桑田佳祐

August 09, 2018

懲りもせず、『茅ヶ崎物語』

 歌番組「夜のヒットスタジオ」で観た、聞いたサザン・オール・スターズの『勝手にシンドバッド』は強烈でした。それは1978年(昭和53年)、私は会社に入って7年が過ぎ、一方では、The Eaglesが『Hotel California(1976)』を出して2年が過ぎ、彼等の最高傑作故であるが故に、この曲を越える曲を作り出すことが出来ず、徐々に陰りが濃くなって行く時期と重なります。それまでの七・五調のとは全く異なる日本語(?)がロック、ロックン・ロールのメロディーに乗って歌われるのは革命的でした。以来、今日に至るまで、彼等が日本の音楽シーンを牽引してきたのは凄い事です。

稲村ジェーンポスター 学生の雰囲気は既にないが、相変わらず目立ちたがり屋の桑田は1990年、映画:『稲村ジェーン』を監督、世に出します。格好良い「ミゼットにサーフボード」のポスターにだまされて見る羽目になったのですが、 鎌倉の切通を通る「ミゼットにサーフボード」だけが印象に残る映画でした。あの夏いちばん静かな海北野たけしが、見かねて…、映画『あの夏、いちばん静かな海(1991)』という傑作を作ったというのは有名な話ですが、久しぶりにYoutubeで観てみようとしたのですが、『稲村ジェーン』の痕跡は意図的に(?)消去されているようです。その価値はあるとは思いませんが、後学のためにレンタルビデオでご覧になることをお奨めします。

茅ヶ崎物語ポスター 洋画・邦画を問わずBSで放映される映画を録画、これを時間がある時に観ることを習慣にしていますが、引っかかったのが『茅ヶ崎物語~MY LITTLE HOMETOWN~(2017)』でした。桑田の中学校時代の同窓生で、サザンの名付け親、洋楽編成、洋楽プロモーター宮治淳一が加山雄三始め多くのミュージシャンを生み出す茅ヶ崎の芸能・音楽誌を週筆中だそうです。一方では、おそらく桑田のファン、取って付けたように、アースダイバー、人類学者中沢新一が登場、ブラタモリよろしく、古代、茅ヶ崎は、「茅」は「ちから」、寒川神社まで海、平安末期まで茅ヶ崎は「大庭御厨」と呼ばれる荘園、これを開発したのが鎌倉権五郎景政、そして、アイコン「烏帽子岩」は凝灰質砂岩を主とする新第三紀の池子層から成ると云う。最後に永遠の若大将、加山雄三が登場。3人の大御所に導かれた形で登場するのが桑田の高校時代物語でした。

 鎌倉権五郎景政なる者は16才で八幡太郎源義家の「後三年の役(1083〜1087年)」に従軍、数々の武勲を立てるも、敵の矢を目に受けてしまいます。味方の一人が、彼の顔に足をかけてこの矢を抜こうとします。景政は伏しながら刀を抜いて味方を突かんとします。味方は驚いて、「これはいかに、なにをする。」景政は応えて「弓矢にあたって死するはつわものの望むところ。しかし、生きながら足にて面を踏まれる事はない。汝をかたきとしてここで死なん」、と。味方は膝をかがめて顔を押さえて矢を抜いた。多くの人々はこれを聞いて、景政の高名はいよいよ並びないものとなった。彼は「大庭御厨」を開拓するなど、「一所懸命」、「名こそ惜しけれ」の日本歴史上に勃興する武士の典型でした。

 「烏帽子」と云えば、景政から87年後の1174年、京都鞍馬をこっそり抜け出した牛若丸は、奥州の金売り吉次を同伴して奥州平泉に向かう途中、近江国「鏡の宿」に入ります。その夜、稚児姿で見つかりやすいのを避けるために元服することを決意します。地元の烏帽子屋五郎大夫(ごろうたゆう)に源氏の左折れの烏帽子を作らせ、鏡池の石清水を用いて前髪を落とし元結(もとゆい)の侍姿になり元服、九郎義経を名乗ったと伝えられています。アースダイバー中沢新一の云う江ノ島の弁財天は琵琶の奏者の講釈よりは、『平家物語』を詠ずる琵琶法師の方がよっぽど説得力があるのではないでしょうか。

 明治以降、東京近郊の海水浴場として整備され、茅ヶ崎を含めた、いわゆる鎌倉を中心とする「湘南」は富裕層によって別荘が建てられたことに由来します。富裕層の流入はそのパトロンとして芸術・文化を興隆させる集積地となります。戦後になると、石原慎太郎の『太陽の季節』、『狂った果実』に描かれた『太陽族』は映画化され「湘南」文化の大衆化が始まりました。石原慎太郎の『太陽族』はその弟裕次郎主演で映画化。それに続く加山雄三はエレキ、フォークブームにも多彩な才能を発揮、これが1978年の歌番組:『夜のヒットスタジオ』で聞いた『勝手にシンドバッド』に繋がります。理屈は横に置いて、お金持ちの「不良息子」→同じくぼんぼんの「好青年」→どこにも居そうな「音楽馬鹿息子」、根底には「輝く太陽と青い海」という「湘南」大衆文化としての『湘南サウンド』の行き着いたところが桑田佳祐ではダメなのでしょうか。

 烏帽子岩を背に、桑田佳祐とサザン・オールス・ターズが歌う、バレット・ストロング(1959 あるいはビートルズ)の『Money』そしてカール・パーキンス(1956 あるいはエルビス)の『Blue Suede Shoes』は圧巻。宮治淳一の語り、アースダイバー中沢新一、二人の講釈をボツにして、烏帽子岩の背したパーフォーマンスだけを桑田佳祐とサザン・オール・スターズのミュージック・ビデオとして発表すれば、昔の『稲村ジェーン』を帳消しにして桑田佳祐の面目躍如たるものになったはずです。サブタイトル〜MY LITTLE HOMETOWN〜とは桑田が洋楽の一部を拝借したものか…、はたまた映画『スタンド・バイミイ』の舞台を狙ったのか…、実際の茅ヶ崎市の人口、24万人からすれば、アホらしくなってしまうのは私だけでないでしょう。

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express01 at 20:43|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

November 29, 2010

憧れの地、湘南 〜 ミーハーですが…

私は高校時代を伊丹(大阪空港が在るのですが、兵庫県です)ですごしました。北に川西市が隣接していますが、失礼ながら当時は田舎、阪急宝塚線「川西能勢口」駅から、あくまでも当時ですが、牛が線路に寝そべっていてもおかしくない「能勢電鉄」に乗り換え、猪名川に沿って行くと源氏発祥の地、清和源氏を祀る「多田神社」にたどり着きます。

清和天皇(850-881)を祖とす鶴ヶ丘八幡宮る清和源氏の一流、河内源氏が東国(関東)に勢力を伸ばし、頼朝の代に武家の棟梁として、「征夷大将軍」の位を得、初めての武家政権、鎌倉幕府を開きます(1192)。

葉山海岸その高校時代の友人が鎌倉に遊びにやって来たので、…牛は引いて来ませんでしたが…、町田に住む私にとってはそう遠くない所、鎌倉近辺を付き合うことにしました。京都を見慣れた関西人にとっても鎌倉は魅力、相模湾に面したいわゆる「湘南」は憧れの地です。

明治以降、東京近郊の海水浴場として整備され、富裕層によって別荘が建てられたことに由来します。富裕層の流入はそのパトロンとして芸術・文化を興隆させることになりますが、鎌倉を中心とする「湘南」はその集積地となります。戦後、石原慎太郎の『太陽の季節』、『狂った果実』に描かれた『太陽族』は映画化され「湘南」文化の大衆化が始まりました。
裕次郎の碑
私のお目当ては葉山、裕次郎の遊んだ葉山海岸の近くにそれはあります。『日影茶屋』、ここは映画:『エロス+虐殺(1970 吉田喜重監督)』で描かれた『日陰茶屋事件(1916、大正5)』の舞台です。

日陰茶屋2無政府主義者:大杉栄は妻:堀保子との結婚生活に在りながら、女性文学集団:『青鞜社』主幹の伊藤野枝と、さらにもう一人、新聞記者:神近市子と四角・恋愛関係に在りました。『日陰茶屋』に大杉栄と伊藤野枝が逗留、そこに嫉妬に狂った神近市子が短刀を持って乱入、大杉栄を刃傷に及びます。この男女の関係だけでも十分スキャンダラスなのですが、この刃傷事件は極めつけでした。結果、神近市子は服役、妻:堀保子とは離婚、最終的に伊藤野枝が勝利しますが、その後関東大震災が発生(1923)、その混乱時に大杉栄と伊藤野枝は憲兵大尉:甘粕正彦に殺された、とする『甘粕事件』が起きます。

『日陰茶屋事件』とは…、名前に罪はありませんが、その内容からしても、「輝く太陽と青い海」の湘南にはどうもしっくり来ません。やはり、戦後の大衆文化:『湘南ブランド』路線で行きましょう。この『日陰茶屋』、現在は一字が変わって『日影茶屋』、昼食のお弁当がホストの私には高すぎます。残念というより、幸いなことに定休日で断念、近くある『LA MAREE DE CHAYA』に入りました。ここの総料理長だった熊谷喜八さんさんが、1987年に南青山に最初の無国籍料理:『KIHACHI』を開き、今や全国ブランドです。

石原慎太郎の『太陽族』はその弟:裕次郎主演で映画化。それに続く加山雄三はエレキブームに続くフォークブームにも多彩な才能を発揮します。因みに私が最初にギターを覚えたのは彼の『君といつまでも(1965)』、以降私のギターの技量はほとんど進化していません。そして、桑田佳祐(サザンオールスターズ)。1978年の歌番組:『夜のヒットスタジオ』で聞いた彼らのデビュー曲:『勝手にシンドバッド』は強烈でした。

お金持ちの「不良息子」→同じくぼんぼんの「好青年」→どこにも居そうな「音楽馬鹿息子」、と変遷を辿りながらも、根底には「輝く太陽と青い海」という「湘南」大衆文化としての『湘南サウンド』の系譜があるようです。「都会的な明るさ」は大いに魅力なのですが、明るいだけの「軽さ」につながっているようにも思えます。『日陰茶屋事件』に違和感があるように、石川さゆりの『天城越え』が「湘南」の地から生まれることは決してなかったでしょう。



ps: 関ヶ原の戦い(1600)に勝利した徳川家康はを頼朝を踏襲、江戸に幕府を開きます。「源氏」を名乗った彼は、祖先への感謝のために…、かどうかは知りませんが、猪名川の河口、尼崎に在った漁村:佃の漁師に舟を引かせて猪名川を遡上、「多田神社」を参詣します。後に江戸に幕府を開くと、その労に報いて、彼らの江戸進出を許します。佃煮(つくだに)で有名な佃島(つくだじま)の始まりでした。

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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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