坂の上の雲

January 13, 2018

2018年、明治維新150年

西郷どん 遅ればせながら、明けましておめでとうございます。2018年、平成30年が始まりましたが、今年が元号・和暦「平成最後の年」となります。最初から意図されたものか偶然なのかは分かりませんが、「平成最後の年」である今年は「明治維新150年」に当たり、これに因んだ多くの催し物が企画されており、NHK大河ドラマ『西郷どん』もその一つなのでしょう。1968年、山口県出身の総理大臣佐藤栄作の時に「明治維新100年」、三億円事件、東大紛争、参院選で石原晋太郎・青島幸男・横山ノックが当選、戦後の高度成長は2年後の「大阪万博 EXPO '70」を目指していよいよ加速、同じく1970年安保反対に向けて大学紛争・学生運動は一層激しさを増します。司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の連載が始まったのもこの頃でした。

 私は戦後の「ベビーブーム」と云われた時代に生まれた、いわゆる「団塊の世代」の終わりに属します。中学時代の「東京オリンピック(1964)」はテレビでしか知りませんが、大学時代は関西に居たので「大阪万博(1970)」のアルバイトに熱中、大学紛争中で授業にはほとんど出ずに終わりました。敗戦という絶望の状態から這い上がって世界の高みを目指して来た自己の姿を、西洋列強の圧倒的な文明になすすべもなかった東アジアの小国日本が苦難を乗り越えてアジアの大国清国を破り、ついには世界の大国ロシアを破り、列強国入りを果たした明治人の物語『坂の上の雲』に重ね合わせます。この小説が一躍国民的ベストセラーになったのは、その文学的価値だけでなく、作品が時代の絶妙なタイミングで世に出されたことにもその理由がありました。

 坂の上の雲を目指して登って来た日本人が行き着いたのが1945年の「敗戦」でした。面白いことに、1868年明治改元から今年に至る150年の半分、75年、1945年の「敗戦」に当たります。正確には文字通りの「ミッドウェー海戦(1943)」ですが…、「敗戦」と云う破局・絶望はトラウマとして日本人の深奥に巣喰います。人それぞれに、その言葉が指し示す出来事は異なると思いますが、私にとっては、「バブル崩壊」と「冷戦終結」は第一の「第二の敗戦」、2008年の「リーマン・ショック」、2009年、民主党(鳩山由紀夫)政権が誕生、続く2011年菅直人政権の時に発生した「3.11東日本大震災、東電福島原発破壊」が第二の「第二の敗戦」でした。大災害は起こりうるものとして仕方がないが、その大災害に対処して国民をリードしていく術を知らない菅直人民主党政権に絶望、この民主党に一票を投じてしまった悔いが残ります。「3.11」を機に、人生に何か「あきらめ」のようなものを感じたのも事実です。

 今年、2018年、日本の近代を語る上でその原点となる、「明治維新」と「敗戦」。少なくとも前者は150年前の、すでに完全な歴史上の出来事です。関係者は生きているはずもなく、情緒や物語ではなく、「明治維新」を歴史的に検証してみることが重要です。「明治維新」を検証するれば、その後の歴史が如何にあの「敗戦」に繋がったのか明らかになるはずです。

 ヨーロッパ近代国民国家の基礎である民主主義は、キリスト教の、特にプロテスタントでは、神の前では王様も牧師も庶民も皆平等、ということに由来します。では、同じく近代国民国家を目指す明治日本政府は何に由来するのでしょうか?「神」の代わりに、「万世一系・神聖不可侵の天皇」を持ってきたのであり、「ご一新・維新」という革新性の反面に「王政復古」、英語のRestoration(復興・復古)が当てられ、天皇を頂点とした社会構築にあたり、国民の精神的支柱として「国家神道」を制定しました。

 革命にはしばしば「狂気」がつきまといます。水戸攘夷論の特徴は自己陶酔・誇大妄想・非論理性、その結果、水戸は内部抗争に明け暮れ自滅してしますが、これを受け継いだのが長州下級武士です。幕末には孝明天皇を担ぎ出して攘夷を声高に叫び、錦の御旗を振りかざして倒幕、戊申・西南の戦役に勝利、明治新政府の主導権を握ったのが長州閥であり、この長州閥、山口県出身者が、天皇神聖化・天皇主権の下、大正・昭和と日本の政治を動かし、長州閥軍部の自己陶酔・誇大妄想・非論理性、彼らの「狂気の沙汰」が日本を破滅に至らしめます。

  西郷どんは西南戦争で敗れた逆賊であり、幕府・会津藩と同じくは靖国神社に祀られていないそうですが、京都時代祭にはさすがに維新勤王隊列を歩きます。維新から150年、幕府・会津・新選組も時代祭の列に入ってもらえばいかが?ひとまずは「靖国問題」を横に置いて、安倍晋三総理大臣も山口県出身の長州閥、長年続いたわだかまりを解消できる立場の人であり、今年が絶好のチャンスのはずです。



express01 at 22:29|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

March 01, 2015

明治人 柴五郎

 友人と呼ぶにはおこがましいのですが…、人生の大先輩との話は柴五郎に及びました。私の柴五郎に関する知識と言えば、中学生の時に観た映画: 『北京の55日 55 Days at Peking (1963)』がほとんど全てでした。

 舞台は清末の中国、北京の外国人居留地、義和団に依る外国勢力排斥運動が暴力化、孤立無援の混成外国人部隊が、 チャールトン・ヘストン演ずるアメリカ海兵 隊少佐:ルイスの指揮の下、女性や子供を守って55日間の籠城戦を戦い抜いたというスペクタクル映画でした。伊丹 一三(当時28歳? 後に「伊丹 十三」と改名)が演じた日本陸軍中佐が柴五郎、実はその彼が11カ国混成部隊を指揮して戦い抜いたのでした。世代の違い故か…、 残念ながら、大先輩はこの映画:『北京の 55日』、況や、ブラザーズ・フォアが歌った主題歌をご存知ではありませんでした。
Itami in the movie 55 days at peking
 
 会津藩士の家に生まれた柴五郎は10歳の時、会津若松城は 落城、祖母・母・兄嫁・姉妹が自決、戦後も下北半島斗南移住など辛酸をなめる生活を余儀なくされます。あるとき、肥後熊本旧細川藩の出身の野田豁通の知遇を得て陸軍幼年学校に入学(1873)、陸軍士官学校に進み、1879年、陸軍砲兵少尉に任官、同期には秋山好古(騎兵)が居ます。

 陸軍少佐、イギリス公使館付武官の時、1898年、「米西戦争」が勃発、彼は観戦武官としてアメリカに派遣されます。その時に海軍から派遣されたのが秋山真之で、前述の通り、真之の兄は陸軍士官学校の同期生でもあり、柴五郎と秋山真之も同じく親しい間柄であったろうと思われます。柴五郎が、この時代のアメリカ軍を「弱い」と報告したことで、後々まで「アメリカ軍は弱い」という固定観念に繋がったと云う説もあるようで、このあたりが、司馬遼太郎の『坂の上の雲』で柴五郎が無視されたように映る理由の一つにも感じてしまいます。

 陸軍中佐、北京大使館付武官の時、1900年、「義和団の乱」が勃発、柴五郎は実質的な総指揮官にして55日を闘い抜き、乱後、ヨーロッパ各国から勲章を授与され、一躍時代の英雄となります。籠城戦の総指揮をとったイギリス公使:クロード・マクドナルド(Claude MacDonald)は後に在東京イギリス公使(後に大使)となって強力に「日英同盟(1902)」締結を推進します。その影に柴五郎の人格・魅力そして卓越した能力があったはずです。日英同盟締結も『坂の上の雲』の要の一つ、その陰の主役:柴五郎の影はやはり薄いようです。

 賊軍・逆賊と呼ばれた会津藩出身の柴五郎は、1919年、遂に陸軍大将まで上り詰め、その後退役して1941年、あれだけ世界・日本の耳目を集めてきた英雄が、真珠湾攻撃成功に「万歳を叫び、狂喜感涙」して対米戦を推進、1945年の玉音放送を聞いて「さきに戦局の順調なる時に生の終わりざりしを恨む」と切腹を計りますが、老体であった故か、不首尾に終わります。その傷がもとで病死、享年87歳。その死に方によって、柴五郎の一生が台無しになったり、あるいは、それまでの評価が下がるとは思いませんが、正直に言えば、後に生きる人間としては知りたくない、見たくないところです。


 お借りしていた柴五郎の本を返しに伺った大先輩、先ほど話していた秀吉・利休に戻り、秀吉はいい時に利休に死を与えた、とは二人の結論でした。

堤(ひっさ)ぐる 我が得具足の一つ太刀 
 今この時ぞ 天に擲(なげう)つ

参考資料:石光 真人『ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書』 、村上兵衛 『守城の人―明治人柴五郎大将の生涯 』
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express01 at 10:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

January 29, 2010

エコノミック・アニマルの進化?草食系

その言葉は全くの死語になってしまったようで、久しく聞いたことがありません。馬は自分の後方に非常に敏感で、それが理由で馬車馬には前しか見えないように目隠しがされているそうです。その馬車馬の様に、戦後の復興・成長過程を、脇目もふらず駆け上った日本人は「エコノミック・アニマル」と呼ばれていました。その彼らが、自分の今までを振り返って、自らを投影したのが小説:『坂の上の雲』という訳です。

エコノミック・アニマルは老い、その子供達の世代は、今や草食動物、「草食系(男子)」と呼ばれているそうです。草食系は「酒は飲まずスゥィーツ、車も乗らない、セックスもいらない、海外旅行なんかしない、いわんやバックパッキングなんかとんでもない」ようです。

「今の若い者は…」と嘆くかつてのエコノミック・アニマルも、加齢には抗しきれず、目隠しを老眼鏡に替え、年金不安からか、「酒もチビチビ、車も高速道路を逆走、セックスもアニマルは昔、9時には就寝4時半起き」、どちらも今だけの、此処だけの「心地よいもの」を求める傾向のようです。
逃避
よく言えば日本も成熟したのでしょうか、国民全体が、「癒し」とか、なんで外国語にするのか判りませんが「スピリチャル」とか、最近言われる「内向き」傾向にあるようです。この「内向き」にはどうも消極性、陰性がつきまとい、「引きこもり≒後ろ向き≒後退≒逃避≒幼児化」とほとんど同義語で、否定的な意味合いが気になります。ケイタイのガラパゴス的進化、「MADE IN JAPAN 日本製」を全面に出した商品、「かわいい」デザイン、「和」のテイスト、社寺仏閣訪問、霊場・聖地巡り…等々。

「内向き指向」や「癒し指向」、まとめれば「草食系の自己愛」。90年頃からでしょうか、「海外から学ぶものはない」という思考と、グローバリズムの始まり、内を見れば第二の敗戦、バブル崩壊と期を同じくして始まったように思えます。とどめはリーマンショック。外からやってきた「災難」に、ただ、じーっと、頭を抱えて身を縮めるしかありません。

もちろん、「かわいいデザイン」も「和のテイスト」も本人の好みですから何ら問題ないのですが、「内向き」なガラパゴス的進化がケイタイに留まらず、思考・文化の領域にまで広がって来ているようです。進行すれば独善的、排他的な思考に落ち入る恐れもあるでしょう。

一方では、ちゃんとした日本語があるにもかかわらず、言語障壁故か、逆に「スピリチャル」、「リベンジ」、「ポジティブ、現状はネガティブでしょうが」…、カタカナ外国語が乱用されています。ひょっとすると、江戸、鎖国時代の「長崎の出島」のように、「外世界との窓口もちゃんと開いているよ…」とのシグナルでしょうか…。

窓、戸口はもっと大きく、そして外に出て、外世界を見なければ自己も見えません。そもそも、草食であろうが肉食であろうが、外に出て必要な食べ物を採って(捕って)来なければならないでしょう。

今回はエコノミック・アニマルになり損ねた人間の、今流行の「つぶやきtwitter-logo(ツイッター)」ではなく、「ぼやき」でした。

あまり好み…ではないのですが、とにかく元気がでます。草食系・肉食系・雑食系、かつてのエコノミック・アニマル、植物系、全ての生き物に贈ります。       "Born To Be Wild" by Steppenwolf



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今年も余すところ11ヶ月となりました。


express01 at 19:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

January 17, 2010

坂の上の『雲』は何処へ行ったの?

のぼっていく坂の上の青い天にもし 一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすればそれのみを見つめて 坂をのぼっていくであろう。哀愁の漂う後ろ姿-2

…この序章にはそぐわない、どこか、老臭ではなく…、哀愁の漂う後ろ姿です。→

年末のNHK大河ドラマの視聴率も19%と好調な滑り出しのようですが、司馬遼太郎によるこの歴史小説:「坂の上の雲」は1968年(昭和43年)から1972年(昭和47年)にかけて「産経新聞」に連載されました。戦国時代・幕末への興味は彼の小説に始まったのは私だけではないでしょう。特に、幕末から明治へ、世界は帝国主義の時代、小説:『坂の上の雲』は統一国民国家、近代日本を目指した革命(?)の時代、その成就に至る時代を描いています。

「どこからこんなに多くの逸材が出てきたのだろうか…」と思うように、登場するきら星のような人間群。幕末・明治にかけて、日本人は急にアドレナリンが体内を巡り、スイッチが別のモードに切り替わります。日本人・日本国全体がある種の高揚感に包まれた時代でした。それに加え、「さも、その現場で本人から直に聞いたような…」作者の語り口、臨場感、舞台を俯瞰するような、それこそドラマチックな仕立ては彼の最高傑作でしょう。

東京五輪音頭

敗戦のどん底からはい上がり復興を遂げ、時代は東京オリンピック(1964年)から大阪万博(1970年)、日本経済は頂点に達します。小説:『坂の上の雲』は世界の国からこんにちは 三波春夫まさに、この時代に発表されました。東京オリンピック・大阪万博に至る、日本人の成功体験を『坂の上の雲』の登場人物と重ね、人々がこの小説に感情移入するのはさほど難しいことではありませんでした。

戦後30年は、坂の上の雲どころか、一心不乱に坂を上ってきた日本人は、ふと気がつくと坂の上、峠にたどり着いていたのです。振り返れば、あれが峠、長い下り坂が続いています。

後にそう呼ばれる「団塊の世代」、かつて、『三丁目の夕日』で建設中の東京タワーを仰ぎ見た日本中の<古>行淳之介少年達は今や年金生活、かなり前に峠を越して、長い下り坂の続く日本、彼らはNHK大河ドラマ『坂の上の雲』をどう見ているのでしょうかね…。

ポール・マッカートニーはとっくの昔に還暦を迎えていましたが、彼の曲:「When I am 64」は同時代の<古>行淳之介少年世代だけではなく、その孫の世代、幼児向け番組の音楽として人気があるそうです。敢えて歌詞付きの動画を選びました。


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ご挨拶が遅れましたが、本年もよろしくお願い申し上げます。

express01 at 16:13|PermalinkComments(4)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote
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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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