イーグルス

April 11, 2018

この曲<17> "A Thousand Miles from Nowhere"

Urban Cowboy  空前のディスコ・ブームはジョン・トラボルタ主演の映画『サタデーナイト・フィーバー Saturadynight Feever(1977)』で絶頂を迎えます。カントリーの復権を狙って1980年、同じトラボルタを主役に、『アーバン・カウボーイ Urban Cowboy』をヒットさせ、音楽の流れはディスコからカントリー・ミュージックに変わりました。 楽曲を例に取れば、「Night Fever(1977)」「Stayin' Alive(1977)」の大ヒットを放ったビージーズは、まだディスコ路線でいけるとばかりに…、1979年、『Islands In The Stream』を出しますが不発に終わります。『アーバン・カウボーイ Urban Cowboy(1980)』で音楽の潮目がまるっきり変わってしまった1983年、カントリーのドリー・パートンとケニー・ロジャースがカバーでこの『Islands In The Stream』が大ヒットとなります。「アーバン・カウボーイ・ムーブメント」、「ヒル・ブギィ」と呼ばれるポップ・カントリーの1980年代の流行はこの映画に始まったと言われています。

 因みに、1972年、『Take It Easy』でデビューしたイーグルス(The Eagles)は1977年、最高傑作『Hotel California』を世に出し,これの出来があまりにも良すぎたのか…、これをピークに、残念ながら彼らは急速に衰退して行きますが、奇しくも、この時期はディスコ・ブームに重なります。「アーバン・カウボーイ・ムーブメント」の1980年代、日本では周回遅れのようなディスコ・ブーム、バブル経済のまっただ中でした(1986 - 1992)。個人的には、大げさですが…、イーグルスで私の音楽の進化は終わったようなもので、以降、新しい音楽には全く興味を見いだすことが出来ず、60〜70年代の「カントリーぽぃロック」に退行していきました。歌謡曲ファンの友人は「ピンク・レディで終わった」、ある人は「昔は洋楽、今はカラオケでど演歌」と言います。多くの人が学生時代あれだけ音楽を聴いていたのに、いつの頃か、大人になるとほとんど聞かなくなってしまいます。

 私にとって、80〜90年代は、ロック、カントリーなど、それらしい曲を聞いてもどうもピンとくるものがありませんでした。自ずと、歌手・バンド名、曲名が記憶に残らず、たまたま「これは!」というメロディーを耳にしたとしても、その曲や歌手の名前とが結びつかない状態が長く続いておりました。インターネット・ブロードバンドが発達、光回線が自宅にも繋がるようになった21世紀に入ると、事態は一変、Youtube・ストリームラジオなどの新しいメディアが誕生、音楽はダウンロードして聴くもの、しかも「タダ」です。CD並みの音質でアーティスト名・アルバムジャケットはもちろん、必要であれば歌詞さえも取得できます。

Dwight Yoakam そんな歌手の一人がドワイト・ヨーカム(Dwight Yoakam、1956年生まれ )です。大学を中退して音楽キャリアを歩み始めた頃、ポップな「アーバン・カウボーイ」的な音楽を指向するナッシュビルでは大した評価も受けず、1977年、彼はロサンゼルスに転じ、1980年代に向けてNew Honky Tonk Musicを打ち出して行きます。自ら曲を書き、伝統的なカントリーミュージック系以外の店、ロサンゼルス近辺のロック、ロックンロール・クラブで演奏しました。バック・オーエンス、マール・ハガードにDwight Yoakam_3代表されるベイカーズフィールド・サウンドの後継者と見なされています。カントリーの歌手・バンドは概してデブの、いかにも農業・工場労働者風の無骨な大男が多いのですが、彼はカウボーイハットのかぶり方からも違います (実は…、「帽子命!」)。個人的には…、あの…幻が脚の動きが、カッコ付けすぎでイヤミなのですが、良い曲です。
 
A Thousand Miles from Nowhere

何処からか、1000マイルもやって来た
俺には時間は問題じゃない
何処からか、1000マイルもやって来たからさ
落ち着きたい場所なんてありはしない

ポケットには心の痛みが
頭には木霊が
聞こえるのは
お前の口にしたむごい、むごい言葉

何処からか、1000マイルもやって来た
俺には時間は問題じゃない
何処からか、1000マイルもやって来たからさ
落ち着きたい場所なんてありはしない

Oh, i

<くり返し>>

記憶の中の傷
手に残る涙の跡
鏡の中には
かつては男だった幻が

何処からか、1000マイルもやって来た
俺には時間は問題じゃない
何処からか、1000マイルもやって来たからさ
落ち着きたい場所なんてありはしない

<くり返し>>


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express01 at 14:31|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

January 26, 2013

Redwing 877

「これ、何とかしなさいよ!」 と、かみさんが玄関の戸袋から埃だらけの箱を出してきます。これが我が家に在ったとは…、てっきり忘れていました。びっくり箱か玉手箱…、白い手袋はめた学芸員がやるように、恐る恐る開けてみると、懐かしいRedwing ワークブーツ(8インチ)がカビだらけで、左右を仕切る薄い紙も当時のまま…。

Redwing 877_2ヤフオクで調べてみると…、「877羽タグ アイリッシュセッター」 、「アイリッシュセッターブーツ白犬タグ877」、 「希少 877 セッター犬刻印」 「877スクエアステッチ73年製四角犬 」 …、何やら「犬印妊婦帯」を思わすようなタイトル、見る人が見れば何なのかはピンと来るのでしょう。キャッチコピーも「旧犬タグ製USA表記。箱、タグ付きで、コレクターの方にもお勧め〜」、「奇跡のデッドストック、人気品番で、この年代の物は専門店でもかなり希少です。」…等々、これは大変な事になって来ました。

Redwing tag
まずはブーツをきれいにしなければなりません。表面のカビを柔らかい布で落とします。右足のベロ(甲の部分)の内側にタグが縫いつけてあるのですが、このタグが製造年により異なります。私のお宝は四角=スクエア、犬=アイリッシュセッター、"Made in America(Not USA)"で1973年製造のようです。…徐々に記憶が蘇って来ます。

made in USA catalog1975年あるいは76年、私は出張でアメリカに行きました。多くの若者がそうだったように、私もアメリカ文化にあこがれ…、いや…、かぶれていました。 ※少し前の世代がフランス、シャンソンに寄せていた気持ちと同じです。「演歌にかぶれる」とは聞いたことがありませんが…。

イーグルスが「Take It Easy」Asyrum Recordからデビューしたのが1971年で、1961年、ビーチボーイズ「Surfin' USA」で始まる私のウエストコースト音楽遍歴はそろそろ佳境に入ってきた感がありました。1975年には「Made In USA Catalog」が平凡出版から出され、私は衝撃を受けたものです。1976年、イーグルスは「ホテル・カリフォルニア」を大ヒットさせますが、最大のヒット故にこれ以上の曲を出せなくなり、最後のヒットになってしまいました。こういう時代でした。
Steve McQueen redwing 877
Steve McQueen

Jack Nicholson_One flew over the cukoo's nest 1975
Jack Nicholson in "One Flew Over The Cukoo's Nest 『カッコーの巣の上で』"

実は…、Redwing Boot 高さ:8インチよりも、6インチの方が好きで、アメリカに出張したらこれを買うものと決めていました。しかし、残念ながら買い物が目的でもなく、移動先の街で時間を見つけてお店を探さなければなりません。残念ながら、小さなサイズはなかなか見つけるのが大変で、やっと見つけたお店で私のサイズは8インチブーツが一足だけで、仕方なく「エイヤッ」とばかりに買ってしまいました。ところが、出張も終わりに近づいたある日にのぞいたお店で6インチブーツを見つけたのです。躊躇なくそれ、6インチブーツも購入、以来何十年、YAMAHA DT1やKawasaki KLXに乗った時もずっとこれをはき続け、左甲の部分がギアチェンジペダルに当たり黒く変色して良い味になっていたのですが、知らないうちにその所有権は長男に移っていました。

最初に買った8インチブーツ、どう考えても…、履いたり脱いだりする日本の生活では不便、結局、全く手を付けずにお蔵入りとなってしまいました。ヤフオクを調べていくと、私の所有するそれは「1973年製 Redwing 877 箱付き 未使用(業界ではどうもデッドストックと呼ぶらしい」、これで落札されたかどうかは判りませんが…、高値:148,990円や247,990円が見受けられます。これは、「お宝発見」とばかりに早速、「取らぬ狸の〜」、ヤフオクに出品、さすがに247,990円の価格は提示できませんでしたが、これで差し迫った車検代も捻出出来る、よしよし…ほくそ笑みながら、あつかましくも…178,000円を提示したのでした。久々のいい話、回りの友人に自慢げに話すと、驚くべき事に、Toshiさんは、このRedwing 877を紹介している雑誌:「Made In USA Catalog」をいまだに保有している由。昨年11月のことでした。

明るいお正月が迎えられるはず…でしたが、アクセス数・ウオッチリストの追加数は多いのですが、具体的な入札が全くありません。128,000円→98,000円→78,000円→58,000円と、当方のOfferを次第に下げ、回りの友人の「ブーツはどうなった?」の質問にも不愉快になって、迎えた2013年1月、これが最後…、38,000円で望みました。全くあきらめて、結果を見たくない心境の1〜2日後、落札者からの第一報で商売の成立を知った私でした。文面から想像するに、彼はまだ二十代、…なかなかの目利き…、彼も子供に譲るまで大事に履いてくれることでしょう。

Toshiさん!今度は貴兄の「Made In USA Catalog」を出品しようよ!。

Momo holding sign board-HKX Radio※今までの曲は左サイド、Music Player でお聴きになれます。 
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March 24, 2010

『テキーラサンライズ』をもう一度

あのリズムがくせ者です。何というリズムでしょうね?古いですが、カクテル テキーラサンライズどこか、ドリフターズ、加藤茶の『ちょっとだけよ 原題:Taboo』に似ている(?)、と言ってしまえばこの曲のイメージを損ねてしまうのですが、これをギターで刻んでいくのは難しいもので、2年前はこうでした。
arrow 02-blackテキーラサン ライズ 2008/05/03』


聞いているぶんには簡単そうなのですが、いざ自分でこのストロークを続けながら、バックコーラス(ハモ)を入れるのは難しいものです。ギターに集中すればハモが上手く行かず、ハモに注意するとギターのストロークが狂ってしまいます。私はリズム音痴か(?)、と自己嫌悪に陥ることさえあったほどです。

前回ご紹介しましたように、新たにKun さんがドラムで参加しています。すると、どうでしょう、彼のドラムがあのリズムを刻んでくれて、私のギターも、たまに狂うのはご愛敬…、ストロークがなめらかです。リズムはドラムにお任せして、ハモにより注意をを傾けることが出来ます。ドラムが入って、やっている本人が歌いやすいだけでなく、皆さんにも聞きやすくなったのではないでしょうか。

自分で言うのもおかしな話ですが、この演奏を終えた後のしばらくは、その余韻に浸ってしまいました。前回のブログから未だ数日しか経っておらず、新しいネタ探しに苦労する昨今、もう少し日数をあけて、小出しにご披露したいところなのですが、それまで待つことが出来ません。
…どうも、性格ですね。

"Tequila Sunrise" Take 2               


お気づきでしょうか? 嬉しくなったついでに、カセットテープも作り直しました。ビデオで撮影(録音)すればごく簡単に済むのですが(現に多くの人がこの方法です)、演奏までは何とか出来るとして、我々の姿を皆さんの前にさらすまでの自信はありません。youtube ですから何とか動画を載せたいとの思いからカセットテープにたどり着いた訳です。ラベルを差し替えれば全ての録音に使えるというのもミソです。惜しむらくは、動いているのはテープの回転部分だけで、これが回転していることに気付かない人もおられたようです。

カセットのラベルのデザインもこの曲に合わせて作りました。どうですか…、この意気込み。残念ながら、ラベルは『テキーラサンライズ』というよりは『夕焼け小焼け』になってしまいましたが…。

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December 23, 2009

ホテル・カリフォルニアって何処にあるの?

キリスト教はローマカトリックとコンスタンチノープル東方正教に別れます(1054年、正式に相互破門)。※参照→「ラテン系? ルーマニア」

中世におけるローマカトリックの興隆はイベリア半島でのレコンキスタ(国土回復)の成功で頂点を迎えます、スペイン王は、ローマ教皇の承認の得て、キリスト教をもその監督下に置きます。キリスト教という宗教的熱病、ローマ教皇のお墨付きを持って、さらに西、大西洋を越えて新大陸に向かいます。

時代は大航海時代。スペイン国内では、異端審問・宗教裁判による異教徒迫害、後には反宗教改革運動を、新大陸においては先住民の虐殺、略奪、奴隷売買…、陰に陽に、ローマ教皇のお墨付きがあったからでしょう。

16世紀、アステカ帝国を滅亡させ、スペイン領土:「ヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)」を宣言、彼ら:スペイン軍・商人そして宣教師(イエズス会)はさらに北に向かうことになります。1683〜1834年、バハ・カリフォルニアから北に向かったのが「エル・カミーノ・レアル(王の道) 」でした。
sibera alaska map一方のコンスタンチノープル東方正教はイスラム勢力を避けるように、一端北へ進路を取り、ロシア正教として東へ、シベリアに領土を広げ、17世紀末にはカムチャッカ半島、ベーリング海峡を渡って新大陸へ、1799年にはアラスカの領有を宣言します。シベリヤ経由、本国からの食料搬入途絶の事態に直面、彼らEl Camino Real & Ft Rossは食料を求めて南下、すでにスペイン領であったカリフォルニア、サンフランシスコ湾の北、ソノマに、全く孤立した植民地(飛び地)を築くことになります(1812)。これがフォートロス(Fort Ross)で、文字通り(…ほとんど…)「ロシアの砦」でした。

東西別の方向に分かれたローマカトリックとコンスタンチノープル東方正教は、800年後、それぞれ地球の反対側から現れ、ソノマ(Sonoma)で遭遇したことになります。

かつて、スペインの宣教師が辿った「US_101エル・the birds posterカミーノ・レアル(王の道) 」ゆかりの地、現在のパシフィック・ハイウエイ101沿いにはミッション・ベルが残されています。
フォートロスの在るソノマ郡ボデガベイ(Bodega Bay)はロアルフレッド・ヒッチコック監督の名作:「鳥(The Birds 1963)」の舞台でした。どこか陰鬱な中世の遺伝子が受け継がれているからでしょうか、それとも、当時の東西冷戦の時代が反映されたからでしょうか…。

「カリフォルニア」の由来は、「太平洋の何処かに在るとされた理想郷、伝説上の島」。さぞ、当時のヨーロッパ人の想像力をかき立てたことでしょう。

では、「ホテル・カリフォルニアって何処にあるの?」

背景はだらだらと述べた通り、舞台は『映画:「鳥」と同じ、ボデガベイの近くの何処か…』と、私の想像力はかき立てられます。皆さんは如何でしょうか?

暗く寂しいハイウェイ 涼しい風が髪を抜けてhotel california
コリタス草の甘い香りが漂ってくる
遠く向こうに かすかな灯り
頭は重く ぼやけてしまう
今夜はこの辺で泊まろう
戸口に女が現れ
ミッション・ベルの鳴るのが聞こえる

果たして
ここは天国なのだろうか、それとも地獄か
女はローソクに灯を灯し 僕を部屋へと導く
廊下の向こうから こう囁くのを聞いたような気がする

ようこそ!ホテル・カリフォルニアへ



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September 14, 2009

アサイラム ASYRUM RECORDS、 黄金の1970年代

odeonビートルズのレコードを初めて買った曲は 「Please Please Me」だったような気がします。当時は、APPLEではなく、まだODEON でした。その前後に(どちらが先であったかは忘れましたが)ビーチボーイズの「Surfin' capitolUSA」を買いましたが、彼らはCAPITOL 、どちらのレーベルも東芝レコードから販売されていました。少年であった私にはこの東芝レコードがあこがれの会社に映ったもので す。

ギターを楽しんでいますが、以前、その相方とその当時の話になり、彼は就職に際し て、東芝レコードかどうかは忘れましたが、レコード会社に会社訪問をしたそうです。人事担当者曰く、「勘違いしてもらっては困ります。ミュージシャンでは なく、レコードを売ってくれる営業マンを求めているのです…」。二人は関東と関西、育った環境も違うのですが、出会ったのは、音楽とは全く関係ない商社に 入社してからのことです。

もう一つ気に入ったレーベル、アサイラム(ASYLUM )がありました。Asylumlogo
まず、個人的にこの「アサイラム」という響きが好きで、「避難,亡命,保護、(亡命者な どの)保護施設、聖域、」の意、ますます好きになってしましました。

余談ですが、これに類似したレーベルでSHELTER  とShelterlogoいうのががありました。確か、レオン・ラッセルがそうだったと思うのですが…。

ロサンゼルスは1930年代 から映画産業の中心地でしたが、ビーチボーイズのCAPITOL Recordsも1942年の設立で音楽産業の中心地としても興隆してきましたが、やはりニューヨークにはかないませんでした。しかし、1970年代に入 ると、ニューヨークは景気の悪化、犯罪の増加、音楽スタジオの老朽化により、ミュージシャンには居心地の悪い街になってしまいました。一方、ロサンゼルス は冷戦下、地場の航空機産業が活況を呈し、流行・文化と繁栄の街を謳歌することになります。

ビートルズの 「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」は他のミュージシャンに多大な影響を与えますが、これを転機に、ロサンゼルスを拠点とするカントリーロック、「シンガー&ソングライター」の時代に入ります。

彼ら、ニューヨークのミュージシャン難民を受け入れたのがアサイラム(ASYLUM)でした。東海岸から多くのミュージ シャンをロサンゼルスに導くことになります。ジャクソン・ブラウン、JDサウザー、リンダ・ロンシュタット、ジョニー・ミッチェル、トム・ウェイツ、ニー ル・ヤング、クロスビー、スティルス、ナッシュ等そうそうたる面々です。

もう一人忘れてはならないのがグレン・ フライ。アサイラム(ASYLUM )は彼にドン・ヘンリー、バーニー・リードン、ランディ・マイズナーと共にイーグルス(Eagles)の結成を薦めるので す。

ロサンゼルスがアメリカ音楽産業の首都であったのは1970年代、この10年間だけでし た。

レコード会社への就職をあきらめた相方(あいかた)と二人でイーグルスのデビューヒット:「Take It Easy」をやります。いつもながら、お聞き苦しいところはどうぞご容赦ください。



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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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