やと

August 23, 2012

小山田の谷戸田(やとだ)

関西で育った私が、この地に引っ越してきた当初は、その地名:「小山田、小さな山の田んぼ…」、何と想像力の乏しい、単に、田んぼの風景を描写しただけ、またそう呼ばれる地域の広いこと…、その名前の付け方に「おおざっぱさ、いいかげんさ…」を感じたものでした。しかし、歳とともに、今まで全く見過ごしてきたものに、ハッと、気付くことが多くなってきました。

隣の横浜市に住む彼は山口県出身です。同じ西日本に住んでいた、ということで、「この辺には『〜谷戸(やと)』という地名が多いが、関西では聞いたことがない。」と、暗に同意を求める私の発言に、「そんなことはない、ありますよ。」とあっさりと否定されました。ご夫婦で山登りを趣味としている彼は「谷戸」の意味は把握しているはず、その彼が言うことなので間違いないものと…、話もそれで終わりました。

小山田の風景
…が、やっぱり真相はこうでした。東京都多摩地域及び神奈川県東部では、丘陵地が雨や川によって浸食されてできあがった谷が谷戸(やと)と呼ばれます。雨は丘陵や尾根を伝って谷戸に流れ込み、湿地を作ります。人々は谷戸の湿地を利用して水田を作ってきました。同時に、谷戸は多種多様な生き物を育み、豊かな農作物と美しい里山の景観を創り出しています。ちょっと昔なら、単なる田舎、で終わりましたが…。
※奇特な方が居られ、地名・バス停名として今に残る「谷戸コレクション」を紹介されています。

小山田神社低迷が続くNHK大河ドラマ:『平清盛』の時代、関東八平氏の一派、埼玉県嵐山町畠山荘、秩父桓武平氏:平有重がこの地にやって来て小山田別当有重と名乗った。頼朝挙兵時(1159)には京に在り、平家の忠実な御家人として各地に転戦、木曽義仲追討にも加わりました。平家西国落ちの際に許されて東下し、遅れて鎌倉御家人となった。平氏に続いて、源氏政権に於いても重要な地位についた小山田有重は農民を動員して土地を開発、現在の町田及び川崎・横浜の一部を支配する大土地所有者・開発領主となります。当初は単に土地の名前でしたが、その名前を冠した彼の勢力圏とともに拡大したのでしょう。

小山田一族は「谷戸田」を開発して「小山田」という水田を拡げ、その稲作の優れた生産力が一族の勢力拡大に大きく寄与しました。「谷戸田」の多い多摩丘陵地帯は「田方(たかた)」と呼ばれ、水田があり、コメが穫れるところ、の意味です。一方、南の相模台地地帯は「岡方(おかがた)」と呼ばれ、水田のない、コメの穫れないところです。相模台地は火山灰土、乾燥が激しく酸性が強いため大豆・粟さえも育たなかったそうで、安定的な農業が可能になったのは土壌・品種改良等の農業技術が発達する近世を待たなければなりません。
小山田の案山子_2
中世までは、町田の中心は小山田・小野路であり、原町田・中町などの繁栄は幕末以降、とりわけ横浜線・小田急線が開通してからの、たかが百年ちょっとのことではないでしょうか。

秋になると、小山田の谷戸田では豊かな稲穂に案山子が映える収穫の時期がやって来ます。

※参考資料:「道」白州正子 新潮社  「町田の歴史をたどる」 町田市
  DVD:「平清盛」


Momo holding sign board-HKX Radio
※今までの曲は左サイド、Music Player でお聴きになれます。 
Your Support, Please. このサイトの順位は?ボタンを押して下さい。
にほんブログ村 歴史ブログ 諸文化の歴史へ にほんブログ村 音楽ブログ カントリーミュージックへ 人気ブログランキング


Profile

ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

Back Issues At A Glance
Comments
ISAO's Bookshelf
人気ブログ ランキング
NINJA
Search