃げのようなものではないでしょうか。史上最悪の事態を招いた原因を「人災」としながら、その責任者を特定しない、ましてや処罰など考えていないようです。

考えてみれば、責任を取るべき人間が責任を取らないのが日本の文化かも知れません。
「20年前の女性問題で1億円ゆすりに応じた監督、沈黙の読売新聞社」、「だますつもりはなかったAIJ投資顧問」、「八百長事件の日本相撲協会、何事もなかったように放送を再開したNHK」、「福知山線事故のJR西日本」、「不祥事続出の検察庁」、「機能不全の教育委員会」…責任者はどうなったのでしょうか?

何故か…、何故か…ここで、思い出すのはパーシバル・ローエル(Percival Lowell 1888)の書いた『極東の魂 The Seoul Of The Far East』。124年前、日本人はそう見えたのでしょう。あまり気分良くはありませんが、彼の過激な言葉を列挙します。

Quote
「日本人は自分の行動の記録を取り始める以前から、商品ではなく思想を輸入する民族であった。新しい概念を創り出そうというよりは、他人の出来合いの品を選んだ。彼等は丸ごと先祖伝来の木に接ぎ木し、その結果、最も不自然な変種を生じさせた。彼等が特殊な所以は取得したものと決して同化しなかった点にある。」

「接ぎ木はやがて大きな枝に成長したが、幹は相変わらず若木の状態のままであった。換言すれば、成人しても幼年時代の精神状態を持ち続けているのである。若くして老け、その後はほぼ同じ年齢のままに至っている。根底において数世紀以前の彼等と同じである。」

「没個性の特徴は特別の注目に値する。精神の進歩とは個性化の過程の度合いが絶えず強まることを意味すること。また想像力こそがこの個性化の過程の源泉になっていることが我々の文明と極東の文明とを比較して考察した時に明らかになる事実である。…もしも個性が民族の到達した文明の高さを測る自然の尺度であるとしたら、没個性的な民族が相対的にかなり遅れた状態にあることを示す道標となるはずである。」
Unquote 

※1951年の民主主義に関するダグラス・マッカーサーの発言:「日本人は12 歳の少年である」に通じます。

まもなく8月15日が巡ってきます。高見順の日記には、「ポツダム会談でドイツ処理案が発表された最初の4日間にベルリンで1,200人、ライプチヒで600人、ハンブルグで450人、ケルンで300人のドイツ人が敗北の苦悩を精算するために自決した」とあるそうです。※自殺を禁じられたキリスト教国:ドイツでの話です。

終戦直後における日本人戦争責任者の自決数は700人だったそうです。

※参考資料:『極東の魂 The Seoul Of The Far East』 パーシバル・ローエル

Momo holding sign board-HKX Radio※今までの曲は左サイド、Music Player でお聴きになれます。 
Your Support, Please. ▼ ボタンを押して下さい。このサイトの順位がわかります。
にほんブログ村 歴史ブログ 諸文化の歴史へ にほんブログ村 音楽ブログ カントリーミュージックへ 人気ブログランキング


express01 at 17:12|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

April 17, 2011

3.11と 黄金の国、ジパング

3.11 FUKUSHIMA を機に何かまた人生感が変わったような気がします。それまでは、年末に始めた禁煙が私にとっては画期的な出来事だったはずなのですが…。

FUKUSHIMAも禁煙にも全く関係ありませんが、思い切って、ブログタイトルを『ISAO's Express Gazette』に変更しました。(旧名:Hong Kong Express Gazette) また一からの再出発となりますが、皆様のご支援をよろしくお願いします。

「1000年に一度」の枕詞は869年の「貞観の三陸地中尊寺金色堂1震・大津波」に因む。その時代、東北は、日本で初めて金が発見された場所であり、また馬や毛皮などの珍しいものの産地でもあった。長い戦乱を経て、奥州藤原氏の時代を迎えます(1087)。砂金産地を押さえ、馬や毛皮などの様々な物資を商いし、海外交易を行い莫大な経済力を蓄えました。奥州平泉の地に京都の宇治平等院鳳凰堂を凌ぐ王道楽土を築きます。これが元王朝(1271〜1368)の首都:大都(現在の北京)を訪れたマルコ・ポーロが聞いたという黄金の国、「ジパング」のモデルではないかとされています。

12〜13世紀の中世西ヨーロッパ。地中海貿易の覇権、十字軍支援の艦隊の主導権を巡って二つのイタリア海運都市、ジェノバとベネチアが競っていましたが、ベネチア人、マルコ・ポーロは1298年の「メロリアの戦い」で捕虜となり、同じ牢獄にいた縁で著作家:ルスティケロと知り合い、旅行記:『東方見聞録』を口述したと言われます。ついには、「キオッジアの海戦(1378〜1380)」でベネチアが勝利、東地中海貿易を独占します。
jenova flanders
当時、フランダース地方(現代のベルギー)は毛織業が盛んで、都市が繁栄、非常に高い経済・文化を誇っていました。敗れたジェノバは東地中海を放棄、ジブラル海峡を大西洋に出て、このフランダース地方との交易にその活路を見いだそうとします。

一方、7世紀にアラビア半島に興ったイスラム勢力が、8世紀、アフリカ西北部に進出、ジブラルタル海峡を渡って711年西ゴート王国を滅ぼし、ムーア人(イスラム教徒)に依るイベリア半島占領が続いていました。

ポルトガル西岸部はフランダースへ向かうジェノバ商人の内海専用の「ガレー船」の寄港地として栄えます。レ・コンキスタ(国土回復運動)の中で、ポルトガルはリスボンに遷都、強力な中央集権体制をとり、ジェノバ商人の力を借りて、航海術・海軍力を強化、イスラムから入った信用為替手形制度を持って『海洋貿易立国』を計ったのです。東地中海では、1453年ビザンツ帝国がオスマン朝トルコにより滅亡、逆に西地中海では、ポルトガルが徐々にイスラム勢力を駆逐、1492年グラナダが陥落し、レ・コンキスタが完成します。

発見のモニュメントポルトガルは1415年、北アフリカのセウタを占領、1460年ごろまでに象牙海岸・黄金海岸を経てガーナの地に城塞を築いて金や奴隷の交易を行い、その間に15万人の黒人奴隷を取引したとされます。以降、1497年にはバスコ・ダ・ガマが喜望峰を周りインド航路を開拓、カルカッタ、マラッカを越え、マカオ、1541年には豊後に辿り着きます。日本に鉄砲を伝えたのもポルトガル人でした(1543)。▼ Portugese Discovery

Portuguese discoveries

1517年、ルターの宗教改革が始まり、その対抗運動としてイエズス会を設立(1534)、優秀な宣教師が布教のために海外に派遣されました。ポルトガル人であるルイス・フロイスもその一人で、1532年〜1597年、戦国時代の日本で宣教、織田信長や豊臣秀吉らと会見、 『日本史』を著しました。

しかしポルトガルの繁栄もつかの間、1580年に王権の相続争いが勃発した結果、王権はスペイン・ハプスブルク家のものとなり、ポルトガルはスペインの支配下となります。

スペインが新大陸(南北アメリカ)を征服して、現地人を奴隷にまでして富を築いたのに対して、ポルトガルが征服できた土地は、ブラジル以外は、限られたものでした。インド洋では沈滞していたイスラムが勢力を回復、ポルトガルが築いた貿易体制は次第に浸食されます。

東南アジアでは後からから割り込んで来てこれに寄生するだけで、対価をアジアに提供する力がなく、市場を独占することが出来ませんでした。 大航海時代を切り開いたポルトガルでしたが、後ろを走るイングランド、オランダに追いつかれ、追い抜かれます。ポルトガルの東南アジア貿易の繁栄も長続きはせず、やがて17世紀にはオランダが進出するに及んでその地位を失います。

1755年11月1日はカトリックの祭日、リスボン大地震ポルトガルの首都:リスボンを大震災が襲い、津波と火災により壊滅状態となります。これによりポルトガル経済は大打撃を受け、海外植民地への依存を高め、国内の政治的緊張が高まるとともに、それまでの海外植民地拡大の勢いは止まることになりました。カトリックの祭日に最も敬虔なカトリック国の一つ、ポルトガルを大震災が襲ったことはキリスト教神学上の議論のテーマになったそうです。

『21世紀は東アジアの世紀』と言われる。中国・韓国その他アジアの国々の台頭を背中に感じながら、『やばい!』と、選んだ民主党政権も『ダメ』。何となく不安には思っていましたが…、3.11FKUSHIMA 以降、日本の『技術立国』もやっぱり『やばい!』ことになってしまいました。日本の「安全神話」と「先進技術国神話」は崩れ去ったようです。

Momo holding sign board-HKX Radio
※Nobu, Kun & Isa Band の今までの曲は左サイド、I Pod 風のプレーヤーでお聴きになれます。
       
 Thanks for Your Support ▼: 今日の席順は?
にほんブログ村 歴史ブログ 諸文化の歴史へ にほんブログ村 音楽ブログ カントリーミュージックへ 人気ブログランキング

March 24, 2011

私の3.11東北関東大震災

このたびの東北関東大震災により被災されました方々に心よりお見舞い申しあげます。

16年前、大阪に逆単身赴任中の私は「阪神・淡路大震災」に遭遇、本棚が倒れる中、その前日に買ったばかりのテレビが台からずり落ちないように押さえるのが精一杯でしが、今回、東京の西の端、町田市で体験した「東北・関東大震災」の揺れはより強く、そしてより長いものでした。そのテレビもエコポイント目当てで地デジ対応薄型テレビに替わっていましたが、今回はかみさんがそのテレビを必死に押さえました。揺れの方向が良かったのか、幸いにして何も倒れることなく済みました。

地震発生と同時にこの地は停電となり、車のラジオで状況は判りましたが、夕食を終えると、やることもなく、停電で暖房もなく、さっさと寝ることにしました。翌朝7時頃、パソコンを点けると、オーストラリアの友人から第一報、東北及び東京は壊滅状態で「逃げることが出来たか?」。最近アメリカに移住した中国人の友人がフロリダよりSkypeもらい、地震・津波の様子がノンストップで放映され、東京も壊滅状態と報道されている由。

大阪に住む友人からも私の安否を気遣う電話、メールをたくさん頂き、こちらが「えーっ、どうして」という気になりましたが、東京都でも7人の犠牲者があったようで、内2人は町田、Costocoの駐車場へのスロープが崩落したという事故の写真が掲載された故か町田市も壊滅状態に映ったのでしょう。

チェルノブイリの再来か! 東電福島第一原発事故が大地震・大津波に起因するとはいえ、東京電力が第一の責任者であることは間違いないでしょうが、東電は原発を運営する専門集団であって、大規模事故に対応する能力はありません。原発被災の当初から菅政権が正面から担うべき安全保障上の大災害事故でした。地震発生と同時に、東北・関東にある計11基の原発が自動停止したまでは良いのですが、うち東電福島第一の3基のみがそろっての炉心溶融に陥ったのはどうしてでしょうか。東電福島第一より強い揺れに、より高い津波に襲われた東北電力女川原発は安定した状態で停止しているのはどうしてでしょうか。

菅政権は「有事である」大災害時には不可欠の陸海空自衛隊の出動に遅れてしまった。これ以上は止めまし原子力郷土の発展豊かな未来ょう。今は、ただ、東電福島第一が一刻も早く収拾されることを祈るだけです。

福島県双葉町を飾る看板が妙にむなしいです。→ 『原子力郷土の発展豊かな未来』

計画停電が始まったが、これが全くの不公平。1日に2回も見舞われるところあれば、東京都心部は停電なし。私の住む区域は第2グループ、1日2回の停電には見舞われていませんが、この近郊でも予定だけで、この2週間全く実施されていません。

地震当日、どこか興奮状態で徒歩で帰宅した人たち、帰宅難民と化した人たちも、今や、その興奮・躁状態も薄れ、何割か間引きされた通勤電車、それでなくとも超満員の通勤、疲れてしまいます。ここで、東電福島第一原発から漏洩した放射性物質による野菜・ミルクそして水道汚染。こんな計画停電では首都機能も既に失われているも同然、私の友人の勤めるフランスの会社は早々と大阪に本社機能移転を決定したそうです。

極端に言えば事務所だけの本社機能は大阪に移したらどうでしょうか。これは決して敵前逃亡ではないでしょうに…。

原子力安全・保安院4事業仕分けでは生き残ったようですが、一つ、全く必要がない役所が、全く必要のない会見をしているようです。▼
原子力安全・保安院



Momo holding sign board-HKX Radio
※Nobu, Kun & Isa Band の今までの曲は左サイド、I Pod 風のプレーヤーでお聴きになれます。
       
 Thanks for Your Support ▼: 今日の席順は?
にほんブログ村 歴史ブログ 諸文化の歴史へ にほんブログ村 音楽ブログ カントリーミュージックへ 人気ブログランキング

Profile

ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

Back Issues At A Glance
Comments
ISAO's Bookshelf
人気ブログ ランキング
NINJA
Search