エルビス_プレスリー

June 26, 2020

もう一人の大佐 Colonel Thomas Parker(その2)

Colonel Tom Parker & Elvis もう一人の「大佐」とは、エルビス・プレスリーのマネージャーとして有名なトム・パーカー大佐(Colonel Thomas Parker)です。1948年、彼は元カントリー歌手のジミー・デイビス、ルイジアナ州知事から、知事選挙キャンペーンに協力したパーカーへの報奨として、その名誉称号が与えられました。以降、彼は生涯を通じて「大佐」と呼ばれることを好みました。

 広く知られている限りでは、大佐はThomas Andrew Parker、1900年以降間もなくウェストバージニア州Huntingdonで生まれたと云われていました。彼はカーニバルのツアーに参加して、象と一緒に仕事をしたり、手相を読むブースを経営したりしていましたが、1950年代初めに、今までに何の経験もない音楽プロモーターの職を得ます。

 もし誰かが、わざわざ、市の戸籍係に問い合わせをしていたら、Huntingdonにパーカーの出生記録がないことはとっくの昔に判明していたでことでしょう。そして、パーカーは米国のパスポートを持ったことがなく、米陸軍に二等兵として在籍していたことも判明したかもしれません。実際、パーカーの短い軍歴は不名誉な結末を迎えました。彼は1932年に無断欠勤し、脱走の罪で数ヶ月間軍事刑務所に服役していました。彼は精神崩壊に苦しんだ末に釈放されました。サイコパス(精神病質)と診断され、彼は除隊します。数年後、第二次世界大戦中に徴兵制が導入されますが、パーカーは故意に過食して体重を規定以上に肥満し徴兵を逃れています。

 これらの詳細が明らかになったのは、A.C. van Kuijk 19271980年代に入ってからで、エルヴィスの死 (1977)から数年後、パーカーが引退するまでのことでした(1997年死亡)。最大の謎は、パーカーがパスポートを持っていなかったことでした。エルヴィスはロンドン、ベルリン、東京でも同じく有名でしたが、30年近くのキャリアの中で、外国でのコンサートは1957年のカナダでの3回だけでした。実は、パーカーはオランダで生まれたアンドレアス・コルネリス・ファン・カウク(Andreas Cornelis van Kuijk)であることが明らかになりました。パーカーはプレスリーが海外で活動するという考えを否定し、会場は彼のような大スターには不向きと主張しました。これは、彼がパスポートを持っていなかったこと、いや、持てなかったことに関連します。彼がオランダを後にしてアメリカに渡った理由、不法移民だった等、それまで多くの謎に包まれていた秘密が明らかになり、彼はアメリカを離れることに深い拒絶感を抱いていました。

 パーカーの故郷のオランダ、ダーク・ヴェレンガ(Dirk Vellenga)というジャーナリストが30年に及ぶパーカーの真実を探っていました。当初はファン・カウク(Van Kuijk)一家の昔話ばかりでしたが、1980年タレコミを受け、彼の調査はさらに不吉な方向に向かったのです。パーカーは1929年5月、家族や友人に行き先を告げず、身分証明書も持たず、お金もなく、給料の大半を費やした高価な服さえも持たず、忽然と姿を消していたことがわかりました。ヴェレンガ(Vellenga)は、彼の新聞の特集の最後に、合理的な質問を投げかけました。「パーカーが1929年の夏に出発する前に何か深刻なことが起こったのか?」

 しばらくして彼の新聞に匿名の手紙が届きました。「パーカー大佐について 19年前に言われたことを話しておきたい。 義母が私に言ったのは、「もしこのパーカーについて 何か分かったら、彼の名前はファン・カウク(Van Kuijk)、ボッホストラートの 八百屋の奥さんを殺した。」その夜、彼はアメリカに旅立ち、偽名を付けていた理由がわかるだろう。だから彼は知られたくないのだ。」

 急いで過去の新聞のファイルに目を通したヴェレンガ(Vellenga)は、1929年5月にブレダで未解決の殺人事件が起きていたことに驚きました。23歳の新婚のアンナ・ファン・デン・エンデン(Anna van den Enden)は、ボッホストラートの八百屋の裏の居間で殴り殺されていました。

 当初の捜査は大失敗に終わり、目撃者は全員死亡しています。残されたのは、パーカーが急に失踪したという不思議な偶然の一致、彼がサイコパス(精神病質)であったという証拠、そして彼を知る人々の証言、全てが状況証拠のみで、パーカーがこの殺人事件にどう関与したかの謎は未だ解明されていません。

 パーカーは親の代からカーニバルのツアーに参加して、象と一緒に仕事をしたり、手相を読むブースを経営したりして興行に熟達、後の音楽プロモーションに繋がっていきます。プレスリーのマネージャーになると、彼はプレスリーのキャリアを非常に厳しく管理、プレスリーを「調教」して世紀の大スターにのし上げました。同時に、10代の青春期、プレスリーの人格形成上最重要な時期に、パーカーから象使いの調教を受け、食い物にされ、最後には精神障害に陥り、薬物乱用で亡くなりました。振り返れば、パーカーのサイコパス(精神病質)がそうさせたと云えるでしょう。

 ※因みに、3月に俳優のトム・ハンクスがオーストラリアで新型コロナ・ウイルスに感染、隔離生活を送っていたというニュースを耳目にされたことはないでしょうか?彼は、バズ・ラーマン(Baz Luhrmann,)監督、エルビス・プレスリーの伝記映画「Elvis」(2021年公開予定)の中でパーカー大佐を演じます。クィーンズランドでの撮影中に感染したとの報道ですが、パーカー大佐はカナダを除いては外国に行ったことがないはず。これは、オーストラリア出身であるラーマン監督の創作かも知れません。

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May 29, 2020

この曲<32> That's All Right, Mama

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 60年代から70年代前半にかけて、世界の潮流はBeatles あるいはBob Dylanに代表されるSinger-Song Writerの時代でした。これを知った洋楽ファンが作り出した現象が邦楽の「グループサウンド」であり「フォーク」ブームでした。洋楽の世界では「Rock」及び「Folk」と呼ばれるもので、この約10年間に、人々のポピュラー音楽を聴く方法を変革し、様々な社会的および政治的分野でのボヘミアン活動を促進しました。「Rock」か「Folk」か…、単純化すれば電気楽器が含まれるかどうか、黒人音楽の要素が入るかどうかの問題に過ぎず、そんな新しいポピュラー音楽が登場する以前はどうだったのでしょう。

 1950年、エルビス・プレスリー(Elvis Presley)は「That’s All Right, Mama」で劇的なデビューを果たします。ロカビリー(Rockabilly)の誕生でした。「R&R」+「Hillbilly」、黒人音楽Rock & Roll(「揺らす」& 「転がす」)と白人音楽Hillbilly(Countly, Bluegrass/田舎者、カッペ)の融合で、プレスリーが黒人音楽を身近に、一方では白人のカントリー音楽を聴いて育った中から生まれた音楽です。

 この「That’s All Right, Mama」のオリジナルは、1946年、黒人ブルースマンArthur Crudupによって書かれ、そして歌われたもので、歌詞は"Blind(盲目の)" Lemon Jeffersonが1926年に録音したブルースに依るそうです。このように、黒人ブルース(Blues)を起源にして、1950年代に黒人音楽(Rock and Roll, Rock ’n’ Roll) に発展、これを真似た(導入した)白人カントリー歌手がロカビリー(Rockabilly)を誕生させたということでしょう。

 下は、1954年、エルビスが初めてマイクを握ったSUN Studio、Arthur Crudupがエルビスのバックコーラスとリズムギター、Scotty Mooreのリードギター、Bill Blackのアップライトバス、そしてエルビスの才能を見出したSam Philipsプロデュースのセッションシーンです

 ロックンロールとロカビリーは厳密には異なりますが、ほとんど同じ意味です。敢えてその代表する歌手の名を上げるとすれば、ロックンロールではLittle Richard(1932- 2020)そしてChuck Berry( 1926 – 2017,代表曲は「Johnny B. Goode(1958)」)、一方のロカビリーでは、Elvis Presley(1935 –1977)そしてCarl Perkins(1932 - 1998、代表曲は「Blue Suede Shoes (1956)」)でした。

 1958年、ロカビリーの波は日本にも上陸、カントリーの平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎等が「ウエスタンカーニバル」に出演、「ロカビリー・ブーム」に発展します。

 しかし、1960年代になると、エルビスが兵役に就き、ツイストがブームになり、ロックンロール(あるいはロカビリー)は衰退します。1962年には、そのロックンロールを自分のものとした、ビートルズがデビュー、1964年以降のイングリッシュ・インベイション(English Invation)は従来のロックンロール(あるいはロカビリー)を今日云う「ロック(Rock)」に変革しました。これを境にして、ビートルズ以前を「オールディーズ(oldies)」と呼ぶようになりました。

 呼応するように、日本においてはタイガーズ、テンプターズ、スパイダーズが「ウエスタンカーニバル」のステージに上がり、「グループサウンド」ブームが始まりました。 

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express01 at 21:31|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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