チャウシェスク

June 03, 2009

ラテン系? ルーマニア

「ラテンのリズムに乗って〜」とか「ラテン系のように〜」という表現は、「情熱的な」、「明るく、陽気な」…と、中南米の文化に対するイメージなのでしょうが、「ラテン系」とは本来、ラテン語を起源とする言語を母語とする人々、およびその文化を指します。

ローマの文字を「ローマ字」と呼びますが、その言語は「ローマ語」ではなく、「ラテン語」と呼ぶのは妙な感じですが、言語学という専門領域では、西ローマ帝国崩壊(476年)の頃以降、ラテン語の口語体を総称して「ロマンス諸語」と呼ばれ、イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、そしてルーマニア語がそれに含まれるそうです。                            

「ルーマニア語もラテン系?」と少々違和感を感じますが、コマネチその名の通り、ルーマニア(Romania)は「ローマ人の土地」、正真正銘の「ラテン直系」ということになります。私の知っているルーマニアといえば、共産主義時代の独裁者:チャウシェスク(1989年処刑)、1976年モントリオールそして1980年モスクワオリンピック体操で金メダルを獲得したコマネチはなじみ深いのですが、その彼女はチャウシェスク共産主義政権を嫌ってアメリカへ亡命していまします。

ドラキュラ遠くは15世紀、オスマントルコと戦った救国の英雄:ヴラド・ツェペシュ公、後に残酷非道な「串刺し公」と吸血鬼伝説と合体して「ドラキュラ」のモデルとなります。これらが、「情熱的で、明るく、陽気な」というラテン系に冠せられた形容詞とは全く相容れない「暗い」イメージをルーマニアに与えています。

ラテン系の多くがローマ・カトリックで、彼らは16世紀に始まる大航海時代、これに続く植民地獲得競争はこれらラテン系言語(ローマン諸語)をアフリカ、新大陸(南北アメリカ大陸)そして東南アジアへ拡げます。一方、ルーマニアの属する東ローマ帝国の国教は「東方正教会」でした。ラテン系の中でルーマニアが唯一「東方正教会」に属し、彼らが新世界につながる大西洋に面しているのと対照的に、ルーマニアはローマ帝国の東端、地理的にはアジア、文化的にはイスラム教と対峙、ルーマニア語だけが孤立することになります。

1453年、首都コンスタンティノープルが陥落、東ローマ帝国は滅亡、代わってオスマン帝国がバルカン半島を支配、ルーマニアはオスマン、ハンガリー両帝国による支配が第一次世界大戦の終わる1918年まで続くことになります。アジアとヨーロッパ、イスラム教とキリスト教、後には南進するロシア帝国による支配、ソ連による共産主義国家の成立と、異質な文明・イデオロギーを持つ帝国間の抗争に翻弄された歴史でした。これが「異質なラテン系」:ルーマニアのイメージの背景にある根本原因であるように思えます。

古代ローマ五賢帝の2人目、トラヤヌス(101年 - 106年)はこのバルカン半島北東のこの地に遠征、ローマ帝国の属州:ダキア(Dacia)とし、ローマ帝国最大版図を築きました。彼の名は現ルーマニア国歌にも登場するそうで、彼らは正真正銘の「ラテン直系」なのです。
Dcia














次の皇帝:ハドリアヌス(117年 - 138年)の築いた「「ハドリアヌスの長城 Hadrian's Wall」」を訪ねることができましたが、もし機会があれば、ローマ帝国北東の防衛線の環(リム Rim)、同国を流れるドナウ河にも訪れてみたいものです。

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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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