英国

May 03, 2011

翻って、日本

カトリックでは、神と人間(信者)の間に、必ず「神父(Father)」という聖職者が介在、15世紀頃にはローマ教皇が諸国王を凌駕する強い権力を握り、彼を頂点とする聖職者組織は末端に至るまで、ローマ時代以来、どの国にあろうとも全て共通言語はラテン語で、全ての祈祷・礼拝・儀式を独占、極めて排他的でした。16世紀に入り、この腐敗した独善的組織に反旗を翻して立ち上がったのがカルビン、ルーターに始まる宗教改革でした。その国の言語で聖書を読みさえすれば信仰できる。神と人間(信者)の間に聖職者は不用、信仰を助ける「牧師(Pastor)」が在るのみ、というプロテスタント運動が英国(イングランド)にも及び、これこそが「純粋(Pure)なキリスト教」として熱狂的に信仰されたのです。

ヘンリー8世ヘンリー8世がアラゴン王室(現在のスペイン)からの奥さんとの離婚をローマ教皇に認めてもらうことが出来ず、それではということでローマ教皇と手を切り、1534年、自ら英国国教会の首長となります。当時の最強国:スペインと最高権威:ローマ教皇を敵に回してもよいぐらいに英国の国力が充実してきたということでしょう。

ヘンリー8世の心情的にはカトリックそのもので、国教会祈祷書 1596はこのプロテスタント運動を弾圧します。彼の息子:エドワード6世は1549年『イングランド国教会祈祷書』を国家事業として出版します。これは、祈祷・礼拝・儀式における手順を示した規則書で、誕生・洗礼から婚姻また葬儀まで、起床から就寝まで、信仰生活の全てが一冊の本として編纂されたものです。この「祈祷書」以降、礼拝が従来のラテン語から英語になったことは画期的なことで、ローマ教皇権威の一角が崩れたことになります。1559年、エリザベス1世が国教会の首長となりプロテスタント運動を容認するようになります。

エリザベス1世スペインとの関係がこじれ、カトリックに追われたプロテスタントがカリブ海に進出、当初は貿易業を行ったが、次第に新大陸からの収奪品を運ぶスペイン船を襲うようになった。まさに、映画:『パイレーツ・オブ・カリビアン(Pirates of the Caribbean カリブの海賊)』の時代でした。エリザベス1世はこのカリブ海でのスペイン船への海賊行為を奨励、ジョン・ホーキンス(1532〜1595)やフランシス・ドレーク(1540〜1596)ら海賊をを中心とするイギリス海軍は、1588年には最強国:スペイン無敵艦隊を撃破、彼女の治世はイギリスに45年間にも及ぶ繁栄をもたらします。

彼女は政治問題と絡む男女問題に煩わされることを嫌って一生結婚をしないことを宣言、「処女王(Virgin Queen)」と呼ばれました。カトリック、プロテスタントを問わず、民衆は彼女の即位を歓迎します。北アメリカ大陸においてイギリスによる最初の入植地が彼女に因んでバージニア(Virginia)と命名されたことはご存じでしょう。

1538年、プレヴェザの海戦で、スペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇の連合艦隊はオスマン帝国艦隊に破れ、ローマの時代から続いたヨーロッパ世界:地中海の制海権はイスラム:オスマン帝国に握られる。キリスト教国はジブラルタル海峡を西に追い出されてしまいます。ポルトガルは南下して旧大陸:アフリカ〜インド洋〜東南アジアへ、スペインは大西洋をさらに西へ新大陸(南北アメリカ)に航路を開拓・植民して行きます。ローマ以来ヨーロッパの辺境にあった英国が俄然、その地理的優位性を発揮、宗教改革によるプロテスタンティズムが経験主義、個人主義、功利主義を一層高め、プラグマティズム(現実主義?)で貫徹した総合文化を形成した国家として登場します。
british empire










あれから4世紀、英国は産業革命を達成し、七つの海の覇権を握り、カナダ、オーストラリア、インドや香港に広がる広大な植民地を経営し、奴隷貿易が代表するような搾取を繰り広げ大英帝国を建設した。この勢いも第一次世界大戦で終わります。

かつてあれだけ世界中を搾取・収奪した英国ですが、今は普通の国。しかし、一人ぼっちで寂しそうには見えません。たくさんの友人を持っているようです。翻って、日本、明治維新からたかだか140年、どうでしょうか?
ウイリアム王子とケイト・ミドルトンさんの華やかな結婚式を見て、ふと思ってしまいました。
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February 14, 2009

グレートブリテン及び北アイルランド連合王国

幕末・明治以降、少なくとも第二次大戦に至るまで、日本が多くのことを学んできたのが「英国」でした。…が、「英国」のことをほとんど知りません。我々の呼ぶ「英国」あるいは「イギリス」の正式名称は「United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland」です。日本国外務省による正式表記では「英国(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)」となっており、( )の中の表記が正式名称の日本語訳です。

将軍かなり古い話で申し訳ないですが、映画:「SHOGUN 将軍(1980)」のモデル, 英国人航海士:ウィリアム・アダムス(三浦按針)が1600年、彼が乗船していたオランダ船が豊後(現在の大分県)に漂着したことに日英関係は始まるそうです。戦国・安土桃山時代、England(イングランド)はポルトガル語でIngles(イングレス)、オランダ語でEngels(エンゲルス)と呼ばれ、これが訛って「エゲレス、イギリス」、「英吉利」の字が当てられたそうです。

自分の無知をさらけ出すのですが、「ユナイテッドキングダム UK」、「グレート・ブリテン GB」、「イングランド England」の関係がよく判らないのは私だけではないでしょう(?)。アングロサクソン人のイングランドとケルト人国家であるスコットランド、ウェールズを含んだのが「グレート・ブリテン GB」、これに北アイルランドを加えて「連合王国 UK」となるのでしょう。

「グレート・ブリテン GB」を構成するスコットランド、ウェールズ、イングランドとは何でしょうか。「州」と思っている人もおられるのでは…(?)。国でもなく、州でもなく、「構成体」としか呼びようがありませんが、彼ら自身はどう呼ぶのでしょうか。それぞれ、独自の法制度、教育制度を持つが独立国家ではなく、国際連合・EUの直接構成国家ではない、と規定されているそうです。

因みに、サッカー・ワールドカップ欧州地区予選では、スコットランド、ウェールズ、イングランド、北アイルランドは独自にチームを参戦出来るようです。他の国がナショナルチームで闘うのに、彼らだけにこの特権(?)が与えられたのはこのスポーツが英国(=ユナイテッドキングダム UK)発祥だからでしょうか。

もう一つ、アイルランドはかつて英国の植民地でしたが、北アイルランドが英国領であることは知らず、まだ「英国の植民地支配が続いている地域」と思っている人も多いのではないでしょうか。アイルランド独立戦争(1919-1921)は1921年に休戦が成立、同年、英愛条約 (The Anglo-Irish Treaty)が締結され、北アイルランドの帰属は北アイルランド自身に委ねられることになり、これが宗教・帰属問題が絡み合った「北アイルランド問題」として現在に至り暗い影を落としています。

そんなところに、本来ならば、England(イングランド)のみを表す日本語:「イギリス」が、イングランドを含む、ブリテン島に加えて、北アイルランドまでをも含む国家を表すのは無理があり、しかたなく、日本語の正式名称を「英国」としたのでしょうが、これでは同国の歴史的経緯は見えてきません。

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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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