谷戸

April 18, 2014

散歩の途中<8> 秘密の花園

何気なくテレビを見ていると、横浜市内ではシャクナゲが満開の様子、もう少し遅い…、4月末…と思っていたのですが、案外早く咲いたようです。朝の散歩は、南に下って相模原市との境:境川で折り返して、桜美林の交差点に位置するMacでお決まりの百円コーヒーを楽しみます。コーヒーを飲みながら待つこと5分、予測通り、Ikeさんが現れました。彼はお孫さんを小学校に送って、その帰りにMacに立ち寄ることを日課にされているようです。思い起こせば、もう3年以上になりますか…、お互いにMacで見かける顔とは認識していたのですが、高血圧症の治療で通った多摩丘陵病院のトイレで「あっ!」とばかりに鉢合わせ、それを機に彼の参加するテニスの仲間に入れてもらいました。

テニスだけではなく、山歩きが好きな彼、私の散歩道とも重なるのですが、「小山田庄」にも幾度かご一緒しました。去年の今頃か…、その時に連れて行ってもらったのが散った後の「五反田谷戸の畦桜」の古木でした。私の記憶では、この五反田谷戸の裏側に広がる森林の一角に「シャクナゲの群生」が見られるはずでした。

Ikeさんに「シャクナゲの群生」見学を提案すると、二つ返事で了解を得、早速その日に出かけることになりました。二人の先入観は奇しくも一致して、五反田谷戸の裏側に広がる森林の一角でした。「五反田谷戸の畦桜」で休憩していると、裏山から降りてきたハイカーにはこの「畦桜」の講釈し、ついでに我々の向かっている「シャクナゲの群生」の話をすると、その彼は大いに心を奪われたらしく、我々に付いて行くと云います。ということで、3人して裏山に入り、それらしい道を行きますが見当たりません。途中、草の葉を撮影しているカメラマン、散歩している地元の人らしき爺さんにたずねるも、「シャクナゲ?この辺じゃ、聞いたことがない」、「シャクナゲ?誰かが育てているの?5月じゃないの?」、と我々の了解とは接点すらありません。在の人間が知らないものをこいつらは知るはずがない…、とばかりに、後をついてきた彼も我々を馬鹿にした…か、どうかは知りませんが、終いには、「私は右へ行きますので …」、そそくさと、去って行ってしまいました。

行きつ戻りつ、それから1時間(?)、…どうも昔、ここを通ったような気配を感じた刹那、二人が昨年見た看板が目に飛び込んで来ました。遂に…、苦節…、涙…、地元の人間でさえ知らない「秘密の花園」:「シャクナゲの群生」に辿り着いたのです。それは、五反田谷戸から3つ目の谷戸、「奈良ばい谷戸の裏手」でした。一時は、自分の記憶は棚に上げて、Ikeさんの山歩きの知識・能力に大いに疑問をいだいた私ですが、そんなことも忘れてリュックからカメラを取り出します。…が、いざカメラのスイッチを入れると、「電池残量なし」の表示…、先日の「〜畦桜」以降、充電していませんでした。代わりにi Phoneで撮ったのがこの写真です。
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辿り着いてみると、侵入者は我々だけではなく、既に多くの人に進入を許しているようです。現に、我々が見物している間にも、姿は見えませんが、喋りながら通り過ぎて行くのが聞こえます。「…今年も、シャクナゲがきれいね!」 決してここは「秘密の花園」ではありません。人からものを尋ねられても、自分の興味のあるものなら答えるでしょうが、いくら自分の近くにあるものでも、興味がなければ答えようがないでしょう。我々が午前中に出会った在の人たちはシャクナゲには全く興味がなかったのでしょう。

来年は私も誰かを案内することができるでしょうが、その時も、「秘密の花園」であって欲しいものです。

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August 23, 2012

小山田の谷戸田(やとだ)

関西で育った私が、この地に引っ越してきた当初は、その地名:「小山田、小さな山の田んぼ…」、何と想像力の乏しい、単に、田んぼの風景を描写しただけ、またそう呼ばれる地域の広いこと…、その名前の付け方に「おおざっぱさ、いいかげんさ…」を感じたものでした。しかし、歳とともに、今まで全く見過ごしてきたものに、ハッと、気付くことが多くなってきました。

隣の横浜市に住む彼は山口県出身です。同じ西日本に住んでいた、ということで、「この辺には『〜谷戸(やと)』という地名が多いが、関西では聞いたことがない。」と、暗に同意を求める私の発言に、「そんなことはない、ありますよ。」とあっさりと否定されました。ご夫婦で山登りを趣味としている彼は「谷戸」の意味は把握しているはず、その彼が言うことなので間違いないものと…、話もそれで終わりました。

小山田の風景
…が、やっぱり真相はこうでした。東京都多摩地域及び神奈川県東部では、丘陵地が雨や川によって浸食されてできあがった谷が谷戸(やと)と呼ばれます。雨は丘陵や尾根を伝って谷戸に流れ込み、湿地を作ります。人々は谷戸の湿地を利用して水田を作ってきました。同時に、谷戸は多種多様な生き物を育み、豊かな農作物と美しい里山の景観を創り出しています。ちょっと昔なら、単なる田舎、で終わりましたが…。
※奇特な方が居られ、地名・バス停名として今に残る「谷戸コレクション」を紹介されています。

小山田神社低迷が続くNHK大河ドラマ:『平清盛』の時代、関東八平氏の一派、埼玉県嵐山町畠山荘、秩父桓武平氏:平有重がこの地にやって来て小山田別当有重と名乗った。頼朝挙兵時(1159)には京に在り、平家の忠実な御家人として各地に転戦、木曽義仲追討にも加わりました。平家西国落ちの際に許されて東下し、遅れて鎌倉御家人となった。平氏に続いて、源氏政権に於いても重要な地位についた小山田有重は農民を動員して土地を開発、現在の町田及び川崎・横浜の一部を支配する大土地所有者・開発領主となります。当初は単に土地の名前でしたが、その名前を冠した彼の勢力圏とともに拡大したのでしょう。

小山田一族は「谷戸田」を開発して「小山田」という水田を拡げ、その稲作の優れた生産力が一族の勢力拡大に大きく寄与しました。「谷戸田」の多い多摩丘陵地帯は「田方(たかた)」と呼ばれ、水田があり、コメが穫れるところ、の意味です。一方、南の相模台地地帯は「岡方(おかがた)」と呼ばれ、水田のない、コメの穫れないところです。相模台地は火山灰土、乾燥が激しく酸性が強いため大豆・粟さえも育たなかったそうで、安定的な農業が可能になったのは土壌・品種改良等の農業技術が発達する近世を待たなければなりません。
小山田の案山子_2
中世までは、町田の中心は小山田・小野路であり、原町田・中町などの繁栄は幕末以降、とりわけ横浜線・小田急線が開通してからの、たかが百年ちょっとのことではないでしょうか。

秋になると、小山田の谷戸田では豊かな稲穂に案山子が映える収穫の時期がやって来ます。

※参考資料:「道」白州正子 新潮社  「町田の歴史をたどる」 町田市
  DVD:「平清盛」


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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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