愛なき世界
June 21, 2010
愛なき世界 World Without Love
そういえば、久しく、「流行歌」という言葉を耳にしたことがありません。中学・高校時代、いや少なくとも中学時代には確かに存在していました。
私は当時関西でしたから、中学の修学旅行は東京、既に開通していた新幹線修学旅行列車で「上京」、…この言葉も既に死語か?…、したはずなのですが、東京タワーに登った以外はほとんど記憶にありません。

昭和30年代は日本の高度成長期、仲間との別れを惜しんで『高校三年生(1963)』を歌い、親元を離れて不安を抱えながら大都会にやって来た、そう、「上京」して来た、『あゝ上野駅(1964)』が「流行歌」の全盛時代だったのではないでしょうか。
あまのじゃくだったのでしょうか、中学で英語に興味を持ったからでしょうか、シングル盤が330円か340円は当時のこづかいの金額からすれば決して安くない金額、ビートルズを買おうか、ビーチボーイズを買おうか、大いに迷ってしまう洋楽派(?)でした。
残念ながら、洋楽派は多勢に無勢、多数派を占める歌謡曲派(流行歌ファン)が主導権を取って修学旅行バス内で歌う為の歌集を作っておりました。まあ、ビートルズやビーチボーイズの歌が旅行の歌集に載ったとしても歌えなかったでしょうが…。

歌えない、ほとんど聞くだけの洋楽派に衝撃を与えたのがベンチャーズでした。「エレキブーム」です。インストで、歌詞がないのですから、楽器が全て。音楽を「聞いて楽しむもの」から「演奏して楽しむもの」に革命的変化を日本人にもたらしました。
若大将
:加山雄三の登場でした。同じ湘南の地に育ちながら、先代の石原裕次郎の田舎受けする「流行歌」とは違う、都会的なセンスが光りました。時代は雑誌『平凡』から『平凡パンチ』に移って行こうとしていたのでしょう。因みに、私が初めてギターを弾きながら歌ったのが『君といつまでも』でした。ウーン…、ギターを始めたのはこんなに早かったのに…、考え込んでしまいます。
当時、私も好きだった曲です。彼はどこで聞いたのでしょうか…、今度聞いてみます。ドラムのKun さんが歌う『愛なき世界 World Without Love(1964)』です。※ 関連記事はこちら
「I Go To Pieces」
残念ながら、歌詞を見ながらでないとバックを歌えません。ウーン…(2回目です)、国民的歌謡、団塊世代の応援歌:『高校三年生(1963)』なら、イントロを聴いただけで歌詞が次々浮かんで来るのですが…。

※Profile下のI Pod 風のプレーヤーでも聴けます。
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昭和30年代は日本の高度成長期、仲間との別れを惜しんで『高校三年生(1963)』を歌い、親元を離れて不安を抱えながら大都会にやって来た、そう、「上京」して来た、『あゝ上野駅(1964)』が「流行歌」の全盛時代だったのではないでしょうか。
あまのじゃくだったのでしょうか、中学で英語に興味を持ったからでしょうか、シングル盤が330円か340円は当時のこづかいの金額からすれば決して安くない金額、ビートルズを買おうか、ビーチボーイズを買おうか、大いに迷ってしまう洋楽派(?)でした。
残念ながら、洋楽派は多勢に無勢、多数派を占める歌謡曲派(流行歌ファン)が主導権を取って修学旅行バス内で歌う為の歌集を作っておりました。まあ、ビートルズやビーチボーイズの歌が旅行の歌集に載ったとしても歌えなかったでしょうが…。

歌えない、ほとんど聞くだけの洋楽派に衝撃を与えたのがベンチャーズでした。「エレキブーム」です。インストで、歌詞がないのですから、楽器が全て。音楽を「聞いて楽しむもの」から「演奏して楽しむもの」に革命的変化を日本人にもたらしました。
若大将

当時、私も好きだった曲です。彼はどこで聞いたのでしょうか…、今度聞いてみます。ドラムのKun さんが歌う『愛なき世界 World Without Love(1964)』です。※ 関連記事はこちら

残念ながら、歌詞を見ながらでないとバックを歌えません。ウーン…(2回目です)、国民的歌謡、団塊世代の応援歌:『高校三年生(1963)』なら、イントロを聴いただけで歌詞が次々浮かんで来るのですが…。

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