山口5人殺害事件

August 01, 2013

『八つ墓村』は尼子残党のたたりでしたが…

 今回の山口県の特異な事件、多くの人が小説:『八つ墓村 』を連想するようです。通勤しないので、電車の中吊り広告にはどう書かれているか判りませんが、新聞の週刊誌広告では『八つ墓村』との類似性を匂わす見出し、形容が見られます。
八つ墓村 惨劇_1

 泥沼の「日中戦争(1937年〜)」に加えて「太平洋戦争(1941年〜)」に戦争拡大の時代、作者:横溝正史は肺結核を患い、1945年4月より3年間、岡山県吉備郡真備町岡田(現:倉敷市)に疎開、療養していました。そこで、戦争中の言論統制下では隠蔽されてきた大量殺人・猟奇事件を知ることになります。

 「津山事件 」とは、1938年、岡合同新聞昭和13年5月24日付山県苫田郡西加茂村(現:津山市)の全戸数22戸(人口111人)の小さな村落で起こった大量殺人事件で、肺結核から神経衰弱に陥った犯人(当時22才)は、学生服の脚には脚絆、鉢巻をした頭の左右には懐中電灯、弾帯をたすき掛け、腰にはナショナルのランプを下げ、手には日本刀、片方には散弾銃…、「日中戦争」当時の戦争高揚マンガ(?)にある軍服を真似た完全武装で、自分の祖母や近隣住民を襲撃、わずか2時間に30人を殺害するという事件でした。松本清張の『ミステリーの系譜』に日本の数々の猟奇事件、「阿部定事件」とならんで、この「津山事件」は衝撃でした。

 他の横溝作品を読んでみましたが、どうも面白くありません。横溝正史と言えば『八つ墓村』、面白いからこそ何度も映画化されるのです。
          
 山を超え、谷を渡り、沢を登り、疲れきった八人の落ち武者が、眼下に煙の立ち昇る穏やかな谷間の村の見える峠に立っています。時代は戦国の世、永禄9年(1566年)、毛利元就に包囲された尼子義久が籠る月山富田城を密かに抜け、尼子氏再興を図って、この村に落ち延びてきたのです。彼らが村の何処かに隠した黄金に…、あるいは毛利側の落ち武者狩りの懸賞金に目が眩んだのか、村人は八人を騙して皆殺しにしてしまいます。最後の言葉:「孫子の代まで祟ってやる」は、八人の霊を鎮める「八つ墓明神」によって受け継がれ、約四百年後の連続猟奇殺人事件に現実化し、それからわずかニ十年後、現在起こっている連続殺人事件は、濃茶の尼の言う「(尼子落人の)たたりじゃ!」。四百年に渡る呪われた血縁の物語、ここでは金田一耕助は単なる狂言回しに過ぎません。赤く燃える多治見家と集落を遠くに見つめる八人の亡霊のシーンで終わります。

 『八つ墓村』は鳥取県と岡山県の県境に在る、岡山で伯備線へ乗換えて数時間、それからもう一時間バスに乗り、更にまた歩くこと半時間、未知の鍾乳洞が点在する、奥深い中国山地の山間の集落が舞台、4百年前の「尼子一族の怨念」が連続殺人事件を引き起こすことになります。
ニュースになった今回の事件の舞台は山口県、…西隣の広島県の更に西、壇ノ浦も近く、8百年前に滅んだ「平家落人のたたり」との話も出てくるのでしょうかね。

 ※尼子氏滅亡後、その家臣:亀井茲矩(これのり)は流浪の身となるが、信長・秀吉の家臣となり、毛利攻め、「本能寺の変」に際して、秀吉の対毛利和睦、対光秀決戦に山崎への急行に活躍します。『八つ墓村』多治見家の正統な跡継ぎとされる主人公:辰弥の本当の父親は、実は…、亀井姓、その尼子氏残党の子孫でした。

express01 at 00:30|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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