エルビス

March 09, 2009

ブルースェードシューズ Blue Suede Shoes

小泉元首相はプレスリーの大ファンだったそうです。私の記憶しているプレスリーは、映画に転向していた彼が、音楽活動に復帰する「エルビス・オンステージ」の時代です。既に中年の域に入り、「ドーナツの食い過ぎ…」とまことしやかに言われるほど、デビュー当時の面影は全くありませんでした。彼の体型はどうでもよいのですが、どうも音楽的に好きにはなれませんでした。Blue Suede Shoes

1956年、彼は「監獄ロック Jail House Rock 」に続いて「ブルースェードシューズ Blue Suede Shoes 」を大ヒットさせることになります。好きではありませんでしたが、曲の出だしは何故か覚えているのです。「One for the money, Two for the show, Three to get ready now 〜」の「〜」の部分がわかりませんでした。多くの皆さんもそうではないでしょうか…。

この曲がカール・パーキンスの作と教えてくれたのは相方(あいかた)の彼、「マッチボックス Matchbox」の次は、自然な流れとして、この「ブルースェードシューズ Blue Suede Shoes 」となってしまいました。お聞き苦しいとは思いますが、ご辛抱下さい。▼



Well, its one for the money,
Two for the show,
Three to get ready,
Now go, cat, go.

But don't you step on my blue suede shoes.
You can do anything but lay off of my blue suede shoes.

何故か記憶に残っている曲の出だし、歌詞はわかりましたが、その歌詞が何を歌っているのか全くわかりません。「ブルースェードシューズ」誕生にまつわるいくつかの逸話があるそうですが、最もそれらしいのがこれです。

サン・スタジオ(Sun Studio)の音楽仲間、ジョニー・キャッシュ (Johnny Cash)がカールと一緒に巡業中、これを基に曲を書けば、と軍隊時代に聞いた話を彼に聞かせたのでした。それは、ドイツでの兵役時代、支給された軍靴は「ブルースェードシューズ」と呼ばれ、ある時食堂で誰かが「俺のブルースェードシューズを踏むなよ!」としゃべっているのを聞いた、という話でした。

数日後、カールは次の巡業先で演奏中、ステージ近くで踊っているカップルが目に入りました。女性はとびきりの美人、相手の男性はブルースェードシューズを履いていました。踊りながら、彼はパートナーに曰く、「僕の靴を踏まないでくれよ!」 美人の彼女よりも、彼は自分の靴の方が大事だったようです。

少々出来すぎの感が…。
「僕をノックアウトしても、街中に僕の悪口を言いふらしても、僕の家を焼いてしまっても、僕の車を盗んでも、僕の酒を飲んでも、何でも好きにやっていいから、僕のブルースェードシューズを踏むのだけはやめてくれよ」と曲は続きます。

では、曲の出始めの「One for the money 〜」は?
アメリカ人でもこのフレーズがどこから来たもか知らない人が多く、諸説あるようですが、どうも、子供の「かけっこ」の合図、かけ声の類で、さらにそのルーツは「競馬」に辿り着くのでは…。

One for the money,
Two for the show,
Three to get ready
And four to go.

競馬に無知なのですが、3着馬を「ショーホース Show Horse」というそうで、この説に納得してしまいます。

当初の「Go Boy Go!」を、プロデュサー:サム・フィリップスのアドバイスにより「Go Cat Go!」に変更したそうですが、残念ながら、この「Go Cat Go」の意味はわからず仕舞いです。 フェンダーのギターには"Go Cat Go!" Model というのがある、あるいは、あったらしいほど有名な語彙らしいのですが…。

プレスリーファンの大先輩、ご教授下さい。

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July 05, 2008

Highway 61, I have not visited yet.

rout 66_sign 「ルート66」はシカゴからロサンゼルス(サンタモニカ)まで2,000マイル、調べるまでもなく、TV映画の主題歌に歌われているのを覚えています。…がしかし「ハイウエイ61」をご存じの方はそれほど多くhighway61 signはないのでは…。私はボブ・ディランの「追憶のハイウェイ 61 Highway 61 Revisited, 1965」でその存在を知りました。彼本人の音楽にとどまらずアメリカ音楽の方向を変えたことでこのアルバムは有名ですが、その話は別の機会に譲るとして、ハイウエイ61は、やはり南から順に、ニューオーリンズ、ベイトンルージュ、メhigway 61 MAPンフィス、セントルイス、セントポール、彼の生まれたミネソタ州ダルースを経てカナダ国境に至る1,400マイルのハイウエイです。

アメリカの国道システム(Interstate Highway System)では国道番号が東西が偶数、南北が奇数となっていますが、その原則の通り、ルート66がアメリカ大陸を東西に繋ぐ「母なる道路 Mother Road」、ハイウエイ61が南北を繋ぐ「ブルースハイウエイ Blues Highway」と呼ばれています。

ヨーロッパからの移民に始まる白人はフロンティア(辺境)を求めて東から西へ向かうという方向性があります。スタインベックの「怒りの葡萄」では大恐慌・大干ばつに襲われたオクラホマの農民がその耕作地を棄て、豊かなカリフォルニアを目指してルート66を西に向かう家族の姿が描かれています。(ご参照下さい。→「オクラホマ・ミキサー」) 住み馴れた地を棄て、芳醇な果実に満ちあふれた西(West)を目指して移動するという、西(West)への執着がアメリカ人及び文化の一つの特徴と言えるでしょう。そこには、苦難を乗り越え最後には芳醇な果実をもぎ取ることができるという明るさ、楽観主義があります。

highway 61 image一方、アフリカから強制的に連れてこられた奴隷を先祖とする黒人はミシシッピデルタと言われる南部諸州のプランテーションで働く最下層の労働者でした。ミシシッピの広大な綿畑からルイジアナの深い沼地まで、かつてのスペイン、フランス領のにおいを色濃く残す風土の中で、彼らの持ち込んだアフリカ音楽(文化)が融合、ブルース(Blues)が誕生したのでしょう。第一次世界大戦後、1920年〜30年にかけて、北部では鉱工業が発展、彼らは工場労働者・建設労働者としての職を求めて北へ…、メンフィス、セントルイス、オハイオそしてシカゴに向かいます。「北へ…」、彼らが職を求めて通った道がハイウエイ61、彼らの音楽が北へ広がっていく道が「ブルース・ハイウエイ Blues Highway」でした。ブルース(Blues)の定義は難しく、「鬱」「絶望」「苦悩」「あこがれ」の意味を伴うようで、土臭い、じめじめした沼地を抜け出して北に向かった彼らは、今度は都市でそれを味わうことになります。

西に向うルート66は我々の多くがイメージする明るい、希望の、軽いアメリカ。一方、北へ向かったハイウエイ61は陰湿で、絶望的、重苦しく映ります。しかし、アメリカ文化そのもの、ブルース、ゴスペル、R&B、ジャズ、ロックンロール、全てはここから始まります。

ボブ・ディランはエルビス・プレスリーを聞いて育ちますが、後年メンフィスにあるサン・スタジオ(SUN STUDIO)を訪れ、スタジオの床に口づけをしたそうです。 1954年エルビスがブルースシンガー:アーサー・クルーダップ (Arthur Crudup)の曲:「ザッツ・オールライト(That's All Right)」を録音という歴史的な場所への敬意を込めて…。


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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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