オーキー

July 16, 2007

オクラホマ・ミキサー

ある年齢以上の人にはほろ苦い話ですが、体育の授業でフォークダンスを最初に踊ったのが「オクラホマ・ミキサー」ではなかったでしょうか。これが地名:「オクラホマ」との最初の出会いであった気がします。その頃、テレビではアメリカ番組の全盛期、そのヒットの一つが「ルート66 Route 66」。そのテーマ:(Get Your Kicks) On Route 66には、…Joplin, Missouriの次、Amarillo、…の前にOklahoma Cityが歌われています。

「オクラホマ」のイメージは、「保守的で、西部劇そのままの田舎」、といったところではなかったでしょうか。「西部劇そのまま…」は
ともかく、後に聞いたマール・ハガードの1969年のヒット曲:「Okie From Muskogee」では愛国的、保守的、素朴な、古き良きアメリカを愛するオクラホマ人が歌われています。そのオフィシャルサイト:Okie From Muskogeeをご覧(ページ下部の歌詞を読みながらお聞き)下さい。…、それにしても、「In Muskogee, Oklahoma, USA」のエンディングは少々大仰です。

彼の本心でしょうか、それとも大袈裟な皮肉なのでしょうか?後にインタビューに応えて、この曲に歌われたオクラホマ人に共感を覚える主旨の発言をしています。この曲を同時代のビーチボーイズが歌っているところが大いなるパロディです。→ The Beach Boys - "Okie from Muskogee" at Central Park 1971

ベトナム戦争の時代、アメリカには厭戦気分が充満、特にサンフランシスコを中心にヒッピームーブメントが勃興します。この曲でも歌われる、まさに「花のサンフランシスコ」の時代でした。この、ある種退廃的なカウンターカルチャーに対しての保守層からのカウンターの一つがマール・ハガードの「Okie From Muskogee」だったのでしょう。

彼はカリフォルニア州ベーカーズフィールドに生まれますが、9歳の時に父親が死去、家庭環境が悪く不良に育ちます。カントリー歌手として知られるようになっても、窃盗の罪でサンクエンティン刑務所に服役した経験の持ち主です。

The Grapes of Wrath彼の両親はオクラホマからの移住者でした。1930年代、ダストボール(砂嵐)が南西部を襲い、追い打ちをかけるように大恐慌がこれら諸州の農民に壊滅的打撃を与えます。農地を捨て、ルート66を西に、カリフォルニアに移住してきたこれらの人々を、彼らの車のナンバープレート:「OK」から、カリフォルニア人は軽蔑を込めて(?)「オーキー」と呼んだのが始まりのようです。1940年ピューリッツァー賞を受賞したスタインベックの「怒りの葡萄」、映画監督:ジョン・フォードがヘンリー・フォンダを主演に、彼らを描いています。辛酸をなめた両親、そしてそれ故の本人の生い立ち。この歌は彼の本音なのでしょう。

easy-ride「Okie From Muskogee」ヒットと同じ年、1969年、カウンターカルチャー、アメリカン・ニューシネマの最高傑作:「イージー・ライダー Easy Rider」が公開されます。ピーター・フォンダ(:ワイアット)とデニス・ホッパー(:ビリー)は、ルート66を東に、バイクを走らせます。

「髪の毛が長い、よそ者」、それだけ(?)の理由でショットガンで撃ち殺されるラストシーン。場面は確か、「オクラ
ホマ」でした。



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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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