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August 13, 2015

何年ぶりかの渋谷で、映画『ラブ&マーシー』

Love & Mercy  関西に住む友人に「ビーチ・ボーイズのファンよね。彼らの映画が来ているわ…」と指摘されて初めて知った映画:『ラブ&マーシー Love & Mercy』を観に渋谷まで行ってきました。もっと近くで観られると思ったのですが、八王子の公開予定が9月で、この夏の思い出の一つに入れるには遅すぎます。渋谷に出るのは何年ぶりか、さすがに若者文化の街、通りを歩いていても彼らの速度について行けません。少し気後れしてしまうのは正直なところです。

  ビーチ・ボーイズとの出会いは私が中学1〜2年の時に遡ります。当時、ラジオのヒットパレードにはビートルズかビーチ・ボーイズがランクインしていない日はなかったのではないでしょうか。私が彼らの曲を最初に買ったのは『Surfin' USA』、ビートルズの『抱きしめたい "I Want To Hold Your Hand"(1963)』、『プリーズ、プリーズミー Please, Please Me』よりも遅かったように思います。1963年の出来事でした。アイドルバンドから始まったこの二つのバンドは、お互いに意識し合って、競うように、単なるアイドルから脱皮するかのように、新しい音楽を目指していきます。

 ビートルズの『Rubber Soul (ラバー・ソウル 1965)』が従来のアルバムの概念を替えてしまいました。ボブ・ディランの『ブロンド・オン・ブロンド Blond On Blond』に触発されたというこのアルバム、まず最初にこのアルバムタイトル、ビートルズ初めイギリスのバンドが、アメリカ黒人ミュージシャンから「Plastic Soul」、「まがいもののソウル、ソウルもどき」との酷評に対する彼等の皮肉でした。アメリカのアルバムといえば、員数合わせのような、単に10〜12曲の詩を何の脈絡もなく並べたものでしたが、『ラバー・ソウル Rubber Soul』はコンセプトアルバムであり、彼等が既にアイドルの域を抜け出し、バンドの各人がアーティストとして確立されています。

 ブライアン・ウイルソンはこれに大きな影響を受け、アルバム:『ペット・サウンズ Pet Sounds』(1966)を制作します。そのころから、彼の精神の崩壊が始まります。
ブライアン・ウイルソン

 かつて、朝鮮戦争の時代にジャズが流行したように、時代はベトナム戦争・北爆が激化、アメリカ国内では徴兵拒否など厭戦気分が高まります。ヒッピー、フラワー・ムーブメントが興り、音楽文化では、ジャズに代わってロック・ミュージックが流行、極めつけはサイケデリック・ミュージックに至りました。※因みに、 psychedelic= psyco(精神病質の・錯乱した) + eccentric(変人・奇人、奇抜な)で、幻覚状態を想起させるの意味。髪の毛を伸ばして髭をはやし、マリファナ、LSD、フリーセックス等の言葉に代表される対抗文化が絶頂期を迎えることになります。

 60年代、彼に嫉妬する癇癪持ちで暴力的な父に…、そして、80年代には彼を救うはずの精神科医の異常なまでの監視に…、彼は脅えた…と映画は描いています。厳格な父から逃れるために…、何よりも、新しい音楽的境地に辿り着くために、彼は自ら求めてマリファナ、LSDを借りてサイケデリックな世界に入り込んでいったのではないでしょうか。挫折した元ミュージシャンの精神科医:ユージンとの付き合いもそんなところから始まったのではないかと想像します。現に、メンバーの一人、弟のデニス・ウィルソンはサイケデリックな音楽を指向して、狂信的カルト指導者チャールズ・マンソンと関わったこともよく知られています。チャールズ・マンソンは映画監督:ロマン・ポランスキーの妊娠中の妻:シャロン・テートをナイフで滅多刺しにした『シャロン・テート事件(1969)』の教唆犯、主犯で、事件は対抗文化の負の遺産として記憶されている。※残念ながら映画では触れられていません。

 『ペット・サウンズ Pet Sound (1996)』はブライアン渾身の作にもかかわらず売れませんでしたが、このアルバムに触発されたビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (1967) 』 は大ヒット、このアルバムが認められたのは発売後30年以上も経った2004〜2005年のことでした。 正直なところこの、一般大衆と同じく、ミーハーでポップな音楽を求めていた私も、この辺りから、スタジオ録音ばかりでオーケストラが入ったりする、ビーチ・ボーイズもビートルズもあまり好きではなくなりました。しかし、次のアルバム:『スマイリー・スマイル Smiley Smile (1967)』に在る『グッド・ヴァイブレーション Good Vibrations』は傑作と認めざるを得ません。

 大阪中之島、フェスティバルホールに『Surfin' USA』を歌うビーチ・ボーイズを目の前にしたのが高校生の時、あれから〇十年、バンドの吉野さんと一緒にブライアン・ウイルソンを聴きにいったのが10年前でしょうか…、中学・高校生の当時あこがれた彼らの曲をこの年になってバンドで歌うとは想像もしませんでした。
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November 26, 2013

はて?どこかで聞いた…、ラテン歌謡?"The Way"

ストリーム・ラジオにある何処かのカントリー専門局、どこかで聞いたようなメロディです。古すぎて付いて来れないかも知れませんが…、1961年、デル・シャノンの『悲しき街角 Run Away』、はたまた、なんとか付いていけそうな1980年、もんた&ブラザーズの『ダンシング・オールナイト』を彷彿(?)させる、日本人好みのメロディ、まさにラテン歌謡です。

The Way_Fastball日本語のサイトを調べてみると、バンド名:Fastball ファストボール の『 The Way ザ・ウェイ〜哀愁のフリーウェイ [廃盤]』の由。サブタイトル:「〜哀愁の…」にはCDのプロモーション担当者のあんちょこな下心が見え見えですが、彼の予想に反して…、全くヒットせず廃盤になったようです。日本では鳴かず飛ばずの『The Way』でしたが、全米ではビルボードモダン・ロック部門でみごと第一位に輝きます(1998年4月)。

The Way by Fastball
ザ・ウェイ〜哀愁のフリーウェイ
(※続きに原文を載せています。 )

心に決め、荷物を詰め始めた
そして、日が昇る前に旅立った
永遠で怠惰な夏への出口
でも、道も知らずに、二人は何処に向かうのだろうか

ワインを飲み干し、話し始めた
話しておくべき大事な事に至った
そして車が壊れて、歩き出した
でも、道も知らずに、二人は何処に向かうのだろうか

誰も見てはいないが
二人の歩く道は黄金
そこはいつも夏 決して寒くはならない
空腹もなければ 年も取らず白髪もない
どこかで彷徨う二人の影を見るだろう
家に帰ろうとはしないし、それでも構わない
二人はハイウェイを求め 今、二人の幸せはそこに

子供たちが起き 二人がいないのに気づく
二人は日が昇る前に旅立った
車は飛び出し 全てを置いて行ってしまった
でも、道も知らずに何処に向かうのだろうか

この曲の背後には、当時新聞紙面を賑わした事件、レイモンド& レラ・ハワード 夫婦の失踪事件があります。

Quote
レイモンド・ハワード(88歳)と彼の妻:レラ(83歳)がテキサス州サラドの自宅を出たのは1997年6月28日、土曜日でした。パイオニアデイ(モルモン教徒の祭日)フェスティバルに、自宅からわずか27km離れたテンプルに住む親戚を訪ねてのドライブでした。二人がテンプルに入ったのは日が落ちる前、しかし、理由は不明ですが、北へ向かってそのまま走り続けたのでした。家を出てから約12時間後、アーカンソー州北部の町、自宅から780km離れたスビアコで郡保安官に、ヘッドライトを点灯せずに走っているのを、停止させられ、警察無線で問い合わせるも、失踪・行方不明など関係する情報はなく、それ以上に留める理由もなく開放されました。それから45分後、自宅から860km離れたプレインビューでイェール郡保安官に、今度はハイ・ビームでの走行を理由に、停止を命ぜられます。もちろん、この時までにはこのカップルの行方不明は報告されていたのですが、残念なことにコンピュータによる照会はされませんでした。再び彼等は開放されたのです。これが、二人の生きた姿を見た最後でした。※Salado → Temple → Subiaco → Plainview

当日の午後4時までに帰らないことを不信に思った息子が警察に電話して二人の捜索願を出していました。というのは、レラにはアルツハイマーの症状があり、レイモンドは脳卒中の手術を終えたばかりだったからです。親戚は1000ドルの報奨金を提供、警察当局は全国に捜査網を拡大して二人の失踪の情報収集に努力しましたが行方はようとして不明でした。

失踪から2週間後、ハイキングをしていた十代の2人がハワード夫婦の栗色の88年型オルズモビルを発見、レラとレイモンドの死体を7〜8mの崖下に発見しました。二人が事故に遭遇したハイウェイは危険な曲がりくねった道路で有名でした。捜査の詳細で、レラがハンドルを握り、停止標識を無視、時速80kmで道路を外れて崖に突っ込んだのが明らかになり、おそらく真っ暗闇、曲がりくねった道、精神疲労、それらが合わさって起こった事故とは警察の推測です。現場にはタイヤのスリップ跡もなく、レラが停止標識に気付かなかったことを示しています。事故直後、レラはギアをP(パーキング)に入れ、キーを抜いたものと報告されています。彼女は助手席の方に廻ってドアを開けますが、それから6m位を歩いたところで力つきます。レイモンドが助手席を離れることはありませんでした。
Unquote

Fasballのベーシスト:Tony Scalzはこの事件、結果的には事故?、に触発されてこの曲を書いたそうです。感想、解釈は各人にお任せしましょう。


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November 10, 2011

バイ・バイ・ラブ Bye Bye Love

      ジャン〜ジャ・ジャッ ッジャ・ジャジャ・ジャッジャ
                 
〜と書いてしまうと、還暦をとうに過ぎた人間にはつらく、はずかしいものがありますが…、あの印象的なイントロ、そしてBye Bye Love flower_1サビから始まるこの曲:『バイバイラブ Bye Bye Love』。我々がステージ・デビューにこの曲を選んだのもこれが理由でしたが、Nobuさんのキレの良いギターで始まらなかったら4曲も続かなかったでしょう。

初めて聞いたのはサイモンとガーファンクル(Simon & Garfunkel)でしたが、この曲がエヴァリー・ブラザーズ(The Everly Brothers)のデビュー曲であることを知ったのはずっとあとのように思えます。Boudleaux and Felice Bryant

夫婦ソングライター、フェリス&ブードロー・ブライアント(Felice Bryant and Boudleaux Bryant)はこの曲だけではなく多くのカントリーやポピュラー・ミュージックのヒット曲を残しました。

songfactsに寄せられた話に依ると…、ブライアント夫婦はこの曲をエルビスの為に書いたのですが断られてしまいます。次に話を持ち込んだのはチェット・アトキンス。チェットの話では、「レコーディングに若い二人がきているよ。彼らに話しをすれば〜。」 ということで、二人もこの曲が気に入りレコーディングが始まります。何時間もスタジオ内で苦労しているのですが、どうもピンと来る音作りが出来ません。終いにはフラストレーションが溜まり、ドン(Don)が他の曲のために考えていたイントロを弾き始めました。「おい。そりゃ何だ?」とチェット。「『バイ・バイ・ラブ』の前に付けてみようよ!」 彼はピンと来るものを感じたのでした。
彼のギター・イントロは大衆を魅了する仕掛け:聞かせ処となってエヴァリー最初のヒットとなります。この曲を皮切りに、『Wake Up, Little Susie』、『All I Have to Do Is Dream』、『Love Hurts』…と続きます。

実は…、4年前にNobuさんに教えてもらうまでは…、このイントロの弾き方を知りませんでした。

先日のステージの前に練習した『バイバイラブ Bye Bye Love』です。


今回も音楽ネタになってしまいました。

※ Amazon:"Bye Bye Love" 

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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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