大阪万博

August 07, 2014

挑戦! 英語の資格試験

 バンド仲間のKunさんからメール、先日練習を始めたビートルズの「Norwegian Wood」の件か…、と思いきや、先月受けた英語の試験に見事<合格>した旨のメールでした。曰く、「これがあるから何なの?という問題は相変わらずついて回りますが、少なくとも6?才にもなって試験を受けてそれに合格したという事実に自己満足しています。」 全く同感です。

 大阪弁の、「ええかっこ」云う訳ではないのですが、バンドのメンバー3人は全て海外に駐在した経験があり、自ずと、普通の人に比べて…、異文化・外国人と接触する機会が多くありました。上手いか下手かはともかく、英語は勉強もしたし、英語を使って仕事をやり、赴任先では家族と一緒に生活し、少なからず多くの日本人が持つ外国人アレルギーはあまりありません。2020年に東京オリンピック開催が決まり、今後、通訳・ガイドのアルバイトあるいはボランティアにせよ、この種の需要は増えるであろう、とはKunさんの予測です。仕事・駐在員生活を通して、普通の人に比べて、英語にも親しんできたのですが、残念ながら、英検、TOEIC, TOFULなどの資格を持っていません。今の世の中、資格社会らしく、採用する方にしても、最初の書類審査で何がしかの英会話資格の記載があれば、その応募者がどの程度の実力を持つものか想像できるというものです。

 東京タワー(1958)〜東京オリンピック(1964)〜大阪万博(1970)、戦後の復興の象徴、個人的には<洋楽かぶれ>の病に感染し、その真っ只中を過ごした時期とも重なります。もう一つ、国際社会への復帰を高らかに宣言した時期でもあり、英語(読み・書きだけではなく、聞く・話す)の重要性が熱く語られていました。<洋楽かぶれ>だった私は、The BeatlesとThe Beach Boysの登場に狂喜し、自ずと中学校で初めて体験する科目:「英語」が好きになり、高校では「英語」だけは一目置かれるようになりました。大学に入るとそこは学園紛争で休講ばかり、学生運動の真似事をやっている訳にもいかず、近所の人の誘いで大手印刷会社が各国からの需要を当て込んで新設した<万博室>で1年間、外国パビリオン向けのパンフレット、冊子など印刷物の営業をやりました。アルバイトは、私以外に2人、1人は英語学科、1人は英文学科のどちらも大学院生とレベルが違いましたが、私には大いに勉強になったのは間違いありません。

 あdata_116-650x854れから50年、半世紀が過ぎていますが、こと「英語(聞く・話す)能力」、今流行の言葉でいう「英語でのコミュニケーション能力」は全く進歩していないのではないでしょうか。日本ではほとんど、おそらく90%以上の人が英語を使う必要がありません。最大の理由は、我々は日本語という優れた言語を自国語として持つからです。高度な思考で世界を論ずるには概念語・抽象語・専門語などの高級語彙が必要であり、これを自国語で大学の博士課程まで教育出来るのは、アジアにおいて日本が例外的な国であり、世界を見回しても自前で賄うのはアラビア語とロマンス語(スペイン語を除く)だけだそうです。もう一つ、優れた翻訳能力、出版技術があるでしょうし、これは言語の問題というより、経済的か…採算に合うかどうかということで、1億を超える人口規模があり、研究・教育始めマスコミ(出版・映画・TV)など、ある一定以上の需要規模を確保することが出来るからでしょう。

 英語のプロになる必要は全くありません。来日する外国人で多いのは中国人と韓国人のはず、英語圏はもちろん、むしろ彼等のような非英語圏の人間同士のコミュニケーションが出来るようになるべきです。駅の標識に中文・ハングルの表記は全く不要、ムダ、英語表記で十分です。中国にせよ、韓国にせよ、多くは高校卒業までの数年間に、日本人と同じく、英語を学んでいるはずです。加えて、道路標識、日本語に加えて、<日本語(音)の英語読み表示>及び<日本語の(意味)の英語表示>のみとします。こうすれば、△罵解し、,鬚發辰督未蠅垢りの誰にでも聞くことが出来ます。ドイツのヴュルツブルクの街道を旅行中、「ロマンチック街道」という日本語表示を目にした日本人が興ざめしたそうですが、これこそ「大きなお世話」です(良かれとやったのでしょうが…)。

 テレビで見ていても全くおもしろくなかったロンドンオリンピックの柔道、このお家芸のルールを国際的に決める場で、全日本柔道連盟の発信力、交渉力、英語コミュニケーション能力があればこんなことにはならなかったはずです。組織の内に向かってはめっぽう強い「〜バカ」だけ集めてもダメということでしょう。

 Kunさんから譲り受けた観光英語の過去問題集を参考に、大学入試・入社試験以来43年ぶりの試験合格を目指してまじめに勉強しています。

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July 01, 2011

「どうにかなるさ」の時代

かまやつひろし1970年、山上路夫の詞にかまやつひろしが曲をつけたとされますが、元歌はハンク・ウィりアムス(Hank Williams)の歌う『 Lonesome Whistle (1951)』といわれています。元歌というより…、パクリとは言わないまでも、やっぱり…そのまんまです。でも、私はこの歌が好きでした。                                            ※ボリュームに注意!


この年に「大阪万博」と「学生運動」、大卒平均初任給が40、961円の由で、当時は初任給が毎年1万円も上がる超インフレ、全国民が中流を意識し、本人が知らないうちに日本は先進国入りを果たし、大衆消費社会を謳歌していた時代でした。今の中国でしょうか…。「年間所得が1千ドルを超えると学生の反政府運動が起こる…」、と聞いたことがありまが、60年代の日本、80年代の韓国、90年代の中国がそうでした。余裕がなければ、豊でなければ学生の反乱はおきません。

夜汽車の窓からは次第に遠ざける街の明かりと重なる自分の顔。今の言葉で言う「車中泊」、次の朝、目が覚めたら新しい街に降り立っていなければならず、少なくとも5〜6百キロは離れていなければ不自然でしょう。当時の東京−大阪の新幹線、乗車券:2,810円+特急券:2,200円 =5,010円、急行「銀河」でいくらだったか忘れましたが、5千円ぐらいの旅費はかかったはずです。あり金はたいて切符をかったそうですが、それが5千円とすれば、彼はどんな生活ぶりだったのでしょうか…、想像ができません。

仕事も慣れたし街にも慣れた。1年やって来た仕事、その給料の全てを叩いて買った切符が5千円、とはどんな仕事?何の根拠もありませんが、今思いついたのですが、ひょっとしたら、新聞配達のアルバイト?そして、愛してくれた人は、配達所の娘か…。そんな生活を捨てるのも惜しいが、やっぱり、同じ毎日の暮らしがイヤになってこの街を出ることになります。

彼は喰いっぱくれて街から街へ彷徨っているわけではなく、毎日同じ暮らしがイヤになって街を出て行くのです。もう少し時代が下ると、正社員のがんじがらめの生活を嫌い、働いてお金が貯まったら、仕事を休み、バックパッキングで世界を旅行する、という需要が答えてリクルートを初めとする人材派遣会社が生まれます。しかし、いつしか、彼は歳をとってしまい、バブルは破れて立場は逆転、「必要なときに必要な人材を…」の時代になりました。多くの中流家庭が下流に流されたのもこの時代だったように思えます。

あの街を旅立って40年、彼はどうしているのでしょうね。この歳になったら、もうそんなことは言ってられないでしょう。「バカだぜおいらは〜♪」



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June 06, 2010

デニス・ホッパー Dennis Hopper

ベトナム戦争は山場を迎え、アメリカでアポロ11は反戦・公民権運動が激化、ウッドストック、アポロ11号が人類初の月面着陸を果たし、日本では学生運動が頂点に達し、大阪万博を控え高度成長に沸き、海外旅行ブームの時代でした。

学生運動民青・全共闘各派の入り乱れるの京都の大学に入り、…京都『』大学です…念のために、当時としては当然のごとく、彼ら新左翼の読むべき本はあらかた読みましたが、どうも学生運動にはなじめないところがありました。上手く言えませんが、漂う、あの「悲壮感」が好きではなかったのでしょう。

「前衛」、それが学生運動であれ芸術を含めた文化であれ、京都という土地柄か、街全体がそんな空気に包まれていたように感じられます。

本でしかその存在を知らなかったアンダーグラウンド(実験)映画、ケネス・アンガーの傑作:『起きあがる蠍(さそり) Scopio Rising 1964年』を実際に見ることが出来たのもそんな京都だったからなのでしょう。この「マーロン・ブランド、革ジャンとモーターサイクルを偏愛・溺愛する男の極めて個人な映画」を知ったかぶりして講釈する「青臭い」私でした。

1970年、時代は沸点を迎えます。


アメリカを探しに旅に出たが、何処にも見つけることが出来なかった」… 映画:『イージーライダー Easy Rider 1969年』の公開でした。

「仕事もせず、のんびり生き、気ままなにオートバイを走らせる人」の意味で、「腕時計を捨て、旅に出る」冒頭のシーンです。アンダーグラウンドの暗い密室から突然太陽の下に放り出されたような、逆光・露出過多の場面故か「白日夢のようにまぶしい」が第一印象とでした。The Byrds、The Bandをはじめとするロック音楽が効果的に使われていることに驚き、かっこいいキャプテン・アメリカことピーター・フォンダよりも、相棒のデニス・ホッパーの強烈な個性が魅力でした。

モータサイクルは二輪故に不安定、それに跨り、無防備に体をさらすからこそ反体制・反権威・反秩序の象徴になりうるのでしょう。マーロン・ブランド主演のハリウッド映画:『乱暴者 The Wild One 1953年』(余談ながら、あのバンド名はこれからとった、とか…)が下敷きにあったことはよく言われる話ですが、ホッパーのポップアート趣味、不良少年趣味(?)から見て、この『起きあがる蠍(さそり)』も念頭にあったことは間違いないでしょう。

The Byrdsの『The Ballad of Easy Rider』, 『Wasn't Born To Follow』以外は(?)全て既存の曲、全編ロケ、低予算とハリウッド映画の常識を破り、「アメリカン・ニュー・シネマ」といわれる時代の始まりました。

元来taxi driver持っていた病的気質か、それともアルコール、コカイン中毒によるものか、精神病院にも入ったこともある彼の偏執症的な妄想は、マーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー Taxi Driver 1976』のロバート・デ・ニーロ演ずる運転手:トラヴィス、そして地獄の黙示録、コッポラ監督『地獄の黙示録 Apocalypse Now 1979年』のマーロン・ブランド演ずるカーツ大佐に彼自身を自己投影することになります。

デニスホッパーが5月30日亡くなりました。賞賛、冷笑、畏敬、それ故の軋轢で終えた彼のハリウッド映画人生でした。哀悼の記事が多く寄せられていますが、このタイトルがいいです。『Dennis Hopper: Hollywood's Uneasy Rider デニス・ホッパー: ハリウッドのアンイージーライダー』、…「休むこと知らない仕事人(Uneasy Rider)」と訳したらいいのでしょうか…。

ご冥福をお祈りします。

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January 17, 2010

坂の上の『雲』は何処へ行ったの?

のぼっていく坂の上の青い天にもし 一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすればそれのみを見つめて 坂をのぼっていくであろう。哀愁の漂う後ろ姿-2

…この序章にはそぐわない、どこか、老臭ではなく…、哀愁の漂う後ろ姿です。→

年末のNHK大河ドラマの視聴率も19%と好調な滑り出しのようですが、司馬遼太郎によるこの歴史小説:「坂の上の雲」は1968年(昭和43年)から1972年(昭和47年)にかけて「産経新聞」に連載されました。戦国時代・幕末への興味は彼の小説に始まったのは私だけではないでしょう。特に、幕末から明治へ、世界は帝国主義の時代、小説:『坂の上の雲』は統一国民国家、近代日本を目指した革命(?)の時代、その成就に至る時代を描いています。

「どこからこんなに多くの逸材が出てきたのだろうか…」と思うように、登場するきら星のような人間群。幕末・明治にかけて、日本人は急にアドレナリンが体内を巡り、スイッチが別のモードに切り替わります。日本人・日本国全体がある種の高揚感に包まれた時代でした。それに加え、「さも、その現場で本人から直に聞いたような…」作者の語り口、臨場感、舞台を俯瞰するような、それこそドラマチックな仕立ては彼の最高傑作でしょう。

東京五輪音頭

敗戦のどん底からはい上がり復興を遂げ、時代は東京オリンピック(1964年)から大阪万博(1970年)、日本経済は頂点に達します。小説:『坂の上の雲』は世界の国からこんにちは 三波春夫まさに、この時代に発表されました。東京オリンピック・大阪万博に至る、日本人の成功体験を『坂の上の雲』の登場人物と重ね、人々がこの小説に感情移入するのはさほど難しいことではありませんでした。

戦後30年は、坂の上の雲どころか、一心不乱に坂を上ってきた日本人は、ふと気がつくと坂の上、峠にたどり着いていたのです。振り返れば、あれが峠、長い下り坂が続いています。

後にそう呼ばれる「団塊の世代」、かつて、『三丁目の夕日』で建設中の東京タワーを仰ぎ見た日本中の<古>行淳之介少年達は今や年金生活、かなり前に峠を越して、長い下り坂の続く日本、彼らはNHK大河ドラマ『坂の上の雲』をどう見ているのでしょうかね…。

ポール・マッカートニーはとっくの昔に還暦を迎えていましたが、彼の曲:「When I am 64」は同時代の<古>行淳之介少年世代だけではなく、その孫の世代、幼児向け番組の音楽として人気があるそうです。敢えて歌詞付きの動画を選びました。


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ご挨拶が遅れましたが、本年もよろしくお願い申し上げます。

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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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