江川英龍

June 13, 2018

伊豆韮山へ小旅行 その3 江川英龍邸

江川邸玄関外
 新政府軍は三島で本道、足柄越え、韮山の三方に別れて関東に入り、小田原で合流する手はずになっています。本道、箱根関所を守備する小田原藩兵は終始、先鋒隊長:渡辺清左衛門(大村藩)の気迫に押されっぱなしで、既に恭順せよとの藩命があったにせよ、全くの拍子抜けする引き渡しでした。一方、韮山往還を南下した別働隊も、いち早く官軍の降伏恭順の意を伝えていた江川代官所を、何の問題もなく接収します。小田原藩大久保家と韮山代官江川家はどちらも関東を守る要、しかし、新しい時代への対応は大きく異なります。

江川英龍像(顔)_1 幕末近く、異国船が沿岸各地に出没した時代、江川英龍(担庵 1801-1855)は36代当主、代官として就任します。長崎で蘭学を、そして高島秋帆から砲術を学び、渡辺崋山や高野長英らと交流、日本の置かれた国際情勢を憂慮、沿岸警備、近代的兵制(農兵制度)、西洋砲術の訓練、お台場(砲台)の建設、そしてこの韮山反射炉の建設を幕府に献策、実行しました。教育にも力を注ぎ、佐久間象山・大鳥圭介・橋本左内・桂小五郎・伊東祐亨などが彼の門下で学びました。「蛮社の獄(1839)」で追求されることもなく、善政を敷き、領民からは「世直し江川大明神」と敬われていたそうです。剣は神道無念流の免許皆伝、詩作・書画・工芸品など多くの作品を遺し、「担庵」は雅号の由で、多才なだけでなく、一つ一つの才能・知識そして何よりもその実行力が人並みではなかったのでしょう。彼が自惚れぬように、母親が「忍」をきつく強制したそうです。民政と海防に尽力した彼は、尊皇攘夷から尊皇倒幕に世の中の潮目が変わる時代が到来する前、1855年、あまりの激務に体調を崩し没します。どこか薩摩の島津 斉彬(1809-1858)と似ています。

 英龍の献策した農兵制度(1839)は、「兵農分離」という幕府の根本政策に抵触する訳で、身分社会の否定にもつながり、幕府は当初これを却下します。 次第に外国船の来訪が頻繁となり、幕府の鎖国政策が次第に手詰まりとなっていきます。英龍の五男、38代目当主、代官江川英武(1853-1933))の代、1863年、韮山代官領に限り農兵の設置が認められ、その後、韮山代官領以外の幕府領や諸藩にも農兵制度が広がりました。町田の韮山代官支配地、木曽・根岸・山崎に「木曽農兵隊」が作られたのは1865年のことでした。

 既に江戸城の無血開城がなり、 慶喜は上野寛永寺に謹慎します。 幕府降伏を潔しとしない、人見勝太郎・伊庭八郎率いる遊撃隊と上総請西藩の藩主林忠崇率いる脱走藩兵たちは相模真鶴に逆上陸、譜代の大藩:小田原藩十一万石に協力を求めます。小田原藩内は佐幕・勤皇派に別れ、藩主大久保忠礼も腰がふらついて、上野彰義隊決起とそのあっけない敗北の報に振り舞わされ、藩論は二転三転どころか四転。右往左往、混乱の極みは箱根関所明け渡しに始まります。「堂々たる十一万石中また一人の男児なきか」とは小田原城を去る伊庭八郎の言。

 韮山代官、 英龍の諸施策・江川塾の運営・幕府との交渉など、 英龍をよく理解し補佐したのが手代柏木忠俊でした。忠崇と遊撃隊一行は韮山代官役所を訪れて同盟を申し入れます。英龍の五男、38代目当主、代官江川英武(1853-1933)は当時16歳、既に新政府の出頭命令を受けて京に在り、不在。留守を預かる手代柏木総蔵が冷静に対応、「当主江川太郎左衛門(秀武)は未だ少年にして、太政官より召され京都に在り、不在中なり。農兵、銃器等、先代太郎左衛門没後多くの星霜を経た今日、ほとんどその痕跡なし」(「人美寧履歴書」)と同盟を断り、彼等を落胆させますが、他方では、軍資金1千両を提供、彼等を饗応して韮山を穏便に退去させます。一方では朝廷側に恭順して、佐幕中の佐幕のはずなのですが、手代柏木忠俊は江川家を明治の世にも存続させることに成功します。
江川亭玄関邸内部

 江川邸の玄関、NHK大河ドラマ『篤姫』、『西郷どん』で島津久光邸の場面に使われたそうです。

※参考文献:『脱藩大名の戊辰戦争
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May 29, 2018

伊豆韮山へ小旅行 その1

 若い頃は、自分の好きなことに熱中している時、 あるいは、仕事が順調に推移している時には、「えーっ、もうこんな時間か…」などと思ったものですが、この歳になると、別に何の充実感も達成感も伴わなくても、時間だけがあっという間に過ぎ去って行きます。東京都内はもちろんのこと、町田駅周辺の繁華街にもほとんど出たことがありません。加えて、最近のテレビは全く面白くなく、ひな壇に並んだお笑いタレントがクイズ形式の質問に答えるという、何処のチャンネルを開けても同じような番組で、全く面白くありません。街中にも出ず、テレビも見ない。これでは世の中の動きから取り残されるのは必至です。

 幾度となく登場しているのですが、近くにある桜美林大学の学生を顧客に目論んだMACがあります。朝の早い時間は一杯百円のコーヒーを求めて私の様な年寄りが散歩がてらにやって来ます。フリーWiFiを使えるからかも知れませんが、毎回ほとんど同じ顔ぶれです。ある日の午後、MACで友人と会うことになったのですが、早朝と違い、店内は若い学生が多く、注文のカウンターに並ぶ彼等はやおらスマホを取り出して注文を終了しています。「おサイフケータイ」というやつか…と思っていたのですが、どうも支払いだけでなく、MAC会員のメンバーだけのポイントが付与され、獲得したポイントは次回の決済時に使うことが出来るのではないでしょうか…、複数の友人に尋ねますが、私の友人にはその詳細を知る人はいません。 もう一つ、町田の中心地に出るにはバスに乗らざるを得ないのですが、その運賃は現金で290円、これを「PASMO」で支払うとIC運賃288円、2円(0.68%)安くなります。新入社員の頃から長らく付き合ってきた都市銀行ですが、付き合いが長いだけでメリットは全くありませんでした。高額の残高もなく、今さら融資を受ける計画もなく、年金・アルバイト収入の入金先ということで団地内のゆうちょ銀行(ゆうちょダイレクト)に口座を作りました。日常生活を送るには近くのATMとオンラインで管理できれば十分です。事程左様に、IT(最近では「IOT」が使われているようです)・ネット社会の進展が加速しており、「仮想通貨」などは今の私には想像すら不可能ですが…、例えば、交通機関の「ICカード・キャッシュレス化」は実感しています。

 今年は「明治150年」ということで、受講している市民大学講座「町田の歴史」もそれにまつわる内容です。不勉強で恥ずかしいのですが、その話の中に江川英龍(担庵 1801-1855)という人物が登場します。世界遺産、韮山反射炉は彼の献策によるもので、幕府の代官を務める幕臣であり、その支配地は伊豆・駿河・甲斐・相模・武蔵(多摩川以西)に及んだそうです。幕末の多摩に大きな影響を果たしたであろう江川英龍は次回以降の講義にも登場するはずです。遅ればせながら彼のことを勉強しよう、というのがきっかけで、急遽、伊豆韮山への小旅行となりました。

熱海・三島・伊豆長岡

 朝6時過ぎ発のバスに乗って町田へ、小田急線急行に乗り換えて小田原に到着、JR東日本の東海道線に乗り換えます。此処まではICカード「PASMO」一枚で自動改札を通過、乗り込んだ電車は西へ走りますが熱海駅止まりです。しかし、当然のことながら、線路(東海道線)は熱海駅で途切れることなくさらに西へ続いています。熱海駅以西はJR東海、沼津・静岡方面行きに乗り換え西進、伊豆箱根の山塊をくりぬく丹那トンネル(7.8km)を抜けて静岡県(駿河国)へ、三島駅で下車、連絡改札のむこうで待つ伊豆箱根鉄道の電車に乗り込もうと自動改札にかざすと「X(バツ)」。伊豆箱根鉄道駅員曰く「一端JRを出て、切符を買って乗って下さい」、JR自動改札を通さず(PASMO不可)駅員に精算してもらい駅舎を一端出て、新たに伊豆箱根鉄道駅で切符を買って入場(PASMO不可)、まだ停車したままの先ほどの電車に乗り込み南下、伊豆長岡に到着したのは9時過ぎでした。ご理解頂きましたでしょうか?

 まだ現役で出張の機会が多いその友人は、出張先の大阪でもJR東日本の「SUICA(PASMOと互換性)」を使うことが出来るので、JR東海の「TOICA」と互換性があるはずと云います。同じ線路(東海道線)を走るJR東日本は熱海駅までがその管轄、熱海駅以西はJR東海の管轄、ということで一つにはさらに西に行く場合は熱海で電車を乗り換えなければならない。二つ目には発駅と着駅が同じ管轄内であればどのカードでも使えるが、発駅がJR東日本で着駅がJR東海と、発駅・着駅が管轄を跨ぐ場合には使えない、精算が必要ということです。加えて、三島駅でのJR東海と伊豆箱根鉄道との連絡自動改札、あれはJR東海の「TOICA」とJR東海内の精算機で精算を終えた人のみが通ることが出来るもののようで、よそ者にはバーミューダ・トライアングルです。

 伊豆長岡駅前のバス停の時刻表を見ると、小一時間は待たなくてはならず、レンタ・サイクルを借りてみようかとも思いましたが、商売っ気がなさそうなので、やめました。しばらくは乗り物はやめて徒歩で行こう、と向かったのが韮山反射炉です。

  今回はこれぐらいで終わりにしましょう。帰路、 三島駅だったでしょうか?駅の自動販売機に「PASMO」をかざすと…、ゴロンとボトルが出て来たのは感激でした。

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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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