ザビエル

March 14, 2017

 くどいですが、『沈黙』

 ザビエルは1549年に来日、日本での布教が始まりました。信長は仏教勢力への対抗勢力としてキリシタンを保護、後を引き継いで覇権を握った秀吉の時代、「バテレン追放令(1587)」・高山右近のマニラ追放(1588)があったものの、キリシタンが興隆を極めました。関ヶ原敗軍の蜂起「島原の乱(1637-1638)」が勃発、より深い地下潜伏の時代に入ります。映画:『沈黙』は乱の再発に脅えた徳川政権直轄の長崎が舞台でした。

 日本の歴史を振り返ってみると、中国風(唐風)文化の影響が極めて大きかったのですが、平安の中期にると、中国文字(漢字)から平仮名・片仮名が発明され、漢字の訓読みが確立されたことにより、『枕草子』や『源氏物語』に代表される和歌・日記・物語文学が隆盛、寝殿造等の和様建築の登場など、中国風(唐風)文化の影響が薄れ、国風文化と呼ばれるものが誕生しました。武家政権が誕生し、新仏教が興隆した鎌倉時代、室町時代には貴族文化と武家文化の混合、明との勘合貿易により中国文化が流入、武士の保護のもとに禅宗が興隆、日本文化の源流と言うべき新しい文化(北山・東山文化)が誕生します。観阿弥・世阿弥父子は従来の猿楽・田楽を能楽に、能やその合間に演じられる狂言に大成。「もののあわれ」から「わび・さび」へ、寝殿造りから書院造りへ、畳・床の間・違い棚などの「和」の文化が生まれます。しかし、室町幕府の衰退とともに勘合貿易も衰退、日明貿易は堺の商人−細川氏、博多商人−大内氏が独占するようになります。

 1549年ザビエルが来日、その翌年、京・大坂布教を目的に堺にやって来ます。当時の堺は国際都市、商人(=文化人)に依る自由・自治都市はベニスにも匹敵したと言います。南宗寺(臨済宗大徳寺派)を中心に禅宗が盛んで、堺の町衆文化の発展に寄与しました。「ものの始まりなんでも堺」の通り、京と並ぶ文化の発信地でもありました。茶人でもあった日比谷了珪(ひびや りょうけい)が彼の世話をしたことによより次第にキリシタンへのめり込んで行くことになります。1561年、ヴィレラが堺に1年間滞在、1564年、アルメイダとフロイスがやって来て、了珪自らも洗礼を受け、日比屋家の人々も入信しました。了珪は堺における切支丹の先駆者であり、多くの茶人が彼にならって入信しました。 

 この頃、千利休が茶湯の世界に登場します。それほどの教養を必要としない茶道は戦国武将の間に流行し、信長の時代に入りこの「数奇の道」に入らぬ者は居ないほどのに盛況でした。千利休をはじめ、堺の納屋衆など町家出身の茶人が武将に混じって、最も活躍したのもこの時代で、信長とその後を継いだ秀吉が覇権を握った30年ほどの期間でした。奇しくも、と言うか「妙に…」、茶湯興隆の時代はキリシタン興隆の歴史に見事に重なります。これは単なる偶然ではないように思うのは私だけではないようです。

 武野紹鴎(たけのじょうおう 1502-1555)は「不足の美」(不完全だからこそ美しい)に禅思想を採り込み、日常生活で使っている雑器を茶会に用いて茶の湯の簡素化に努めた。紹鴎(じょうおう)に入門した利休は紹鴎の『詫び』の対象を茶室の構造、手前の作法、茶器全体の様式にまで拡大、禅の「枯淡閑寂」(これ以上何も削れない)の極限まで無駄を排除して、侘び茶を大成させました。村田珠光(むらた じゅこう 1422-1502)から100年が経っていました。

 小説・映画:『沈黙』の中のフェレイラ神父の言葉、「全てを腐らせてしまう底なし沼」はあくまでもキリシタン宣教師側、キリスト教徒側から発した言葉であり、どうも私には引っかかります。同時に、もちろん利休が侘び茶を大成させたことは疑問の余地がありませんが、ここに全くキリスト教の影響がなかったかと言えば嘘になるでしょう。
狩野内膳南蛮屏風_2
※画像をクリックすると、右端に居る老茶人が拡大されます。
 山田無庵(1947-1993)著『キリシタン千利休』は神戸市立南蛮美術館所蔵、狩野内膳の『南蛮人渡来図』右隻に描かれた老茶人から話しが始まり、この老茶人こそが利休であり、利休はキリシタンであった、それを理由に秀吉から切腹を命じられるが、利休の死亡原因は切腹(自害)ではなく<処刑>であったしている。<自害>だったのか…、<処刑>、あるいは関ヶ原前夜の細川ガラシヤ<介錯>の例のような形なのか、私には、どちらでも良いのですが、選ぶとすれば後者:<処刑>か<介錯>です。利休に同じく切腹を命じられた大徳寺古渓和尚は<自害>の意志を表明した途端に許されています。キリシタンは宗教上<自害>は禁じられており、<自害>したのであるから、利休はキリシタンではなかったというのが通説ですが、洗礼を受けているか否は別に、キリシタンであること、信仰・共感の深度、深いのか浅いのか、少なくとも利休はキリシタンに対して深い共感を持っていたものと思われます。蒲生氏郷、高山右近、細川忠興、芝山宗網、瀬田掃部、牧村利貞、古田織部、利休七哲と呼ばれる彼等のほとんどがキリシタン、あるいはそのシンパ・共感者であることを見ればそれは明らかでしょう。『キリシタン千利休―賜死事件の謎を解く』のご一読をお奨めします。

 平安時代、空海は唐で学んだ密教を持って真言宗を開き、最澄は天台宗を開き、鎌倉時代、新仏教と呼ばれる法然による浄土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗、時衆(宗)が誕生しました。その間、キリスト教者には信じられないでしょうが…、日本人は『神仏習合』、『本地垂迹』の方法を考えてそれまでやって来たのです。この時代、仏教僧、特に当時の禅僧が渡来の新しい宗教、それも幾つもの大洋を乗り越えてやって来たキリスト教に興味を持ちその教学を学ぼうとしたことであろうとは想像に難くありません。大徳寺和尚の文書・記録には改竄が多く、禁教令に備えてキリスト教関連の記述が削除されたのがその理由だそうです。

 利休は、村田珠光に始まる侘び茶を大成させました。しかし、キリスト教の伝搬がなければ、あるいは、彼が堺という国際、自由・自治都市に生まれなければ、そして禅宗という好奇心旺盛な仏教宗派がなければ利休の「茶湯」、ひいては今日言う「日本文化」も出来てはいないのではないでしょうか。利休を媒介に、禅宗とキリスト教が化学反応を起こしたのです。キリスト教には不幸な「底なし沼」ですが、蓮が泥水に咲くように、「日本文化」の重要な源泉の一つに思われます。
 ※参考:『キリシタン千利休―賜死事件の謎を解く

 p.s. 「3.11」から6年、神は沈黙を続けています。亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

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February 05, 2017

『沈黙』、全てを腐らせてしまう底なし沼…か

 明治以降、日本文化に果たしたキリスト教文化の影響は大きく、特に大学を頂点とする高等教育に多大の影響を与えました。戦後、映画・文学その他アメリカ文化の氾濫が見られましたが、例えば、クリスマス、バレンタイン・デイ、加えて、最近ではハロウィンやサンクス・ギビング(アメリカだけの習慣)などの習慣が商業主義的に定着されつつあるとは言え、その文化の根幹であるキリスト教の布教はむしろ失敗に終わったと言えるのではないでしょうか。 

 私は辛うじて戦後生まれの戦後育ち、学校で学んだ英語もアメリカ英語(?)、テレビ番組の多くは西部劇やコメディ・ドラマ、中学生に始まる洋楽偏向趣味はほとんどがアメリカから輸入されたキリスト教的価値・道徳に裏打ちされたものでした。同じ頃によく訪れた神戸三宮、トアロード、元町にかけて、ガード下に並ぶ店舗はリバイスのジーンズを始めアメリカくさい商品で埋まり、車窓に見える東灘区から芦屋・夙川に立つキリスト教会の尖塔の風景はエキゾチックなものでした。確かにアメリカ文化に傾いたが、それ以上のものでもなく、その背景にあるキリスト教に興味はあっても、その信仰そのものに向かうことはありませんでした。

沈黙_3 先日観た映画、『沈黙』。イエズス会フェレイラ神父が長崎で拷問を受けて転向・棄教したという衝撃的な報告を受けて、かつて彼の指導を受けた弟子達が、禁教下の日本に潜入して恩師を探し出します。

〜 この国は全てを腐らせてしまう底なし沼だ。この国にはどうしてもキリスト教を受け付けぬ何かがある。〜 

フェレイラ神父の発した言葉です。

 1549年、そのザビエルが日本に来訪してキリスト教が正式に日本に伝わります。それから約40年で(秀吉によるバテレン追放(1587))キリスト教徒数は20万人を越えています。以来禁教となり、1889年明治憲法下、制限付きながら信教の自由が明文化され、西欧からの技術・科学・文化とともに、これを支えるキリスト教も流入、1945年の敗戦と共に信教の自由が保障されたにもかかわらず、信者数の増加は見られません。465年前の当時の人口(12百万)の1.6%がキリスト教信者であったことに比べ、今日(2014)のカソリック、プロテスタント及び正教信者数が1百万と、人口のわずか0.8%に過ぎません。
 
 鎌倉時代、庶民には難解な密教の呪術性を徹底的に排除、国家権力(鎮護国家・貴族)の為のという旧来の仏教(6世紀仏教伝来以来の「南都六宗」に天台宗、真言宗を加えた旧仏教諸派)から決別して、個人の救済に専念したのです。従来、天台浄土教を信仰していた貴族・武士だけでなく、一般民衆にも急速に広がりました。文字を読めない、況んや難解な仏典を理解できない多くの庶民に対して、「ナムアミダブツ」と念仏さえ唱えれば…、あるいは「座禅」を組むだけで…、「念仏踊り」に身を委ねるだけで…、往生できると説いた鎌倉新仏教が誕生しました。これは正に日本の宗教改革でした。

 その一つ、法然に始まる浄土宗は、親鸞(1173-1263)に引き継がれてその革命性をさらに先鋭化して浄土真宗となり、室町時代、蓮如(1414-1499)の時、ひたむき(純粋)に念仏を唱えて阿弥陀仏を信仰するとして、「一向宗」と呼ばれ、北陸・近畿・東海地方に興隆します。生活共同体(惣)であると同時に宗教共同体(講)、室町から戦国時代にかけて、各地で新しい村落自治共同体が出現するまでに発展します。「一向宗」の時代は、1580年、信長による石山本願寺敗北まで続くことになります。

 この時期にキリスト教が伝来したのです。イエズス会の意義は、宣教のみならず、ルネサンス後期の「人文主義(humanism)」に基づき、コレジオやセミナリオ等、高等・初等教育に積極的に取り組んだことです。当初、仏教僧、特に禅宗の僧侶がこれを学び、戦国武将の中に南蛮貿易の実需のために改宗する者、次第に真の信仰を行う改宗者が現れ、社会の指導者層のみならず一般大衆にまで広がります。 利休の高弟にも蒲生氏郷(レオン)、細川 忠興(その正室ガラシヤ)、高山右近(ジェスト)、大友宗麟(フランシスコ)、黒田如水(シメオン)等のキリシタン大名が少なくありません。鎌倉時代に遡る武士道の精神、禅を母胎とする茶の湯の精神、キリスト教の精神、これら三つに通じるのは「静寂の精神」「清貧の精神」です。

 〜 この国は全てを腐らせてしまう底なし沼だ 〜 

 はたして、そうでしょうか…。この国、この時代に、利休はキリスト教から学び、芸術、道徳、哲学、宗教など、日本文化の総体、「茶の湯」を完成させたのではないでしょうか。

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December 08, 2016

庵の窓の外は…<2> ルネッサンス

              
銀閣寺窓  日本に禅宗が伝えられたのは鎌倉時代であり、武士・一般庶民に広まり、室町時代に幕府の庇護の下で発展しました。といっても、禅宗が定着したのは京都・鎌倉・博多ぐらい、 当時の日本人にとっては、禅文化は異国趣味の、流行の最先端を行く、これほどまでに日本的ではない文化はありませんでした。深い教養を必要としない禅宗及びその文化:喫茶はぱっとでの武士・一般庶民に広まり、当初は闘茶・茶寄合など自由狼藉・バサラの文化でしたが、次第に変貌、洗練されて「わび・さび」・「枯淡の美」を表現する、茶の湯、生花、書画、建築、現代日本文化の源流である室町文化に発展します。

 14〜15世紀、 茶の湯の舞台である書院座敷は大型化と小型化と対局する方向に分化し、 後者は禅宗の隠者的在り方が強く影響し、四畳半という小世界に在って無限の自由を追求するというもので、16世紀には四畳半の草庵茶の湯が泉州堺の商人衆を中心に行われるようになります。人里離れて隠遁するのではなく、都市の中に数奇にふさわしい茶の湯の家を作り「市中の山居」を楽しんだのでした。

 摂津河内和泉三国の境という意味の堺は明、李朝鮮、東南アジアとの貿易で大いに栄え、財力を成した商人が次第に領主権力を排除、会合衆を中心に自治的な都市運営を行っており、環濠を巡らし、自衛・武装していました。当時の宣教師は堺をブェニスに匹敵する自治都市と紹介しています。利休の師、武野紹鴎(たけのじょうおう1502-1555)は一向宗徒(浄土真宗)から禅宗に改宗(?)、貴賤平等を唱え、茶の湯では同じ高さの位置、同座する平座を提唱、床の間から身分の高い人が座るというの本来の機能を奪い、掛け物、生花という座敷の意匠の中心に据えた。不必要なものを思い切って省き、室町将軍殿中の唐様飾りを数奇の茶の湯から排除、明治から3世紀も昔に人間平等・四民平等を唱えたのは革命的です。虚飾を捨て、自己を開放し、人間らしさを主張する、言葉を換えれば、大変動の時代に在り、従来とは全く異なる価値観・倫理観を持ち、社会的な束縛・因習を破って、自分の自由意志で行動する新しい人間が生まれたことを示しています。これは正にイタリアで始まった ルネッサンスを貫く思想、「人文主義(humanism)」です。 
 
 大航海時代による貨幣経済、重商主義経済の発展は文化面、特に宗教面に現れます。 ミケランジェロ_ダビデ像ドイツでは、ルターが痛烈な教会批判を行い(1517)、フランスではカルヴァンが国王に叛旗を翻し(1536)、イギリスもカソリックを離脱して新しくイギリス国教会を作ります(1534)。「人文主義(humanism)」が「宗教改革」をもたらしたことになります。ルネッサンスは、13世紀後半、ダン ザビエルテ(1265-1321)に始まりミケランジェロ(1475-1564)に終わりますが、このミケランジェロとフランシスコ・ザビエル(1506-1552)とは正に同時代です。カソリック教会のイグナチオ・デ・ロヨラ、ザビエル等6人が、プロテスタントによる宗教改革運動に対抗して結成されたのがイエズス会(1537) であり、その意義は、宣教のみならず、ルネサンス後期の「人文主義(humanism)」に基づき、世界各地における高等教育機関の運営に積極的に取り組んだことです。1549年、そのザビエルが日本に来訪してキリスト教が正式に日本に伝わります。ザビエル来日(1549)から約40年で(秀吉によるバテレン追放(1587))キリスト教信者数は20万人を越えています。 今日のカソリック及びプロテスタント信者数は1百万、人口のわずか0.8%にて、当時の人口(12百万)の1.6%(今日の倍の比率)がキリスト教徒であったことは驚異です。

 千利休(1522-91)、堺の商家に生まれ、家業は納屋衆(倉庫業)、祖父:千阿弥が足利義政の同朋衆で、その一字をとって千家を称した。武野紹鴎を引き継ぎ、禅の精神である「和敬静寂」を根底に、簡素・静寂・清浄を旨とする数奇茶、茶の湯を大成、1585年、利休居士と名乗る。堺町衆の茶の湯好み(茶数奇)が戦国武将と町衆茶人と大徳寺禅宗とを結びつけることになります。そして戦国武将の少なからぬ人数が、当初は南蛮貿易を行う実需のためにキリスト教に改宗する大名もいましたが、次第に近畿地方の大名にも真の信仰を行う改宗者が現れます。 利休の高弟にも蒲生氏郷(レオン)、細川 忠興(その正室ガラシヤ)、高山右近(ジェスト)、大友宗麟(フランシスコ)、黒田如水(シメオン)等のキリシタン大名が少なくありません。鎌倉時代に遡る武士道の精神、禅を母胎とする茶の湯の精神、キリスト教徒の求道精神、これら三つに通じるのは清貧の精神であり、物欲からの脱却し開放を指向することです。

 よく指摘されるように、茶の湯の約束事には多くのカソリック的要素が見られます。茶の湯の「にじり口」⇔「狭き門より入る」、利休の杖とカソリック司教杖との類似、利休が考案した愛用の雪駄はイエズス会修道士の履き物にヒントを得た、茶と茶菓子⇔ミサのパンとワイン、濃茶を回し飲みした後に茶碗を拭う作法⇔ミサのコミュニオン(Communion 聖体拝領 聖拝でワインを回し飲みする)の際に聖杯を拭う作法、「一味同心」の交わりという理念⇔ミサのコミュニオン(Communion 共同体の意味)等が類似点ですが、「茶室」⇔ミサの「祭壇」、床の間の書画・生花⇔ステンドグラスの窓、絵画・彫刻が対照的です。

 堺の町衆だった武野紹鴎、同じく彼を継承した利休が「茶の湯」を完成した。これが、一千数百年もの歳月をかけて磨き上げられてきたカソリック儀式のミサに匹敵する芸術的・宗教的所作あるいは儀式とは全くもって驚異な事です。地球の西の端と東の端、それぞれが別個の起源に発し、別個な道を辿りながら、膨大な年月をかけて到達したものが、一方のカソリック儀式のミサであり他方の「茶の湯」だった。…とは信じがたいことです。彼は「自治都市」堺の出身、この町は遠くヨーロッパにも開かれていたはず、彼はヨーロッパが「ルネッサンス」から「大航海時代」・「宗教改革」に至る様子を知って…、あるいは気付いていたのではないでしょうか。利休は、彼の弟子達と同じく、キリスト教徒だったのか…、そうでなくとも、知識は十分にあったはずです。

 あるいは、禅宗そのものに大きなキリスト教的、現代にも通じる「人文主義」的要素があるのでしょう。『路上にて On The Road』を書いたジャック・ケルアック(Jack Kerouac、1922-1969)は禅ismを散りばめた小説を書き、60年代後半に始まる対抗文化:ヒッピー文化の一つの中心に位置し、ボブ・ディランにも影響を与えました。ジョージ・ルーカスの『STARWARS』日本の禅が色濃く、アップルのスティーブ・ジョブズに至っては禅宗徒(曹洞宗)、禅僧であったのはご存じの通りです。

 混乱の戦国に生まれた「茶の湯」、近世・近代をぐーっと手繰り寄せます。
※参考:山田無庵『キリシタン 千利休 』 増淵宗一『 茶道と十字架 』 児島孝『数奇の革命 』 五野井隆『大航海時代と日本
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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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