市中の山居

December 08, 2016

庵の窓の外は…<2> ルネッサンス

              
銀閣寺窓  日本に禅宗が伝えられたのは鎌倉時代であり、武士・一般庶民に広まり、室町時代に幕府の庇護の下で発展しました。といっても、禅宗が定着したのは京都・鎌倉・博多ぐらい、 当時の日本人にとっては、禅文化は異国趣味の、流行の最先端を行く、これほどまでに日本的ではない文化はありませんでした。深い教養を必要としない禅宗及びその文化:喫茶はぱっとでの武士・一般庶民に広まり、当初は闘茶・茶寄合など自由狼藉・バサラの文化でしたが、次第に変貌、洗練されて「わび・さび」・「枯淡の美」を表現する、茶の湯、生花、書画、建築、現代日本文化の源流である室町文化に発展します。

 14〜15世紀、 茶の湯の舞台である書院座敷は大型化と小型化と対局する方向に分化し、 後者は禅宗の隠者的在り方が強く影響し、四畳半という小世界に在って無限の自由を追求するというもので、16世紀には四畳半の草庵茶の湯が泉州堺の商人衆を中心に行われるようになります。人里離れて隠遁するのではなく、都市の中に数奇にふさわしい茶の湯の家を作り「市中の山居」を楽しんだのでした。

 摂津河内和泉三国の境という意味の堺は明、李朝鮮、東南アジアとの貿易で大いに栄え、財力を成した商人が次第に領主権力を排除、会合衆を中心に自治的な都市運営を行っており、環濠を巡らし、自衛・武装していました。当時の宣教師は堺をブェニスに匹敵する自治都市と紹介しています。利休の師、武野紹鴎(たけのじょうおう1502-1555)は一向宗徒(浄土真宗)から禅宗に改宗(?)、貴賤平等を唱え、茶の湯では同じ高さの位置、同座する平座を提唱、床の間から身分の高い人が座るというの本来の機能を奪い、掛け物、生花という座敷の意匠の中心に据えた。不必要なものを思い切って省き、室町将軍殿中の唐様飾りを数奇の茶の湯から排除、明治から3世紀も昔に人間平等・四民平等を唱えたのは革命的です。虚飾を捨て、自己を開放し、人間らしさを主張する、言葉を換えれば、大変動の時代に在り、従来とは全く異なる価値観・倫理観を持ち、社会的な束縛・因習を破って、自分の自由意志で行動する新しい人間が生まれたことを示しています。これは正にイタリアで始まった ルネッサンスを貫く思想、「人文主義(humanism)」です。 
 
 大航海時代による貨幣経済、重商主義経済の発展は文化面、特に宗教面に現れます。 ミケランジェロ_ダビデ像ドイツでは、ルターが痛烈な教会批判を行い(1517)、フランスではカルヴァンが国王に叛旗を翻し(1536)、イギリスもカソリックを離脱して新しくイギリス国教会を作ります(1534)。「人文主義(humanism)」が「宗教改革」をもたらしたことになります。ルネッサンスは、13世紀後半、ダン ザビエルテ(1265-1321)に始まりミケランジェロ(1475-1564)に終わりますが、このミケランジェロとフランシスコ・ザビエル(1506-1552)とは正に同時代です。カソリック教会のイグナチオ・デ・ロヨラ、ザビエル等6人が、プロテスタントによる宗教改革運動に対抗して結成されたのがイエズス会(1537) であり、その意義は、宣教のみならず、ルネサンス後期の「人文主義(humanism)」に基づき、世界各地における高等教育機関の運営に積極的に取り組んだことです。1549年、そのザビエルが日本に来訪してキリスト教が正式に日本に伝わります。ザビエル来日(1549)から約40年で(秀吉によるバテレン追放(1587))キリスト教信者数は20万人を越えています。 今日のカソリック及びプロテスタント信者数は1百万、人口のわずか0.8%にて、当時の人口(12百万)の1.6%(今日の倍の比率)がキリスト教徒であったことは驚異です。

 千利休(1522-91)、堺の商家に生まれ、家業は納屋衆(倉庫業)、祖父:千阿弥が足利義政の同朋衆で、その一字をとって千家を称した。武野紹鴎を引き継ぎ、禅の精神である「和敬静寂」を根底に、簡素・静寂・清浄を旨とする数奇茶、茶の湯を大成、1585年、利休居士と名乗る。堺町衆の茶の湯好み(茶数奇)が戦国武将と町衆茶人と大徳寺禅宗とを結びつけることになります。そして戦国武将の少なからぬ人数が、当初は南蛮貿易を行う実需のためにキリスト教に改宗する大名もいましたが、次第に近畿地方の大名にも真の信仰を行う改宗者が現れます。 利休の高弟にも蒲生氏郷(レオン)、細川 忠興(その正室ガラシヤ)、高山右近(ジェスト)、大友宗麟(フランシスコ)、黒田如水(シメオン)等のキリシタン大名が少なくありません。鎌倉時代に遡る武士道の精神、禅を母胎とする茶の湯の精神、キリスト教徒の求道精神、これら三つに通じるのは清貧の精神であり、物欲からの脱却し開放を指向することです。

 よく指摘されるように、茶の湯の約束事には多くのカソリック的要素が見られます。茶の湯の「にじり口」⇔「狭き門より入る」、利休の杖とカソリック司教杖との類似、利休が考案した愛用の雪駄はイエズス会修道士の履き物にヒントを得た、茶と茶菓子⇔ミサのパンとワイン、濃茶を回し飲みした後に茶碗を拭う作法⇔ミサのコミュニオン(Communion 聖体拝領 聖拝でワインを回し飲みする)の際に聖杯を拭う作法、「一味同心」の交わりという理念⇔ミサのコミュニオン(Communion 共同体の意味)等が類似点ですが、「茶室」⇔ミサの「祭壇」、床の間の書画・生花⇔ステンドグラスの窓、絵画・彫刻が対照的です。

 堺の町衆だった武野紹鴎、同じく彼を継承した利休が「茶の湯」を完成した。これが、一千数百年もの歳月をかけて磨き上げられてきたカソリック儀式のミサに匹敵する芸術的・宗教的所作あるいは儀式とは全くもって驚異な事です。地球の西の端と東の端、それぞれが別個の起源に発し、別個な道を辿りながら、膨大な年月をかけて到達したものが、一方のカソリック儀式のミサであり他方の「茶の湯」だった。…とは信じがたいことです。彼は「自治都市」堺の出身、この町は遠くヨーロッパにも開かれていたはず、彼はヨーロッパが「ルネッサンス」から「大航海時代」・「宗教改革」に至る様子を知って…、あるいは気付いていたのではないでしょうか。利休は、彼の弟子達と同じく、キリスト教徒だったのか…、そうでなくとも、知識は十分にあったはずです。

 あるいは、禅宗そのものに大きなキリスト教的、現代にも通じる「人文主義」的要素があるのでしょう。『路上にて On The Road』を書いたジャック・ケルアック(Jack Kerouac、1922-1969)は禅ismを散りばめた小説を書き、60年代後半に始まる対抗文化:ヒッピー文化の一つの中心に位置し、ボブ・ディランにも影響を与えました。ジョージ・ルーカスの『STARWARS』日本の禅が色濃く、アップルのスティーブ・ジョブズに至っては禅宗徒(曹洞宗)、禅僧であったのはご存じの通りです。

 混乱の戦国に生まれた「茶の湯」、近世・近代をぐーっと手繰り寄せます。
※参考:山田無庵『キリシタン 千利休 』 増淵宗一『 茶道と十字架 』 児島孝『数奇の革命 』 五野井隆『大航海時代と日本
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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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