戦国時代

December 10, 2010

ねじ

インパクトドライバー子供の時から工作が好きで、ちょっとしたモノなら自分で作ってしまいます。…が、最近は体力がなくなり、鋸を引いても一気に切ることが出来ず、一休みしなければなりません。ホームセンターに行けば、直角だけではなく、30度・45度・60度の角度をつけて切る電動ノコが手に入ります。極めつけは釘打ちで、釘を「打つ」ではなく、インパクト・ドライバーでネジ(=ビス)をねじ込みます。体力の衰えを十分おぎない、しかも正確に、より強く仕上げることが出来ます。これを発見したとき、どこか、1543年、種子島に漂着したポルトガル人と遭遇、始めて鉄砲を目にした種子島時堯が覚えた驚愕と似たものを感じた記憶があります。
鉄砲


当時、種子島は良質の砂鉄の産地として知られており、全国からこの砂鉄を求めて、多くの鍛冶職人が集まっていました。時堯は、関(岐阜県)の刀鍛冶職人:八板金兵衛に鉄砲作りを命じます。弾を銃身に込めて、火薬を発火させ、弾は前に飛び出す。しかし、銃底の強度が確保されていないと、銃身そのものが破壊されてしまいます。銃底銃底 ネジを塞ぐための尾栓の雄ネジ、及びそれがねじ込まれる銃底の雌ネジがあってこそ可能でした。特に、銃底の雌ネジの切り方が判らずに難渋した末に国産銃が誕生しました。

ネジは「中国で独自に生み出されなかった、唯一の重要な機械装置」だそうで、ネジを作る技術、そもそもネジの発想さえもありませんでした。

明や琉球だけではなく、堺や紀州方面との交易圏も形成していましたが、この交易ルートに乗って鉄砲も急速に普及、堺や根来そして大友の鉄砲鍛冶は大いに繁栄、1600年「関ヶ原の戦い」では5万丁の鉄砲が投入されます。これをピークに、鉄砲の生産は減少、江戸時代になると鉄砲の技術的発展はなく、銃把(=グリップ)の装飾に贅をこらすなど、兵器=道具としてよりも意匠・工芸美術品に成り下がっていきます。大変な苦労の末習得したネジの概念も、その後、全く活かされることもなく、日本から姿を消すことになります。

たかだか50年の間に起こったことでしたが、その間、ネジの概念を鉄砲以外に応用できなかったのは誠に残念至極です。もう少し時間があれば「楔=くさび」に替わって「ネジ」の時代がやって来たかも…。ヨーロッパの「大航海時代」が東の端にやって来て、たまたまその地が、「戦国時代」の日本であった。日本人は鉄砲を作るために「ネジの概念」を学んだのであり、「ネジの概念」を学ぶために鉄砲を作ったのではありません。やはり、「ネジの概念」は付け焼き刃に過ぎませんでした。

長い間、釘とは「打ち込むもの」と思っていましたが、このインパクト・ドライバーでネジ(=ビス)をねじ込みます。今や当たり前の道具ですが、このインパクト・ドライバーは決して、「ネジの無い文化」の日本人や中国人には発明できなかったでしょう。

Momo holding sign board-HKX Radio
※Nobu, Kun & Isa Band の今までの曲は左サイド、I Pod 風のプレーヤーでお聴きになれます。
       
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express01 at 20:09|PermalinkComments(2)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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