思惟の径

June 19, 2017

達磨寺 思惟の径

 中仙道、古代の東山道の急峻な碓氷峠を下り上野国(群馬県)の坂本宿辺りの風景に強烈な既視感を感じます。それは3年前、友人に連れられて、静岡県の三島から箱根峠を目指して歩いた東海道の風景とよく似ているだけではないようです。東山道は、日本の歴史・文化の「背骨」、下野国白川を越えて、はるか道・陸の奥、「陸奥」につながります。碓氷峠は「分水嶺」、その東坂は新世界が始まる第一歩の地です。
170611_碓氷峠めがね橋
 実在するかどうかは別に、日本武尊は焼津から荒れ狂う海に乗りだし、愛妻を生け贄にして海を鎮め、足柄山から東国に入り、反時計回りに平定、眼下に東国を見て、「吾(わが)妻よ…」と嘆いたそうです。これに因んで、東国をアヅマ(東・吾妻)と呼ぶようになったと言う。平安初期、724年、ヤマト朝廷は多賀城に陸奥国府を設け支配下に置こうとしたが、蝦夷の反乱が収束するのは征夷大将軍:坂上田村麻呂の遠征によるアテルイの降伏(801)でした。 平安末期には箱根・足柄から碓氷峠につながる巨大な山塊の東、坂の東に、「坂東武士」が誕生、後の鎌倉幕府に繋がっていきます。時代は下って戦国時代、関東制圧を目指して小田原北条を攻める秀吉は、1590年、前田利家・上杉景勝等の北国勢を別働隊に碓氷峠を越えて侵攻、上野・下野・武蔵・相模と時計回りに東国を制圧します。家康はその力を秀吉に恐れられ、山塊に隔てられた言わば異国の地に追いやられますが、関ヶ原勝利の後は、鎌倉幕府に倣って、武蔵国江戸に幕府を開きます。さらに下って幕末、皇女和宮は中仙道を通って江戸徳川家に降嫁するも、公武合体は失敗、幕府は崩壊、明治新政府は江戸を東京都と改め首都とします。今、国土のほぼ中心に首都:東京があるのは、江戸に幕府を開いた家康の先見の明があったということです。

達磨寺 中仙道(現在の国道18号線)をさらに東に走り、高崎に入り、碓氷川に沿った小高い山の中腹に黄檗宗(禅宗)少林寺達磨寺を見ることが出来ます。達磨寺の「だるま市」は有名ですが、今回は触れません。

 第一次世界大戦(1914-1918年)でドイツ帝国は敗北、大戦後に勃発したロシア革命(十月革命(1917)の影響を受けて社会主義思想に傾斜した建築家:ブルーノ・タウト(1880-1938)は、賠償金のの支払いにあえぐドイツの労働者の為に健康・安価で良質な集合住宅を作った。タウトの設計したガルテンシュタット・ファルケンベルク(1913- 1916)、ジードルング・シラーパルク(1924-1930)、グロースジードルング・ブリッツ(1925-1930)は2008年、「ベルリンのモダニズム集合住宅群」として世界遺産に登録されています。彼の社会主義思想・ソ連訪問をナチスは危険視、これを知ったタウトはドイツを逃亡、シベリヤ鉄道経由、1933年5月、敦賀に上陸します。京都・神戸・伊勢・飛騨高山・東京・日光等各地を訪れ、特に桂離宮の簡素で機能的な美しさに感激、「泣きたくなるほど美しい」と世界に比類のない傑作と評価し、桂離宮、伊勢神宮を皇室・神道芸術、日光東照宮を武家・仏教芸術として対比、後者を「いかもの」と酷評している。当時、国粋主義を推し進める日本政府にタウトの日本建築・文化の評価はは正に好都合であったが、対英米戦争必至の状況下、彼は危険分子として特高の監視下にあり、本来の建築家としての仕事はありませんでした。
170620_達磨寺洗心亭_2
 各地を訪問、地元の井上房一郎が高崎に招いて工芸品のデザイン・制作指導を依頼したのが始まりで、以降、達磨寺内に在る4畳半と6畳の小さな「洗心亭」タウト夫婦の住まいとなる。同じ山、南東の位置に、もう一つの高崎名物、白衣大観音像がありますが、房一郎の父で井上工業の創始者:保三郎が私費を投じて建立したもので、皮肉にも、タウトの評価では「いかもの」でした。日光東照宮・大観音像が「いかもの」には同感なのですが、京都駅近くにそびえる京都タワーはどうなるのでしょうね…。残念ながらタウト来日時には存在していません。

 元へ…。喘息が持病のタウトは日本の湿気を、特高の厳しい監視をきらい、トルコ政府の招聘で、わずか3年弱で日本を後にします。オスマン帝国は、ドイツと同じく、第一次大戦に敗北、英仏の植民地戦争にも敗北、その領土の多くを失い、帝国は崩壊、1922年、現在のトルコ共和国が誕生しました。イスタンブール芸術アカデミーからの招請により、教授としてイスタンブールに移住、日本では果たせなかった建築家タウトを実現します。…が、発見した日本の美を彼の地で活かすことはなかったようです。建国の父:ケマル・パシャの国葬会場を設計後、トルコの地で客死します。

 少林寺達磨寺にはタウトが散策したとされる「思惟の径」がありますが、残念ながら名前負け、私には「いかもの」でした。中仙道(東山道)碓氷峠の東坂にはまだまだ面白いことがありそうです。

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express01 at 19:22|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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