年賀状
January 02, 2016
もらった年賀状を前に

年賀状と言えば、今年は「申」年ですが、私はこの干支も、加えて年号も嫌いで、干支はどうでもいいのですが、年号は廃止すべきものと考えています。昭和の時代は「25を足して、あるいは引いて…」、と何とか来たのですが、これが平成の時代になると全く判らないようになり、以来西暦だけでやって来ました。しかし、行政・法律を始めとする公の多くの場面に於いては、それが法律によって決められている訳でもないのに、和暦:「平成」を使わざるを得ないというのが事実でしょう。さすがに、生年月日記入欄に(明)(大)はなくなったかも知れませんが、なぜ西暦で記入させないのでしょうかね。「干支」「元号」の本元、中国では1949年の国慶節(建国記念日)以前はともかく、共産党政権下の中国では「干支」はともかく「元号」ではなく、西暦のはずです。因みに、共産党が政権を取って中華人民共和国を樹立、蒋介石国民党は台湾島に追いやられ、中華民国は台湾省一省だけの国(?)となり、今でも大陸反攻を建前としています。共産党政権が国名「共和国」を使ったのは北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)においてもしかり、たぶん…、両国は西暦を使うのではないでしょうか。
その中国近代における歴史的事件の一つ、「義和団の乱(1900)」は既に紹介しましたが、中国の国干支から「庚子事変(こうしじへん)」とも呼ばれることもあります。映画:『北京の55日 55 Days At Peking(1963)』、同名のテーマ曲はブラザーズ・フォーが歌っていましたが、日本語版はあの「8(エイト)マン」の克美茂が歌っていました。「時は1900(いっせんきゅうひゃく)年で始まります(オリジナルは The year was 1900(nineteen hundred))。これはハリウッド映画だから違和感ないのですが、70年前後、鶴田浩二が特攻隊員の出撃前の心境を朗読したことがありました。「昭和19年」で始まったと思いますが、これを「1944年」と西暦で云えば、時代もぴんとこないし、悲壮感も半減したことでしょう。年末の恒例の赤穂浪士討ち入りの日、「時は元禄十五年十二月十四日」で始まるからかっこよく、様になるのですが、これが「西暦1703年1月30日」では興醒めでしょう。ついでに、もし墓石や卒塔婆、俳句や短歌も西暦で書かれていたらいかがなものか…。
思いついた話もこれまで…、お正月二日目、取り立ててやることもなく…、かみさんともも(愛犬)の3人、ホームセンターの安売りでテニスボール1箱(5ダース)を買い、近くの公園で梅(蝋梅)の香りを楽しんで来ました。


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January 07, 2014
今年は「おせち料理」、…の絵
左の帯エリア冒頭に置いていたのですが、スマホあるいはガラケーでご覧の読者の方々には見てもらえない、ということで、今年の年賀状の絵を本文中に持って来ました。
仕事も少なく、世間の動きとは隔絶されたような生活を送るようになって来た私ですが、世間的には、昨日が「仕事始めの日」、長かった正月休みで、なかなか日頃の勘を取り戻すには時間がかかることでしょう。ほんとうは昨日、「仕事始めの日」にこの絵をお見せしようと思ったのですが、いつになく忙しくてブログを書く時間もなく、今日になってしまいました。
30年ぶりに押し入れの奥から引っ張り出したギターどころではありません。遡ること小学生の時代、絵を描くことが好きで、学校内外で表彰されることも少なからずありました。中学校は記憶にないのですが…、高校に入ると、自信があり、持っていく道具の少ないことを理由に美術を選択しましたが、何故か美術の先生の評価は芳しくなく…、1年で放棄してしまいました。そういうことで、栄光の記憶は小学生まで遡らなければなりません。
陸奥への玄関、白河の関、人目を避けるように、おっかなびっくり再開した絵も間もなく2年になります。最初は、バンドと同じくおっかなびっくりでしたが、周りに喜ばれ、褒められると調子に乗り、また次の絵を描くようになります。年賀状、基本的に好きではなく、判で押したように…、今や、判おろかパソコンで印刷された干支、一時は意図的に出す枚数を毎年減らしていったのですが、頂く枚数は変わらず、もちろん付記してあるコメントも毎年イッショ。もし、私が出し忘れていたとしても…、「だいじょうぶ?」、安否確認の電話すらもらうのも難しいでしょう。多くの人と同じく、カミさんは絵が苦手、年賀状も12年続けると還暦で元に戻りますが、昔作った還暦のハンコを使えば…、というアイデアを実行したかどうかは知りませんが、何事も貯めこむことの好きなカミさんならでは…、私など到底考えさえ及ばないことです。
12月の早い時期から年賀状は「おせち料理」と決めていた私ですが、子供の時ならいざ知らず、結婚してからはこんな「おせち料理」を見たことがありません。ギター、絵、はたまた、おせち料理にせよ…、本当に長く生きてきました。「今日は何曜日?」どころか、今年は、お盆もお正月も関係ない…生活に突入しそうです。

December 31, 2013
第5回 かってに、HKX紅白歌合戦
このブログ:『ISAO's Scrapbook』、1日の訪問者数(Unique User数):30〜40で推移していたのですが、突然、12月24日から上がり始め、一昨日、28日には138、通常の4.5倍〜5.5倍の訪問者があり、「こりゃー、サイト炎上か?」…、と一瞬恐怖してしまいました。
原因はすぐ判明、24日に公表したブログのタイトル:『年賀状、気の利いたコメントは?』でした。郵便局の『年賀状は25日までに』のキャンペーンもあり、ちょうど今の時期、皆さんの多くは年賀状作成に知恵を絞っておられます。宛名だけではなく、最近はおめでたい絵さえもパソコン任せ、何か気の利いた手書きのコメントを添えたく、ネットを検索されているのでしょう。因みに、当ブログに訪れた検索キーワードは多い順に「年賀状」→「コメント」→「気の利いたコメント」→「気の利いた年賀状」…、検索語ズバリのタイトルです。久しぶりのプリンター、印刷途中でインク切れ…、それに加えて、気の利いたコメントを考えるのはしんどく、勢いネットに頼ってしますのでしょう。
私は毎年、年賀状の枚数を減らしたのですが、出しても、出さなくても頂く枚数は同じ、根負けして最低必要数は出すことにしています。ましてや、小学校以来の絵を再開、その絵を皆さんから喜んでもらっているので、今回の年賀状はそんなに苦労することもなく早々と出し終えています。どんな年賀状なのか…、お正月にはお見せすることにしましょう。

12月22日(日)、"STUDIO ONE(埼玉県東松山市)”でのライブには多くの方に来ていただきありがとうございました。コンサートでは8曲を演奏、三脚にビデオカメラとPCMレコーダーを置いて録音・録画に臨んだのですが、ビデオカメラで録画は右端が切れ、何故か…、最後の7・8曲目が記録されていません。ということで、PCMレコーダーには録音されている曲を持って今年の『第5回 かってに、HKX紅白歌合戦』にしたいと思います。※因みに、『第1回〜』、『第2回〜』、『第3回〜』、『第4回〜』

『Bye Bye Love』、サビから1番に入るのですが、喉がつかえてヘン。歌い込んでいるはずなのですが…。『Bluemoon Of Kentucky』、『Let Your Love Flow』、『More Than I Can Say』、『Memphis』と続き、『Rock 'n' Roll Christmas』が唯一クリスマスらしい曲で。
2014年が良い年でありますように…。

December 24, 2013
年賀状、気の利いたコメントは?
今年も余す所〜日、久しぶりに使うプリンターのインクがない…、上手くいかない…、年賀状作りに奮闘されておられることでしょう。その年賀状、来年の目標など、何か気の利いた手書きのコメントを入れます。「週に一度でも、家族みんなの食事を作ります」、こんなコメントを入れてみたいものです。
残念ながら商売も少なく、私の収入も減少、それ故?潰すべき時間の多くなったこと…。お金を使うことが出来れば、時間を潰すのは簡単なのですが、自由になる時間がいくら増えても、使うべきお金がないのですから、手足をもぎ取られたようなもの…、身動きが取れません。朝の散歩の帰りにコーヒー一杯百円を目当てに立ち寄るマック、スマホをいじったり、文庫本を読んだり、新聞を隅から隅まで読んだりしている、その種のお仲間の方々が多いのにはびっくりしてしまいます。お仲間と言っても、各人が何か一つの趣味で結びついている訳でもなく、思い思いに、昔は貴重だった朝のひと時を優雅に過ごされています。かく言う私も、ここで顔をよく見る人と病院で鉢合わせとなり「あっ!どうも…」、何が「どうも…」なのか判りませんが、それがきっかけで、今のテニスの仲間に入れてもらいました。
「亭主元気で留守がいい」とはよく言ったもので、奥さんの立場からすれば、主人は外で稼いでくるから主人としての意味があるのであり、その彼の稼ぎが悪くなり、ましてや一日中家でごろごろ、昼食まで用意しなければならないのであれば頭に来るでしょうね。現役で働いて収入を奥さんに渡していようが、引退して奥さんに渡す金額が少なくなろうが、腹は同じ、現役時代と同じように昼食は食べなければいけません。「昼食不要な日を、週に1〜2日、前もって奥さんに伝える」、奥さんは主人の留守の日に友達を家に呼ぶことが出来る、これが引退後の夫婦円満の秘訣、とは私の年の離れた姉の言。全くその通りとは思いながらも、未だ実行しておりません。
食事の用意を当番制でやっておられるご夫婦があるらしいのですが、こんなできるご主人を羨ましく思います。かと言って、一時ブームになった料理教室に通う気など私にはさらさらありません。ブームと言えば、料理の得意なKenさんは、今は大阪に暮らすのですが…、当時「そば打ち道場」で修行、延し棒・麺きり包丁まで用意するいわゆる「そば打ち名人」です。大晦日の午後、自分で打った蕎麦に、プロの味の海老天を添えて、近所の親しい人に配っておられました。その美味かったこと…。
友人との忘年会、冒頭に紹介した通り、彼の来年の目標は「週に一回でも家族皆の食事を作ること」。家族皆に喜んでもらえるのですから、それが出来れば、こんなに素晴らしいことはありません。誰もが自分の出来ないことをする人を「すごいなぁ」と思うのですが、私には料理の出来ることがそれに当たります。当面、私にはそんな大それた計画も、目標もなく、いま考えているのは、近くにある桜美林大学の学食で昼食、カレーライスかラーメン、午前・午後を図書館で勉強して1日を過ごす。どうでしょうか?

考えただけでなく、早速、実行してみました。桜美林の「桜カフェ」は冬休みで閉店、「老実館食堂」は教職員の為か、今日:クリスマス・イブも営業しており、私は350円のカレーを頂きました。ウ〜ン…、こんなもんでしょうか。上の写真がそれ。図書館での時間はあっという間に過ぎ、あまりにも簡単に実行出来てしまいました。これでは目標にはなりません。冬至の夕方はもう真っ暗、礼拝堂:荊冠堂はクリスマスのミサが行われるらしいのですが、異教徒の私は家路を急ぐことにします。

