救命救急医療

July 21, 2018

緊急入院体験談

 学校管理と云うアルバイトをやり始めて間もなく5年です。校門開門に始まる1時間の朝の業務、及び窓・ドアの施錠の確認を主とする3時間の夕(夜)の業務、合計4時間の業務を月始め・月中・月末の3人の交替でやっています。 当初は、渡された鍵束を見てその数の多さに驚いたのですが、1年もたつと、真っ暗闇でも、手で触っただけでどの鍵なのかが判り、個々の鍵の施・解錠のコツも覚え、業務の時間配分も出来るようになり、我ながら驚いてしまいます。 次の業務までの間、机のある管理人室でコーヒーを飲んだり、好きな本を読んだりして過ごすことが出来るので、私はこのアルバイトを大いに気に入っています。

 月初めを担当する私の勤務日の最後の日にそれは発生しました。夕方の6時半、この時間には生徒は校門の外に出てなければなりません。 生徒が居なくなったこれからが、管理人の忙しい時間帯、部活で使用していた以外の教室は既に点検済みです。先ずは生徒の昇降口の施錠とばかりに席を立とうとしますが…、席を立てません。胸の辺りに圧迫感、そうこうしている内に汗が出始め、ハンカチで拭いますが、とうとうハンカチはびっしょり、しばらくの間は座ったままで過ごしてしまいました。 教員室の先生方に声をかけようとしたのですが、親しい副校長先生が今日は午後から出張中で、とうとう助けを求めることなく、気分も多少良くなって、何とか残りの施錠業務を終了、午後8時に学校を出て家路を急ぎました。帰宅すると、夕食を食べる気にもなれず、とにかく一風呂、結局そのまま布団に倒れ込んでしまいました。それから1時間ぐらいは、今回の突然の発作は何だったのか…、前日の午前中に参加したテニスによる熱中症の発症なのか、悶々と胸苦しかったのですが、いつしか眠りに落ち、寝覚めたのは朝でした。

 多摩丘陵病院は行きつけの病院なのですが、朝一番で診察してもらったのは私の内科主治医ではなく、新患外来担当の医師でした。ここに至る経過、心電図・レントゲン・血液検査の結果を見て、その医師の判断は 「心臓の周り在る血管が細くなって心臓機能を低下させ(狭心症)、症状としての狭心痛は一時的に回復したり悪化したりをくり返し(不安定狭心症)、血管が完全に詰まってしますとその部分が壊死、心筋梗塞となる」、「緊急にカテーテル検査を行い、必要あらばステントを入れて細くなった血管を本来の太さに戻すカテーテル手術をする」、「ここにはカテーテル手術を行う設備もなく、同意頂けるならば、設備・人員の用意のある北里大学病院へ救急車で搬送する」と云うものでした。かみさんに電話、タクシーで来てもらい、夫婦で医師の判断に同意しました。かみさんは私の乗ってきた車を運転、私はやって来た救急車に乗せられて、夫婦別々に北里大学病院へ向かいます。私を診断してくれた医師は北里の循環器系の専門医にて、私を送り出して、午前中だけの多摩丘陵病院勤務を終え、北里に向かうそうです。

180721_アスクレーピオスの杖と蛇 もちろん救急車に乗るのは初体験。救急車に乗る時点では狭心痛もなく、気分も悪くはなく、車内のストレッチャーの横のベンチに腰掛けると、「靴を脱いでストレッチャーに横になって下さい」と隊長に云われ、病院で訪ねられたことを繰り返して説明しました。「ピィーポー・ピィーポー」 、交差点ではけたたましい音に切り替え、リア・ウインドウのカーテンのかかっていないガラス越しに、見たことのある風景が次々に遠ざかって行きます。途中までは、車が今どこを走っているのかを認識していましたが、JR横浜線を越えた辺り、相模原市に入り国道16号をどこの交差点で横切ったのかは判りません…、出発して30分、北里大学救命救急医療センターに到着です。

 集中治療室に入ると、 待機していた医師・看護師そして救急隊員によってストレッチャーからCT北里大学病院集中治療室_1スキャン(?)に移されます。もちろん、ほとんど天井しか見えませんが、生命維持・カテーテル手術のための装置が林立、血圧・心電図・呼吸・酸素飽和度などの24時間監視するモニターが在り、まるでスタンレー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』を見ているようです。きゅう午後1時15分ぐらいに始まった手術は途中何をされているかが全く判らぬままに、覚えているのは、最初におちんちんの奥に奇妙な痛みを感じただけで、1時間ぐらいで終了しました。 手術終了後、救急医療病棟内の病室に移動、かみさんと一緒に、カテーテル手術が成功裏に終了した旨医師に説明を受けました。緊急搬入・手術の当日はセンター内の病室に移され、血圧・心電図・呼吸・酸素飽和度モニター用のコード類を身体中に、水分・栄養補給のための点滴用パイプ類を左腕に接続され、さらには、想像するだけでも身震いしてしまう…、自動でおしっこを回収するパイプが私のおちんちんの内部から繋がれているので、私は身動きすることが出来ず、全て看護師さん任せにならざるを得ません。看護師さんから食欲の有無を聞かれ、そう言えば今日は朝食以外は何も食べておらず、量的にも普段の半分以下の夕食<ご飯150g+赤魚の煮付け+揚げ茄子(和風だれ)+白菜ののり酢和え>、「1600kcal 常菜心疾患 食塩6g未満」をおいしく頂きました。もう一つ、救急医療病棟は24時間臨戦態勢、夜中でもスタッフが忙しく往来しており、モニターの異常を知らせる警告音に加えて隣の病室のいびきがうるさくて、一日目は一睡も出来す次の朝を迎えました。

 新患があるようで、私は救急医療の戦場から離れた別室に移されました。2日目、個室なのですが、頭上天井近くには私を含めた患者6人の体調を監視するモニターが設置されており、担当の看護師がどの部屋に居ても個々の患者の異常が警告音と共に判るようになっているようです。幸運なことに、私は狭心症と判断され、そのままカテーテル手術を受けることが出来ましたが、心臓の少なくとも一部は壊死しているでしょう。少なくとも心筋梗塞の心臓へのダメージは最小限に抑えられたはずで、術後の経過も良好、リハビリのスタッフが付き添い、尿採取のパイプ及び袋を付けた点滴台を左手に300mを歩いて、日常生活に復帰出来ることが確認されました。救命救急医療病棟から車いすで移動、一般病棟に移され、6人部屋ですが、監視モニター・警告音のない静かな部屋で、ぐっすり眠ることが出来ました。

 3日目、午前中は車いすでリハビリテーション部に移動、身長・体重・酸素量・体志望・筋肉量・握力・脚力…など、私の基礎体力を測定、リハビリの基礎データを測定、日常生活に復帰出来ることが確認されました。その日の午後、3日前、多摩丘陵病院の初診で私を診てくれた担当医師の訪問を受け、次の日の退院を告げられました。

 入院中は全く別世界に居ましたが、 外に出ると、朝なのですが既に真夏の太陽、この辺の道路事情に詳しいご近所の方が描いてくれた地図を私が見ながら、かみさんの運転で帰宅しました。

 狭心症(心筋梗塞)初期症状として、 「胸の圧迫感」だけでなく、「胸を中心に直径30cmの痛み、例えば歯の痛み、肩・首筋の痛み」そして「大量の汗」を覚えたなら、何の躊躇もなく救急車を呼ぶべきものと考えます。高血圧症が持病の私と同年代の人だけでなく、働き盛りの若い方々にも狭心症(心筋梗塞)は他人事ではありません。つい先日、狭心症(心筋梗塞)を発症した私の3泊4日緊急入院体験談でした。どうぞ参考にして下さい。

 多摩丘陵病院、救急車、北里大学病院スタッフの皆様、そしてかみさんに感謝です。お陰で短期間の内に日常生活に復帰することが出来ました。本当に有り難うございました。

Appreciate Your Support▼皆様のご支援をお願いします



express01 at 11:10|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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