ビートルズ

April 22, 2015

思い出の渚

 高校時代は兵庫県伊丹市に住み、2年生になると、理科系・文科系と、進路ごとにクラスが別れ、私は家族の期待を裏切って、文科系進路のクラスに入ることになりました。以降、卒業までの2年間、同じクラスで過ごすことになりますが、男子3人(あるいは4人)+女子2人の仲良しグループが出来上がり、何かと一緒に行動するようになりました。グループが出来上がった理由の一つが「音楽」で、その内の男子1人は、私と同じ中学校出身で、ビートルズの日本公演には、往復はがきでチケット購入に応募して当選しました。残念ながら、チケット代に加えて東京までの旅費・宿泊代を工面出来ず断念はしましたが…、ビートルズの熱狂的なファンでした。
 
 私は、彼ほどにはビートルズのファンではなく、ヨーロッパよりもアメリカの音楽、早い話が「アメリカかぶれ」、このブログで幾度となく紹介しているように、ビーチ・ボーイズのファンでした。ビートルズにせよ、ビーチ・ボーイズにせよ、世界の大衆音楽の頂点に立つバンドで、彼等を追いかけるように、日本でもスパイダーズ始め、多くのバンドが結成される、いかにも日本人が名づけた…、「グループ・サウンド」全成の時代でした。

思い出の渚 受験勉強に専念するように…との配慮か、学校行事の多くが前に、前に実施されるようになり、2年生の終わりか、3年生の始めに九州への修学旅行があったようです。大阪港天保山から九州へ向かう関西汽船、往路の夜景か、それとも復路の景色だったのか、皆んなで眺めている時に船内に流れていたのか、皆んなで歌ったのがワイルド・ワンズの『思い出の渚』でした。

 ワイルド・ワンズとは、加山雄三が名付け親で、マーロン・ブランド主演映画:『乱暴者』の原題:『THE WILD ONE』からの借用と思われますが、映画の内容は後の『Hells Angels』につながる暴走族の話で、加山雄三のひと世代前、石原慎太郎の『太陽族』(その弟:裕次郎主演で映画化)と同時代の映画でした。石原慎太郎の『太陽族』〜加山雄三〜ワイルドワンズに始まった「湘南」サウンド、「輝く太陽と青い海」の湘南大衆文化は、兵庫県伊丹市に住む高校生には大いに魅力でした。

 ビートルズの熱狂的ファンだった彼は既にこの世にはなく、見ることが叶わなかったビートルズのメンバーの一人、ポール・マッカートニーの大坂公演の日、ワイルド・ワンズの加瀬邦彦さん死去のニュースでした。

 ご冥福をお祈りします。

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September 21, 2014

ノルウェイの森

 洋楽かぶれの私はラジオの深夜放送をよく聞きましたが、そのころはまだパーソナリティという職業(?)は未だなかったでしょうが、音楽評論家なる職業の人が現れた時代です。湯川れい子と同じく彼もその走りでしたが…、福田一郎(故人)がサイモンとガーファンクルを紹介するのに、彼等のデビューヒット:『Sound Of Silence』を、何を勘違いしたのやら…、『サイレンの音』」と訳したのには当時中学生(?)だった私も呆れてしまいました。似たような話で、『Bank Of Ohio』(古いバラッド ジョーン・バエズも歌っていた?)を『オハイオ銀行』」と訳した人がいたが、実は『オハイオ川の岸辺に』でした、とはバンドのNobuさんから聞いた話です。

 似たような話で、ビートルズの『Norwegian Wood』、邦題:『ノルウェイの森』は当時東芝でビートルズ担当のディレクターが意味をとり間違えて付けたそうです。私などは、6?の今日まで、『ノルウェイの森』の訳に何ら疑問を感じませんでしたが、語学的には全くおかしいそうで、「森」ではなく、正しくは「ノルウェイ産の材木、それで出来た家具(部屋)」だそうです。早い話が「ベニヤ板でできた家具(部屋)」、これでは詩にはならないでしょう。訳が正しい、間違いはともかく、断固として、「ノルウェイの森」でなければなりません。

 〜 禁煙のサインが消え,天井のスピーカーから小さな音でBGMが流れ始めた。
それはどこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズの『ノルウェイの森』だった。 〜 

 同世代の村上春樹のベストサラー小説の一場面、学生時代より英語に接して来たそうですが、同じく、何の抵抗もなくその曲を『ノルウェイの森』と呼ぶだけでなく、小説のタイトルそのものに使っています。

 ビートルズの『Norwegian Wood』の一節…

 〜 Isn't it good, Norwegian Wood 〜 は当初 〜 Isn't it good, knowing she would 〜 だったそうです。

 「彼女がヤラせてくれるのが判っているなんてイイねえ」とは、未だアイドル色を色濃く残す彼等には極めて不適切、ということで音・響きのよく似たNorwegian Woodになった、という説に始まり、ボブ・ディランの影響、マリファナ、セックス、ジョンの浮気など…、枚挙に遑がありません。お好きな人は、どうぞSONGFACTSlyricinterpretationsを御覧ください。マニアックですよ。

TheBeatles-RubberSoul そんなことよりもビートルズが偉大だったのは、この『Norwegian Wood』も入っているアルバム:『Rubber Soul (ラバー・ソウル)』が従来のアルバムの概念を替えてしまったことでしょう。ボブ・ディランの『ブロンド・オン・ブロンド』に触発されたというこのアルバム、まず最初にこのアルバムタイトル、ビートルズ初めイギリスのバンドが、アメリカ黒人ミュージシャンから「Plastic Soul」、「まがいもののソウル、ソウルもどき」との酷評に対する彼等の皮肉を込めた自信の表れが感じられます。アメリカのアルバムといえば、員数合わせのような、単に10〜12曲の詩を何の脈絡もなく並べたものでしたが、『Rubber Soul (ラバー・ソウル)』はコンセプトアルバムであり、彼等が既にアイドルの域を抜け出し、バンドの各人がアーティストとして確立されています。ビーチボーイズのブライアン・ウイルソンはこれに大きな影響を受け、アルバム:『Pet Sound ペット・サウンズ』(1966)を制作します。

 Kunさんが皆さんの前で『Daydream Beliver デイドリーム・ビリーバー』を歌ったのが2010年9月23日、あれから早4年、久しぶりに彼が新曲?:『Norwegian Wood ノルウェイの森』に挑みます。
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August 19, 2014

Back In The USSR

 一人よがりな選曲はダメ、お客さんが知っている曲が一番との昨年末のライブの反省を踏まえ、新たに練習を始めた矢先、Maruさんがバンドを辞めてしまったのでした。そうこうしている内に、今度は私が住む団地の管理組合(兼自治会)の副理事長に選任されてしまい、今までの不勉強を償う事もあって、これに費やする時間も多くなり、自ずとバンド活動が疎遠になる傾向になって来たことも事実です。私は管理組合理事会に参加しなければならず、Nobuさんは他のカントリーバンドにも参加(ペダル・スチール)、Kunさんはまだ現役、と時間の調整が難しく、先日のバンド練習は前回から1ヶ月も過ぎてしまっていました。

Back in The USSR 次の新曲は何?…と注目されるところ、Nobuさんの回答は『Back In The USSR』でした。おなじみビートルズ、ポール・マッカートニーの曲、我々世代以下の人であれば殆どの人が知っている、あるいは、〜ばっくいんざゆーえすえすあーる〜の部分は耳にしたことがあるはずです。

 ビートルズの曲には、嘘か誠か、多くのエピソードが語られているのでインターネット上で探してください。パロディだらけのこの曲は1968年の作、世界に冠たる航空会社:BOACもパンナムも今はもうありませんが…、当時、米ソは冷戦の真っ只中、007ジェームス・ボンドが活躍する時代でした。

 〜〜〜 マイアミビーチをBOACで飛び立って、明日の朝には何年も離れていた懐かしの故郷に帰れる、という気分の高揚故か一睡も出来なかったが、やっと戻ってきたよ、うれしくてしょうがないよ、判るかい、ソ連に戻ってきたよ。 〜〜〜

 そうです、彼は007ジェームス・ボンドに対抗すべく、アメリカに潜入、市民としてで極秘活動していたソ連の秘密諜報員が、その任期を終えアメリカを脱出、故郷に生還を果たす。搭乗したのが英国のエアライン機内で逮捕されるかも…という恐怖から眠れなかった、とは私の解釈。如何でしょうか? 

 チャック・ベリーの『Back In The USA』をもじったものらしく、対抗意識のあった?ビーチ・ボーイズの『カリフォルニア・ガール』風のバックコーラス、そのビーチ・ボーイズの『サーフィンUSA』の元歌がチャック・ベリーの『Sweet Little 16』であったというから三つ巴の様相で、チャック・ベリーがロックンロールの神様と言われる所以です。

 USSRとはUnion of Soviet Socialist Republicsの略、通称はSoviet Union。ソ連は徐々に衰退、1985年ゴルバチョフはペレストロイカ(一定の範囲での自由化・民主化)、グラスノスチ(情報公開)を推進しますが、1986年チェルノブイリ原発事故が発生、これを官僚が隠蔽する事態となり、より一層のペレストロイカが進み、1991年遂に崩壊することになります。ソ連時代は頑強な一枚岩に見えたウクライナとロシア、しかし実はロシアがウクライナの天然ガスの供給源を握っており、ウクライナ政府はエネルギー不足と財政難で、チェルノブイリ原発をそのまま使わざるを得ず、それが退役したのは事故が発生してから10年後の1996年のことでした。現在進行形のウクライナ・ロシアガス紛争で、ウクライナは被害者面していますが、過去に何度も代金未払い・ガス抜き取りを行っていることも見逃せません。

 〜〜〜 ウクライナ娘にはほんとにノックアウトさ、西の女なんか目じゃないよ、モスクワ娘を目にすると歌いたくなるよ、Georgia's always on my my my my my my my my my mind …って。 〜〜〜

グルジア_Georgia  そのGeorgia's on my mind 、なんでここでホーギー・カーマイケルの『我が心のジョジア』が出てくるの…、と思ったりしたのですが、今回ロシアがウクライナから奪取したクリミヤ半島のある黒海、その東岸にGeorgiaとあり、どう見てもジョージア、日本語で言うグルジアで、ロシア語読みに由来するそうです。因みに、『我が心のジョージア』のそれはアメリカ東海岸にの州、コーヒーのそれはコカコーラ社の本社があるアトランタがその州都故、1762年、この土地を植民地としたジョージ6世の名前に由来します。

 2008年、グルジアからの独立を主張する同国北部の南オセチアをグルジア軍が攻撃して始まった「南オセチア紛争」、以降、グルジアとロシアは断交しています。駐日グルジア大使館・日本グルジア文化協会によると、グルジアの守護聖人である聖ゲオルギウス、英語のSaint Georgeに因んでいるそうで、やはりグルジアの英語名は Georgiaなのです。因みに、にグルジア語ではグルジアをサカルトヴェロ(Sakartvelo)というそうです。日本語では日本をNipponと表記しますが、英語ではJapan、同じくグルジア語でグルジアをSakartveloと表記するそうですが、英語ではGeorgiaです。

 音楽の話からどんどん逸れて行ってしまいそうです。左から右のスピーカーに流れる離陸するジェット機の爆音はありませんが、我々の新曲:『Back In The USSR』をお聞き下さい。

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June 24, 2014

思わず、「これだ!」…の新曲

 古い話ですが、オーストラリアに駐在したことがあります。ハーバー・ブリッジの北側、ノース・シドニーのビジネス街にあるビルの一角、日本人:3人、オーストラリア人女性:1人の小さな所帯でした。彼女は当時は50歳前後のイングランドからやってきたおばさんで、よく英語を教えてもらいました。赴任した当初、各地で行われる会議に出席するのですが、日本人は私だけ…、私に話しかける言葉は理解できるのですが、私以外は全てオーストラリア人の会議となるとなると話は別、議論に全く追て行けません。会議を録音させてもらい、それを持ち帰って聞くのですが、彼女には大いに助けてもらいました。

 小さな所帯ですので、少し大きな声を出せば全員に聞こえます。当初、彼女にお願いしたことがあります。人に尋ねる場合、言葉を発し、その末尾に人の名前、例えばDave、Mike、Ianを付けて、その人からの反応を待ちますが、その質問に上の空の場合、急に自分の名前が出て右往左往してしまうこともあり、それ以来、話しかけたり、質問する時は、まず最初に、先頭に私の名前を言ってもらうようにしました。

 似たような話で、私は当時も大の「洋楽ファン」、週末・休日に、あるいは出張中のレンタカーの中でラジオを聞くのですが、「これだ!」という新曲を発見(聞いたと)しても、もし、そのタイトルとバンド名が曲が始まる前に既に紹介されているのか…、その曲が終わった後に紹介されるのか…、はたまたそれがタイトルなのかバンド名なのか判りません。『Last Kiss』はそんな曲の一つでした(曲自体は50年代の曲)。

 この前の日曜日、バンドの練習場所のある狭山に向かうKunさんの車の中で、30年ぶりに、「これだ!」という新曲がラジオから流れてくるではないですか。幸いなこバンド名とタイトルとに、ここでは日本のFM放送、次々にかかる曲はアメリカのヒット曲ですが、それを紹介するのは日本語です。30年ぶりに耳にした「これだ!」という新曲、そのタイトルとバンド名は曲が終わってから説明と共に明らかにされました。やはり、日本語はありがたい。

"Don't Know What It Means" by Puss 'n' Boots 
 覚えておられますか? 私の好みは「カントリーぽぃロック」、いわゆるポピュラー・ミュージック業界でカントリーと云えば、今や完全に「古典芸能」、そんな風潮の中で、流れてきた「カントリーぽぃロック」に思わずボリュームを上げてしまいました。説明を聞くと、ノラ・ジョーンズの組んだ新しい3人組女性バンド、さもありなん…、とばかりに納得してしまいました。ご存知かもしれませんが、彼女の父親がビートルズのジョージ・ハリソンにシタールを教えたラビ・シャンカールです。40年前(?)のビートルズの「ノルウェイの森 Norwegian Wood」ではシタールが効果的でした。
 
 機会があれば、この新旧の二曲、我々もやりたいですね。英語に始まり音楽の話になってしましました。

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November 16, 2013

Paul, Get Back to Osaka

paul in japan普段、年賀状のやりとりだけの高校時代の友人から興奮気味のメールをもらいました。ポール・マッカートニーが『OUT THERE TOUR』で来日、彼は11月12日、京セラドーム大阪でのコンサートに行ってきたそうです。アコースティックによる『Yesterday』に感動、20曲以上が一緒に口ずさめる曲に感激、その興奮も冷めやらぬ次の日、思い余って…、メールを送って来たのでした。遠い昔、もう一人の友人にビートルズのLPレコード(アルバム)を借りて聞いたことを懐かしく思い出し、そうだ、イサオはどうしてる…ということになったのでしょう。

The Beatles in Japanビートルズが初来日したのは1966年(昭和41年)、17歳、高校2年生の時、今から47年前、約半世紀前とは、めまいするぐらいに気が遠くなるような昔の話です。
今回ポールのコンサートに行った彼ともう一人友人がいました。私とは中学も同窓で、その当時から電気カミソリを使うぐらいに髭が濃く大人っぽいにも拘わらず、生まれながらに心臓に問題があり、それが原因か…、今から十数年前に亡くなった友人:Hがその人でした。私を含めた3人は音楽でつながっていたように思えます。

髭が濃いだけじゃなく、当時興隆し始めた学生運動にもどこか傾倒していた節もあり、こと音楽に関しても単なる知識だけではなくもっともな理論は大いに大人を感じさせるものでした。ビートルズの楽曲に関する知識も豊富でした。驚いたのは、ビートルズ来日は東京公演一夜のみでしたが、そのチケット購入は往復ハガキで申し込み、抽選によるものでしたが、彼は「購入OK」のハガキを受け取り、興奮していたのを覚えています。残念ながら、東京までコンサートを見には行かなかったのですが、彼のビートルズに対する熱意は私など足元にも及ばないものでした。

正直言いますと、私はそれほどビートルズが好きではありませんでした。同時代に現れたビーチボーイズ、ボブ・ディランに惹かれ、The Byrdsに始まり、受験時代はC.S.N.Y.、大学時代はThe Band、最後はThe Eagles、〜Westcoastぽい、Countryぽいロック、今の言葉で…Roots Music〜のままで現在に至っています。

ビートルズだけではなく、その彼はその東京公演の前座をつとめたスパイダーズのファンでした。クラス担任の先生は国語が専門でしたが、話が短歌に及び、先生が上の句を読み上げ、下の句をその友人:Hが答えて、〜〜○ ○ ○ ○ ○ ○ ○夕日がないてる〜〜。学生は喝采、先生が無口になったのをおぼえていますが、その先生も今はいません。

今回ポールのコンサートに行った友人は音楽教室に通いギターを再勉強していると聞きます。私も、キャリアの長さだけは相当なものですが、技量はほとんど当時のままです。いつかもうすぐ、一緒に歌い、語りたいものです。その当時の女の子も参加してもらえればなおよし…。

※朝のテレビ番組:『ヤング720』で見たこの映像は今も記憶に鮮明です。


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October 11, 2012

散歩の途中<1>

ステージに上がった30分の持ち時間に備えて、少なくとも<イントロ >→< 間奏 >→< エンディング>の部分がピシッと決まった持ち歌を10曲確保することを目標に練習しています。…と、準備だけは進めているのですが、残念ながら今のところ、そのステージの話はありません。その進捗状況は、左コラムのミュージック・プレーヤーでお聴きください。新曲がないので、当面は音楽に関する記事も期待できないかも知れません。

10月5日、ビートルズが最初の大ヒット:『ラブ・ミ・ドゥ Love Me Do』の50周年記念行事がニュースで流れていました。これに便乗して音楽関係のブログを書こうか…とも思ったのですが、当時からこの曲があまり好きではなく、曲は知っているが何の思い出もなく、書かず終いになってしまいました。

音楽関係の記事は横へ置いて、その他の話題に…、また歴史の話か、と言われそうですが、今回は、この夏から始めたスケッチ、最近、「散歩の途中」で描いた絵をご覧にいれましょう。

2012.09.18 東京都町田市と神奈川県相模原市の境を流れる境川、この橋を渡ると相模原市です。この境川を下ると、大和・藤沢と通って江ノ島に至ります。この辺りは古くから集落があったようで、この大きな木立も古い集落でしょう。→『俺は相模の『原』だ!』『縁切り榎とわかれ橋』『バイクは好きですが、タイツ姿がどうも…』
散歩の途中_120918

2012.09.26 小山田の谷戸田、稲の刈りが終わりました。東京都がその景観を保存している里山。見方を替えれば…、近代の発展から取り残されたような、懐かしい風景です。近くには、小山田有重の居城跡:大泉寺、鶴見川の源流、東京都が管理する小山田緑地、幕末、近藤勇も訪れた小野路がつながっています。→ 『小山田の谷戸田(やとだ)』『忠生( ただお)、極めてローカルな話ですが…』『あ〜あ〜、川の流れのように…』
小山田稲刈り_120926


2012.10.02 小山田有重の妻を祀った(?)、小山田神社の石塔。回りは蓮田、8月には一面に開花が見られます。
小山田神社_20121002

2012.10.08 小山田桜台、尾根道近くの公園。
散歩の途中_121008

私が始めてビートルズのレコードを買ったのは、次のヒット:『プリーズ・プリーズ・ミー Please Please Me』、東芝= Odeon、340円(?)でした。あれから50年、ビートルズを生んだイギリスはますます普通の国になりました。翻って日本、坂の上の雲に届いたのはほんの一瞬、その後は下り続けて30年、日本は世界に何を遺産として残したのでしょうか。「かわいい」漫画文化だけ…? 少し憂鬱になっていたところに、飛び込んできたのが山中教授のノーベル医学生理学賞受賞のニュース。ちょっと、元気になりました。

eyecatch_amazon_2文房具:スケッチブック 本:スケッチの描き方 

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September 14, 2009

アサイラム ASYRUM RECORDS、 黄金の1970年代

odeonビートルズのレコードを初めて買った曲は 「Please Please Me」だったような気がします。当時は、APPLEではなく、まだODEON でした。その前後に(どちらが先であったかは忘れましたが)ビーチボーイズの「Surfin' capitolUSA」を買いましたが、彼らはCAPITOL 、どちらのレーベルも東芝レコードから販売されていました。少年であった私にはこの東芝レコードがあこがれの会社に映ったもので す。

ギターを楽しんでいますが、以前、その相方とその当時の話になり、彼は就職に際し て、東芝レコードかどうかは忘れましたが、レコード会社に会社訪問をしたそうです。人事担当者曰く、「勘違いしてもらっては困ります。ミュージシャンでは なく、レコードを売ってくれる営業マンを求めているのです…」。二人は関東と関西、育った環境も違うのですが、出会ったのは、音楽とは全く関係ない商社に 入社してからのことです。

もう一つ気に入ったレーベル、アサイラム(ASYLUM )がありました。Asylumlogo
まず、個人的にこの「アサイラム」という響きが好きで、「避難,亡命,保護、(亡命者な どの)保護施設、聖域、」の意、ますます好きになってしましました。

余談ですが、これに類似したレーベルでSHELTER  とShelterlogoいうのががありました。確か、レオン・ラッセルがそうだったと思うのですが…。

ロサンゼルスは1930年代 から映画産業の中心地でしたが、ビーチボーイズのCAPITOL Recordsも1942年の設立で音楽産業の中心地としても興隆してきましたが、やはりニューヨークにはかないませんでした。しかし、1970年代に入 ると、ニューヨークは景気の悪化、犯罪の増加、音楽スタジオの老朽化により、ミュージシャンには居心地の悪い街になってしまいました。一方、ロサンゼルス は冷戦下、地場の航空機産業が活況を呈し、流行・文化と繁栄の街を謳歌することになります。

ビートルズの 「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」は他のミュージシャンに多大な影響を与えますが、これを転機に、ロサンゼルスを拠点とするカントリーロック、「シンガー&ソングライター」の時代に入ります。

彼ら、ニューヨークのミュージシャン難民を受け入れたのがアサイラム(ASYLUM)でした。東海岸から多くのミュージ シャンをロサンゼルスに導くことになります。ジャクソン・ブラウン、JDサウザー、リンダ・ロンシュタット、ジョニー・ミッチェル、トム・ウェイツ、ニー ル・ヤング、クロスビー、スティルス、ナッシュ等そうそうたる面々です。

もう一人忘れてはならないのがグレン・ フライ。アサイラム(ASYLUM )は彼にドン・ヘンリー、バーニー・リードン、ランディ・マイズナーと共にイーグルス(Eagles)の結成を薦めるので す。

ロサンゼルスがアメリカ音楽産業の首都であったのは1970年代、この10年間だけでし た。

レコード会社への就職をあきらめた相方(あいかた)と二人でイーグルスのデビューヒット:「Take It Easy」をやります。いつもながら、お聞き苦しいところはどうぞご容赦ください。



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October 30, 2008

マッチボックス Matchbox

ビートルズ、1964年のヒット(?):「マッチボックス」をご存じ、あるいは覚えておられますか?リンゴ・スターが歌っているのですが、どうもジョンやポールに比べると下手でした。「この曲をやろう」、ということになり、その結果がこれです。リンゴへの評価:「下手でした」は、我々と比較する限り、もちろん撤回せざるを得ません。



曲は知っていましたが、「下手でした」の印象の通り、全く興味もなく今に至っていました。モノ知りの相方(あいかた、友人)から、これがカール・パーキンス 「マッチボックス」のカバーということを初めて知りました。元来、この手の、いや失礼、古くはRockabilly(ロカビリー、既に古典芸能の感がありますが…)から始まるRock'n'Roll(ロックンロール)には、またまた失礼ながら、「教養?」というものが感じられず、あまり好きにはなれませんでした。

カール・パーキンスはデビューしたばかりのエルビス・プレスリーの歌をラジオで聴いて、「メンフィスには俺の音楽を理解する人がいる」、とあの伝説的なサン・スタジオ(SUN STUDIO)の門を叩きます(…道場ではありませんが…)。

彼の父親が自分の聞いたことがある曲をカールに奨めたのが「マッチボックス」でした。1956の録音、翌1957年の発売され、カントリーとポップチャートで上位を記録するヒットとなります。その後、ラジオからテレビへの移行時期とも重なり、不幸な事故が続いた為か、スターダムにのし上がることはありませんでした。失礼を繰り返しますが、あのいかにも土臭い、決して上品とは言い難い顔つきがテレビ時代に災いしたのではないか…と個人的には思っているのですが、傑作:「ブルースゥエードシューズ」を世に出したことは特筆すべきです。彼の歌っているのは知りませんでしたが、エルビス・プレスリーが歌って大ヒットしたことは私も知っています。

ここまではほとんど相方(友人)からの受け売りですが、最近、私にとって、新事実を発見しました。

さて、カールの父親が聞いたことのある、そして彼に奨めた「マッチボックス」は誰の曲だったのでしょうか?

ブラインド・レモン・ジェファーソン("Blind(盲目の)" Lemon Jefferson )、彼は1920年代、最も人気のあったブルースマンであり、以降「テキサス・ブルースの父」と呼ばれています。彼の音楽スタイルは彼独特のもので、同時代の若いブルースマンには影響を与えませんでしたが、後のブルース、ロックンロールミュージシャンは彼の曲及びスタイルを真似るようになります。彼の曲:「マッチボックス Matchbox Blues」はカールに受け継がれ、次いでビートルズに受け継がれることになります。

お聞きいただいた我々の「マッチボックス」に至るまで80年が過ぎている事になります。日本で言えば大正から昭和にかけて、80年前の歌、そんな時代の歌謡曲を今、誰が歌っているでしょうか。
Enjoy Texas Music license plate
テキサス州には「Enjoy Texas Music license plate」と呼ばれる車のナンバープレートがあるそうです。州政府により販売されており、それに含まれる寄付金が音楽教育振興の為に使われています。日本もちんきな「・・−・1」とか「88−88」ではなくて、このぐらいの事をやれば如何…? 描かれているのはブラインド・レモン・ジェファーソンです。

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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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