無常

May 01, 2016

遊び 「若冲」

 終業式終わり、子供達は連れだって普段は行くことが許されない街に出て、ちょっぴり大人の気分を味わいます。 こうして始まった夏休みも、いつしか近づいた8月の末、彼ら、特に大人に変わろうとする中学生にとって祭は夏の集大成です。大人への階段を上るのです。祭の前の期待感は徐々に盛り上がり、祭の最高潮、いつしか場面は変わり、祭の終わりとともに人波は去って、寂しい情景が取り残されます。子供の頃は永遠と思われた夏休みも、ふとしたことでに終わりがあることに気づき、夏だけでなく、祭も、桜も、月の満ち欠けも、そして人生も同じであることを知るのです。

   いつの頃からか…、移りゆくもの、はかないものを美しい、愛しいと感じるようになりました。平安末期は地震・台風・大火・飢饉などの天変地異が続き、台頭した武家、平氏が保元(1156)・平治の乱(1159)に勝利し、王朝貴族政治は終わりを迎えます。 価値観が一変して、「無常感」・「厭世観」が支配する末法の世・浄土信仰の時代となります。「無常観」とは本来、非情な仏教の根本宇宙原理(悟り・解脱)なのですが、日本の「無常感」は情緒的な自然観(花鳥風月)・死生観と結びついて涙なくしては語れない独自なものとなります。人生ははかない、花は散り際が美しい…と、その美しさだけでなく、無常であることに日本人は愛惜を感じたのです。『平家物語』の「無常感」、「おごれる者は久しからず」は本来は「おごらずとも久しからず」であり、万人をくまなく支配する哲理、「無常観」なのです。

 頼朝が勝利して、初めての武家政権:鎌倉幕府を開き(1192)、以来、約7百年に渡って武家政治が続くことになります。中華儒教思想に倣って文人政治を行ってきた日本は武家・武断政治を確立、その後、本家の中国あるいはその一番弟子である朝鮮とは全く異なる歴史をたどることになります。

 それまでは一握りの富裕な階層に限られましたが、時代と共に生産力は上昇、最低限の必要とする衣食住から解放され、自由に処分できる一定の「お金」と労働から解放された一定の「時間」を持つようになってきます。自由に処分できる「お金」と「時間」が「遊び」を生み、その「遊び」から「文化」が生まれます。

 鎌倉幕府から約4百年後、家康は最後の武家政権:江戸幕府を開きます(1603)。武家社会が完成した江戸時代には、人口の7〜8%を占める武士は、自律的・潔く、学問する知識階級として下の階級から尊敬されていました。…が皮肉にも、大名はともかく(あるいはこれも含め)、その家来:武士の俸給は安く、大半は中程度の農民や商人よりも貧しい、商人が圧倒的に力を持つ商品経済の時代でした。

 商品経済若冲 虻に双鶏図は発展するが、鎖国のため国外への発展は閉塞、自ずとその富は都市へと蓄積します。今まで一握りの階層に限られた教育:読み・書き・算盤は庶民の必修となり、人間のものの見方は質・量で測るようになり、学問を実証的にします。より大衆的な消費社会になると、奢侈への欲望・誘惑を「勤勉」と「禁欲」によって抗しようともがく、まさに井原西鶴(1642 - 1725)の描く社会でした。「浪費」を忌避した商人は、代わりに「趣味の世界」=「芸事・稽古事」、「遊び」に没頭することになり、これまた身の破滅を招く恐れがあります。

 京・錦小路にあった青物問屋「枡屋」の長男(1716 - 1800)は絵を描くこと以外には全く興味がありません。商売は彼が居ても居なくてもうまく回るぐらいの規模・組織・人材を備えていたのでしょう。「芸事」として絵を始めたわけでもなく、酒も飲まず、博打もせず、女にも手を出さず、いや失言…、結婚もせず(そういえば女性を描いた絵がない…)、40歳という若さで次男に家督を譲り隠居、絵にのめり込んでしまいます。
Etusko & Joe Price Collection

 何年か前に、NHKスペシャルか何かで、アメリカ人の収集家:Joe D. Priceさんの豪邸に展示されている若冲の絵を見て感激した私は全くのミーハーで、先日、やって来た彼の収集物を見ようと上野の東京都美術館に行ってきました。その2日前、再びNHKスペシャルで若冲の特集、私は見ながらうとうとうたた寝してしまったのですが…、テレビの効果は絶大、よくもこれだけ多くのミーハー、いやファンが来たのか、ほとんどはシルバー割引の高齢者、チケット購入に1時間、美術館内に入るのにさらに2時間、展示室の前でさらに1時間を待った次第です。一時は、出直そうか…、とも思った『若冲展』、Joe D. Priceさん所蔵の本物をみることが出来て満足でした。
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March 11, 2015

平安末期末法の世 山城国日野

深い森 2012年6月、わずかながらも復興に寄与すればと思い、白河関を通って会津若松に旅しました。 平安中期、能因が、平安末〜鎌倉初期、彼の跡を追って西行が、そして江戸期には、二人を追って芭蕉が通過した白河関、私にとってはこれが二度目の訪問でした。その年の大河ドラマが『平清盛』だった故か…、空堀が巡らされた古代の砦・柵の跡に一人立つと、そこは『平家物語』の世界です。

 「一ノ谷の戦い(1184)」で捕虜となった平重衡は、 鎌倉からの帰路、同じく「壇ノ浦の戦い(1185)」で捕虜となった妻:輔子(ほし/すけこ)が姉の居所に隠棲していると耳にします。「もしや…、会えるかも…?」と、待っている妻。 果たして、一行が日野に差し掛かった時、「この近くに妻がおりますので、今一度対面したく〜」と重衡、警護の武士は涙して夫婦つかの間の再会を許します。『平家物語』、感動的な場面の一つです。

 重衡夫婦が再会を果たした山城国日野、奈良の春日野の地に似ているという理由で当初、「春日野」と名付けられました。日野氏の始祖:藤原真夏を祀った萱尾神社の前に「春日野」と記した標識を建てたが、ある日、一匹の鹿が現れ「春」の一字を喰いちぎって行ってしまいました。以来「日野」のニ文字だけが残り、そのまま地名となったと云います。

 保元・平治の乱(1156/1159)、安元の火災(1177)、治承の辻風(1180)、福原遷都(1180)、治承・寿永の乱(1180〜1185)、養和の飢饉(1181)、元暦の大地震(1185)…、立て続けに起こった天変地異と戦乱、人々は世界の終末:「末法」の到来に怯え、極楽浄土への往生を求める浄土信仰が大流行します。朝廷・貴族が衰退して武家が台頭、一方では、既存の仏教に対抗する新しい仏教勢力が増大、価値感が一変する大変動の時代でした。

 朝廷と姻戚関係を結び、 摂関政治を続けてきた藤原氏にすれば、重衡はその藤原氏の氏寺:奈良「興福寺」焼き討ちを指揮した重罪人、その重衡が藤原氏日野家の拠点:日野を通るのも因縁があったのでしょう。「法界寺」は真夏の孫:家宗が建立した日野家の氏寺ですが(薬師信仰)、この時代、末法思想の大流行を受けて阿弥陀堂が建てられ(阿弥陀信仰)、浄土真宗の開祖:親鸞は日野有範の子としてこの「法界寺」に生まれました(1173 〜1262)。

 仏教で云う「無常」とは、宇宙・万物の哲理・原理であり、「奢れる・奢らざるに拘わらず、全てに等しく永遠ではない」のですが、『平家物語』では「奢れる者は久しからず」になってしまいます。前者は感情の入る余地のない根本原理・宇宙の法則、日本の「無常」は極めて情緒的、桜は散り際が美しいなど、桜の花を愛でるにもその美しさだけでなく、変わりゆく=うつろいゆく=「無常」に愛惜を感じるのです。

 下鴨神社の神事を司る神官の次男として生まれた鴨長明(1155 〜 1216)は、 和歌・音楽(琵琶)を学び、歌人として活躍していましたが、神職としての出世の道を閉ざされ大原にて出家(1204)、後にこの日野「法界寺」の奥に「方丈庵(一丈四方の庵)」を結びます。既に武家の時代、鎌倉幕府三代将軍:源実朝に面談して帰国後、『方丈記』を完成します(1212)。

 この時代、日野が何かと重要な舞台の一つでした。『方丈記』に関して書こうと思いましたが前段の時代背景だけに終わってしましました。私の書斎

 私の部屋はほとんど長明の方丈庵と同じ、音楽もほとんど同じで、上手くはありませんが、ギターを彈きます。残念ながら和歌、文学の素養はありません。
 

 東日本大震災で亡くなられた方々の御冥福を心からお祈りします。

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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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