伊賀上野

February 28, 2019

「渡り鳥」、「寅さん」、もうすぐ「徘徊老人」?

男鹿半島 東北を旅行中の友人からLINEメッセージ(?)をもらいました。伊賀上野(伊賀市)に住む友人(大学時代、同じゼミ)が共通の友人で、彼らは京都で同じ下宿に居た間柄の由。毎年上野天神祭り(10月最後の土・日曜日)に合わせて友人宅で催される同窓会(?)に途中から私が参加させてもらうようになり、今やこの同窓会は、場を提供してもらっている友人宅には大変ご迷惑をおかけしているのですが…、参加者の年中行事となっています。そこで知り合ったのが彼で、同じ大学でしたが、在学中は互いに知る由もありませんでした。出身は新潟、もっと近い東京にいくらでも大学があったはずなのですが…、ワンダーフォーゲルに4年間を費やし、卒業後は将来故郷に帰るべく、東京の企業に就職したそうです。

 私が上野天神祭り同窓会に初めて参加したのが2012年10月、6年前。何処の祭り上野天神祭_2も、それを担う若者が都会へ出て行ってしまい、山車を引く人すらも満足に集まらない状況は上野天神祭りも同じです。家族を小田原(南足柄)に残し、世話をするために彼は新潟で両親と同居、新潟からはるばる車でこの同窓会に参加するだけでなく、上野天神祭りにも山車を引いて参加。今や、『越乃寒梅』を土産に、山車を引き、地元の住民からも大いに当てにされる存在となっています。

軽四4WD_1 去年10月の同窓会の帰りに、彼の車に同乗させてもらったのですが、お父さんは亡くなり、お母さんは新潟に住む彼の妹さんに任せて…、彼は小田原(南足柄)に帰ってきたそうです。長年の両親の世話、新潟と小田原の二重生活から解放されたからか、『ワンダーフォーゲル(=Wandervogel ドイツ語で「渡り鳥」の意)』になりきることを宣言、軽四の4WDワゴンを購入、日本各地を訪ね、夏は登山、冬は見知らぬ土地を訪ねる。もちろん車中泊、地元の温泉・銭湯に浸かり、地元の食事と地酒…、と私には出来そうもない夢を語ります。以前は、月の終わりの10日間だけでしたが、今は逆、10日間が在宅で、20日間は「渡り鳥」の由。あるいは「寅さん」、悪く言えば「徘徊老人」…。

 2月初めから私の絵画展が開かれていますが、10日(日)の夜、6時ごろだったでしょうか…、彼から電話「近くまで来てるんだけど…」。「何処?」と聞くと、「家の前」。外に出てみると、長い旅路を物語る汚れた軽四ワゴン、同道の静岡から来た彼の友人に初対面の挨拶。「今日は日曜日で閉店」、小田原経由で静岡まで帰らなければならず、二人は団地内のスーパーで食品を買い込んで、あわただしく出発していきました。予定通り、15日に彼は現れ、喫茶店『嵐が丘』では、馬子にも衣装の額装された私の絵を見てもらうことが出来ました。店内では、私がまだ紹介していないのに、店の人・お客さんに親し気に話しています。ちょうど、上野天神祭りの山車を引いているように…。
第2回絵画展案内状+遼太郎記念館

 22日、彼が、前回、挨拶だけに終わった静岡の友人とともに『嵐が丘』に現れ、私の絵を楽しんでもらうことが出来ました。感心した様子で、「こんなに臨場感のある絵が実況見分で使われたら楽だったろうに…。」 後で聞くと、ワンダーフォーゲルの同期、元静岡県警捜査官(?)、どうも絵手紙の展示会と思っていたようです。わずか30分の滞在でしたが、再び北へ向かう二人がわざわざ時間を割いて寄ってくれたことに感謝、「はなむけ」にコーヒー代は私がごちそうすることにしました。

 彼らは小山田の『嵐が丘』を発ち、多摩の横山を超え、武蔵野(関東平野)鎌倉街道を北へ、上野国田沼から下野国日光に入り、鬼怒川温泉から陸奥国、現在の福島県会津若松、大内宿、喜多方、米沢、羽州街道(?)を北上すると云います。何やら、イザベラ・バードが踏破したルートとほとんど同じです。

Isabella Bird_1 大英帝国に生まれたイザベラ・バード(Isabella Lucy Bird, 1831 - 1904)は脊椎に難病を抱え、医者の勧めで、世界旅行をするようになり、紀行作家として活躍します。1878年と云えば、「西南戦争」が終了して1年、政府側を率いた大久保利光が暗殺された年、内戦の火種がまだ冷めやらぬ時、戊辰戦争で敗者側に落ちた陸奥国・出羽国を縦走、海峡を越えて、北海道まで走破、のちに『日本奥地紀行("Unbeaten Tracks in Japan"』を著した。如何に「太陽の沈まぬ」と喩えられるビクトリア王朝時代の大英帝国の後ろ盾あるにせよ、47歳の女性が成し遂げたことに驚嘆せざるを得ません。金谷Cottage Inn
 
 季節が良くなったら、彼女ゆかりの日光「金谷ホテル(Kanaya Cottage Inn」を皮切りに、じっくりと、彼女の道程を辿ってみようではありませんか。

※参考資料:日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)
      イザベラ・バードの東北紀行[会津・置賜篇]: 『日本奥地紀行』を歩く


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November 08, 2014

伊賀上野天神祭 2014年

伊賀上野天神祭_翁 京都で同じ下宿に暮らしたということで、伊賀上野天神祭のこの時期(10月23〜25日)、3人はそこに住む友人:Toshiさん宅に集まっているのですが、私も3年前からその同窓会(?)に参加させてもらっています。去年は、大きな台風が近畿地方を襲い、京都嵐山渡月橋辺りで桂川が氾濫するなどして、その影響でこの祭も中止となりました。去年は秋も深まって肌寒く感じたのですが、今年は一ヶ月、少なくとも数週間は、季節が後戻りしたような暖かさ…というより、暑さでした。

宵山 奥方:Junkoさんの実家が古くは、上野西町、大和街道というメインストリートの一角に小間物屋として栄えたそうです。ご夫婦はその跡地に家を建て、通常は大阪に住み、月に1〜2回はここにやって(帰って)来るという生活をされています。以前にも書きましたが、当地は古来より飛鳥、奈良、京都の都に接し、五畿七道の一つ、東海道の最初の国:伊賀国に在り(因みに、東海道の東端は常陸国)、倭武(ヤマトタケル)がこの道を東に向かったのか、大和街道は当初、幹線街道としての東海道の一部だったのか?…、壬申ノ乱の大海人皇子が、平安時代末期には源義経が、時代は下って、「天正伊賀の乱(1578-1581)」で信長が、「本能寺の変(1582)」で密かに服部半蔵が先導して家康を伊勢へ逃がす「伊賀越」、この辺りが舞台でした。

 浅井長政の足軽に始まって8回も主人を換え、戦国・江戸時代初期を生き抜き、築城技術に長けた藤堂高虎は外様にもかかわらず徳川家康始め三代の信任厚く、同じく築城技術に長けた加藤清正は息子の代に改易となったとは対照的に、藤堂家は別格譜代の厚遇を受け伊勢・伊賀二国にまたがる大大名(32万石)となり明治まで続きます。内政手腕だけでなく、文学や能楽、茶の湯を嗜む文化人でもあった高虎は天満宮の改築、寄進等にも力を注ぎます。上野天神祭は、二代目藩主:藤堂高次の時代(1660)に始まり、その後一時は倹約令で中止となったが、元禄(1688 綱吉の時代)に復活、三代藩主:藤堂高久は祭礼を城内假御殿より見物、田楽、能、狂言等が行われた。同地出身の松尾芭蕉だけでなく、井原西鶴、近松門左衛門とは同時代、商品・貨幣経済、前資本主義社会・前近代社会ともいうべき時代の文学であり、上野天神祭は正に勃興する商人・町人が作り上げた祭でした。
伊賀上野天神祭商店街_2

 AkiraさんはToshiさんの所属する上野西町の山車を引くために、遠く新潟からやって来るのです。町内の人からも当てにされているのは嬉しいが、出来れば山車を引くのは午前中だけにして欲しい、ここ数年は伊賀上野天神祭と言えば山車を引いているだけで、祭全体を見たことがないそうです。…というより、長時間山車を引っ張るのが辛い、体力がなくなってきた、というのが本音でしょう。午後、山車を抜け出し、私にはどうでもいいように映るのですが…、私と二人で観光客向けに用意されたスタンプラリーに参加、13ヶ所のスタンプ・ポイントを約1時間をかけて上がりのゴールへ、結果は残念ながら二人とも参加賞の山車をデザインしたクリアファイル、さすがは伊賀上野天神祭の大ファン、私の参加賞も差し上げると、満足気な彼は山車の牽引に復帰します。因みに、住民は祭に何らかの手伝いをしないとペナルティとして数万円を徴収されるそうで、Akiraさんの上野天神祭好きもToshiさん上野西町宅に十分貢献しています。すみません、何も貢献できず…。

Junkoさん、お世話になり、ありがとうございました。

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November 11, 2013

鍵屋ノ辻、しばしの妄想

伊賀上野に住む友人を訪ねました。私にとっては二度目の上野天神祭でしたが、京都嵐山渡月橋辺りで桂川が氾濫したことなどを踏まえ、台風接近を理由に、残念ながら中止となりました。私は去年初めて参加したのですが、他のメンバーは友人の住む町内の山車を引くために毎年参加しているそうで、京都、名古屋、遠くは新潟、私が東京…、さながら同窓会の趣です。友人ご夫妻にはお世話になりました。ありがとうございました。
20131111鍵屋ノ辻道標
外は雨、奥さんのアドバイスで…、歩いてすぐの「鍵屋の辻」に行ってみました。「鍵屋の辻」? そうです、あの…、荒木又右衛門で有名な『伊賀越鍵屋辻の決闘』の舞台です。この仇討物語は次回に譲り、今回は、そこに建つ道標につながる話です。

平重衡護送ルートは、鎌倉を発し東海道を上り、大津〜逢坂関〜山科(髭茶屋追分)で奈良街道(=醍醐路 現在のJR奈良線にほぼ並行 現在のR24?)に分岐、を南下した山城国日野(現在の京都市伏見区)で夫婦つかの間の再会を許され、さらに南下して六地蔵から宇治〜大久保、さらに南下し木津川を渡って木津 重衡斬首の地(安福寺)〜首を晒された般若寺のある奈良に入ります。

その木津川を渡らず、その右岸、大和街道(現在のR163)を東へ、島ヶ原で木津川を渡り、南へ曲がる木津川を再度渡ると、そこが伊賀上野「鍵屋の辻」です。

頼朝の接見を終え、南都(奈良)に向け東海道を護送されるのですが、菅津〜関宿で東海道を分岐、大和街道を進み、伊賀上野〜木津〜奈良のルートが最短距離のはず、何故重衡はこのルートで護送されなかったのでしょうか?
平安末期 東海道

7世紀、天武天皇の頃、律令国家の広域行政区画として『五畿七道』は制定されました。当時、都は平城京、東海道は伊賀国から始まって常陸国までの14国、その諸国府をつなぐのが街道:東海道でもありました。平城京の時代、街道=東海道は畿内を離れると最初の国は伊賀国です。繰り返しますが、平城京〜大和街道(現在のR163)〜伊賀上野〜関〜菅津でした。平安京遷都(794)以降、それまでの東海道は鈴鹿峠越えとなり、富士山の延暦噴火(800年 - 802年)で足柄路が不通となり、代わって、箱根峠を通る街道(箱根路)が整備されました。

平安末期、12世紀末、平家が壇ノ浦に滅びる頃、重衡は南都(奈良)への最短ルート:奈良時代の東海道を通らなかっただけではなく、かといって鈴鹿峠を超えたわけでもありません。菅津から北上〜東山道、墨俣〜草津〜東海道に合流、冒頭に述べた通り、髭茶屋追分で分岐して奈良街道(=醍醐路)とはあまりにも遠回り、『平家物語』最大の見せ場を演出するために、日野〜六地蔵〜木津川のルートをとったのではないか?もし、関で分岐する大和街道のルートをとっていたなら見せ場もなかった…、妙な勘ぐりも頭の片隅をかすめます。因みに、沿道の日野で劇的な再会を果たす奈良街道(=醍醐路)は、平城京の時代、若狭、越前、能登から琵琶湖の西側をやって来た北陸道が、大津〜逢坂関〜奈良街道(=醍醐路)と同じルートを辿って平城京に達するものでした。

1185年、平家の総大将:平宗盛は壇ノ浦で捕虜となり、同じく鎌倉で頼朝が接見、義経に護送されて東海道を京へ向かうのですが、この宗盛護送の一行も、鈴鹿峠を越えず、重衡と同じルート、菅津から北上〜東山道、墨俣〜草津を過ぎた、東山道野洲篠原にて義経の家来により斬首されます。少なくとも二人は鈴鹿峠を越えていません。かつて富士山噴火で足柄路が閉鎖されたように、平安末期、12世紀末、東海道の菅津以西の地域では木曽川、長良川、揖斐川などの水量が増加して河口付近では渡れなくなったのか…、富士山噴火に匹敵するような天変地異の発生で、重衡夫婦のつかの間の再会〜重衡の最後〜供養という『平家物語』最大の見せ場が実現したと言えるでしょう。

「ひだりなら道 みぎいせみち」と刻まれた道標、大きなそれは最近に立てられたものでしょうが、小さなそれは判読は難しく何時の時代のものかは判りません。ここが東海道の一通過点だったのは13百年前の話、時代とともにその役割も変わり、奈良からやって来る『お伊勢参り』のいわば巡礼の道、近世においては藤堂家津藩の官道となりました。「鍵屋の辻」に立って、妄想に浸る一時でした。

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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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