義政

June 01, 2014

ケイタイ・ストラップ  最近、見かけませんね

室町幕府第3代将軍:足利義満(1358 - 1408)は禅宗を保護、優れた禅世界の漢文・詩文・水墨画を生みます。観阿弥・世阿弥父子を保護、猿楽能を大成し、連歌を和歌と同等の地位に引き上げます。鎌倉時代末期から連歌会が一般庶民の間でも盛んになり、同時に連歌につきものの茶道が隆盛、喫茶を楽しむ場を「茶の湯」と呼ばれました。総称して「北山文化」と呼ばれ、8代将軍義政(1436 - 1490)の銀閣寺に代表される「東山文化」へと受け継がれます。

この日本のルネッサンスの如き室町文化の興隆を支えた足利室町幕府の富の源泉はを中国の明との「勘合貿易」の独占でした。新興の武家、そして公家、禅僧らの文化に明貿易による大陸文化の影響の融合が極めて特徴的です。「東山文化」は正に「応仁の乱(1467 - 1477)」の時代、芸術・文化は高揚するが、秩序は徐々に崩壊していきます。婆佐羅(ばさら)と呼ばれる社会風潮・流行が現れ、奢侈な振る舞いや粋で華美な服装を好む美意識で時の権威や秩序に反逆、これが戦国時代の「下克上」へとつながって行きます。

室町文化のスポンサー、パトロン:足利室町幕府の富の源泉である明との「勘合貿易」、船荷の一つが大量の錦糸でした。「勘合貿易」で輸入される錦糸には、「絲印(いといん)」と呼ばれる受領印が付けられており、荷受人には錦糸と共に渡され、荷受人発行の受領書に受領印として押印されたもので、毎回異なった手掘りの絵柄で、その使用は一度限り、取引終了後は荷受人に寄贈されました。※今で言う、セキュリティ・トークン(毎回・逐次パスワードが変更されるパスワード発生装置)みたいなものか…。

140601根付男性用の着物で袋等を持ち歩く場合、そこに付けられた紐の他方の端に取付け、帯の上方に出す事によって引っ掛って袋や印籠などが落ちないようにするもの「根付(ねつけ)」と云うらしいのですが(絵を参照)、佐々木道誉のような異国趣味で奇をてらう婆佐羅(ばさら)、洒落者がこの「絲印」を使って「根付」の代わりにしました。戦国期に入ると、婆佐羅(ばさら)の申し子のような織田信長は「傾き(かぶき)者」と呼ばれるなど、どうも似合いそうですが、彼の後を継いだ豊臣秀吉はこの「絲印」の蒐集家だったそうです。

Book_Netsuke秀吉の後を継いだ徳川家康は大の薬愛用家、諸大名にも推めて廻った(「根付け!」)のがその名称の起こりとか…ほんまかいな?、薬の携帯に「印籠」考案され、「根付」と「印籠」は一体となった由。武士、公家、禅僧から始まった室町文化は、安土桃山を経て、今や支配階級だけでなく、茶人・商人・町人までに及びました。近代に入り、洋服の普及とともに「根付」は減少、その多くが国外に骨董的蒐集品として流出してしまったそうです。

覚えておられますか?何年も前、カラケーが華やかなりし頃、皆さん、自慢気にジャラジャラと、携帯にストラップを付けていましたね?あのストラップ…、室町時代、「東山文化」、「応仁の乱」の時代、「勘合貿易」まで遡ることができるのですね。すごい話とは思われませんか?私はそれを知って、黒田官兵衛も千利休も忘れて、久しぶりに感激してしまいました。

あのストラップ、最近見かけませんが、どうしてしまったのでしょう。今のスマート・フォンにはストラップを通す穴さえもありません。

Momo holding sign board-HKX Radio※今までの曲は左サイド、Music Player でお聴きになれます。 
Your Support, Please. ▼ ボタンを押して下さい。このサイトの順位がわかります。にほんブログ村 歴史ブログ 諸文化の歴史へ にほんブログ村 音楽ブログ カントリーミュージックへ 


express01 at 13:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
Profile

ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

Back Issues At A Glance
Comments
ISAO's Bookshelf
人気ブログ ランキング
NINJA
Search