一所懸命

August 22, 2013

坂東鎌倉武士 「名こそ惜しけれ」

25年も前の話で恐縮ですが、同期の友人が千葉県柏に住んでいたので、ただそれだけの理由で…、千葉県流山市に住んだことがあります。住んでみて奇妙に感じたのは…、黄色い(?)ヘルメット姿の小中学生の通学場面、ご主人が2時間〜2時間半もかけて東京都内に通勤しているのがただ一つ理由か…?、「地方から来られたのですか?」とはご近所の奥さん達の言、自分が東京に住んでいるものと勘違いされているようです。阪神間に長く住んでいた私、2時間も車で走れば日本海まで行ってしまうのですが…。

流山に住んだのは1年間だけで…、東京都内ではなく都下、町田市に引っ越して来ました。九州生まれ・関西育ちの私、流山に居る時は、当然の事ながら、常磐道・東北道と、すべての道は見知らぬ土地、東北地方に通じています。町田に住むと、東名・中央、その先には名神、自分の育った関西へと通じています。上野駅13番線ホームの発車ベルのメロディーが『あゝ上野駅』になったのはつい最近のニュースですが、東北出身の人は東京以北・以東に住み、関西出身の人は東京以西に住み、故郷へとつながる鉄道あるいは道路の沿線に人は定住する傾向があるように思えます。江戸っ子が通を自慢していう言葉:「野暮と化け物は箱根から先(西)」、関西の友人の感覚:「なんで、東京を通り越して、近藤勇の捕まった流山まで行くんや?」、どちらも意味は同じようなもの、意識するかどうかは別に、誰にも自らの文化圏があります。
本_平家物語 横笛 維盛出家・入水130723S
この歳になって『平家物語』の背景をおさらいしてみると面白いことに気付きます。『平家物語』は京都六波羅の伊勢平氏の興隆・滅亡を描いています。…が、「源平の戦い」とは言いながら、それは六波羅伊勢平氏vs敵対勢力、後白河法皇及び摂関家の旧来勢力、及び伊勢平氏と競合する新興武家勢力との三つ巴の戦いでした。

余談ですが、私の住む小山田の別当:小山田有重、秩父氏の一族でれっきとした坂東平氏の一門、当初は平家の一翼を担って各地を転戦しますが、主筋の秩父氏は頼朝:源氏につき、平家一門都落ちに際して帰郷、許されて頼朝:源氏に帰順します。
散歩の途中にある小山田神社、戦前までは「内の御前社」と呼ばれ、有重の婦人を祀ったそうです。
蓮田・小山田神社20130717_3
1192年、勝利した源頼朝は坂東相模国鎌倉に幕府を開き、自らは征夷大将軍に就きます。ところが、鎌倉幕府の確立した源頼朝は突然死、跡を継いだ嫡男:頼家も変死、その弟の実朝も変死、3人ともに北条氏が殺害、幕府内の実権を握ります。頼朝の血筋はこれで絶え、あれほど熾烈を極めた「源平の戦い」は「源平共倒れ・共食い」の結果となります。執権北条氏の出自は不明ですが、桓武平氏の流れであると称したのは皮肉なものです。
Minamoto_no_Yoritomo
京の貴種:頼朝は、ただただ、坂東農場主の土地所有を保証するシンボルとして棟梁に担ぎ上げられ、対京都(旧勢力)交渉の機能を果たしただけで、鎌倉幕府の確立後は用済みとばかりに粛清され、結果、坂東武士は日本国内に、もう一つの独立国を建てることに成功したのです。

平安後期、鋤・鍬・鎌など鉄製農機具が個人でも使えるぐらいに安価になり、足柄峠(後の箱根)の坂の東向こう:坂東の地では、新田・牧場の開墾・開発が隆盛、アメリカ開拓期の西部で大牧場を切り開いた牧場主のようなものでした。武士というよりは牧場主のような彼等は「俺が開墾、耕した土地、だから俺にその所有権がある」、すなわち「一所懸命」という単純明快な論理と「名こそ惜しけれ」という、恥ずかしいことはしない、卑怯な振舞いを蔑む精神は表裏一体して鎌倉武士の真髄であり、その後の日本人の考え方・生き方に大きな影響を与え、日本人の原理・原則、「理念」にもなって行きます。もちろん、お隣の中国・韓国には存在しません。日本史にこの時代の関東とその精神がなければ、(日本史は極めて)寂しいものになる、とは司馬遼太郎の言葉です。

それから5百年後の江戸・元禄時代、今だに国民的英雄の「赤穂浪士討ち入り」事件。何故、この討ち入り事件が「名こそ惜しけれ」の坂東ではなく、その対局の上方圏(?)、播磨国赤穂の浪士によってなされたのでしょうかね。

近藤勇さらに下って160年後の幕末の新撰組、戊辰戦争(鳥羽・伏見の戦い)以前の5年間での内部の死者:45名の内、倒幕志士との戦闘による死者はわずか6名、ほとんどが、近藤勇の「士道不覚悟」の一言で粛清されたもので、敵よりも同志を殺した数のほうがよほど多かった狂気の集団でした。司馬に言わせれば、ロシア革命における労働者出身の革命家のごとく、当時の武士ならばとうてい思いもつかない陰険な手段を用い、美意識は武士だがやることは武士ではない、先祖伝来、地頭に支配されてきた階級の出身者に特有なもの、とは手厳しいですが全くの同感です。

彼等の行動には武士階級、選ばれた階級ゆえの負うべき義務や責任は感じられません。

近藤勇は「名こそ惜しけれ」の坂東武蔵国多摩郡の出身。またまた、私の家から遠くない、小野路という場所に出入りしていたそうで、あまり好きな人間ではありませんが、縁がありそうです。

 参考資料:「東と西の語る日本の歴史 」 「この国のはじまりについて―司馬遼太郎対話選集〈1〉 」

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April 12, 2013

ガラケー

iPhone 5「ガラケー」…、「アキバ系」と同じく、新しく生まれたアイドル、ゲーム、お笑いのジャンル、領域なのか…、と思いきや、これが「ガラパゴス・ケータイ」の略で「日本で独自に進化したケータイ」の意味だそうですが、もう少し上品な響きにして欲しいものです。スマート・フォンの普及で、それまでのi-モード初め日本における独自の進化と区別するための新語です。

日本の独自の進化=ガラパゴス化、これは別にケータイに限ったことではありません。日本の歴史・文化そのものが独自の進化をして来たガラパゴスで、その中核・核心をなすのが日本語という言語です。地理的にはユーラシア大陸の東端、東アジアに在って、巨大な中国文明の恩恵を被り、恩恵は被りながらも中華冊封体制から離脱、以降、独自な文明を築いて来ました。

中国文明の恩恵は、朝鮮半島を経由して、中国の文字と書物である、漢字と漢文という形でもたらされました。実際に日本人が日本語の表記に漢字を使用し始めたのは6世紀に入ってからのことです。言語学的には、中国語は孤立語で日本語は膠着語(膠(にかわ)でくっつけるの意)、全く言語体系が異なります。日本人は、行きつ戻りつ、日本語に作りなおして読むという方法は日本語史上最初の大発明でした。千数百年にも渡り、この方法で、欧米人にとってラテン語に当たる中国の古典を学んだのです。「読み下し文」という方法は文章としての日本語を誕生させ、ついには日本文学史上最高の傑作とされる『源氏物語』を生むことになります。

「一所懸命」の通り、開拓者・耕作者に依る土地所有は合理主義を産み、鎌倉幕府による武家社会が始まった。以来、明治、近代国家に至るまで、この武士社会は約7百年続くことになります。朱子学者にして、対馬藩に仕えた雨森芳洲(1668〜1755)は新井白石(1657〜1725)を相手に、王のもとに、文官が支配する朝鮮は「王道」であるが、徳川幕府(中央)と藩(地方)、武官が支配する体制は「覇道」である、と喝破した通り、日本は中国・朝鮮とは全く異なる武家社会を作り出し、江戸時代にはそれが決定的となりました。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神識字率は70%〜80%に達し、商品経済の発達はさらなる合理主義、現実主義を生み、文学ではこれを反映して井原西鶴(1642〜1693)が登場、学問は実証的となります。「覇道」の主体、人口の7〜8%を占める武士階級が租税徴収及び行政を担い、幕府・大名はともかく、農民・商人よりも貧しい中下級武士が多く存在した。知識階級である彼等は清貧で、自律的、潔く、下の階級からも尊敬されていました。武士だけではなく、多くの商人が知識階級として、自律的に、公共へ奉仕する、という現象が見られるのは、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に通じるところがあります。

ペリーの黒船来航、それ以降を幕末と呼びますが…、は日本の歴史においてまさに驚天動地。西洋の文明・学問が怒涛のように押し寄せ、アヘン戦争に負けた中国のように、日本も西洋の植民地になるのでは、という恐怖に怯えました。その対抗策である富国強兵の為には西洋文明:学問・法律・制度等々、日本には存在しなかったもの、概念など、広大な領域をカバーする多くの新しい語彙を造語しなければなりませんでした。津和野藩の蘭学者:西周(にし あまね 1829〜1897)は、例えば…、芸術・理性・科学・技術・心理学(では意識・知覚・感覚・理性)・論理学(では帰納・定義・総合・分解)・哲学(では客観・主観・抽象・概念)…を造語しました。西を始めとする先人たちは怒涛のように押し寄せて来る西洋語の意味を深く吟味し、それを日本語に訳することを思いついた。日本語史上二番目の大発明でした。これは、千数百年前中国から漢字を取り入れて以来、「訓読み」で文字の持つ意味、「読み下し文」で文章の意味を理解する日本人ならではの発想でした。

「Republic」は、日本製漢語では「共和国」ですが、中国語では「民国」と訳されました。「辛亥革命(1911))で「中華民国」が建国されますが、これは中国語訳です。ところが、1945年、日本の敗北によって第二次大戦は終了、中国共産党は国民党に勝利して、1949年、「中華人民共和国」を建国、採用された「人民」、「共和国」は日本製でした。日本からの独立を果たした朝鮮半島では、北側は「朝鮮民主主義人民共和国」、「人民」、「民主」、「主義」、「共和国」と、長い国名のほとんどが日本製漢語です。南の韓国では、台湾に逃れた「中華民国」と同じく、「大韓民国」と中国訳を使っています。

以前にも書きましたが、中国系マレーシア人の知り合いから、「日本人はどうやってハリウッド映画をみるのか?」と聞かれて私にはショックでした。インドネシアではマレー語で書かれた書物も少なく、インド、東南アジアでも似たようなことが言えるようで、高度な概念を表す自国語が存在しないのか…、大学に於いてその内容を自国語では講義出来ず、英語に頼らざるをえないという事情があるようです。

幸いなことに、二度の言語上の大発明を経て、日本人は大した抵抗もなく近代社会に入ることが出来ましたが、同時にその大発明はあくまで「読み書き」、優れた言語故に残念ながら「聞く・しゃべる」能力を退化させたようです。東南・東アジア文明にも入れてもらえず、百年前に福沢諭吉の唱えた「脱亜入欧」も実現せず、孤立する日本、友人もいません。日本語が如何に優れた言語にせよ、残念ながら、英語のように世界言語にるのは不可能でしょう。

暗い話になって行きそうで…、もう止めます。私も、最近、あこがれのiPhone5を手に入れました。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神〈上巻〉 (1955年) (岩波文庫)

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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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