無足人

October 31, 2015

俳聖殿

 上野天神祭_2「同窓会」と私だけが呼んでいますが、今年も「伊賀上野天神祭」が催される10月24日・25日にいつものメンバーが集まりました。メンバーの一人、新潟に住む彼は大学時代はワンゲル、京都でのOB会には必ず出席、全国に散らばるOBと共に山へ登っているそうです。彼の伊賀上野入りの目的は、同窓会に加えて、「天神祭」楼車(だんじり)の綱を引くことにあるのです。老い故の体力低下・故障・病気に悩む他の出席者からすればうらやましい彼です。

上野天神祭_5 「上野天神祭」は400年余りの歴史があり、神輿(みこし)・鬼行列・楼車(だんじり)が行列を組んで、上野の町衆街だけを巡行します。伊賀上野は戦国時代、織田信長に反旗を翻した「惣」と呼ばれる自治組織を持つ土地柄、豊かな町衆が自主的に始めた祭です。関ヶ原後に入封した藤堂家も慣例に従わい、むしろそれを楽しんだのでしょう。祭そのものは一回見れば済むもので、残念ながら、彼のように「祭=命」の感覚にはなりません。

 おそらく、芭蕉もこの豪華な「上野天神祭」を見たことでしょう。芭蕉は武士でも、農民・町民でもない、伊賀国では「無足人」と呼ばれる郷士、藤堂新七郎良清の長男:良忠(俳号は蝉吟)に仕えたが、その仕事は料理人でした。良忠とともに京都にいた北村季吟に師事して俳諧の道に入るが、良忠は若くして急死、最良の理解者・支援者を失います。西鶴が主流を占める大坂・京には新参者が入り込む余地もなく、芭蕉は一大決意をして藤堂家を離れ、1672年、句集『貝おほひ』を上野天神宮に奉納、江戸に向けて出立しました。

 既に戦国時代は過去のものとなり、平和と安定の世に変わりました。絶対的な立法権と行政権(軍事・警察権)を独占していた武士階級はその社会全体の富を独占できるはずなのですが…、そうとはならず、時の経過とともに貧しくなっていきます。農業生産力の飛躍的拡大、治水・治山・新田・鉱山開発が進み、道路・航路などの交通網が発達、物流が活発化、商品経済が発展、圧倒的に商人の時代、「元禄文化」が生まれます。「上野天神祭」の担い手も時代の主役、上野の町衆でした。

 芭蕉の人生の再出発を誓った江戸入りは大当たり、日本橋小田原町にて俳諧師として一定の成功を収めます。大坂の西鶴をも凌駕する人気をおさめるが、それもつかの間、芭蕉は今まで確立した俳諧師としての豊かな生活を捨て、深川に隠棲します。どうして…唐突に?一説には、彼の妾=内縁の妻:寿貞と甥の桃印との不義密通が理由だったといいます。因みに、〜 夜密かに虫は月下の栗を穿つ 〜とは不気味な、鬼気迫る一句です。彼の失意を救ったのは仏頂和尚、禅との出会いでした。ジェットコースターのような半生も終盤にさしかかります。
151028伊賀上野俳聖殿
 再び芭蕉を襲ったのが、1682年12月、天和の大火(「八百屋お七の火事」)でした。庵を焼失し、再び失意のどん底に落ちます。ここでまたもや這い上がるのが芭蕉で、彼は庵を捨て、「笠」を最小の「庵」と考え、侘び住まいの芭蕉庵も旅の笠も同じ、「旅」という新境地に到達します。結果から見ると、彼の「旅」は俳諧布教の旅であり、訪れた至る所に信者を作り、神格化され、崇められ、あちこちに句碑・記念碑が建っています。そんな芭蕉の旅姿をモチーフにした建物、その名も「俳聖殿」、伊賀上野城内に在り、ありがたいことに、近くに控えているボランティアが芭蕉の一生を語り聞かせてくれます。もちろん、信者の奉仕活動です。

 「年寄りのアイドル」と呼ばれているそうですが、我が同窓会では体力低下・故障・病気そして年金に関して話題に上ることがあっても、芭蕉の話には至りませんでした。来年を楽しみにすることにしましょう。

※参考:永田龍太郎「人間芭蕉記 」 司馬遼太郎「十六の話 ・文学から見た日本歴史」 嵐山光三郎「悪党芭蕉
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April 15, 2015

「芭蕉」を振り出しに

芭蕉 今日は、関西の友人から、ブログの更新がないのを心配して、安否確認の電話をもらったりしたのですが、もう月半ば、前回のブログ更新から2週間も過ぎていますが、何を書こうか…、全くキーボードが進みません。実は、先週にはアルバイトも終わり、今日あたり、今年のテーマの一つである「芭蕉」にゆかりの江戸(東京)深川辺りに行ってみようか…などと思っていましたが、この長雨で出かけることも出来ません。しかたがないので、今までに読んだ本、聞いた話、テレビ・新聞からの知識をできるだけノートに残しているのですが、私のテーマ:「芭蕉」を振り出しに手繰ってみることにしましょう。

 気になったのが、芭蕉の出自は伊賀国の「無足人」だった、ということです。古代、荘園制度の崩壊に連れて、伊賀国では、村々の自治が「惣」という共同体で行われるようになり、戦国期には「伊賀惣国一揆」を持って守護大名の支配に抗したが、織田信長の二度に渡る伊賀討伐で壊滅します。「本能寺の変(1582)」、堺に逗留していた家康はわずかな供回りとともに決死の逃避行を敢行、その際、彼等「伊賀衆」は家康を護衛して無事岡崎まで送り届けます(「伊賀越」)。
 
 諜報活動、破壊活動、浸透戦術、暗殺等、「忍者」の能力を鍛錬、この「惣」を担ってきた彼等「伊賀衆」を、藤堂藩は、禄はないが苗字帯刀を許すという、「無足人」という特権農民制度を設け、治安維持、有事の補助的防衛力として活用しました。因みに、「服部半蔵」としてよく知られる服部半蔵正成は家康に仕えた伊賀同心の支配役の武士にて、蛇足ながら半蔵門は彼の名前に由来、彼もまた伊賀服部氏の出自でした。徳川幕府が江戸に開かれ、下級の「伊賀衆」は御庭番・公議隠密として重宝されることになります。芭蕉=忍者説はこの辺りから出たのでしょう。

傀儡士 観阿弥(1333-1384)は南北朝時代から室町時代にかけての猿楽師にて、息子の世阿弥とともに、「能」を大成した人物ですが、彼の祖父は伊賀の服部氏一族の出自であると云う説があります。「猿楽」は操り人形を使い、例えば、武庫川の船着場に屯する河原者の木偶(でく=人形)遊びが散所に移り、西宮神社のえびす人形劇が後の人形芝居の源流となり、芭蕉と同時代の元禄時代には、近松門左衛門の人形浄瑠璃に発展、他方では能楽、歌舞伎へと発展して行きます。逆に遡ると、平安時代には傀儡(くぐつ)として人形劇を行い、女性は劇に合わせて詩を唄い、男性は奇術や剣舞などの大道芸や相撲を行っていた大道芸人でした。「傀儡(くぐつ)」はガラクタを入れる袋、この袋を背負って旅する芸人。傀儡女は歌と売春を主業とした遊女の一種で、後白河法王は喉を潰すほどに彼女たちの歌う「今様」を好み、『梁塵秘抄』を遺したことで知られています。

 「忍者」と「猿楽」をさらに遡ると、6世紀頃に渡来した渡来人集団:秦氏に辿り着きます。大陸の機織りを伝えてヤマト朝廷に仕えた「ハタオリベ」が、後に「ハットリ」に転化しますが、服部氏と秦氏は同根でした。秦河勝(かわかつ 生没年不詳)は秦氏の族長であったとされ、聖徳太子の側近として活躍しました。彼等は機織り・鉱山・土木・稲作・醸造・養蚕・陶磁器・冶金の技術に優れた技術者集団であったし、音楽・舞踊・操り人形・軽業・催眠術・医術・占い・手品・幻術・奇術・魔術を行う集団でもありました。彼等は一度に大挙して渡来したのではなく、初期の渡来人は技術者集団として迎えられて高い地位に付いたが、渡来を重ねるごとにその職種は多義に渡るようになった。遅れてやってきた渡来者は東国に開拓民として移住させられた例もあり、もはや収容しきれなった者は各地を放浪するか、権力の及ばない所に逼塞せざるを得なかったのでしょう。彼等が、「人々を欺瞞し、時には魅了する」能力とは、言葉を換えれば「忍術」や「芸能・芸術」ということになります。ついでながら、芭蕉の姓「松尾」も秦氏に繋がります。

 431年、東ローマ帝国のコンスタンチノープル、「マリアは神の容器であったかも知れないが、神の母ではない」と主張するネストリウスは神学論争に破れ、異端とされた。ネストリウス派(=東方教会)はペルシャ帝国へ逃れ、ゾロアスター教とも交じり合い、後にはペルシャ文化の中核となる、7世紀ごろには中国へと伝わり、唐代(618-907)の中国においては景教と呼ばれた。秦氏は古代キリスト教であるネストリウス派(景教徒)でした。漢民族はローマを中心とする勢力圏を「大秦」と呼び、後に秦氏が秦・始皇帝の子孫と称したのは、こうした経緯があったのでしょう。洛西、太秦広隆寺にある秦河勝像は明らかにモンゴル系の造作ではない、とは司馬遼太郎の言。キリスト教・ユダヤ教・ゾロアスター教・仏教・道教、この地に至るまで各地の土着信仰に加えて日本の神道と、ここに至る長い旅路のフィルターを経ており、その原型を探るのは極めて困難です。
 
 インド北部に生まれたとするジプシー、西へ向かうとヨーロッパ、スペインのフラメンコもそう、彼等が移住したアルゼンチンではタンゴという文化が生まれました。ネストリウス派と出会って、あるいはその後を追いかけるように、東へ向かったジプシーは唐の時代の中国に入り、秦氏一族とともに、東の果て、倭国に到達、傀儡(くぐつ)、今様、大道芸人、忍者、西宮神社のえびっさん、近松、芭蕉につながりました。

 以前も紹介しましたが、最後に、スペイン人、サラサーテが作った「チゴイネル・ワイゼン(Zigeunerweisen ドイツ語で「ジプシーの旋律」の意味)」をお聞きください。どこか…、近松、芭蕉につながって聞こえませんか。
  参考資料:広瀬久也『人形浄瑠璃の歴史 』、司馬遼太郎『ペルシャの幻術師 (文春文庫)

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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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