ライン川

February 17, 2020

日本海に至る大運河 - 淀川(その1)

石の宝殿
 学生の頃、兵庫県高砂市、生石神社(おうしこじんじゃ)のご神体、「石の宝殿」と呼ばれる巨大な石造物を訪れたことがあります。どこかで見たような…、それは小学生時代、遠足で行った奈良県明日香村で見た石像物群でした。ただ漠然とした類似性を感じたにすぎませんでしたが、後に、「トンデモ本」だったのかも判りませんが…、その本曰く、「石の宝殿」は海路、瀬戸内海を東進、大阪湾を横切り、益田岩船大和川から飛鳥川を遡って明日香村に運ばれる構想だったが、「石の宝殿」はあまりにも重く、横倒しの状態の石造物を起こすことも出来ず、いわんや海上・河川の輸送も不可能、身動きできないままに放置された、というものでした。
奈良・桜井の歴史と社会

 馬鹿げていますが、高砂市「石の宝殿」と明日香村石像物群の類似性の言及が私と同じであったこと、そして両地点の距離約120kmのほとんどを海上・河川輸送するという発想には驚きました。古代ローマ人は地中海を中心に徐々に領土を拡大、ヨーロッパ大陸においてはライン川とドナウ川を結ぶ線の内側をローマ帝国領土とし、外(北)を化外の地としました。後に、化外の地に住むゲルマン人が侵攻(第1次ゲルマン民族移動)、西ローマ帝国は滅亡(476)します。9〜11世紀、ゲルマン人の一派、北欧のバイキング(ノルマン人)が北海・バルト海だけでなく、セーヌ川・ライン川・エルベ川に、9世紀初め、同じくバイキング(ノルマン人)によって、「ヴァリャーグからヴァリャーグからギリシャへの道ギリシャへの道」と呼ばれるバルト海と黒海を結ぶ交易ルートが開設されました(第2次ゲルマン民族移動)。もしかすると…、ライン川上流からドナウ川までを陸路で移動、ドナウ川を下って黒海に進出したノルマン人が存在したかも知れません。現に、現在は「ライン・マイン・ドナウ運河」で北海と黒海は繋がっています。

 ライン川はトマーゼ湖に端を発し、ロッテルダムで北海に注ぎ、全長:約1,400km - 標高:‎1,602m 勾配:1.14/1000。一方の淀川水系、余呉町栃ノ木峠を発し、琵琶湖を経て大阪湾へ注ぎ、全長:約170km - 標高:540m 勾配:3.17/1000。

  ヨーロッパの代表的な河川としてライン川は淀川水系を比べると…、全長が8倍が、標高が3倍、勾配は1/3しかなく、言い換えれば、標高は高いが全長も長く、滔々とした流れのライン川と比べると、日本の多くの河川は、淀川水系を例外に、高い脊梁山脈により日本海・太平洋に急峻に注ぎます。明治保津峡 角倉了以時代、オランダ人技師、ヨハニス・デ・レーケはこれは川ではない。滝だ。と言ったと伝えられています。ヨーロッパ、アメリカ大陸の河川は上のライン川の例にあるように勾配が緩く、川幅もあり、ゆったりとした流れが上流まで続くので、かなり上流まで帆走することも可能です。一方日本国内では比較的勾配の緩い淀川でさえ、遡行するときに、順風の時は帆走したが、逆風等ほとんどの場合は、沿岸の土手より長い綱で川舟を曳いて航行する曳舟が行なわれていました。 ※「日本海に至る大運河 - 淀川(その2)」に続く。

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express01 at 22:52|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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