関東

December 11, 2013

「走水神社」を横目に、三浦半島バイク・ツアー

かねてからのバイク・ラン計画を実行すべく、11月末、自転車を車の後ろに積んで友人の住む横須賀を訪ねました。二十五年前、関西に育った私の家族は関東…、といっても最初に住んだのは千葉県流山市、に引っ越してきました。何かと関西とは事情が違い、東京銀座の本社勤務まではいいのですが、大阪の友人曰く、「なんで、東京を通り越して、近藤勇の捕まった流山まで行くの?」 右も左もわからない時に、お世話になったのがこの友人ご夫婦でした。長女が奥さんを痛く好きになり、高校・大学と、奥さんと全く同じ進路を行った経緯があります。

老人二人予定よりかなり遅れて友人宅を出発出発、住宅地の坂を下ると、そこは横須賀海岸通、名前の通り東京湾浦賀水道、冬にしては日差しがあるが風はなく、絶好のバイク・ラン日和、遠く左から右に、横浜、川崎、東京そして浦安、船橋、千葉に始まる房総半島を横に見て走ります。出発早々、山側に「走水神社」の看板が視界の隅に入ったのです。「えっ!あの走水神社」、前走水神社標識_Steet Viewを走る友人はそれに気を取られることもなく、快適に走り過ぎて行きます。今回は、前を行く友人の案内でもあり、「走水神社」に寄り道することもなく、三浦半島ツアーを続けることになります。

神話か否かはともかく、国家体制が出来上がるはるか以前、古事記によると110年、ヤマトタケルは九州の熊襲(クマソ)、吉備、瀬戸内を平定する。次に東征を命じられ、伊勢にて草薙剣 と袋を授かり、危急のとき袋の口を開けと教えられる。駿河国で火攻めに遭うが、草薙剣で草を掃い、袋の中の火打ち石で迎え火を点け、逆に敵を焼き尽くした。地名:焼津の由来という。足柄峠を越えて相模湾に沿って東進、鎌倉から三浦半島を横切って走水に出ます。そこから浦賀水道を横切り、房総半島へ渡ろうとしますが、暴風雨に遭い、同行していた妻の弟橘媛(おとたちばなひめ)が人身御供となってその難を救ったと伝えられ、二人を祀ったのが「走水神社」です。房総半島を北上、現在の関東地方を反時計回りに(茨城→栃木→群馬)進み、碓氷峠を越えて大和を目指します。碓氷峠(群馬県吾妻郡嬬恋村)に立ち、はるか眼下に広がる関東平野を見晴らし、この東征中で亡くした妻:弟橘媛を偲んで「吾妻はや」(吾が妻恋し)と嘆き叫んだという故事に因んで、関東を「あずま=東」と呼ぶようになったそうです。

「五畿七道」の一つ東海道は、当初、このヤマトタケル東征のルートを辿り、西国・九州諸国では畿内からの遠近を、「前・後(例えば、肥前・肥後)」で現しましたが、関東においては「上・下(例えば、上野・下野)」で現しました。坂東(≒関東≒あずま=東)とは、東山道碓氷峠(上野 こうづけ)及び東海道足柄山(相模)以東、反時計回りに、相模・安房・上総・下総・常陸・下野・上野・の7カ国でしたが、武蔵国はこのルートから外れ、碓氷峠回りの東山道に属していました。771年、武蔵国は東海道に変更となり、相模国中部を北上し、そのまま武蔵国に入り、東京湾に沿って現在の千葉県市川市の下総国府に至り、更に常陸国へと向かうルートになった。当初のルートでは都(畿内)に近かった安房・上総はこのルート変更により遠くなったことになります。※因みに、後の平安時代中頃(1030年)、このルートを上総国府(現在の千葉県市原市)を旅立ち京へ向かう様子が「更級日記」に描かれています。
関東地図

坂東(≒関東)は、元来、碓氷・足柄(箱根)と続く山塊が畿内政権の侵攻・浸透を拒み、半独立的な地位を持つ地域でした。坂東(≒関東)のさらなる奥に存在する東北(陸奥・出羽)は畿内・ヤマト政権に未だ服属しない「化外の地」、8〜9世紀、同じく辺境と見なされていた坂東(≒関東)は対蝦夷戦の人的・物的な兵站基地でした。坂東では帰順した蝦夷の反乱が各地で起こり、次第にヤマト政権の求心性が衰えます。一方、西国では、白村江での敗北以降、唐の来攻に備え、新羅の海賊が日本各地を襲う事象が多発、これには坂東で調達した人「防人」をはるか九州に送ることになります。次第に力を蓄えてきた坂東の力を削ぐためのものでした。

平安時代、農業土木が発達、鉄製の鋤・鍬が安くなり、一般庶民=農民個人でも使用できるようになり、都では紫式部、清少納言の世界でしたが、坂東では開墾農場主が現れ、「ここは俺が開いたのだから、俺の土地だ」という強烈なリアリズムを生み、「名こそ惜しけれ」の武士が誕生します。坂東(≒関東)にこのリアリズムと「名こそ惜しけれ」の武士が誕生し、鎌倉時代の芸術・宗教に果たした坂東の役割は大きい(※ 司馬遼太郎の言)。「文を尚び武を卑しんだ」中国、その儒教(朱子学)を国教とした李氏朝鮮とは全く異なる歴史はこの坂東(≒関東)に始まります。

そんなことを考えながら…、ウソです。観音崎久里浜ペリー公園、半島の360°視界を見晴らせる広大な大根畑を過ぎて城ヶ島に渡ります。復路は別ルートを考えていたのですが、ここでそろそろ日も傾き、安全のために今きた道とほとんど同じルートで出発地の友人宅を目指します。友人宅に到着したのは日没後、アップダウンのきつい往復50舛任靴拭

ご夫婦は長くアメリカに住み、永住するのか…とも思ったりしましたが、1年前に帰国、今は横須賀に住んでいます。食事をごちそうになり、二十五年ぶりにお会いした奥さんを交えて楽しい時間を過ごさせて頂きました。ありがとうございました。

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August 03, 2012

「あづま」「坂東」「関東」

嬬恋群馬県嬬恋村はキャベツの産地、地名がヤマトタケルの東征に由来することを知ったのは5年前でした。その地で彼の東征は終わったのですが、今回は、彼が東国に最初の一歩を踏み入れた地、足柄峠です。

峠の相模側(神奈川県南足柄市)、ヤマトタケル軍によって滅ぼされた「坂の神」を祀る「足柄明神」はなかなか趣のある風情です。これに比べると、駿河側(静岡県小山町)に移設された、映画:『乱』のセットは全く陳腐です。

足柄大明神_1

西暦110年、実在の人物かどうか疑わしいそうですが、彼は『足柄峠』を越えて相模に入り、相模→上総→下総→常陸→上野→甲斐と、関東地方の外縁部を反時計回りに辿りました。中心に位置する武蔵は彼の関心の外であったようです。東国の平定を終え、東国を望みながら、なおも亡き妻を追慕して「ああ、吾妻はや(わが妻よ…)、恋しい」と嘆いたことから東国を「あづま」と呼ぶようになったそうです( 『日本書紀』 )。

ヤマト政権の律令制において東海道の足柄峠(駿河と相模の境)以東及び東山道の碓氷峠(信濃と上野の境)以東を合わせて、坂の東:『坂東』と呼ぶようになりました。また畿内防衛のために、逢坂、後には鈴鹿(東海道)・不破(東山道)・愛発(北陸道)に関が置かれました。

この時代、『坂東』の地はヤマト政権に対して半独立国家(?)、白河関以東の『陸奥(むつ)』は元々国家統一に組み込まれなかった、俘囚長:安部氏の支配に始まる地、金産・駿馬を産することを背景にヤマト政権からの独立性が高かった。文化的に、前者は荒削りの文化(『なた彫り像』の仏像・観音像)なのに対し、後者は中尊寺金色堂に見られるように「京都の文化への憧憬と模倣」でした。まさに、ヤマト政権:律令制日本の「唐の文化への憧憬と模倣」と同じです。

源平争乱の時代、源氏は東山道(美濃・尾張・木曽・甲斐・信濃・越後)、上野(こうずけ)の新田の庄及び下野(しもつけ)の足利の庄に、対する平氏は東海道に分布していました。東海道が地盤であった平氏が、その中核である「関東八平氏」の裏切りにあい、血縁の薄い西国で闘わざるを得なかったのは大いに不利でした。
大泉寺
ついでながら、私の住んでいる東京都町田市、『小山田の庄』の別当:小山田有重は、「関東八平氏」の一派:秩父氏でしたが、頼朝挙兵時には在京しており、平家の忠実な家人として各地で転戦、木曽義仲追討にも加わりました。平家西国落ちの際に許されて東下し,遅れて鎌倉御家人となりました。

鎌倉幕府を開いた頼朝の軍は北陸道・東山道・東海道の三道の全てから平泉を攻め、奥州藤原氏を滅ぼし、奥州を幕府に取り込みます。畿内・近畿・西国に対して、『関東』を正式に標榜、幕府の血縁・支持基盤である遠江・信濃・越後以東を意味するようになりました。

室町幕府では「関東管領」が、相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸、上野、下野の坂東8カ国と伊豆、甲斐、後には陸奥、出羽をその管轄下に置いた。

徳川家康は政権の軸足をさらに東へ移動、ヤマトタケルの時代には見向きもされなかった武蔵国、江戸に幕府を開きました。江戸防衛のために、箱根(東海道)、小仏(甲州道)、碓氷(中仙道)に関を設け、以東を『関東』、それらの国は「関八州」と呼ばれるようになりました。

因みに、『関東軍』とは中華民国からの租借地であった関東州(遼東半島)及び満州(中国東北部)に駐留した旧日本陸軍の部隊名。万里の長城の東端:山海関の東の意味、ここで言う『関東』とは全く無関係です。念の為…。

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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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