第一次世界大戦

January 15, 2014

『アラビアのローレンス』、ピーター・オトゥール

何か…?、去年やり残したような気持ちになっていました。
映画:『アラビアのローレンス』のピーター・オトゥールは正に当たり役・はまり役でした。あまりにも『アラビアのローレンス』の印象が強烈過ぎて、その後は役にめぐまれなかったのは残念なことでした。 

『栄光への脱出』(1960)、『北京の55日』(1963)と並んで、『アラビアのロレンス』(1962)が近代世界史を学ぶきっかけになったことは間違いありません。

黒海・バルカン半島では、ここを支配するオスマン帝国に対する反乱・蜂起が起こり、ロシアが、スラブ民族独立の為として、これに介入します。ロシア帝国とオスマン帝国は敵対関係にあり、1568年以来しばしば戦争が発生、「露土戦争」と呼ばれます。

1853〜1856年、クリミヤ半島を舞台にロシアとオスマン帝国及びその同盟国:フランス、イギリスの戦い(「クリミヤ戦争」)で、ロシアは破れ、西欧列強がこの戦争に目を奪われている間に、アメリカはぺりーの対日砲艦外交に成功(黒船来航1853年)、その南進政策の舞台を、バルカン半島から満州・朝鮮半島に移します。

近代世界史において、始めて、日本という国が登場するのは「日清戦争」(1894〜1896)戦争でした。260年続いた徳川幕府武家政権が倒れ(1868)、極東に近代国民国家を目指す明治新政府が誕生してから26年後のことでした。国力から見て当然勝つと思われていた清朝中国は破れ、日本が勝利します。日本に割譲された遼東半島(旅順・大連などの不凍港)は露・仏・独の三国干渉によって中国に返還されることになり、1898年、ロシアは中国から旅順・大連を租借して極東政策の拠点とします。中国の負けにつけ込んで欧米列強が更に侵食、中国は半植民地となり、それに呼応して民族運動としての「義和団の乱」が発生します。伝統的に不凍港を求めて南下政策をとるロシア、そして日本は乱以降も撤兵せず、満州・朝鮮半島を巡る両国の衝突が「日露戦争」(1904-1905)に発展します。

地球の裏側、南アフリカでは「ボーア戦争」(1899〜1902、英国とオランダ系ボーア人との戦争)が勃発、英国は大量の人員・物資を南アフリカに割かざるを得ず、満州に南下するロシア帝国に対抗する為、「日英同盟」を締結します(1902)。「義和団の乱」での柴五郎の活躍が「日英同盟」締結に大いに寄与し、この「日英同盟」が「日露戦争」での日本勝利の大きな要因の一つでした。こうして日本は「義和団の乱」・「日露戦争」以降も唯一軍隊を中国に駐留し続け、その後泥沼化していく「日中戦争」(1937〜1945)に発展していきます。

日露戦争での敗北により、ロシアは、満州での南下を阻止され、元のバルカン半島進出に政策を戻します。「日英同盟」を結んでロシアに対抗したイギリスは、極東における脅威がなくなると、逆にロシアに接近、英国・フランス・ロシア三国協商につながり、これがバルカン半島でのオーストリアと衝突、第一次世界大戦に発展します。

英国はインドを征服、植民地(1765〜1849)とし、国内は折からの産業革命、インドは英国産業の原料供給地兼製品市場とされていきました。英国が独占するインド貿易へ干渉するため、フランスはスエズ運河を開通(1869)させますが、運河建設に批判的であった英国は、手の平を返して、運河会社の筆頭株主となります。1882年、エジプトで発生した暴動を口実に、英国は軍事介入してスエズ運河を管轄下に置くことになります。オスマン帝国はオーストリア、ドイツとともに同盟国軍として、英国はフランス、ロシア、セルビアとともに連合国軍として戦いますが、この衰退するオスマン帝国の支配下にあったのがアラブ民族であり、スエズ運河をオスマン帝国に奪われれば、英国はインドへの道を絶たれてしまう情況でした。

このような世界情勢の中、ロレンスは陸軍作戦本部地図課に配属となり、考古学者として、英国の生命線:スエズ運河周辺アラブ地域の情報を探る任務を与えられ、1916年、カイロに派遣されます。彼の調査で、アラブ各地ではオスマン帝国に対する反乱・蜂起計画が進んでいることが判明、支援さえあれば、英軍の投入なくして、独力でオスマン帝国軍を釘付けにすることが可能として、自らその作戦に志願します。1917年、ロレンスとアラブ人のゲリラ部隊はダマスカスとメディナを結ぶヒジャーズ鉄道に対する破壊活動を行い、アカバ湾の深奥、戦略的要衝アカバを砂漠の背後から奇襲し、陥落させます。映画:『アラビアのローレンス』のハイライトシーンでもあります。

1888年、トマス・エドワード・ロレンス(T.E. Laurence)は誕生します。離婚が認められず駆け落ち、実質的には夫婦なのですが、戸籍上は私生児として誕生でした。彼の母親は、実母をアルコール中毒で亡くし、厳格でヒステリックな女性だったようで、自らの不倫関係の負い目故か、子供達の躾には異常に厳格でした。誕生した5人の子供で結婚したのは五男ただ一人だったそうです。映画で、オスマン帝国軍の捕虜となりムチで打たれ、トルコ人地方官吏に犯されるシーンがありましたが、どこか精神を病んでおり…、マゾヒストであったことは間違いないようです。
ローレンス下宿先
6年前、英国に行く機会があり、ロンドンでは彼の住んでいた下宿先、戦争博物館に展示されている
彼愛用のバイク:Brough Superiorを訪ねたことが思い出されます。
20140113アラビアのロレンス

※あまり似てはいませんが…、哀悼の意を表して…

そのロレンスを演じた俳優:ピーター・オトゥールが昨年12月、81歳で亡くなりました。ご冥福をお祈りします。

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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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