三角帆

March 02, 2013

ラテン・セイル 三角帆

オロシヤ国酔夢譚1782年、船頭頭:大黒屋光太夫以下船員15名及び紀州藩派遣の農民1名を乗せた千石船(弁才船):『神昌丸』(全長:20m)は紀州の囲米を積荷に、伊勢国白子の浦から江戸へ向かいますが、駿河沖で暴風に遭い、7ヶ月もの漂流の後、アリューシャン列島の一つ、アムチトカ島へ漂着します。その後カムチャツカ、オホーツク、ヤクーツクを経由して1789年イルクーツクに至ります。日本に興味を寄せる博物学者キリル・ラクスマンと出会い、1791年、彼に連れられてシベリア大陸を横断、ロシアの首都:サンクトペテルブルクに至り、女帝:エカテリーナ2世に謁見、帰国を許されます。漂流から約10年を経た1792年 (寛政4年9月)、遣日使節:アダム・ラクスマン一行の船:『エカテリーナ』(42人 全長:33m)に乗り、根室の地に生還できたのは光太夫を含めて3人でした(上陸後に1人死亡)。

7世紀、アラブ人のラテン・セイル(三角帆)を始めとする造船・操船・航海技術は地中海を席捲、逆に西欧人は地中海の主導権を放棄、アラブ人の航海技術を学んで、「ヘラクレスの柱」の西、大西洋に乗り出したのが15世紀末、16〜17世紀には西欧の船は西太平洋、東アジアへも進出、18世紀になると鎖国下の日本近海でも見受けられるようになります。

洋船断面図-竜骨
和船断面図-桶





※上のイラスト、大阪港振興協会:『帆船から学ぶ海と日本』より拝借しました。

西欧の船は、中国・アラブもそうなのですが…、古代より竜骨(キール)に肋骨(リブ)を組み合わせた上に機密甲板(デッキ)の船体構造でした。対する和船を見ると、18世紀末、光太夫の乗った千石船(弁才船):『神昌丸』では、竜骨・機密甲板(デッキ)のない、遣唐使船の時代(9世紀)とほとんど変わりません。まさに、「板子一枚下は地獄」でした。その違いを指して、西欧の船を『樽』、和船を『桶』に例えるそうです。

基本的に、和船は四角帆一枚であり、追い風に乗って進む方法しか知らず、向かい風になれば帆を降ろして港で風待ちをしたのです。17世紀初め、江戸時代前期の廻船は順風帆走・沿岸航海しか出来ず、大阪〜江戸間の航海に平均32.8日を要しました。気象予報は船頭頭の経験と勘、それが外れて嵐にでも遭えば難破、光太夫のように太平洋を漂流することになります。18世紀末、江戸時代中・後期になると、その太平洋に、はるかアメリカからやってきた捕鯨船が遊弋するのがしばしば見られ、日本の船乗りも彼等の操船技術の優位性を学ぶようになり、四角帆一枚でも逆風を利用して航行できる、「風切り」という操船術を習得します。例えば、「新酒番船」という新酒を運ぶ急行便が現れ、1790年、西宮〜江戸を58時間で航海した記録があるそうです。遣唐使船依頼、和船の進歩がほとんど見られないのに、一方の西欧の造船・操船・航海技術は大いに進歩、複数の帆を使いながら逆風を利用して航行する帆走システムを確立していました。

西欧と日本、その彼我の科学技術の差は如何ともし難いものでしたが、日本の技術も捨てたものではありません。ラテン・セイル(三角帆)に遡る、その根本原理は「流体力学(?)」でいう「揚力」でした。西欧のボートはオールで漕ぎますが、これは単純な「力学」。それにくらべて、東南アジア・中国にもあるらしいのですが…、小舟(=伝馬船)の櫓(ろ)は「流体力学(?)」でいう「揚力」を利用、櫓一本で前進後退、横向きにも移動、その使い方よりも、「流体力学(?)」に沿った櫓(ろ)の形状を削り出すのが難しいそうです。
 
しばらくすると、蒸気機関の発達で「外輪船」が登場しますが、オールと同じく単純な「力学」故か…、この「外輪」の効率が悪く、「スクリュ−(=プロペラ)」にとって替わります。近代船の推進装置、「スクリュ−<screw>(=プロペラ<propeller>)」こそ「流体力学(?)」でいう「揚力」の産物であり、ギリシヤ文明に始まる「ネジ、英語でいう<screw>」構造の延長上にあるものでした。ギリシャでは揚水ポンプとして、ローマ文明〜地中海文明ではオリーブやブドウを搾る圧縮機、16世紀にはグーテンベルグの印刷機に、鉄砲を始めとする精密機械に、識字率の向上は人間の思想にも変革をもたらし、これが後の宗教改革、啓蒙思想、のブルジョア市民革命、産業革命に続いていく、西欧でなければ存在しない概念・技術の延長上にありました。

一方、「ネジ」の概念は中国・日本などのアジアの文明には存在せず、日本には、1543年に種子島にポルトガル人がもたらした火縄銃とともに「ネジ」が伝来したとされ、この銃を模して作るに当たり、銃身の最後尾を塞ぐ尾栓に使われていた雄ネジと雌ネジが日本で初めて登場した「ネジ」とされますが、戦国期、世界一の銃器生産国になりながら、造船・操船・航海技術と同じく…、その後の技術的発展は皆無…、まさにプッツリ途切れてしまいました。残念ながら日本に「ネジ」構造・概念は根付きませんでした。

大黒屋光太夫を送り届けたアダム・ラクスマンのロシア使節団は鎖国を国是とする幕府との最初の外交接触でした。来航する西欧船は次第に増加、国防問題に端を発し、国論を二分する「尊皇攘夷」思想に発展、幕府転覆のスローガン:「尊王討幕」に変わって行きます。

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February 15, 2013

西の大海と東の四畳半

平安後期、三十六歌仙の一人、『古今和歌集』の編者として教科書に出てくる紀貫之が、その彼が国司として赴任していた土佐国を後に都に帰るそのほとんどが海路(高知〜難波、600km(?)、49日の航海を記録に残したのが『土佐日記(936年)』でした。航海距離は一日たったの12km。貫之の乗ったの船は「竜骨のない、船央に帆柱を持つ帆掛け舟」で、和船の基本構造は遣隋使・遣唐使から江戸時代の千石船・北前船に至るまでほとんど変わっていません。


sindbad 3一方、アラブ人は紀元前後に風をはらんで翼の形となり、逆風でもジグザグ前進できるにラテンセイル(Lateen Sail 仏語 =Latin)と呼ばれる三角帆を経験的に習得、7〜8世紀頃から、ダウ船を駆ってアラビア海(東西2、000km)をわずか3〜4週間で横断していました。航海距離は一日95km、『土佐日記』のそれとは桁違い…呆れてしまいます。

『シンドバッド 7つの航海』の通り、アラブ人は9世紀にはインド洋を舞台に、西はオーマンのマスカットから東は中国広州に至るまでの広大な交易ルートを開いていた。イスラム教/ヒンズー教/仏教がインド洋を横断して東南アジアに伝搬。逆にメッカへの巡礼者がインド洋を西に文化を伝える。インド・中国の技術が西方、アラブ地域にもたらされるなど、中世後期において「インド洋は世界文明(ギリシャ、ローマ、インド、中国文明)の交換器」の役割を果たし、アラブ人航海者・商人がこれを支配する海域となっていました。
sindbad


日本人は冒険・探険をあまり評価しないようです。冒険・探険と言えば、私の中では「間宮林蔵の樺太・黒龍江探険(1808 - 1809)、間宮海峡(韃靼海峡、タタール海峡)発見」と司馬遼太郎の小説菜の花の沖高田屋嘉兵衛ぐらいなもので、江戸後期、日本近海で起こった海難事故、漂流者の異国における生活、そして危難を乗り越えて尊皇攘夷、幕末の日本に帰って来る、英雄的な物語・冒険談が多く見られます。ジョン万次郎吉村昭の小説:『アメリカ彦蔵』の浜田彦蔵、『大黒屋光太夫』や井上靖:『おろしや国酔夢譚』の大黒屋光太夫、彼等は、その時代の急激な変化の中で極めて貴重な体験をし、その後の日本に大きな影響を与える結果となったのですが、彼等は決して自発的に冒険・探検に船出したわけではありません。


これは中国人にも当てはまるようで、明永楽帝(1360〜1424)の時代、鄭和の艦隊による4回ものインド洋、アフリカ大陸東岸遠征も、それまでの中国・アラブ商人の交易ルートを辿っただけで、決して交易通路発見・開拓(=探検)が目的ではなく、中華明帝国の威信を訪問国に示し、彼等に朝貢を促すだけのものでした。
 

西欧においては、自然に恵まれない辺境の地において、例えば、寒冷なスカンジナビア半島に海賊・略奪者としてバイキングが、中世地中海においては、耕作には適さない湖沼・沼沢地のベネチアに、狭隘な土地のジェノバに海運・商人が発生、アラブ人との交易で航海その他の先進技術を獲得して「地中海の時代」を築きます。12〜13世紀、地中海貿易の覇権、十字軍支援の艦隊の主導権を巡ってその二つの都市は競っていましたが、ついには、「キオッジアの海戦(1378〜1380)」でベネチアが勝利、敗北したジェノバはジブラルタル海峡の西、大西洋に活路を見いだすべくイベリア半島のポルトガルに接近します。1453年ビザンツ帝国がオスマン朝トルコにより滅亡しますが、西地中海では、ポルトガルが徐々にイスラム勢力を駆逐、1492年グラナダが陥落してレ・コンキスタを完成、ジェノバの商業・航海技術を引き継いで、いよいよ大西洋に船出することになります。


「何故、人間は怖い思いをしてまで冒険・探険をするのか?」 「誉れ」、「好奇心」そして「物欲(=略奪)」がヨーロッパ人の答え。ルネッサンス、ローマ・カトリック教圏の拡大と宗教改革、科学技術の進歩、啓蒙主義、市民革命と産業革命へと続き、近代資本主義はヨーロッパに誕生します。


ユーラシア大陸の辺境、西端のポルトガルでは未知の大西洋へ乗り出し、東端の日本では「大航海時代の怒涛を四畳半に閉じ込めた」「茶の湯」、…結構なお点前でした。※「大航海時代の怒涛を四畳半に閉じ込めた」とはどこかで読んだ司馬遼太郎の表現、好きです。


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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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