香港

April 16, 2008

福ちゃん 和興「白花油」の御曹司

和興白花油 image和興「白花油」は1927年、シンガポールとペナンにおいて始まり、1951年には香港進出、大々的なマーケティング・キャンペーンで香港の国民的常備薬(?)の地位を築きました。「日本の夏、キンチョウ(金鳥)の夏」みたいなものでしょうか…。

香港在住の知人の話によると、「白花油」の御曹子が結構な人気になっているようです。黙っていればただのお金持ちのご子息が、自ら歌って踊ってコマーシャルにご出演。そんな姿を「あっぱれ!」と、人気上昇中なのです。ご子息、「福ちゃん」。…と言っても、りっぱな、四十をとっくに越えた中年オヤジです。



「福ちゃん」が社長の会社のサイト:和興「白花油」は訪問した途端ににぎやかな音楽が始まります。商品そのものより、「福ちゃん」の為にあるようなサイトです。「下載區」、ダウンロード(Down Load)の意味?、の覧を見ると、彼の出演して(歌って)いる、歌の歌詞、曲、TV コマーシャルの一覧がありダウンロード出来るようになっています。You Tube にて彼の名前:「顏福偉」で検索してみてください。出てくる、出てくる…。彼は単なる、目立ちたがり?、おっちょこちょい?

ここまで来ると、「マツケンサンバ」+「リーブ21」+「キンチョウ(金鳥)タンスにゴン」をかわいくしたようなイメージです。

御曹司自らが仕切る「白花油」マーケティング・キャンペーン。当面、この路線で行くようです。「がんばれ〜っ!福ちゃ〜ん!」

HKXからのお知らせ和興白花油 image
のお求めはHong Kong Express へ。


September 19, 2007

久しぶりの香港、ほとんど「お上りさん」状態

私のビジネスパートナーは香港人女性。お互いの国の言語は理解出来ず、コミュニケーションはもっぱら英語です。日本人同士でも時に誤解が生じますが、お互いに母国語ではない英語では推して知るべし、いわんや〜おや…でしょう。その2人が同意することは、2人の間のコミュニケーションはせいぜい70%の理解率ということです。言語・国民性・世代・性別そして個人の生い立ち・生活環境等の違いからして、満足しなければならない数値ではないでしょうか。


電話(あるいはSkype)とメールがあるにせよ、やはりお互いの顔を見ながら話すのが最善のコミュニケーションでしょう。Hong Kong Expressの過去の実績の検証・今後の施策に関するお互いの考えを知り、摺り合わせる良い機会です。

この目的の為には1日あれば十分で、香港出張は1泊2日、少し余裕を見て2泊3日というところではないでしょうか。…が、実際は3泊4日となってしまいました。航空運賃を調べるとノースウエスト航空が往復42,000円が最安値、キャセイ、ドラゴン航空となると68,000円。後先考えず、値段だけでノースウエストに決めてしまいました。

午後4時半頃の出発なのですが、香港到着が10時過ぎ、ホテルに夜
中に着いて寝るだけ。帰りは、朝8時過ぎの出発で、送迎用のバスがホテルにピックアップに来たのが朝4時過ぎ。不幸なことに、宿泊したホテルがその送迎バスの始発地、各ホテルをぐるぐる巡って客を拾います。お陰で1時間のロス。総合すると、安上がりでも何でもない結果に終わりました。良かったのは、成田到着午後2時過ぎ、東京都の西端(町田市)の我が家に5時には帰ることが出来たことぐらいでしょうか。

どうも今回の香港出張で疲れたのは上のことだけではないのでは…、と思い、その原因を探りました。「やはり歳か…」ではすまされない疲労感です。決してパートナーとの仕事がうまくいっていない、ということではありません。判りました。4月以降自宅で仕事をするようになり、以降町田市の繁華街へも、いわんや東京都内へも出かけることが少なくなってしまいました。この田舎暮らしに慣れきった人間が久しぶりに、新宿の3倍にも感じられる香港の人混みに、三段跳びに投げ出された全くの「お上りさん」状態になってしまいました。疲れるはずです。混み合った歩道を多くの人が、中国語で当然ですが、歩きながらケイタイでしゃべっています。入ろうとする、Starbuks等のコーヒーショップも一杯のようです。

star ferryというわけで、久しぶりにスターフェリーに乗船しました。九龍から香港島まで20分の船旅です。尖沙咀(TSIM SHA TSUI)の人混みを逃れ、海風を受けてベンチでゆっくりくつろぎながら、次第に近づいて来る対岸の摩天楼群をぼんやりと眺める。これが今回香港で最大の再発見でした。片道運賃5.30香港ドル(85円)。大いに価値があります。

本業にもお越し下さい。
     
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January 20, 2007

「もっとオムツを!プリーズ!」 香港ベビーブーム

我がHong Kong Express の香港駐在員:李さんは東京都出身で香港人男性と結婚、二人の間に1人の子供さんを持つ家庭の主婦です。

彼女の香港ライフレポート:【九龍好々飯店】1月12日付タイトル「金運の猪(ブタ)年」では…
<<私もそろそろ第2子が欲しいな…とつぶやけば、「ブタ年に産め!」と、こちらの人から口々に急かされてしまいます。 …産まれた子供は香港市民の権利を貰える美味しいオマケ付きなので、ブタ年には大陸からの経済的に恵まれた妊婦で、産婦人科はごった返しになるでしょう。>>…と、彼女の話は少々悠長に聞こえます。

…がしかし、事態は彼女の個人
香港 出産的な家族プランを遙かに超え、中国との国境をまたいだ一大社会問題の様相を呈しているように思えます。

【少子化・高齢化問題 → 出生率向上計画】 + 【経済活性化を目的に大陸からの観光客誘致】 + 【香港大陸間の医療格差】 + 【大陸富裕層の急増】 + 【金運の猪(ブタ)年】 = 【大陸妊婦の香港への殺到】


昔、日本で「丙午(ひのえうま)」問題があったことを記憶していますが、今回の香港「猪」問題は逆丙午(ひのえうま)、それどころ
ではないでしょう。日本では、団塊世代最初の塊(かたまり)が退職する「2007年問題」の年。団塊世代はその世代的特徴云々というよりも、その【圧倒的な数】が問題なのです。中国の急速な経済成長は国際社会・政治・経済・環境・資源…等々に甚大な影響を与えており、まるで世界の【団塊世代】と映るのは小生だけでしょうか。

News Week International が詳しくレポートしているので訳してみました。

News Week
「もっとオムツを!プリーズ!」
大陸人が香港の産科病棟を圧倒
By George Wehrfritz

10月は香港プリンスオブウエールズ病院の産科にとってつらい月でした。
平均して毎日6人、中国本土からやって来た女性が同病院の産科を訪れました。彼女たちの多くは出産間際で、医師、看護士、助産婦はてんてこ舞い、産科病棟収容能力の約2倍に達しました。「既に産気づいている人、合併症を起こしている人、破水している人もいます」とは同産科責任者:Danny Leung 医師の話で、彼のチームの助けを求めてやってくる典型的な中国人女性を表現しています。「問題は彼女たちを全く知らないということです。データなし、超音波診断記録なし、妊娠期間不明、判ったとしても間違い…」。緊急事態の場合は極度な緊張を強いられることになります。

これが国境をまたいで予想外の展開を示す香港の最新ベビーブームの苦難です。過去2年以上、多くの女性が中国本土から大挙して押し寄せ出産しており、今や香港の産科病棟はさながらEW(緊急病棟)の様相を呈しています。病院当局は公の病院における出産の1/3が無資格者の出産と判断しており、来る3月期年度において2万人を超えるものと予測しています。

どうしてそんなに多くの人がやって来るの?確かなことは、香港の最新医療を受けるため、中国大陸における一人っ子政策を回避するためなのですが、大多数が生まれてくる我が子に香港市民権を取得できるものと信じているからでしょう。「それはまさに、かつて多くの香港人がカナダやアメリカで子供を産むために渡ったのと同じで、違いは、今は我々は受け手であることです」と香港当局者は自嘲気味。

この香港への殺到は、ある意味では、人口統計上の天の恵みということができます。香港は世界で最も出生率が低い国の一つで深刻な高齢化に直面しており、従って当局が提唱するけちな出生率向上計画をさらに加速するために、最高行政官:Donald Tsang氏は若いカップルに「子供3人政策」を推奨してきました。

しかし、この大陸からの殺到が理由で香港人女性へのケアに障害が起きると多くの香港人は危惧しています。生まれてくる子供に香港パスポートを、という来訪者の思いは耳障りな不協和音を発しています。大量の新参者が無料の教育や社会福祉、安い医療サービスを要求するであろうと香港居住者は見ています。「香港は制御不可能な大陸の赤ちゃんを目前にした」、「これらの子供達の数、あるいは何時彼らが再入国するのかを予測、制御する方法は全くない」とシンクタンク:Savantas 政策研究所は警告しています。

香港政府は中国政府に懸念を伝え、市病院当局は数週間以内に実施すべく、香港非居住者には2倍の費用:5,000ドルの適用、助産婦賃金のアップ、入国前の妊産婦の健康診断の義務化等、大陸からの殺到を抑制する一方、産科受け入れ体制の強化する方策を明らかにした。「我々は北京政府が門を閉ざしてくれることを望んでいます」と香港健康保健食糧庁 Frank Choi氏。

香港の今日におけるベビーブームは過去における2つの重大転機に起因する。1つは、2001年裁判所は香港で生まれた子供及び大陸にるその両親に居住権を与える判断をし、2004年には香港政府は同経済活性化のために大陸からの観光客を歓迎する方策を打ち出したことに起因します。過去4年間に多くの中国人女性が出産を目的に合法的に香港に旅行し、彼ら子孫の居住権を取得する結果となりました。

多くの専門家は中国政府がこの大量出国をやめさせない限りはこのベビーブームは続くものと予測しています。このことはいくつかの大問題を引き起こすことになります。生まれた子供達が香港にとどまり、後に勉学や仕事のために香港に帰ったり、単に取得したパスポートを使って一般中国人からは想像できない自由さで旅行をするようなるのでは…ということです。元香港政庁治安担当長官:Regina Ip 氏を含む識者の意見では、香港非居住者を両親に持つ子供には香港滞在を認めないとの香港基本法の改正すべきだと主張しています。しかし、新しい住人の誕生を歓迎する人たちもいます。Leung医師には毎日彼女たちが産科病棟を訪れることを拒否する理由は何もなく、ただ彼女たちが事前に適切な検診と病院の予約をしてくれることを願っているだけなのです。

本業にもお立ち寄り下さい。↓
 
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以下原文
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December 29, 2006

よいお年を!

12月27日、ぼんやりとTVニュースを見ていると台湾南部で地震が発生、海底ケーブルが破損し中国・東南アジアとの通信に大きな影響が出ている、との報道。小生の感想もただ「台湾南部で地震…?、へぇーっ」とだけ。

台湾南地震事務所に出てくると台湾南部地震の話はすっぽりと頭から抜け落ちてしまい、夕方には早速と最後の忘年会に出かけてしまいました。しかし、少々の疑念があったのも事実です。過去数日間に香港のパートナーに数件のメールを出しているのですが、それに対する返事を全く受領していないのです。普段ならきちんと返事をよこす彼女なのですが…。彼女は12月20日に香港随一の繁華街:チムシャチョイ(尖沙咀、Tsimshatsui(TST))に店舗を出し、そのために忙しく、日本向けの対応が後回しになっているものと思いこんでいました。

翌28日、ノンビリしていると、その彼女からの電話。小生の第一声は「いつもはSkypeを使うのに、どうしたんだ」。経済観念と味覚に鋭い香港人である彼女を少々皮肉ったのですが、まだことの重大性を認識していません。彼女曰く「台湾南部地震で海底ケーブルが破損、電話、インターネットを含む通信回線がつながらず、この電話もようやくつながった」。小生宛のメールも昨日に3件発信済み、我がHong Kong Expressの管理画面からのファイルもダウンロード出来ない由にて、日本側でダウンロードしたものをメールの添付ファイルで送って欲しい、というものでした。

ことの重大性・緊急性をやっと認識し、ノンビリムードも吹き飛んでしまいました。当該ファイルを添付してメールを発信しますが、原因不明のエラー連続、Skypeも同様にエラー。メールを発信出来ない旨を電話で伝えようとするのですがやはりつながりません。最後の手段で、メッセージを[送信トレー]に置いたままでパソコンの電源を落とさずに帰宅してしまった有様です。

そして今日29日、事務所に来てみると幸いなことに彼女宛のメッセージは[送信済みトレー]に入っており、最悪の事態は免れたようです。ニュースでは、最初の帰省ピークは今日の由。多くの会社が休みに入り、海外通信も大幅に減少したようです。

海外ニュース=海の向こうの出来事=自分には直接関係のない話、ではありません。お気をつけ下さい。地球はますます小さくなっています。

よいお年をお迎え下さい。
 Hong Kong Express
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October 06, 2006

和興「白花油」 〜 アロマセラピー編

伝説

伝説は1927年、シンガポールとペナンにおいて、創始者:Mr Gan Geok Eng(顏玉瑩)が最初の「薬用白花塗り薬」を開発したことに始まります。これが後によく知られる「白花油」です。

Mr Gan Geok Eng, the Founder & Mrs Gan Low Khoon Choo

当時、彼はケーキ屋、パン屋、食料品店を経営する商人でした。当初、「薬用白花塗り薬」はあくまでプライベートなものでした。しかし、親しい友人や近所の人々に人気が出てきたので、彼は商業ベースでの生産・販売を決意しました。「白花油」。文字通り「白い花の油」は彼の大好きな花:スイセンに因んで付けられました。商標である「白花油」は1935年Mrs Gan Low Khoon Choo(顏劉崑珠)によってシンガポールとペナンにおいて登録されています。

シンガポールとペナンにおける成功の後、1951年、彼は巨大な中国人市場と豊かな労働力を持つ香港進出を決意しました。当時としてはユニークな屋外広告を始め、有名オペラ俳優の起用、香港中国商品見本市への参加等、一連のマーケティング・キャンペーンが「白花油」の香港における地位を築きました。

自然が持つ治癒力

「白花油」は、ウィンター・グリーン(冬緑樹)、ユーカリ、ラベンダー、メンソール(はっか)、樟脳等、数種のエッセンシャルオイルをブレンドしたオイルです。ほとんどが天然成分で、フランス、中国、オーストラリアから輸入され、英国・中国薬局方基準に適合しています。

「白花油」の成分及びその効能
●ウィンター・グリーン(冬緑樹): 筋肉痛の緩和
●メンソール(はっか): 頭痛・リューマチ痛・神経痛の緩和。
●ラベンダー: 天然の消毒剤、防虫剤。 日焼けによる熱傷、傷の治癒を促進。

これら効能成分を持つ「白花油」は「手軽で多用途な」治療法として人気を確立しています。

用途:
●風邪による鼻づまりの改善
●消炎・殺菌効果
●頭痛の緩和
●筋肉痛の緩和
●虫さされによるかゆみ止め
●乗り物による酔い止め
●リフレッシシュ効果

〜〜 アロマセラピーについて 〜〜
アロマセラピーは8千年の歴史を持つ自然療法です。19世紀中頃までは、 慢性病、痛み、感染病等全ての治療薬は植物から得られており
、霊的で治癒効果のあるものと信じられていました。その魅惑的な芳香は肉体と精神の調和を再生し、苦痛を緩和し、快楽を強く刺激します。今日、我々はより即効性のある治療薬を使いますが、長い伝統のある天然薬草(ハーブ)には顕著な治癒効果がることが科学的に証明されています。アロマセラピーは古代治癒技術の現代版であるだけではなく、素晴らしい医学であるということでしょう。

近代アロマセラピーの誕生
フランスの化学者、リーン・モリス・ガトフォシーはラベンダーが火傷の治癒効果があることを経験したことを契機にエッセンシャルオイ
ルの持つ治癒効果の研究を始めました。彼はエッセンシャルオイルを皮膚外面に塗ることにより、脳及び神経システムと相互関係にある隣接器官に浸透することが出来るという理論を唱え、新陳代謝・神経・消化器官・内分泌腺に作用するエッセンスを分類しました。「アロマセラピー」という言葉は彼によって名付けられました。

カリスマ的な生化学者、マルガリート・モウリーはエッセンシャルオイルを用いたマッサージ方法を開発し、緊張緩和と皮膚の状態の改善に効果あることを明らかにしました。

パリの有名な医師、ジャン・バルネットは第二次大戦中、傷病兵を治療中にこの昔からあるエッセンシャルオイルの持つ治癒機能を再発見するに至ります。

同時期、ミシェラン・アーシャーはアロマセラピーを総合健康システムとして発展させ、アーシャー婦人は昔からある治癒機能を現代医学をさらに補強するものと信じていました。1950年代、この新しいフランス式マッサージ法は彼女によりロンドンへ移植され反響を呼びました。

古代におけるアロマセラピー
アロマセラピーの歴史ははオランダ人に始まります。考古学者は彼らが植物利用の治療を最初に行った人たちの一人であると信じています

約6万円前のの頭蓋骨がイラクで発見されました。シャーマン:シャンディア4世のもで、ノコギリソウの花粉、ノボロギク等の集積が発見されました。これらの薬草は今も生長し、今でもイラクの人々に使われています。

また、種や古代薬理学者の道具が中央アメリカや北アメリカで発見されています。これらは紀元前3千年前に遡ります。

初期エジプト象形文字による記述によると、古代エジプト人は芳香植物を医薬と宗教の両方の意味で使用しました。最も有名な古代エジプト人の発明は死体保存方法であるミイラ化で、バクテリア発生防止のために死体を溶けた松ヤニで塗り、そして古代神官により処方された防腐作用を持つフランキンセンス(乳香)に浸けた麻布で覆われています。

古代エジプト人が土器の中で薬草を煮沸してそのエッセンスを抽出する方法を考え出したのですが、蒸溜して芳香や治癒成分を抽出する方法を発明したのはギリシャ人でした。

ギリシャの医者、ガレンはその著書:「西洋1500年、医学スタンダードバイブル」において、治療に有効な処方を150種の植物・動物の部位・鉱物・貴石を系統立てて述べています。

ギリシャの哲学者、テオフラストスは真の意味で最初のアロマセラピストでした。彼は思考・感覚・健康におけるあらゆる芳香の効果・影響を分析しました。

ローマ人はギリシャ人から多くの医学知識を学び、彼らは娯楽のために芳香エッセンスを活用しました。紀元3世紀までにはローマは世界の「浴場の都」として知られ、街には1千もの芳香を加える給水施設が広がっていました。

Momo holding sign board-HKX Radio※今までの曲は左サイド、Music Player でお聴きになれます。 

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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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