伊賀鉄道
February 02, 2019
第2回絵画展のご案内
見慣れたと云うか、最近、少々見飽きた小山田荘の風景を後に旅に出ました。見飽きたとは言いすぎ…、見る目を変えてみようと、リフレッシュを目的に関西に行ってきました。芭蕉は150日をかけて「おくのほそ道」を歩いたと云います。それに比べれば、私の4泊5日の旅行はつましいものです。

多くの近江商人を輩出した東近江、西武グループの創設者 堤康二朗も近江鉄道愛知川(あちがわ)出身でした。このこともあって、近江鉄道はれっきとした西武グループの一員です。米原からJR東海道線の内陸側を平行して、彦根・多賀神社・愛知川・五箇荘・近江八幡・日野そして貴生川(きぶがわ)でJR草津線に連絡します。
沿線の日野は信長・秀吉時代のキリシタン大名、 洗礼名 レオン、利休七哲の一人、蒲生氏郷(がもううじさと1556 – 1595)が生まれています。
彼の5代前の当主 蒲生貞秀(さだひで1444 – 1514)は武将としてだけでなく、
歌人としてもすぐれた人物でした。 日野の地に発見された根が淡紅色の野菜(カブ)を漬けたところ非常に美味で、京に住む公家に献上すると、その美味であること天皇にまで知られるようになりました。このカブは「日野菜」、日野菜の漬物は「日野菜・桜漬け」と呼ばれ、蒲生氏上洛の際は必ず献上したそうです。

私を、貴生川駅で拾ってくれた友人は京都人、近くで畑を借りて、日野菜を育て、日野菜漬けを作るのが彼の趣味の一つ、頂いてみると、なるほど…、ご飯がすすみます。
もう一つは伊賀鉄道、城下町 伊賀市中心部とJR関西線 伊賀上野・近鉄大阪線 伊賀神戸(いがかんべ)を結ぶ、全長16.6kmの第三セクター鉄道です。駅名にもある「四十九(しじゅうく)町」は奈良時代、行基(668 – 749)に由来、修験道の開祖 役行者(えんのぎょうじゃ =役小角 7 – 8世紀)の弟子にて、この地に山伏の修験道場 「四十九院」があり、伊賀流忍術発祥の地でした。
芭蕉は、最大のパトロン 藤堂新七郎 良忠(俳号 蝉吟 せんぎん)を亡くします。彼は、処女作 「貝おほい」を故郷 上野菅原神社に奉納、決意を新たにして、当時、新興の江戸に向けて出発しました。
「おくのほそ道」への旅立ちは、それから14年後のことです。