Drawing

May 07, 2019

散歩の途中<<28>> 忘れな草

 この季節、庭や散歩の途中で目にする草木は次々と花を咲かせ、目を楽しませんてくれますが、私は草木の名前をほとんど知りません。何時も草木の好きなかみさんに聞くのですが、何回聞いてもその名前を覚えることが出来ず、若い時から痴ほう症のごとく言われています。一方では、高校生の時、古文が苦手で、別に古文だけではありませんが…、もう少し勉強しておけばよかった、とは万人が思っている通りです。

 「忘れな草」が花の名前であることは知っていますが、その名がどの草花を指すものかは判りませんでした。英語で「forget-me-not」、中世ドイツ語の「Vergiss-mein-nicht」に由来するそうです。現在の並び順「Don't-forget-Me」ではなく、中世においてはは日本語の並び順と同じというのが面白いところです。何語かを問わず、花の名前としては大変奇妙で、明治時代、このヨーロッパ外来の新種を日本語で「勿忘草、わすれなぐさ」と付けたとのが植物学者、川上瀧弥(かわかみ たきや 1871- 1915)でした。

 「勿忘草」の一文字、「勿」を知ったのはつい最近の事です。東北(昔の奥州)に憧れた人々の足跡を探るうちに、「白川関」・「念珠関(ねずがせき)」と並ぶ東北古代三関の一つ、「勿来関」にてその一文字「勿」にぶつかったのです。読みは「なこそ(の)せき」。源義家はじめ、紀貫之、小野小町、和泉式部、西行法師などの歌人も詠んだ歌枕ですが、「勿来(なこそ)」は「来る勿れ くるなかれ」の意味、中央政府が北辺の蝦夷の南下阻止を目的に築いた砦。しかし、「勿来(なこそ)」とは文学上の比喩、歌枕に過ぎず、実際にはその存在自体を疑問視する研究者も多いと聞きます。義家が通過したのは「後三年の役(1083-1087)」の時、まさに辺境の戦いの意味で「役」、彼は「勿来(関」に凱旋しました。

 「勿」は音読みで「モチ、ブツ」、訓読みで「なかれ、なし」。平安時代に使われた言葉が明治にも顔を出すとは、漢学が長らく知識人の必須であった事を示しています。「勿忘草」は原語の意味を良く伝えていますが、その読みは、「な>わすれ>ぐさ」ではなく、「わすれ>な>ぐさ」に変わって(?)、聞いてよりやさしい・心地よい日本語になっています。「忘れな草」は世界中、その国の言語で「忘れな草」と名付けられているそうです。因みに、中国語でも「勿忘草」、川上が付けた名前と同じです。

 かみさんのアドバイスで描いた「忘れな草」です。
190428_忘れな草
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February 17, 2019

第2回絵画展の様子

 昨年末までは、他に用がない限り、ほとんど毎朝、散歩を兼ねてMACにコーヒーを飲みに行っていましたが、今年に入り、例年に比べて寒いためか…、朝の散歩に出かけるこめっきり少なくなりました。散歩に行かない理由は寒さだけではありません。

絵画展の私 今回の絵画展、2回目ということもあり、気持ちにどこか余裕があります。内容はともかく、見栄え・展示をプロっぽくしようと、キャプション・ボード(絵の説明書き)を自作しました。前回は、住民の多くが散歩の途中などで目にしている小山田周辺の風景を題材に選んだのですが、今回は遠く、近江国、湖東の「近江鉄道」、伊賀国上野を走る「伊賀鉄道と、皆さんの知らない風景で、地理上の位置、そこにまつわる歴史の説明が必要と考えたのです。絵画展開催間際に買い換えたパソコン、長い間何ら問題なく使ってきたWordやPower Point「2003」は「365」に代わり、この使い方に慣れるのに四苦八苦しています。下は、キャプション・ボード制作中の写真。厚手の印刷物をスチレンボードに貼り、それを切っていきます。厚みがあって立体的に見えるボードは軽く、接着剤(商品名:「ひっつき虫」)で漆喰の壁caption board_1に接着します。位置が違ったら、自由にに剥がしたり、接着したり、また剥がした跡もの残らない優れモノです。

 という訳で、夜なべまではしませんでしたが、作品(単なる私の絵なのですが 気取ってこう呼びます)のタイトルだけでなく、絵に描いた風景にまつわる地理・歴史を説明するキャプション・ボード作りに明け暮れてしまいました。

 会場「嵐が丘」の常連さんだけではなく、遠く、横須賀や小田原等から、多くの友人に見に来て頂き、関西の友人からは激励のメッセージをいただき、ありがとうございます。
絵画展_4

絵画展_1

絵画展_2

絵画展_5

DSC04733

 長らく、MACやコンビニの百円コーヒーが当たり前と思っている私ですが、開催期間中は、訪れる友人からコーヒーを誘う電話があります。 以来、 不本意ながら…、見栄を張って…、350円のコーヒーを飲んでいます。

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February 02, 2019

第2回絵画展のご案内 

190201_絵画展案内状

 見慣れたと云うか、最近、少々見飽きた小山田荘の風景を後に旅に出ました。見飽きたとは言いすぎ…、見る目を変えてみようと、リフレッシュを目的に関西に行ってきました。芭蕉は150日をかけて「おくのほそ道」を歩いたと云います。それに比べれば、私の4泊5日の旅行はつましいものです。

181026_司馬遼太郎 初めて、東大阪にある司馬遼太郎記念館を訪れました。館内は写真撮影禁止。訪問者は数えるほど、安藤忠雄設計の地上1階から地下2階まで吹き抜けの館内を、無謀にも2時間以上もかけてスケッチ、建築を志す学生気分に浸ることが出来たのは幸運でした。

 多くの近江商人を輩出した東近江、西武グループの創設者 堤康二朗も近江鉄道愛知川(あちがわ)出身でした。このこともあって、近江鉄道はれっきとした西武グループの一員です。米原からJR東海道線の内陸側を平行して、彦根・多賀神社・愛知川・五箇荘・近江八幡・日野そして貴生川(きぶがわ)でJR草津線に連絡します。

沿線の日野は信長・秀吉時代のキリシタン大名、 洗礼名 レオン、利休七哲の一人、蒲生氏郷(がもううじさと1556 – 1595)が生まれています。

彼の5代前の当主 蒲生貞秀(さだひで1444 – 1514)は武将としてだけでなく、日野菜歌人としてもすぐれた人物でした。 日野の地に発見された根が淡紅色の野菜(カブ)を漬けたところ非常に美味で、京に住む公家に献上すると、その美味であること天皇にまで知られるようになりました。このカブは「日野菜」、日野菜の漬物は「日野菜・桜漬け」と呼ばれ、蒲生氏上洛の際は必ず献上したそうです。

私を、貴生川駅で拾ってくれた友人は京都人、近くで畑を借りて、日野菜を育て、日野菜漬けを作るのが彼の趣味の一つ、頂いてみると、なるほど…、ご飯がすすみます。

もう一つは伊賀鉄道、城下町 伊賀市中心部とJR関西線 伊賀上野・近鉄大阪線 伊賀神戸(いがかんべ)を結ぶ、全長16.6kmの第三セクター鉄道です。駅名にもある「四十九(しじゅうく)町」は奈良時代、行基(668 – 749)に由来、修験道の開祖 役行者(えんのぎょうじゃ =役小角 7 – 8世紀)の弟子にて、この地に山伏の修験道場 「四十九院」があり、伊賀流忍術発祥の地でした。

芭蕉は、最大のパトロン 藤堂新七郎 良忠(俳号 蝉吟 せんぎん)を亡くします。彼は、処女作 「貝おほい」を故郷 上野菅原神社に奉納、決意を新たにして、当時、新興の江戸に向けて出発しました。

「おくのほそ道」への旅立ちは、それから14年後のことです。
第2回絵画展画像
楽しんで頂ければ幸いです。

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December 14, 2018

2018年関西の旅<3> 伊賀上野 〜忍者と芭蕉の街〜

181118_伊賀鉄道猪田道駅舎
▲伊賀鉄道 猪田道駅

 伊賀上野の街、この忍者と芭蕉の街は、平成の大合併で伊賀市に変更されましたが、個人的には何故か伊賀上野の方が好きです。現在では、伊賀市の中心地、旧上野市の地名を表す言葉として残されています。
181221_伊賀上野桑町駅
▲伊賀鉄道 桑町駅

161101伊賀上野「一の湯」
▲一之湯
 古代律令制の時代(7C〜10C)の広域行政区画「五畿七道」でそこを通る7本の幹線道路のうち、平城京・藤原京、後の平安京を起点に、東山道(近世の中仙道)は草津で東海道へ、  守山・関ヶ原辺りで北陸道へ、3本もの幹線道路が湖東(近江国)から分岐していきます。その古代三街道をなぞったように走る近江鉄道、その南端の終着駅:貴生川(きぶかわ)でJR草津線と接続します。そこが甲賀郡(近江国)、その南に隣接するのが伊賀国です。伊賀国上野盆地(現在の伊賀市)「四十九(しじゅうく)町」は奈良時代の僧、行基に由来します。行基((668 - 749)は、修験道(道教、山伏)の開祖,
(えんのぎょうじゃ =役小角, 7C〜8C)の弟子にて、この地には山伏の修験道場「四十九院」があり、後の伊賀流忍術に発展して行く、者発祥の地でした。伊賀国及び近江国甲賀は隣接(「甲伊一国」)、都にも近いが、それほど高くはない山々に取り囲まれ、伊賀国の郡、名張(なばり)、ナバルは隠れるを意味し、は東大寺の荘園、黒田荘の住民は黒田悪党と呼ばれ、伊賀上忍三家(服部・百地・藤林)を指し、東大寺の支配に反抗した。彼等は河内の悪党、楠木正成(1294 - 1336)ともも呼応、後醍醐天皇に与して倒幕運動に参加、後に南朝側につくことになります。
181125_10月20日午前4時上野茅町駅
▲伊賀鉄道 茅町駅
 1962年、伊賀市の旧家から発見された「上嶋家文書」(江戸末期の写本)によると、服部家の上嶋元成の三男が観阿弥で、その母は楠木正成の姉弟で、観阿弥は正成の甥にあたるという。これに従えば、楠一族と服部一族は婚姻関係であるだけでなく、楠木正成は修験道に起源する伊賀忍者を家来にしていたということです。申楽(猿楽)師は「七道の者」と呼ばれ、定住民からは差別的に見られていた。服部一族は一説では秦氏の末裔、養蚕・機織りの機織部(はたおりべ)が服部(はっとり)に変化したものです。

 徳川の時代に入ると、藤堂高虎は伊勢国と伊賀国を持ち、伊賀上野城には、伊賀忍者の上忍(じょうにん、頭目)だった保田采女(服部半蔵の甥)を養子に迎え藤堂新七郎家を造り、城代家老に据えました。1644年、芭蕉は、伊賀上野において、柘植(つげ)出身の無足人であった父、松尾与左衛門と、百地氏の出の母との間に生まれております。無足人とは一種の郷士、苗字帯刀は許されるが無禄であり、芭蕉は藤堂新七郎家、藤堂良精の三男、良忠(俳号:蝉吟)に台所用人・料理人として仕えました。主従共に忍者・山伏に繋がる一族出身、大道雑芸・文学・猿楽などの芸・術の素養の一つに、連歌、その最初の三句を「発句」、後の「俳句」を創造する素養があったのでしょう。最大のスポンサーである藤堂良忠(俳号:蝉吟)を亡くした芭蕉は、西鶴・近松など既に元禄文化の爛熟する大坂だはなく、処女作「貝おほひ」を上野菅原神社に奉納して、新天地、江戸に向かいます。江戸での最初の仕事は神田上水工事の監督でした。何故、単なる俳諧師である彼に治水工事の監督が出来たのか?大きな謎ですが、やはり彼の出身一族、雑芸(猿楽)>治水治山・土木>伊賀忍者・修験道に繋がります。

 少し時代は異なりますが、関ヶ原戦い(1600)に勝利した家康は江戸城及び関東の地を本格的に整備します。旧武田の家臣、猿楽師上がりの大久保長安が江戸城半蔵門から家康の脱出ルートである甲州街道、武蔵国の西端に八王子の街を建設、滅亡した武田・後北条の旧臣を組織して「八王子千人同心」を作り上げます。後に一族は家康に抹殺されることになるのですが、一介の猿楽師にすぎない大久保長安が治水治山・金山開発を行い、一時は金山奉行までに上り詰めました。彼は、伊賀国の南隣大和国出身、自の先祖を観阿弥と同じく秦河勝と述べており、猿楽・大道芸と鉱山・治水治山・養蚕・機織り、一方では修験道・山伏など山岳宗教集団、技術者集団の甲賀・伊賀忍者にも繋がって行きます。

 藤堂高虎が造った城下町、伊賀上野、外様でありながら津・伊賀の二カ国を手にし、一方では惣と呼ばれる伝統的な自治制度を温存、町衆による自主的な祭「上野天神祭」を保護、小堀遠州を師として茶の湯を広めました。その為か、街の大きさの割には多くの和菓子屋さんが存在します。
181207_上野湖月堂店内
▲和菓子屋「湖月堂」
 友人の奥さんの奨めで、 今回は「湖月堂」さんの最中「高虎」をお土産に買って帰りました。

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November 07, 2018

2018年関西の旅<2> 近江鉄道

 その日は一日かけて近江鉄道沿線の古い木造の駅舎を訪ねるのが目的でした。しかし、朝起きるのが遅くなり、出発もずるずると遅くなってしまいました。JR京都駅に着いたが10時頃か、これでは近江鉄道の始発の駅、米原に着くのが昼前になってしまいます。これでは終着駅、貴生川駅での友人との待ち合わせ時刻16時までわずか4時間しかありません。米原,泙嚢圓ず、一つ手前の彦根駅△ら近江鉄道の旅を開始しました。これで、予定していた本命の一つ、鳥居本駅舎をはずすことになりました。
181107近江鉄道
 近江鉄道の一日乗車券を買って、やおら時刻表を見ると、地方なので当たり前と云えば当たり前なのですが、1時間に1本の運転しかありません。彦根口駅で降りたのは間違いないのですが、 その駅舎の姿さえ憶えていません。私の勘違いかも知れませんが、写真を撮っていないところから見ると、少なくとも期待した木造駅舎はなく、駅周辺にもこれと云ったものもおらず、次の電車が来るまでの1時間をどう過ごすか途方に暮れてしまいました。

 他にすることもなく、沿線に関する知識をいくつかご披露しましょう。現在も交通の要衝である湖東地方、かつては北陸道・東山道(近世の中仙道)・東海道の三道の結節点であり、歴史の舞台でした。

 すでに鎌倉が新田義貞軍に滅ぼされた(1333年5月8日)のも知らず、京を落ちて鎌倉を目指す六波羅探題、北条仲時軍は近江国番場宿蓮花寺(現在の米原市 砲肪り着くも、前を佐々木道誉の軍勢に阻まれて万事休す。仲時は一族432人と共にここで自刃しました(5月9日)。哀れです。

 次の尼子駅ざ瓩、近江国犬上郡藤堂村には、戦国時代、藤堂高虎(1556-1630)が生まれています。信長・秀吉そして家康に仕え、外様ながら伊勢・伊賀国を支配しました。旅の目的地はこの伊賀上野ですが、近江にも甲賀があり、両者は間の山を県境に隣接しており、共に忍者の里として知られています。面白いことに、戦国期の伊賀国と甲賀では、守護大名(甲賀の六角氏)の支配は緩く非常に限定的で、「惣」と呼ばれる連合体が形成されるほどに、地侍(小領主)に依る自治がなされていました。 余談ついでに、小松左京の「敦賀・加賀・滋賀・多賀・甲賀・伊賀の「賀」の連なり…」を渡来文化に関する著作の中で読んだ記憶がありますが、湖東は大陸から伝わった文化が大和国地方へと広がる幹線ルートであったことは間違いありません。

 次ぎに立ち寄ったのが五箇荘駅ァ4儻客向けに、それらしい装いの駅舎ですが、絵に描いてみようという気持ちにはなりません。当地は近江商人発祥の地。西武グループの創業者:堤康次郎(1889 - 1964)も、一つ手前の愛知川駅の在る愛荘町で生まれました。私の乗る近江鉄道も西武グループの一員で、鉄道車両は西武鉄道のお下がり、県南部を走る近江鉄道の路線バスにも関東を走る西武バスのカラリングが施されて、関東に住む私は不思議な感覚に陥ります。本当かどうか知りませんが、滋賀県で一番人気のプロ野球チームは「西武ライオンズ」だそうです。

 街並みが保存されているようなのですが、そこまで歩いて往復するだけで1時間は必要、街並みを見て回るとなると…、次に乗る電車は2時間後になってしまいます。周辺を廻っただけで駅舎に戻ります。誰もいない駅舎で、一人、作戦の練り直しです。次はレトロな駅舎の新八日市駅、メンソレータムの近江兄弟社で有名な近江八幡駅を予定していたのですが、これだけでも一日は必要と理解して、今回は断念することにしました。まだ一枚の絵も描けず、時間だけが過ぎていきます。 …と、駅に置いてあるパンフレットに『厳選!近江鉄道本線こだわり旅』とあり、見所の一つに、私が予定していた桜川駅Гあります。

 八日市駅Δ乃生川行きに乗り換え、いくつか駅を過ぎ、桜川駅Г嚢濕屬靴泙靴拭2りを散策など…の余裕もなく、次の電車が来るまでの1時間、スケッチに没頭しました。陽が落ちるのも早く、影が長く感じられます。貴生川で畑を借りている友人から電話の一報、「今、何処?」、畑作業は間もなく終わるそうで、予定を変更して、貴生川より手前の水口駅で拾ってもらうことになりました。
181104_近江鉄道桜川駅駅舎_2
  予定していた日野駅┐蘯崛襪ら見るだけに終わりました。もう一つの近江商人、日野商人の拠点、蒲生郡日野町です。戦国時代、蒲生氏郷(1556 - 1595)が生まれた地でもあり、何故か…、彼に愛着を感じています。2012年、会津若松に旅行し、街中に偶然、氏郷のお墓を発見(興徳寺 遺髪のみ)して感激したことがあります。千利休の一番弟子で、千利休切腹後は彼の息子を会津若松に招いて千家存続、茶道発展に尽くしました。彼は名護屋布陣中に病死、京都大徳寺にある黄梅院に葬られています。彼は熱心なキリシタンでしたが、彼の死後、会津地方でキリスト教がどうなったのか大いに興味があります。

181107_日野菜 水口駅で降車、陽は西に傾き、駅舎の長い影に見入っていると、友人の車がやって来ました。私とは大いに異なり、彼には「食」に対するこだわりがあります。その一つが「京野菜を使った漬け物」です。先ほどの日野、此処が原産かどうかは知りませんが、「日野菜(ひのな)」というカブの一種の漬け物です。近江国が発祥、「千枚漬け」と並ぶ京漬け物の一つです。

 旅行から帰ると、約束通り、彼が自分で漬けた「日野菜漬け」が届いています。さすがに…、こだわりの彼が漬けた「日野菜漬け」、上品なおいしさで、ごはんが進みます。どうも、おおきに!また、よろしくお願いします。

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October 26, 2018

2018年関西の旅<1> 司馬遼太郎記念館

 私は大学受験で日本史を選択しましたが、歴史、特に日本史が好きであった訳でもありません。 本当に好きになったのは、遅まきながら…、受験が終わり、父親の読んでいた司馬遼太郎の『関ヶ原』を読んでからの事です。家康・三成・島左近・大谷吉継が、読者(私)がさもその場に居合わせているかのように表現され、その臨場感に感激した記憶があります。膨大な資料収集に裏付けされた司馬の著作は上質な大衆娯楽小説として国民的支持を受けており、これが「歴史」であると信じている人も多く存在するのも事実のようです。

181026_司馬遼太郎 司馬の先祖は播磨国(姫路)の人、福田姓を名乗る前は「三木」姓で、三木城籠城に関連の家系だそうですが、彼が生まれたのは大阪市です。彼のお母さんの実家が大和国北葛城郡竹内、彼が幼少の時はここによく連れて来られ、ここが故郷のようであると『街道をゆく』に書いています。竹内街道は、摂津国堺の大小路に始まり、堺金岡で摂津国難波宮から南下した「大道(おおじ)」と接続、河内平野をさらに東進、国境である竹内峠を越えて大和国の長尾神社に至る街道です。

 生まれは九州ですが、私の出身地は摂津国伊丹と自称しています。大学に入り、読み始めた司馬遼太郎、卒業して社会人になると、既に彼はサラリーマンが常識として読むべき国民的作家の地位にありました。私のそれまでの主な行動範囲は京都・大阪北部・神戸(摂津国)でしたが、入社当初、勤務先が心斎橋だったからかも知れませんが、男性社員は西日本出身者が多いのは当然として、女性に関しては、摂津国出身者が少なく、河内・和泉国(大阪の南部)出身者が多数を占めるのには少なからず驚いたものです。社会人になると行動範囲を広がり、今まで滅多に乗ったことのない、天王寺からの南海電鉄線、難波からの近鉄線にも乗るようになりました。

 近鉄奈良線、八戸ノ里駅近くに司馬遼太郎が住んでいることを知っていましたが、当時、私は彼が播州出身と勘違いしており…、どうして八戸ノ里(河内国)なのか疑問に思っておりました。 彼の人生で最も影響を受けた土地(出身地)、懐かしい故郷、北葛城郡竹内に通じる「竹内街道」に接続する「大道」が難波(なんば)から始まる。その難波から近い八戸ノ里(河内国)を居住の場所として選んだのではないでしょうか。死後、2001年、『司馬遼太郎記念館』安藤忠雄の設計で自宅に隣接して建設されました。

 旅行の初日、湖東の近江国鏡宿で義経元服の地、それより少し京都よりの篠原で平家終焉の地、平宗盛の胴塚を、二日目には、義経が京を追われ西国へ逃れようとして災難に遭う大物浦(尼崎)を、今や阪神電車と相互乗り入れしている近鉄電車に乗り、難波経由で八戸ノ里(河内国 東大阪市)、始めて『司馬遼太郎記念館』を訪れました。八戸ノ里駅で駅員に道を尋ねると、駅員が親切に教えてくれました。歩いて8分、私と同年ぐらいの司馬ファンらしきスタッフ(?)が出迎えてくれます。

 『司馬遼太郎記念館』は、司馬の書斎を亡くなった当時のままをガラス越しに見ることが出来、続いて隣接するコンクリート打ち放しの、三層吹き抜け、高さ11mの書架で構成されています。 地下三階に降りると、壁には天井から床まで巨大な書架には司馬の蔵書6万冊の一部(2万冊)が収納されています。

 館内は撮影禁止。司馬ファンだけでなく、安藤忠雄ファンのあるいは建築を勉強する人達も訪れ、テーブルには来館者が書き込みできる「対話ノート」が置かれており、彼等が描いた〜光が差し込む巨大な書架〜のスケッチが見受けられます。 さすがに、彼等に伍してそのノートに描く勇気はありませんでしたが、来館者も少なく、背後を気にすることなく、十分な時間をとって、用意していたスケッチブックに幻想的な内部を描き残すことができました。帰宅して仕上げたのがこれです。


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September 26, 2018

散歩の途中<<27>> 秋の草花を描く

シリーズ『散歩の途中』を長らくご無沙汰しているのに気がつきました。180918_ニラアルバイトがない限り、朝夕の散歩は実行しているのですが、いくつかの定番コースの内、南回りコース<桜美林→境川→帰りにMAC>は少なくなり、より里山風景の残る北回りコース<鶴見川(大泉寺)→小山田神社(蓮田)→鳥居坂>のコースに向かうことが多くなっています。                                                   ▲にら
  181011_??? 今年の3月、地元団地内にある喫茶店、『嵐が丘』での展示会、ご大層には個展…、『小山田有◯絵画展』開催のために、団地からそう遠くない、誰もが知っている風景をわざわざ選んで絵を描いたので、それらの風景には少々飽きてしまった、というのが正直なところです。 10〜15分、風景を見ながら鉛筆でスケッチ、写真を撮り、帰宅してから、181008_???パソコンでその写真を見ながら下絵の線を、ピグメント・ライナー(0.03 - 0.05 - 0.1mm)で仕上げていきます。完成までに数時間はかかるでしょうか…。                    
180929_???
180912_名称?
     ▼ユーホルビア
 180916_ユーホルビア 秋になり、散歩の途中で目にする草花を、鉛筆での下絵なし、いきなりライナーで描き上げてしまおう。それも10〜15分以内に…。  左手にスケッチブックを持ち、 不安定な紙面に実線を入れて行きます。全くの「言うは安く…」で、秋口には蚊が多く、友人に云わせれば、この時期の蚊は子孫を残さんが為に必死で、半パンツ半袖姿で指先だけを動かす人間は絶好の標的、5分もその場で立っていれば、目には見えにくい脚の脛股の反対側には彼等の黒い影がいくつも付いていることでしょう。180921_彼岸花虫除けスプレーは必需品です。先日は、膝を落として低い位置で描き始めたのですが、この姿勢を維持するのもつらいもので、そんなときには小型の折りたたみ椅子が必要です。他の散歩の人が近くを通るとどうも気になって、その線が途切れてしまうこともしばしば…、描きたい草花を見つけたら如何に素早く、人が来ても心臓強く描く練習です。
  ▼クレオメ                 ▲彼岸花
180917_クレメオ それでも、やはり写真を1枚撮ることが必要です。どうしてか…って? 帰宅して、その写真をかみさんに見せ、自分の描いた草花の名前を知るのです。私は草花が好きですが、そこまでは万人と同じですが…、その名前を知りません。正確には、草花の名前と実際の草花の姿が一致しないことが多いのです。

 昨日、こんな事がありました。草花の絵を描いたまでは良いのですが、電池切れのスマホでは写真が撮れません。絵を彼女に見せて、「これは何の花?」と聞けるほど正確に微細な絵を描いていません。その絵を掲載するのは止めておきましょう。



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March 20, 2018

小山田有重絵画展特別企画 K.A.Y.A. Band Live at 「嵐が丘」

連合会掲示板 コブシ、モクレンが既に満開、例年より早いようですが、桜の開花もはじまり、当地、武州小山田ノ荘にも春がやって来たようです。そんな陽気の先日の土曜日、私の絵の発表会、『小山田有重 絵画展』を開催中の団地商店街に在る喫茶店「嵐が丘」を会場に、ライブコンサートを実施しました。「嵐が丘」は小さなお店で、ドアの外でも聴いて頂いた方がおられるなど、14人の予約客で満員でした。

 小山田有重 絵画展管理組合理事を務めた時に、組合員(住民)向け月刊の会報を担当したのですが、余白を埋めるために『小山田荘を歩く』を連載しました。ほとんど当ブログでご紹介している『散歩の途中』の焼き直しに私の描いた挿絵を添えたコラムなのですが、これが思いのほか好評で、同じく理事の一人から彼の奥さんが『嵐が丘』を運営されているので、そこで展示会をやればという話をもらったのがきっかけでした。ダメ元で、「ついでに…、ここでライブをやらしてもらえないでしょうか」と、バンド練習を録音したデモCDを聴いてもらい、快諾して頂いた経緯があります。
複数展示
 
 壁に飾るべき12点の作品(もっともらしく、絵をそう呼びます)を選定、「馬子にも衣装」の額縁・ガラスと作品の間に入れる窓の開いたマット台紙を用意、全てを額装して搬入・展示…と、初体験故か…、絵画展準備だけでも少々疲れ気味です。音楽に馴染みが薄い人でもクラッシクやジャズと云えば、ただ聴いているだけで一端の趣味人に見えるのですが、聴く人によっては…下品で、うるさいだけのロック、ロックンロールを主なレパートリーとする我がバンドのライブが地域住民に受け入れられるものか…、一抹の不安がもたげてきます。「絵」だけにしておけば良かったのに…と、一時は、ライブをお願いしたことを後悔したりもしましたが、とうとう3月17日(土)、ライブ当日がやって来ました。  Nobuさんは埼玉県熊谷から、途中Maruさんを拾って、2時間半をかけて、Kunさんは府中から1時間、いずれも私の住んでいる小山田桜台は始めて、ナビがあるにせよ、遠路を上手く辿り着けるのか…、事故にでも会ったら…とは心配のし過ぎ、メンバー全員は無事到着、重い機材を搬入・設置してくれました。お店側も前日から料理の仕込みをして、予約客の来場に備えます。

モモ 午後2時にオープン、お店の外にカメラを設置ライブの模様を録画してYoutubeに乗せようと計画していたのですが、撮影するためには、窓を開かなければならず、残念ながら昨日は窓を開くほどは暖かくなく、 これを断念せざるを得ませんでした。私は音楽の準備に追われ、いつものように、全く余裕がなく、会場の様子をカメラで撮影するのをコロッと忘れてしまいました(※残念ながら、当日の写真は全くありません)15人で満員のところを、14人が来場、60代〜70代(当団地も高齢化の波が…)、男女半々。これにお店の人5人、我々バンド4人、合計23人のパーティです。
 
 前半30分(7曲)+休憩30分(飲食)+後半30分(7曲+アンコール1曲)、歌は私とNobuさんが交互にリードを歌い、片方がバックのハモを担当します。開演早々、何の紹介もなく「Proud Mary」〜「Have You Ever  Seen The Rain」のメドレーもうまく終わり、住民である私が挨拶して、それからはNobuさんが曲間にしゃべりを入れて、大きな演奏のチョンボもなく、無事全曲を終えることが出来ました。Kunさんが録音してくれた何曲かをご紹介しましょう「Norwegean wood」「Memphis」「Luceil」「Black is Black」 と続き、最後はアンコールに応えて、Nobuさんの「Match Box」で終わりました。皆さん、あっけにとられた…?のか 、立ち上がって大きな拍手をもらったのが印象的でした。 ※ 「Pretty Woman」は皆さんにお聞かせするレベルまでには達しておらず、残念ながらボツとなってしまいました。

山ノ端橋辺り 前日、不安な私はお店を訪れたのですが、カウンターの横に座った年長の女性と話が弾み、「壁の絵を描いたのは、あなたでしたか…」と真顔でびっくり、ビッグバンド・ジャズが好きだったとか…、「明日のライブには来ます」と言ってくれた彼女が、当日、最後の曲が終わると、わざわざ前まで来てくれて「よかった」と言ってくれました。 救急車のお世話になる事態(?)も発生せず…、結果は「大成功」だったと言えるでしょう。

 テニス、理事同窓会の仲間を始め、お金を払って聞きに来て頂いたお客様、ライブを受け入れてくれたお店の方々にはもちろん、私の絵画展を応援するために 遠路はるばるやって来てくれたバンドの仲間に大感謝です。私が現役を退いて始めた絵、大阪に住む友人ご夫婦と私の二人の姉に絵はがきにして送っているのですが、彼らからは機会がある毎に好意的な助言をもらい、今回の「嵐が丘」における絵画展・ライブの原点は彼らの応援にあるものと感謝しております。ありがとうございました。
 
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January 26, 2018

私の絵

 あっという間に正月どころか、間もなく1月も終わろうとしています。団地内の喫茶店『嵐が丘』から絵の展示会の話があった時、もちろん有り難くお受けすると同時に、3月と云えば遠い話と、図々しくもそれまでにお店でバンドのミニ・ライブをすることを提案しました。結局は、絵の展示会とミニ・ライブは共に3月に決まりました。「1月は行く、2月は逃げる」とは良く云ったったもので、遠い話どころか、3月は目の前に迫って来ました。ミニ・ライブの件は、私以外の3人はステージ経験も豊かで、PAも含めて彼らにお任せなのですが、絵だけは私が準備しなければなりません。

 管理組合理事を務めた時に、月刊の会報を住民宛に発行するのが私の仕事の一つで、書くべき記事が少なく、その空白を埋めるために『小山田荘を歩く』を連載しました。ほとんど当ブログでご紹介している『散歩の途中』の焼き直しに私の描いた挿絵を添えたコラムなのですが、これが意外と皆さんに人気で、同じく理事の一人から彼の奥さんが『嵐が丘』を運営されているので、そこで展示会をやればという話をもらいましたが、そのお店に入ったこともなく、話は途絶えてしまっていました。

 テニスがきっかけの友人、Aさんは、俳句・川柳、町屋の格子を研究されているが、歴史の話で相手をしてもらいますが、実は彼はグラフィック・デザインが専門です。私の絵に関して彼のアドバイスに負うところが多く、そのお店に行く彼からも出品を奨められていました。その彼からのアドバイスは、お店に出入りする団地の住民がよく知っている風景を描けということでした。彼のアドバイスに沿った訳ではありませんが、昨年、2017年は、女性に喜んでもらえるであろう庭の花々、皆さんも見るであろう、私が散歩の途中で見る風景を描いて来ました。最近、その彼と『嵐が丘』でコーヒーを飲む機会があり、お店の方も交えて出展が実現する事になりました。

 振り返ってみると、絵の展示会とは小学校の時代以来の出来事であり、何の用意もありません。今回は二つ目の慣用句、「馬子にも衣装」、絵を本来の実力以上に引き立たせるのが額装です。当初は額縁の自作を考えましたが、結果としては素人が木材を45°正確に切断、これを正確に接着するのは至難の業と断念して、ネット上の最も安いところから買いました。一つ大いに勉強したことは、額装の際、ガラスと絵の間に、断面が45°の窓の開いたマット(台紙)がバカバカしいほど高価で、額装する絵に合わせて開ける窓の大きさを変えなければなりません。スチレンボード(発泡ポリスチレン)3mm厚をホームセンターで購入、NT Cutter製のマットカッターを使えば、自分の好きな大きさの窓を45°の斜め切りで明けることも簡単に出来ます。是非、お試し下さい。

 下に、私が自選した絵があります。もし私の絵にご興味をお持ちの方は、この中かからあなたのお好きな絵を3点選んで頂けないでしょうか?場それぞれの絵の左上に番号が付いております。コメントを利用して頂くか、末尾の<拍手>をクリック、<名無しさん>「ひとことメッセージ」に、例えば…「16、 3、10」の様に投票をお願いします。投票の結果を参考にさせて頂き、出品する10点を絞り込みたいと考えています。

 皆さんの投票をお待ちしております。

 PS もちろん、発表会、いや…展示会の確実な日程が決定しましたらこの場でお知らせします。

<<2016年>>
2016絵

<<2017年>>
2017絵1
2017絵2


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October 22, 2017

散歩の途中<<25>> 夏秋の風景

 ないと言えば嘘になりますが、歳のせいか…欲しいものが少なくなりました(負け惜しみ?)。加えて、わざわざ都内や町田の繁華街に出かけなくても、ほとんどのものがAMAZON・楽天などのインターネット通販で安く買えるのですから重宝するのは当然です。そんなことで、自宅近くで仲間とテニスをし、朝夕の散歩を行い、その道すがら、たまには絵(スケッチ)を描くという、自宅中心とした半径わずか数キロの生活になっています。
 
 「朝日を浴びるのは心身の健康の源」とはかみさんの口癖。彼女は夜明けとともに起きて愛犬のモモと一緒に散歩に出かけるのが一日の始まりです。他のことはともかく、彼女のその言葉には全く同感、朝日には何か意欲を沸き立たせる力を感じるのは二人だけではないでしょう。

140715_蓮田の小山田神社_2 二人(かみさんとモモ)が帰ってくると、入れ違いに私が散歩に出かけます。いくつかのコースがあるのですが、それが定まらない時は、東(正確には北東)の方角、既に太陽は昇ってしまっているのですが、朝日に向かって、先ずは小山田神社に向かいます。歩いて15〜20分の下り坂、お気に入りの下小山田ノ谷を抜けると、蓮田が広がり、その蓮田の海に小山田神社の島が浮かんでいます。柏手を打ち、鳥居を後に、今日はどの道を行こうか…、蓮田の小径を行きます。

 今年、夏・秋にはこんな風景を絵にしました。
この夏の風景
 去年は道に(他人の敷地内ではありません)多くの栗の実が落ちており、特に朝一番で出かけるかみさんの収穫は大きく、連日の栗ご飯でした。朝日を浴びるためだけが目的ではありませんでした。

 残念ながら、この秋は不作、栗ご飯をごちそうになったのは一度だけでした。来年に期待しましょう。

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September 22, 2017

画集 『Portrait Of Courage』

 国連の禁止命令にもかかわらず「大量破壊兵器を保持している」ということを口実にイラク戦争(2003-2011) に踏み切ったジョージ・W・ブッシュ大統領、当初は自軍を現代の「十字軍」と呼び、慌てて訂正、イラン、イラクと云ったイスラム国家に北朝鮮を加えて、これがキリスト圏とイスラム圏との戦いではない、「悪の枢軸」との戦いであると主張。フセイン政権との大規模戦闘は短期間で終了、イラク侵攻は単なるクーデターであって、むしろ政権崩壊でイラク国内治安は悪化、内乱状態の終結は2011年まで待たなければならなかった。2009年、任期満了で大統領を退任したが、8年の政権期間を述懐、「私の政権の期間中、最も遺憾だったのが、イラクの大量破壊兵器に関する情報活動の失敗だった」と。当時の小泉首相は、日本の首相として、「十字軍」・「枢軸」と云う表現に何の違和感も持たなかったのか…、イギリスのブレア首相、オーストラリアのハワード首相とともに、ブッシュのプードル犬と呼ばれ、 インド洋に海自補給艦を、サモアに陸自施設部隊を派遣するだけでなく、 イラク政府に対する7,100億円(?)もの債権を放棄した。結果、「大量破壊兵器は見つかりませんでした」とはお粗末至極。
portraits of courage
 『Portraits of Courage: A Commander in Chief's Tribute to America's Warriors』は43代アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュによる画集、予約注文が殺到、発売と同時にベスト・セラー第一位となった。「夫が将来大統領になるのは想像出来ても、画集を出版するとは夢にも思わなかった」とは妻のローラによる前文の言葉。大統領引退後、66歳の時、人生に何かが足りないと、ウインストン・チャーチルに倣って、絵画をやり始めたそうです。誰かに指導を受けたにせよ、彼の描く肖像画は、素人の域をはるかに超えて、実に素晴らしい。
gwbush-painting
 敬虔なキリスト教信者としての贖罪かも知れませんが、ジョージ・W・ブッシュは、勘違いで「ならず者」を蹴散らしてしまった、単純なテキサスの坊ちゃんカウボーイではありませんでした。

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September 06, 2017

散歩の途中<<24>> 大泉寺バス停

 交通費が高いだけでなく、用もないので、東京都心おろか、町田の繁華街さえも滅多に出なくなってしまいました。私はPASMOカードを持っているのですが、久しぶりに乗ると今まで不要だった乗車時にカードをタッチさせることに変更になっていたり、バス乗車時にチャージできるはずなのですが…まだやったことがなく、小田急駅の券売機でやっています。先日、JRを利用したのですが、何故か…、JRでPASMOは使えないものと勘違い、新たにSUICAカードを買ってしまい、かみさんからバカにされてしまいました。

 PASMOやSUICAカードだけではありません。お金はないが時間はたっぷりある私、以前はお店で探すのが楽しみだったレコードやCD、今やそれを再生するプレーヤーさえもありません。 本を読むといえば、近くの桜美林大学図書館を利用していましたが、学術書・専門書意外の小説・実用書は市営図書館を利用します。俗に云う洋楽CDはネット通販でほとんどタダ、ほとんど郵送料だけで買うことが出来、今やダウンロードが全盛の様です。私は好きな音楽をストリームラジオで聞いて、これは手元に置きたいという本はAMAZONにて、それも中古本を購入します。オタクあるいはマニアはともかく、これではCD屋さんも街の本屋さんもお手上げです。

 町田に出たからには…と、HANDS、世界堂(画材店)などのお店、文学館を巡って、気がつくのはラーメン屋さんの多いこと…はともかく、ふと、本屋さんに入りました。そこで見つけたのが、NPO法人:みどりのゆびが発行、町田市が監修する「まちだ フットパスガイドマップ」です。「Foot Pass」とは、田園地帯、古い街並みなど、地域にある昔ながらの風景を楽しみながら歩こう、というイギリス発祥の運動で、町田市にはそれにふさわしい昔ながらの里山・雑木林・田畑・古道・街道、歴史の面影が多く残されており、町田市がコースを整備、それをガイドマップにしたのがこれです。以前からこの「フットパス」の標識を私の散歩コースでも見かけていましたが、こんなに立派なガイドマップがあるとは知りませんでした。町田市市が積極的にその環境・景観を保全した訳ではなく、結果として生き残った(取り残された)景観を、遅ればせながら…、ここに至っては…、積極的に活かして行こう、という運動です。イヤミはともかく、「町田フットパス」は大いに評価できる事業であり、歴史・文化的内容を掘り下げ、さらにこの事業を推進すべきです。

 「まちだ フットパスガイドマップ」P9:「図師から小山田桜台」:〜里山の雰囲気が漂う小山田周辺のなつかしい風を感じて歩く〜は、ほぼ私の「散歩の途中」の舞台に重なります。
地図_図師〜小山田桜台

 ガイドマップを拝借して、その上に示した「大泉寺バス停」、 5年前か…、私が絵を描き始めた頃に描いたのがこれです。
20121207大泉寺バス停
 少しは上手くなったでしょうか…、角度は違いますが、先日描いたのがこれです。絵の技量はともかく、風景そのものはこの5年間どころか、何十年もほとんど変わっていない、 時間が停止しているようです。一見の価値はありますよ。
170822_大泉寺バス停 資源ゴミ回収日の朝
 用がなくても、たまには、片道290円もの大金を払ってバスに乗り、JR・小田急町田駅周辺の都会に出て行かなければいけません。新しい発見があるものです。

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April 01, 2017

花見に冷たい雨

 東京の桜の開花は全国で一番早かったのですが、それは観測地点の靖国神社だけの話し、それ以降の足取りは遅く、明日から近所の散歩の定番コース、尾根道で開催される予定のさくら祭も「ウソでしょ」といった感じで、雨にも祟られて最高気温は7℃、1ヶ月は後戻りしたような冷たさです。

 毎年、年が変わった1月はそうも感じないのですが、2月、3月に入るとその寒さが耐えがたいものになり、東北・北海道の寒さはこんなどころではないのでしょうが…、「暑さ寒さも…」、そのお彼岸も通り過ぎて、「将軍様、もうわかりましたから、勘弁して!」と思わず悲鳴が出てしまいそうです。春の到来の道程は、最も昼の時間が短い「冬至」を過ぎて徐々に昼が長くなり、「春分・お彼岸」で昼夜の時間が同じに、そして、次第に逆転して行きます。その道の先に「花見・さくら祭」、新たな舞台の緞帳(どんちょう)が開きます。

  昔、大阪支店でまだ新入社員だった頃、1972〜1973年か?、季節は夏、東京から転勤でやって来た先輩曰く、「大阪ではよほどの貧乏人でない限りエアコンを持っているが、東京ではよほどの金持ちでない限りエアコンを持つ必要はない。」 大阪の夏は「くそ熱い」と表現されるだけあって、8月の平均気温が鹿児島・沖縄より高く、ただ暑いだけでなら何とかしのげるのですが、あのまとわりつくような湿度の高さは半端ではありません。東国、町田(東京都)に住んで30年、それまで住んでいた関西を抜いて、人生で最も長く住んだ所になってしまいましたが、本当にエアコンの冷房が必要なのはほんの一ヶ月間ほど、逆に当地の冬場は寒さが厳しく、ましてや私の部屋は日の目を見られない北向き、一日中エアコンの暖房のお世話になっています。

 雨の花見とは散々ですが、かみさんが庭で育てる鉢植えは既に見頃を迎えています。
春の花

 冷たい春雨に、先輩の一言を思い出しました。

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January 26, 2017

散歩の途中<19> 代官坂

 過去何回か(?)ご紹介している小山田桜台団地ですが、小田急町田駅に出るのにバスで30分、本来は15分弱のJR横浜線淵野辺駅に出るべきなのでしょうが、如何せん朝夕の通勤・通学時間を除けば1時間に1本しかありません。しかし、2027年、東京・名古屋間開業予定の中央リニア新幹線が着工(?)、品川を発車した最初の駅は隣町:相模原市橋本らしく、それにともなって、現在、唐木田まで来ている小田急多摩線を延伸、横浜線相模原駅に接続、その間に2〜3駅が新設されるそうです。小田急延伸・モノレールの構想は、この団地開設の30年も前から言われている話、10年後、近くに新駅が出来たとしても、その頃には外出する意欲もなくなっていることでしょう。

 「陸の孤島」状態はしばらく続きそうですが、そのお陰で、東京都に在りながら単なる昭和の里山風景どころか、遡って、平安後期から鎌倉にかけての武士勃興・政権確立の舞台、できる限り直線に配した「鎌倉街道」、さらに遠くの古代、阿倍比羅夫・坂上田村麻呂が東北に向かい(?)、防人が横山をはるか九州を目指して下って行った痕跡が「奥州古道」として残っているのは奇跡ではないでしょうか。
鳥瞰図
 団地の掲示板の言葉、「水彩画を楽しんでいます。ご一緒にいかがですか。」に誘われて水彩画同好会に入会しました。つい最近まで高校で美術の先生だった方、かつてそれなりの先生について絵を学んだ方など、本格的に水彩画をやっておられるようで、持っておられる道具類(絵の具・筆)も違います。彼等の水彩画に比べれば、私の絵は極端に言えば線画、色付けも単純、持ち物も友人にもらった絵の具は別に、筆は絵手紙用の水筆一本だけ。そもそも彼等のサイズがA4であるのに比べ、私のそれはA5あるいはF0と彼等の半分です。私の絵を見た一人が、「こんな風景がお好きでは?」と写真を見せてくれます。

 数年前、町田市と多摩市を隔てる大きな段差(多摩丘陵、『万葉集』で言う「多摩の横山」)を越えて小田急多摩線終点駅:唐木田駅に至る道路が完成、路線バスはないものの、車で行けばわずか10分、唐木田駅発の急行に乗り、代々木上原で本線急行に乗り換えて新宿に出る新ルートが発見され、時間的にも金銭的にも、都内が近くなりました。唐木田に至る道路の途中で目に入るのがその写真の風景です。私だけでなく、その彼も、おそらくこの道を走る多くの人にとっては大いに気になる景色なのでしょう。早速描いた絵がこれです。
170117小山田代官坂辺り
 ただものではない立派な門構えの農家、その敷地の裏から「多摩の横山」へ通じる「代官坂」が始まります。下小山田と上小山田のほぼ境、標高が上がるにつれて突然小さな谷戸に畑の畝が現れるたかだか1キロほどの坂にすぎません。鶴見川、結道川、馬駈堀など水の便良い麓では田んぼが広がる「田方」と呼ばれる代官坂地蔵のに対し、この辺は「岡方」と呼ばれるそうです。耕耘機など、小型の農業トラクターなどが辛うじて通行出来る道幅で、終末のハイキング客か地元農家の人しか通る人もおらず、「奥州古道」の痕跡を深く残す道と言えるでしょう。

 さて、その名前、「代官坂」とは、どこからやって来たのでしょうか?甲斐、武田氏が滅び、かつてその家臣だった大久保長安が徳川家康に仕官、一族郎党を連れて八王子に移住、「千人同心」を組織、江戸〜八王子〜甲府を結ぶ将軍の脱出路として甲州街道を整備、佐渡・院内・石見を統括する金山奉行として権勢を振るいました。当地境川流域(淵野辺・橋本)あるいはこの下小山田・上小山田にも少なからず、甲斐以来の彼の郎党の子孫が住んでおり、長安の冬至の官職名:八王子代官頭に因んで「代官坂」と呼ばれるようになったのではないかと云う説があります。近くには「大久保台」の地名、八王子には「野猿峠」と言う地名があり、長安の出自が金春流猿楽師であったことも合わせて考えると想像力も膨らみます。「陸の孤島」も悪くはありません。 
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December 30, 2016

私の絵

 今年5月、2年間勤めたの管理組合理事をその総会終了とともに終えました。以前にも書いた通り、終了後、一人の女性が私の席にやって来ました。私は組合員(=住民)向け広報紙の制作を担当、紙面を埋めるだけの記事も集まらず、私の描いた絵と私の書いたコラム:『小山田荘を歩く』で何とか紙面を埋めていました。彼女は私のコラムの大ファンだったそうで、どんな人が描(書)いたのか会ってみたいと、総会に出席されたのです(本人を見てがっかりだったかも…)。私の絵に客観的な評価をしてもらえる先輩の友人に加えて、この彼女のように、私の絵のファンが幾人かが現れたことは大変嬉しく、心強く感じた1年でした。
今年前半
 バンド活動に比べて、完成度が上がったのは「絵」です。私は建物を含めた風景を描くのが好きなのですが、多くは描き手である私と対象物である建物・風景が同じ平面に立っていたのですが、今年は階段の上・下、高低差のある風景を描いてみました。もう一つは、その風景の中に、かねがね人間を入れたいと持っていたのですが、人間を描き加えた途端にに、その絵全体を元も子も台無しにしてしまった苦い経験が一回や二回ではありません。その失敗のトラウマを何とか乗り越えられたような気分です。
今年後半
 先日、団地の掲示板に『仲間募集!絵を一緒に描きましょう』のチラシを見つけ、早速入会しました。入会しただけで、まだ絵を描く場面ではご一緒していませんが、来年はこのサークルで展示会を開くことができれば良いのですが…。
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May 26, 2016

悪魔のささやき、天使のささやき

 日曜日、管理組合の総会が終わりました。2年間、管理組合の副理事長を務めてきましたが、恥ずかしながら…、それまでは管理組合が何をやっているのやら、「秋・春苗付け」「草取り」、「もちつき大会」に加えて「防災訓練」「夏祭り」などの年中行事に参加したこともなく、サラリーマン時代は会社との往復だけ、辞めてからも、挨拶は上下左右のお隣さんだけ、近所周辺の方々とのおつきあいは全くありませんでした。幸いなことに…、それまではこの管理組合の理事を引き受けないで済んで来ましたが、それまで皆さんにお世話になったお返しに…とばかりに副理事長を引き受け、それも、2年間もお引き受けしてしまいました。

140907いちご通信 No-002 団地が出来て30年も経てば、建物だけではなく、そこに住む住人=管理組合員の高齢化が進んでいます。近くの中学校の視聴覚教室が会場でしたが、理事、議長・書記及び一般出席者でほぼ一杯、それもほとんどが高齢者、小さな子供さんの居られそうな人はほとんど見かけません。今総会は住民の過半数あるいは3/4以上の賛成が必要な重要議案が多く、関心の高い住人=組合員がいつもより多く出席しているのでしょう。昨年は、受付でもたついて開催が遅れ、加えて一般出席者の賛否の確認がお粗末だったことに起因する進行の遅れは、私だけでなく、理事会全員にトラウマとして残っており、今回は万端の準備をして総会に臨みました。

 笑われるかも知りませんが、組合員(=住民)の3/4以上をもって総会成立となり、<委任状>+<議決権行使書>+<理事>+<議長・書記>+<一般出席者>+<棄権>=組合員(=住民)合計の数式から、<一般出席者>以外の数値は事前に判明しており、当日、来訪する<一般出席者>の数を数えれば、それも何人以上になれば何時でも総会を開始できるのです。ということで、1時間前には来訪者の受付・登録を開始、定刻通りに「開催宣言」をすることが出来ました。

 採決に於いては、<一般出席者>数を如何に把握するかがポイントですが、採決の前に<議場閉鎖>・後に<閉鎖解除>を議長宣言し、その間の<一般出席者>の出入りを停止としました。<一般出席者>が減の場合、<棄権>が増となります。<委任状>を提出しながらも来訪した場合は、<一般出席者>が増で<委任状>が減、<議決権行使書>を提出しながらも来訪した場合は、少々煩雑で、議案毎に賛・否の再確認が必要です。要は、<委任状>+<議決権行使書>+<理事>+<議長・書記>+<一般出席者>+<棄権>=組合員合計という数式です。

141220いちご通信 No-002 一つ気がついたことがあります。組合員(=住民)の意向は「住民アンケート」によって、あるいは最終的にこの総会において賛否が問われ、決定されるのですが、「住民アンケート」結果と「総会議決」結果とは必ずしも一致しない、いや、全く違うということです。その原因は<(理事長への)委任状>の数です。2年前の私のように、「よしなにやってくれるだろう」、早い話が無関心(悪く言えば無責任)な住民が大半です。理事が新しいことをやろうと思えば、臨時でも通常でも良し、とにかく総会に議案を上程すれば廃案になることはないのでは…。ふと、悪魔のささやきを聞いたようです。
150400いちご通信 No-002
 「閉会宣言」をすると、一人の女性が私の席にやって来ました。1年目、私は組合員(=住民)向け広報紙:「いちごつうしん」の制作を担当、紙面を埋めるだけの記事も集まらず、私の描いた絵と同じく私の書いたコラム:『小山田荘を歩く』で何とか紙面を埋め、今回の総会議案書の表・裏表紙にも私の描いた絵を配しています。

 彼女は「いちごつうしん」の絵とコラム:『小山田荘を歩く』の大ファンだったということで、どんな人が描(書)いたのか会ってみたいと、総会に出席されたそうです(本人を見てがっかりだったかも…)。彼女がかけてくれた一声が、天使のそれにも聞こえたのは言うまでもありません。
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April 14, 2016

散歩の途中<13> 植木鉢の春

 朝からブログに何を書こうか…、と読書ノートを読み返していますが良い考えが浮かびません。天気予報通り、今朝からの雨も上がり、午後になると晴れ間も見えてきました。時間を無駄に過ごしてこのまま夕方か…と感じたとき、部屋のドアをノックする、いや、「ガサーっ」と引きずる音がします。愛犬のももが、散歩に出かけるので一緒に行こうと誘ってくれたのです。断片的なアイデアは幾つかあるのですが、今、それを一つの文章にするのは到底無理、ここは心機一転、彼女の誘いに乗って散歩につきあうことにしました。

 年が変わると、自宅からそう遠くないところに在る「こぶし公園」「五反田谷戸の畦桜」「秘密の花園 シャクナゲの群生」を見に行くのですが、今年は雨の日が多く、同じく近所で催される「尾根道桜祭」さえも見に行かずじまいでした。以前にも触れたとおり、私はこの団地(190世帯)管理組合の副理事長の2年目、5月の組合総会に向けて、3月・4月は議案書作りのことで頭は一杯、周囲の季節の変化どころではないというのが正直なところです。去年、私は議案書作成の責任者ではなかったのですが、パソコンが少し出来るという理由で、受験勉強以来の…、夜中までの作業をやるハメに陥ったのは全く心外なことでした。今年は昨年末よりご担当の各人に責任をを持って議案の作成をやってもらっていますので、昨年のような事態にはならないでしょうが、総会終了までは気が抜けません。

 彼女の散歩に付き合って外に出ると、部屋の中ではまだ暖房、おまけにセーターまで着ていたのが嘘のよう、雨上がりの空気はまだ湿っているのですが、風はなく、八重桜の並木道を歩くと汗ばむ陽気です。今年は花見にも行かず、かみさんが育てた春の花を絵に描いています。教えてくれた名前は、残念ながらほとんど覚えていません。
植木鉢 春の花

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February 25, 2016

熱海MOA美術館

前回のブログで書いた『逢魔が時』、私の風邪の症状はあれだけでは終わらず、いや…、タンの絡んだ咳は2週間以上続いたのではないでしょうか。食欲も戻り、体重も戻ってきたようで、自分の快気祝い(?)に、年末から考えていた熱海MOA美術館に行ってきました。二月にもかかわらず、伊豆半島の東の付け根、熱海と聞いただけで、そこにはもう春がやって来ているように錯覚してしまいます。「四月、春のような暖かさ…」という天気予報士の言葉に背中を押されたのです。小田原でJR東海道線に乗り換え、車窓に相模湾を望む小旅行でした。

ファサード JR熱海駅に降りるのは初めて、これほどまでに山が海に迫っているとは…、現に熱海駅は山の中腹にあり、駅からは見えませんが海はすぐ前、MOA美術館は後ろの山の中腹にあり、歩いて登るには坂が急すぎてしんどそうです。迷わず…、バスに乗ること10分、MOA美術館に到着します。山の中腹にファサード、MOA_Time Tunnel入ると大きなトンネルが上に伸びておりエスカレーターで登っていく、薄暗いトンネルの色が徐々に変化して、異次元、美の世界へ入って行く導入部分の仕掛けです(昔、『タイムトンネル』というTVシリーズがありましたが…)。

 この3月7日から約11ヶ月、改修工事のために休館の予定にて、それまで開かれている『大名品展』を見逃すことは出来ません。訪れる前からの疑問に思ったのですが、この美術館の名前:『MOA』とは何でしょうか。 人によって「エム・オー・エイ」、あるいは「モア」とも呼ばれるのを耳にし、私などは「Museum Of Art」であれば美術館の意味、これでは「美術館・美術館」と「馬から落ちて〜」になってしまうのでは…、館内の説明では取って付けたように「Mokichi Okada Association」の由にて、岡田茂吉(1882-1955)は、書家、画家、歌人、華道流祖、造園家、建築家、美術品収集家、そして宗教家、いわゆる時代を代表する文化人の割には名付け方のいい加減さが気になるところです。

 後で「秀吉の金の茶室」が有名と聞きましたが、私自身が興味がないのか…、その存在自体を全く気がつきませんでした。教科書で見た国宝、光琳の『紅白梅図屏風』と野々村仁清の『色絵藤花文茶壺』、そしてお目当ての重文、岩佐又兵衛、『山中常磐物語絵巻 第4巻』、『浄瑠璃物語絵巻 第4巻』、彼の自画像に辿り着きます。
山中常磐物語絵巻第4巻

 本物の絵を目の前にして感激、その余韻を楽しみながら敷地内の庭園を散策、やって来たバスに乗って熱海駅前に帰りました。日はまだかなり高く、物見遊山の観光客で賑わう駅前の商店街を抜け、海岸につながる坂道を下ります。

 その途中で見つけたのがこれ、路地裏の急な階段です。遠くに海が見えればもっと良いのですが、残念ながら高層のマンションに遮られています。スケッチはわずか10分、残りは家に帰って写真を見ながら、珍しく集中力も途切れず、この絵を一日かけて描き上げました。数カ所、おかしなところもありますが、許容の範囲としましょう。こんな風景が好きです。
160223熱海路地裏

金色夜叉 熱海とは陳腐ですが、MOA美術館で『山中常盤物語絵巻』を見ることが出来、好きな絵を描くことが出来、もちろん両者には大きな落差はありますが…、大仰に云えば、復活を確かめた旅でした。

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February 11, 2016

散歩の途中<12> 逢魔が時

 愛犬、ももとの散歩、彼女の歓心を引こうと、その日は広大な緑地の「あさざ池」から「とんぼ池」に向かっています。冬至はかなり前に終わり、昼間の時間が長くはなってきていいるのですが、注意してみると、朝昇った太陽はほとんど上昇せず、南の空の低い位置を西に移動、後1〜2時間で山陰に没しようとしています。そんな時、ただならぬ何か、一瞬の寒気を感じたのが一週間前でした。
夕暮れ時
 大人になって久しくこの感覚に陥った事はないのですが、子供の頃、時間の経つのを忘れて友達と遊んでいのですが、気がつくとうっすらと夕闇がせまり、今日、一緒に遊んだ友達と明日もまた遊べるはずなのに、ふと、もう逢えないのでは…、夕暮れ時はもの悲しく感じてしまいました。夕暮れの時間帯は「たそがれ時(語源は「誰そ?彼…」から、黄昏時の漢字を当てる)」、「かわたれ時(「彼は誰?)」とも呼ばれ、あるいは「逢魔が時」とも云われ、魔物と遭遇してしまう時間帯とされています。夕闇が次第に暗さを増し、昼間の明るさが次第に絞られてくる、人間の時間である明るい昼間と魔物の時間と陰り暗い闇の夜との間に横たわる、曖昧な時間、子供の敏感な感受性は物陰に魔物が潜み、次第に空中に見え隠れして飛び交うのを見ることになります。「人さらい、サーカスに連れて行かれるよ!」
  
 過去に1〜2日寝込むことがあっても、今回のように1週間近くにも続くものとは思いませんでした。不思議なことに…、朝起きて調子が良くても、太陽が西に傾き、もう後1〜2時間で没しようとする夕暮れ時、「誰そ?彼…」、魔物が見え隠れする「逢魔が時」、咳が…、熱が出始めるのは魔物が活動を始めた証拠、私を真っ暗闇の魔界に誘導するのでしょうか。

 病気になると気が弱くなるもので、急性肺炎で即入院の可能性もあり…とは医学・健康知識豊かなかみさんの意見、3ヶ月に1度の高血圧・痛風の投薬治療を受診している多摩丘陵病院へ行ってきました。 体力・抵抗力が衰弱しているので、お互い様とは云え、病院内はあらゆる病原菌・ウイルスの高密度集積地、何十年ぶりかでマスクで顔を覆って(まるで不審者)行って参りました。

 受付にて受診の目的を告げると、さすがにシーズン最盛期、インフルエンザ専門の待合場所にて待機することになりました。待つこと10分、私が初診らしく看護師が綿棒のようなもので、「ちょっとつらいですが…」とか何とか云う間に、鼻の奥の粘膜のサンプル採取します。さらに待つと、私の主治医が顔を出し、挨拶している暇もなく、「1週間は長いですね。念のために、レントゲンを…」と、思いがけず主治医に往診してもらいました。最悪、肺炎即入院も覚悟するほど弱気になった私は「ごくごく初期の気管支炎」との診断でした。現金なもので、だるさはまだ残っているのですが、インフルエンザの嫌疑も晴れ、肺炎の心配もなくなった今、気分は爽快です。
多摩丘陵病院内科待合室
 英語でTwilight Time、「人生のたそがれ」の意味があり、昔『「ミステリー・ゾーン "Twilght Zone"』と云うアメリカTVシリーズがありましたが、これには「睡眠と覚醒の間の意識=まどろみ」の意味があるそうです。
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January 18, 2016

数奇者二代目 岩佐又兵衛

 摂津伊丹有岡城で信長に反旗を翻して籠城していた荒木村重は毛利方に遁走(1579)します。落城後、置き去りにされた家臣・人質122人は尼崎七松にて処刑され、信長の逆鱗に触れた村重とその家臣の一族郎党36人は京都市中を引き回された後、六条河原で斬首されます。…と、村重の謀反の様子が『信長公記』に記されているそうです。

 奇跡が起こります。落城寸前に、村重の息子:数え年2歳の又兵衛(1578年生まれ)だけが乳母に救い出され、石山本願寺に保護されたのです。

 時代は急変、「本能寺の変(1582)」を経て豊臣政権が成立しますが、村重は堺に戻り、武人ではなく、今度は茶人として復活、「利休の七哲」の一人に数えられるまでになります。芸術家として大成した村重は1586年、畳の上で死去、享年52歳でした。

 成人した又兵衛は母方の姓:「岩佐」を名乗り、信長の息子:信雄に「御伽衆」として仕える一方、絵師としての才能を発揮します。織田、豊臣、「関ヶ原」そして家康が江戸に開幕と時代は移り、岩佐又兵衛(1578-1650)は福井に居住、藩主:松平忠直・忠昌に仕えます。60歳の頃、幕府の招請を受け、江戸に上った又兵衛は江戸初期を代表する大和絵絵師と評されることになります。江戸で没しますが(1650)、遺言により、墓所は妻子と暮らした福井に在るそうです。

 中仙道、美濃国と近江の境の山中宿を幾度も往来した信長が「本来、乞食とは住所不定のはず。この者はいつも変わらず、この場所に居るのは何故か」と問うに、村の住人答えて「当所、常磐御前を殺してしまいました。その因果により、子孫の者は代々乞食となっています。山中の猿とは、この者の事でございます。」…と、同じく、『信長公記』に記されているそうです。
 
 常磐御前は何処で没したのか…、群馬県前橋、埼玉県飯能、実は私の住む東京都町田市にも「常磐」という地名があり、常磐御前に関係する地所と聞きますが、今回は関ヶ原の「山中宿」です。信長の時代(戦国時代)から4百年前の平安末期の話、物語が作られたのは2百〜3百年前の室町時代に入ってからの話、日本人の誰もが知る貴種流離譚:義経伝説、その母:常磐御前の最期が、既に今から4百年以上も前、信長の時代に一般庶民まで広く流布していたことに今さらながら驚いてしまいます。
 
 又兵衛最高傑作の一つ、『山中常盤物語絵巻』、おどろおどろした、血染めの常磐の姿は強烈、信長に惨殺された彼の母の姿でした。
山中常磐物語絵巻_2

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September 21, 2015

絵はがき

白河関 sketch_2 如何ですか左の絵、孫が描いた絵ではありません。私が、小学生の絵の授業以来何十年ぶりかに、描いた絵です。「3.11 東日本大地震」から1年が過ぎた2012年5月、犠牲者への鎮魂の思いを込めて訪れた「白河の関」、私以外には人影はなく、これ幸いに描いた絵です。自己流で始めた絵ですが、皆さんに喜んでもらうようになり、今では私の生活に欠かせない趣味の一つになっています。絵はがき 白河の関

 一人で出かける散歩や、ちょっとした旅行にはF0サイズ(A5の一回り小さなサイズ)のスケッチブックを持って行くのですが、近くに人がいると気が散って、描こうという気持ちが沸いてきません。私の場合、たかが小さなF0サイズですが、いくらがんばってみても、完成するのに小一時間かかり、現場で完成に至ることは希です。描き始めると同時に写真を撮り、現場のスケッチは10〜15分のみ、残りの工程は帰宅して写真を見ながらの作業となります。小さなサイズでこれですから、大きなサイズの絵を描くにはどうするのでしょうね…、私は最大A4サイズまでしか描いたことがありません。
5枚の絵はがき
 使用する画材も手頃なものばかり、スケッチブックはマルマンの「Art spiral」にぺんてるの筆ペン、水彩絵の具は18色セットを近くのカインズ・ホームで購入すれば安いものです。中でも筆ペンは最高に便利、誰が開発したかは知りませんが、少なくと子供の頃はなかったもの、手入れが簡単で、0.1mmの線画を引く三菱鉛筆の水性ペン(耐水性)と並んで、重宝している道具です。もう少し手頃になれば、「Cotman」、「VIFART」の細目を使いたいものです。

 ホームセンターの一つの棚があるということは、それだけの需要があると云うことです。需要の大きな部分は「絵手紙・絵はがき」でしょうか? 暇をもて遊ぶ老人が、もちろん私もその内の一人ですが…、そんなに絵心がなくても、その大胆な構図さえ決まれば、多少の幼稚さはむしろ味、とばかりにブームが続いているようです。 友人の一人は絵が上手く、なお且つ、10〜15分で絵を描き上げてしまいます。彼と二人で行った近江国の旅、その途中で絵を描いたのですが、彼はそのときに描いた絵に言葉を添えて送ってきます。これには感激してしまいました。もう一つ、 以前から感じていたのですが、ハガキの宛名面は受取人・送り人両方の住所・氏名を記入したとしてもスペースが余ってしまう、どうもデザイン的に両面ともにすっきりしません。もう一人の友人は、官製ハガキに絵を描いて、言葉の多くは宛名面の半分下を使うのはなかなか良いアイデアにて、言葉も適当に少なくて読みやすく感じます。

 当初は全く馬鹿にしていた「絵手紙」ですが、ただ絵を描くだけで終わらせるのはもったいない、何か描いた絵の利用法はないものか、と考えた結果がこれです。スキャナーで絵を取り込み、その絵を一面に印刷、宛名面下半分には10〜10.5の級数を使えば2百〜3百文字を並べることはごく簡単、落款(?)も絵文字の要領で作成、字の下手な私にとって、編集の効くパソコン入力は大の味方、もらった方も、オリジナルの絵ではないにしろ、絵をもらって嬉しくない人はいないでしょう。
絵はがき 栗の実
 今年は栗が豊作だったようです。朝夕、愛犬モモと一緒に散歩するかみさんは(垣根の外、道路に、…念のため)落ちている栗の実を拾って来ます。例年になく、栗ご飯をごちそうになっています。
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July 18, 2015

散歩の途中<11> 蓮田の中の小山田神社 

 絵を描き始めて3年になりますが、ほとんどの絵は、ハガキよりも大きく、A5よりも小さい、F0サイズです。これに小一時間もかかるのでは、集中力が持続するはずもなく、現地で完成するのは無理な話です。写真を撮り、仕上げは自宅に帰って、その写真を見ながら完成する有様です。恥ずかしい話ですが…、年とともにトイレの頻度も高くなり、そんなに長い間一カ所にたたずんで居る訳にも行かない…、というのが正直な話です。先日、こんな本を見つけました。山田雅夫著『15分で描く海山のはがき絵36景 』、ただいま勉強中です。

 そんな訳で、早速、実際に試してみるべく訪れたのが「小山田神社」です。手頃な散歩コースなのですが、この時期、神社の周りの蓮田の花が咲くのは何時か、何時か…と、普段はうらさびしい田園地帯に訪問者が急増します。その前に、台風11号が日本海に抜けた昨日の夕方行ってみると、やっぱり開花はまだちらほら、私以外の訪問者はありません。鳥居の横に立って目前の蓮を描いたのがこれ…、勉強の成果は未だ出ていませんが…。
150718_小山田神社蓮田
 「嶽の内御前神社」とも云われ、平安末期、此の地「小山田の庄」を有した小山田有重の奥さんが祀られているそうで、大きな蓮田の中にぽつんと鎮座しています。その時代、馬の放牧が盛んで、「馬場」、「馬駆」、「牧畑」などの地名にその痕跡があります。一方では、この辺りから横浜にかけて、丘陵地が雨や川によって浸食されてできあがった谷が「谷戸(やと)」と呼ばれます。雨は丘陵や尾根を伝って谷戸に流れ込み、湿地を作ります。人々はこの湿地を利用して水田を作ってきました。稲作が大規模化されるのは後世の話、それまでは、むしろ谷戸の高低差を利用した水利用が稲作に適してていたそうです。そんな稲作も、寄せる都市化に抗することが出来ず、神社の周りの田んぼは町田市の借り上げとなり、広大な蓮田として運営されています。

 下は、昨年の今頃に描いた絵です。来週末には満開の蓮を見ることができるはず…、お近くの方には一見の価値があります。
140715_蓮田の小山田神社_2
140715_蓮田の小山田神社
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May 19, 2015

ホッとしました

 団地管理組合の総会が終わりました。副理事長を務める私にとって総会は最大の山場、難所でしたが、かろうじて乗り切ることが出来ました。既に副理事長留任を決めていたのですが、3月以降、議案書の作成など、総会に向けての準備に追われ、カレンダーの連休はあってもないに等しい毎日、留任を宣言したことが悔やまれました。

 150514アマリリス総会終了に合わせるように、かみさんは親の面倒を見に四国へ出発、我々夫婦の愛犬:ももの世話に加えて、彼女が育てている花々に水を遣る、というのが留守を守る私の仕事です。一階部分が我が家、その特典で専用庭が付いていますが、ベランダの手すりには彼女が出発前に胡瓜用のネットを張り巡らしており、帰って来たら、市から支給されたゴーヤを植える段取りなのでしょう。昨年の実績はこれ
 150427アブチロン
 そのネットをくぐって、久しぶりに庭に出ると、そこは今が盛りの花でいっぱいです。通勤に、ゴミ捨てに、近所を通る住民が振り返る、話では「花の家」と呼ばれているそうです。近所の公園に積もった腐葉土を運んで作った庭、散歩仲間、近所の人から頂いた、あるいは世話をできなくなった、手に余るような植木をもらって帰り、この季節、花々を咲かせるまでに育てるのは、少なくとも私にはない能力です。

150422_ビオラ 花をもらって喜ばない人はいません。これで、我が家はちょっとしたお返しを頂くことになり、先日などは、甘いメロンをお裾分けに、趣味でやっている畑の収穫物をもらったりしています。次は何をいただけるのか…、楽しみです。

150408_クリスマスローズ (1) そんな訳で、かみさんの留守の間に枯らしてしまう訳にはいかない、という気持ちで、ホースを取り出して散水を始めました。…と、「水をやらなくても、雨が降りそうなお天気ですよ」、とは近所に住む管理組合の理事長の声。今から仕事で会議に出席するとかで、彼も総会の重圧(?)から開放されたらしく、バス停に急ぐ晴れ晴れとした彼の後ろ姿を見送りました。 

 空を見上げると、一面に雲、水をやるまでもなく、夕方あるいは今夜は間違いなく雨、栓を閉めて、もう一つの仕事、愛犬:ももの散歩に、今日は少し遠くまで、出かけることにしましょう。
140625モモ
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May 06, 2015

江戸深川、芭蕉庵辺り

 管理組合の副理事長を務めてまもなく丸一年、この1ヶ月が最も忙しかったのではないでしょうか。甘い言葉に乗って…というか、軽い気持ちで…あと一年引き受けたのですが、管理組合総会を今月に控え、引き受けたことを悔やむ羽目になってしまいました。これだけが理由ではありませんが、何の計画もなく、ただボケーっとしているだけのゴルデンウィークに終わりそうなので、思い切って江戸(東京)深川、芭蕉庵跡地を訪ねることにしました。
 
 江戸時代の町人や商人などの一般市民が登場する小説にあまり興味がなかったので、その舞台である深川には一度も足を伸ばしたことがありませんでした。 新宿から総武線に乗り、両国駅で下車、相撲を見ない私でも、ここに国技館があることはかろうじて知っています。現在の両国を含む北側が本所、南側が深川であり、どちらも江戸時代初期の人口急増に対応して造成された新興住宅地です。当時は隅田川が下総国と武蔵国の国境で、そこにかかる大橋が両方の国に跨る橋ということで「両国橋」となった由。

 今回は両国駅を出て、右手に隅田川の流れに平行して南下すること約30分、先ずは「芭蕉記念館」を訪問。伊賀上野で見学した記念館と同じく、芭蕉の句が並べられていますが、鑑賞眼、文芸・文学的興味に欠ける私にとって作品自体は興味の外、さも判ったような風を装い、近辺の文芸・観光案内図をもらって退出しようとしますが…、待てよ…、ありました。この記念館の目玉、「芭蕉遺愛の石の蛙」、大正6年(1917)台風の高潮の後、常磐一丁目から出土したというホンモノが展示されていました。ロゼッタストーンの発見を彷彿させる発見談にわざとらしさと、いかがわしさを感じつつ、早めに記念館を出ました。

 「芭蕉記念館」の裏口を出ると、そこは隅田川の堤防、堤防にそって2百メートル南下した小名木(おなぎ)川の分岐点に「芭蕉庵史跡展望公園」があり、その近く(常磐1丁目3)で「石の蛙」が発見されたのをもって芭蕉庵跡と認定され、これまたうさんくさい「芭蕉稲荷神社」が建立されています。ディズニーランド、ユニバーサルスタジオの技術からすれば簡単でしょうに…、申し訳有りませんが…、見るからにわざとらしい「石の蛙」と、うさんくさい「お稲荷さん」です。因みに、名句「古池や〜」はこの地で読まれました。
150504_深川万年橋
小名木川を跨ぐ万年橋
  江戸の海は泥水で、塩の生産には適さず、家康は江戸城の塩を確保するために塩業の盛んな下総行徳(千葉県市川市・浦安市)を所領とし、さらに、小名木四郎兵衛に命じて運河を開削させたのが小名木川の始まりです。家光の時代に日本橋小網町まで延伸されて、江戸と常総・利根川方面との大動脈になります。江戸は海辺を埋め立てて作られた街、井戸を掘っても十分な飲料水を確保することが出来ず、井の頭池を水源とする「神田上水(1629)」が造られました。塩と飲料水の確保、必須の2つを家康は後北条氏に学んで江戸の礎を築きます。

 日本橋といえば江戸随一の繁華街、それに比べれば閑静な場所でしたが、小名木川の沿って多くの大名や豪商が別邸、下屋敷が並び、日本橋からもそれほど遠くはなく、うら寂しい場所ではなかったように思われます。やっとのことで日本橋小田原町での安定した生活を築いた芭蕉は、突然、深川に移住します(1680)。その安定した生活を捨てるほどの理由とは何だったのでしょうか。 万年橋を渡った南には、元禄の豪商:紀伊國屋文左衛門の屋敷があったと伝えられる清澄公園が広がります。

 その一角に「奥の細道」出発の地、芭蕉は先人の残した枕詞、名所、旧跡を巡る旅に出たのですが、以降、芭蕉縁の地も新たに名所、旧跡に加えられることになります。
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February 09, 2014

散歩の途中 絵で辿る散歩道

 聞いてはいましたが、昨夜の吹雪にびっくり、今朝は朝日に映えて一面真っ白。玄関ドア、前が雪の吹き溜まりになって開きません。都内は27センチの積雪の由ですが、私の車の屋根には40センチの雪、生まれて始めての大雪でした。ここは、ささやかな社会貢献の見せ所とばかりに、雪かき用のスコップを取り出して奮闘すること2時間、お陰で食事も美味しく、夜もぐっすり眠ることが出来ました。こんな時に使っていいものか…、今が冬の真っ盛り、…やはりヘンです…、散歩には出かけるものの、寒空にトイレの近くなった私、外で時間をかけて景色・建物をスケッチすることはなくなり、もっぱら家にこもり、不得手な人物・動物を描く練習をしています。

20140208Me & Momo後ろ姿 前回、私の新境地ということで、「小山田荘鳥瞰図」を描いたところ、多くの方々に「面白い」と、好意的な評価を頂きました。ということで、本来の「カントリー音楽」・「諸文化の歴史」に沿った話題も、まだお聞かせするような段階ではなく、ここは前回に続いて、地元「小山田荘」が話題、過去2年間続けてきた「散歩の途中」のスケッチを振り返りながら、私の散歩道を辿ってみましょう。
本当はどうだか知りませんが、私の言う「小山田荘」とは、南から都道47号(町田街道)、八王子市・多摩市と接する北辺の158号(尾根幹線)、小野路を経て多摩市乞田に向かう156号(鎌倉街道上の道はこの辺り?)、そして57号(芝溝街道)の4街道(都道)に囲まれた地域です。
※鳥瞰図をクリックして拡大します
20140208絵を描いた場所 on 小山田荘鳥瞰図_s

散歩の途中 廃小屋3_130617
散歩の途中 見晴らし公園 小山田桜台団地に住む私は、家を出ると外周道路に沿って西へ公園、団地の縁の狭い農道を登って「見晴らし広場」茵∨未慍爾辰藤隠毅宜罅∈犬帽圓と鶴見川源流の通り、この155号は沢で、そこを右折して作業小屋絖蕁⊆,某卦譴瞭擦重なった
散歩の途中 廃屋1為か不器用な交差点、右折で廃屋薛罎任垢、そこを左折して北へ進んだ左に作業小屋茵右折して集落を散歩の途中 廃小屋2過ぎると「とんぼ池」薛隋△修海呂發小山田緑地です。東京国際GCの縁を南に下り、公とんぼ池20130905園管理事務所の横から、大泉寺(小山田城址)に、バス停膈茵∈邏半讚膈罅元精米屋膈罅⊆辺の集落の中を通って再び155号へ、
20121207大泉寺バス停散歩の途中 大泉寺近く20130912散歩の途中 大泉寺近く20130916-2蓮田・小山田神社20130717_3

東へ向かう両側は豊かな田園、その右手の蓮田の中に小山田神社絖蕕ひっそりと在ります。余談散歩の途中 Episodeですが、155号をさらに東に行って57号(芝溝街道)とぶつかる所に「Episode」蕕あり、朝6時から開く、なかなか美味しいパン屋さんです。南に上がって山王林公園を通って帰る、しめて2時間のコースです。

 もう一つ、自宅を出て団地内の谷戸池公園から、市民の定番散歩コース:「尾根緑道」に出て東へ、尾根緑道を出ると町田市リサイクル・センター、要はゴミ処分・焼却センター、花の家裏20130831その排熱を利用した温水プールと温室、その裏に秘密の花園…?、ではありませんが、誰も知らない広場蕕あります。南へ下った、47号(町田街道)の一角は全て桜美林学園、図書館膈茵⇔蘿卞押Х婀堂膈罅∨楷曄Э鯆膣朖MAC桜美林_s罅体育館膈蕕修慮鮑硬世忘澆Mac蕕妊魁璽辧爾魄んで帰ります。コーヒータイムを除いて1時間の散歩です。
桜美林大学 「三倒図書館」桜美林大学 「荊冠堂」桜美林大学 正面 「崇貞館」20130903桜美林 体育館_s

 藤沢周平原作の映画に使われた…?、という説もある山桜一本シャクナゲの群生が見られる場所を教えてもらいました。今年は、皆さんにご紹介することができるものと思っています。どうぞ、お楽しみに…。

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January 30, 2014

住めば都、小山田荘 鳥瞰図

やって来た当時、市を縦断する幹線:町田街道は片道一車線、もちろん右折専用レーンもなく、右折車があればたちまち渋滞、そんな道にはバキュームカーが走って…、「えーっ、ここが東京都?」…。あれから20年、私には「住めば都」、そんな歳になったのか…、単に現住所が在るだけではなく、毎日の散歩で新しい発見をすることが出来るようになりました。

平安時代後期、平氏:秩父重弘の子有重がこの地に、小山田別当を称し,馬牧場を開拓・経営したのが小山田荘です。古代〜平安〜鎌倉〜南北朝の痕跡が残る小山田荘、その荘園主になったわけではありませんが…、今や私にとっては「都」となっています。

申告すべき収入もないのですが、何かと忙しい確定申告の時期、それを放ったらかして…、完成させたのが「小山田荘(おやまだのしょう)鳥瞰図」です。それほど格好をつけるものではありませんが、以前から思っていながら一度も実現せず、私にとっては初めての試みなのですが、鳥の目で…あるいは、「ハリー・ポッター」か「魔女の宅急便」になったつもりで私の「都」を俯瞰したものです。山の高低は全く無視されていますが雰囲気は出ていると思います。如何でしょうか。
※鳥瞰図をクリックして拡大します 
20140129小山田荘鳥瞰図for Blog
私の「都」:小山田荘は、北辺に多摩市との境があり、北は人工的なニュータウン、南は古代・中世が残る、言葉を換えれば「開発の遅れた…」どころの話ではありませんが、「手付かず…」に近い、小山田荘。尾根伝いに通る、桜の名所、尾根道(尾根緑道)。尾根道ほど近くではありませんが、自転車で行くにはちょうど良く、帰りは上り坂がきつくて回り道の「鶴見川源流」があり、山に囲まれた、舌状の「谷戸」と呼ばれる地に稲作が豊かで、大泉寺(小山田城址)周辺の山は小山田緑地がハイキングコースとして整備されており、源義家も通った古代・奥州古道、「いざ、鎌倉」、新田義貞の鎌倉街道が走っています。南の境川を超えると相模原市、淵辺義博の館跡、近くに『太平記』には出てきませんが「縁切り榎とわかれ橋」の伝説、時代は下って近世、名主・豪農:原 清兵衛が新田を開発、地名:清新(せいしん)、市名:相模原は「相模の原」、彼の名に由来、これに似たような話が「忠生」です。平安後期、この地で新田・馬牧場の開墾・開発が隆盛、武士というよりは牧場主のような彼等は「一所懸命」という単純明快な論理と「名こそ惜しけれ」という、卑怯な振舞いを蔑む精神と表裏一体して鎌倉武士の真髄、その後の日本人の考え方・生き方に大きな影響を与え、日本人の原理・原則、「理念」になって行きます。こんな勉強をさせてもらっている桜美林図書館、これまた近くです

次回の新発見をどうぞお楽しみに。

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January 07, 2014

今年は「おせち料理」、…の絵

20131213おせち料理
あけましておめでとうございます

左の帯エリア冒頭に置いていたのですが、スマホあるいはガラケーでご覧の読者の方々には見てもらえない、ということで、今年の年賀状の絵を本文中に持って来ました。

仕事も少なく、世間の動きとは隔絶されたような生活を送るようになって来た私ですが、世間的には、昨日が「仕事始めの日」、長かった正月休みで、なかなか日頃の勘を取り戻すには時間がかかることでしょう。ほんとうは昨日、「仕事始めの日」にこの絵をお見せしようと思ったのですが、いつになく忙しくてブログを書く時間もなく、今日になってしまいました。

30年ぶりに押し入れの奥から引っ張り出したギターどころではありません。遡ること小学生の時代、絵を描くことが好きで、学校内外で表彰されることも少なからずありました。中学校は記憶にないのですが…、高校に入ると、自信があり、持っていく道具の少ないことを理由に美術を選択しましたが、何故か美術の先生の評価は芳しくなく…、1年で放棄してしまいました。そういうことで、栄光の記憶は小学生まで遡らなければなりません。

陸奥への玄関、白河の関、人目を避けるように、おっかなびっくり再開した絵も間もなく2年になります。最初は、バンドと同じくおっかなびっくりでしたが、周りに喜ばれ、褒められると調子に乗り、また次の絵を描くようになります。年賀状、基本的に好きではなく、判で押したように…、今や、判おろかパソコンで印刷された干支、一時は意図的に出す枚数を毎年減らしていったのですが、頂く枚数は変わらず、もちろん付記してあるコメントも毎年イッショ。もし、私が出し忘れていたとしても…、「だいじょうぶ?」、安否確認の電話すらもらうのも難しいでしょう。多くの人と同じく、カミさんは絵が苦手、年賀状も12年続けると還暦で元に戻りますが、昔作った還暦のハンコを使えば…、というアイデアを実行したかどうかは知りませんが、何事も貯めこむことの好きなカミさんならでは…、私など到底考えさえ及ばないことです。

12月の早い時期から年賀状は「おせち料理」と決めていた私ですが、子供の時ならいざ知らず、結婚してからはこんな「おせち料理」を見たことがありません。ギター、絵、はたまた、おせち料理にせよ…、本当に長く生きてきました。「今日は何曜日?」どころか、今年は、お盆もお正月も関係ない…生活に突入しそうです。

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October 18, 2013

散歩の途中<6> 桜美林

関西に育った私が、「桜美林」の名前を知ったのは、夏の甲子園、優勝決定戦でPL学園を下して優勝したのがきっかけでした。それは1976年の由、と云うことで…、長女はすでに生まれていました。当時は、その桜美林大学のすぐ近くに住むことになるとは…、思いもよらないことでした。今や、「住めば都」となった小山田桜台、これに隣接する「尾根道」町田市の桜の名所でもあります。
桜美林大学 正面玄関
この「桜美林」とは、なんと良い響きなのでしょうか…、好きです。この桜の名所に由来する名前か…、と思いきや、実は、創立者:清水安三氏が若かりし頃留学したオーバリン大学(Oberlin College)に由来するそうです。いい漢字を当てたものです。大学本部は町田市常磐町にありながら、最寄り駅は横浜線淵野辺駅(相模原市)、その間をひっきりなしに往復するスクールバス、あちらのボディには「J.F.OBERLIN」、こちらには「OBIRIN GAKUEN」の表記とまちまち、前者は英語、後者はローマ字、英語教育の大学でさえ『標識の英語表記』の問題は解決されていないようです。
2013090桜美林 図書館8
実は、桜美林大学の図書館を利用させてもらっています。僅かな年会費をお支払いするだけで、蔵書の閲覧だけでなく、制限はあるものの、2週間本の貸出をしてもらえます。お陰様で、よほど読みたい本ならともかく、書店で本を購入することは滅多になくなりました。このブログのネタの多くは桜美林図書館での読書に依存しています。
20130804桜美林 荊冠堂
あれから〜年、長女は家庭を持ち、その一人娘は、…私の孫娘ですが…、小学5年生になっています。この夏、いつもの通り、一家が遊びにやって来ました。孫娘と一緒に訪れた桜美林のキャンパスは夏休み、彼女と並んで描いた絵です。

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September 07, 2013

散歩の途中<4>  三多摩、昔は神奈川県

多摩地区とは、東京23区より西側の地域で、「東京都下」あるいは、「三多摩」とも呼ばれるそうです。どこか愛嬌のある「さんたま」の響きです。1871年の廃藩置県で三多摩地域の大半は神奈川県に所属することになりましたが、それから22年後、1893年、その三多摩が東京府に編入されることになりました。
とんぼ池20130905

小山田荘を散歩中に知り合ったお年寄りから昔話を聞いたことがあります。話はこうです。東京の上水道を担ってきたのが玉川上水。明治の初めにコレラが大流行、その水源である「多摩川上流でコレラ菌による汚染」とのうわさが広まり、当時、多摩川の上流は神奈川県に属していたが、東京府が水源を直接管理するために編入した、というものです。水源とは全く無関係な南多摩郡(現在の町田市、八王子市、多摩市、稲城市、日野市)も、北・西多摩とともに、東京府に編入されたのでした。

江戸時代、この地域には鶴見川の源流があり、幕府の天領だったこともあり、裕福な稲作農家が多く、明治初年この地で最初に敷設された鉄道:現在のJR横浜線が計画された当初は町田市側を通る計画でしたが、彼等の反対により変更され、実際の線路は相模原側に敷設されることになった、という。彼が言うように、この地域の農家は裕福で、前回も触れた通り、新撰組(近藤勇・土方歳三など)を育んだ風土、明治になると、方向を変え…?、自由党を設立した板垣退助が「多摩は自由党の砦」と表現するほどに、自由民権運動が盛んとなりました。南多摩郡の東京府への編入は、どうやら神奈川県内の自由党の勢力を削ぐためのものだったようです。

どうも、明治以前、小山田荘にも近い、小野路と呼ばれる地域が町田の中心であったようで、古くは平安時代以前から、そして鎌倉街道の宿場街として栄え、徳川の治世では天領の裕福な農家、幕末には新撰組を育み、明治になると、どうしたことか…自由民権運動の地に変わります。一方では、かつての中心地:小野路を遠く離れた相模原側に国鉄(現在のJR)横浜線が敷設され、稲作に適さず、桑畑に蚕、絹の産地と開港された横浜を結ぶ「絹の道」として結ばれ、その沿線は発展していきます。次に小田急本線が開通すると、町田の中心は両駅のある現在の中心地域に移動してしまいました。皮肉な見方をすれば、明治以降の近代、小野路の勢力の及ぶ地域に鉄道が敷設されるのを嫌い、あるいは避けて来たようにも思えます。白洲次郎 正子夫妻が戦況の悪化を予測して、1942年、当時の東京府南多摩郡鶴川村(現在の東京都町田市能ヶ谷)に農家を購入して疎開生活を始めたことでもその田舎ぶりが想像できるでしょう。後の「武相荘」、その小野路からそう遠くはありません。
武相荘
戦後の高度成長期、北側に隣接する多摩市は、大阪の千里丘陵と同じく、当時、国家プロジェクトとして造られた人工の街、整然と区画整理された近代的な街並みがきれいです。その多摩市開発に際して作られたハイキング道が「横山の道」、古くは唐の侵攻に備えた防人制度か、はたまた東国の力を削ぐ目的か、多くの男達がこの道を越えて西国に向かった奥州古道、「いざ鎌倉」の鎌倉街道が交差し、新田義貞の軍がこれを越えて南下、鎌倉を目指しました。

「横山の道」を南に超えるとまるでタイムスリップ、江戸時代の風景、場合によっては鎌倉時代の風景さえも目に入って来たような錯覚に陥ります。道を境にした北側と南側、対比は面白く、映画:『ビレッジ The Village (2004 )』を思わせます。南側は私の住む小山田(小山田荘及び小野路の在る地域)、今やいくつかの里山を残す昔ながらの山村、言い換えれば、どこかピントがずれた…失礼、開発からは取り残された地域…、だからこそ、今となっては良かったということになるのでしょう。

南多摩、小山田のほんの一部が私の散歩道です。
花の家裏20130831
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July 14, 2013

散歩の途中<3> もも

Momo_2
「もも」が我が家にやって来て7年が経ちました。「仲良くする」とは当初からの約束ですが、決して、「世話をする」とは言っていません。彼女がやってくる前には、野良上がりの猫を飼っていました。野良猫当時、家の中に入れ食べ物を与えたりして可愛がり、夜になると…「じゃ…、またね!」と、真冬の寒空の下に放り出しておりました。今から思えば、酷なことをしておりました。器量も頭も良かった彼女ははある日、「うちの子にしよう!」の娘の一言で真冬の寒空・飢えから開放されることになり、以降、我が家の一員になり、単なる普通名詞、愛称:「猫」から固有名詞、彼女の名前:「ね子」に格上げされることになりました。
散歩の途中 廃小屋2
子供たちも家を出てしまい、我が家は夫婦と「ね子」の3人。ささくれだったポー・パッド(肉球)も、ぬくぬくとした囲われの暮らしが長くなって、ピンク色に変わりました。それまでの野良生活ゆえ、年齢は不明、どんな生活を送っていたかも不明ですが…、ある時、どうも元気がなくなり、遂には横になって過ごすようになってしましました。かわいがっていたカミさんが添い寝するようになり1週間ぐらい…、私が帰宅すると彼女は既に息をしていませんでした。近くのお寺で葬式を済ませましたが、喪失感が大きかったのか…、今度はカミさんが鬱、沈みがちになってしまいました。
散歩の途中 廃小屋3_130617
その喪失感を埋めるために、犬を飼うことになったのです。最近は「ペット可」のマンションや団地が増えているようですが、当団地は「ペット不可」、これを知りながら犬を飼うのはやはり申し訳なく、禁教令を破った、いわば「隠れキリシタン」、出来る限り皆さんにご迷惑をかけないようにしなければなりません。そこで、カミさんは犬に関して猛勉強、ラブラドールのような大型犬は論外にして、一時流行ったチワワのような小型犬は男の私が散歩する相手としては役不足、プードル、コッカスパニエルはそのカット代が我々夫婦のそれよりも高額ということで却下、結論としては、なんとか小型に分類される中型犬:ビーグル犬に決まりました。人懐こくて、吠えない、カット不要の毛の長さ…は良いのですが、匂いをかぎ出したら我を忘れ、飼い主も根負けする運動量に付き合うのは大変です。
散歩の途中_小野路_1
こうしてやって来た「もも」、カミさんは毎日、朝夕1〜1時間半の散歩、今も9.3kgを維持していますが、主人をぐいぐい引っ張って斜め歩き、突然想定外の方向に引っ張られることもあり、カミさんの手の指は変形、ヤスモノ故か?、運動靴は3ヶ月しか持たないそうです…、先日には年寄りに多い、膝に水がたまる関節炎との診断、当面は絶対安静とのこと。大仙寺八石地蔵130406
当初の約束にもかかわらず、「もも」の朝夕の散歩は当面私が担当することになりました。加えて、後出しジャンケンのような梅雨明け宣言以降の猛暑、日が高くなってからの散歩は無理、ということで、朝6時過ぎは気持ちがいいのですが、夕方の5時はまだまだ暑くうんざり、お陰で就寝時間も早まり、9時に寝て5時に起きる、シャクですが…一気に年をとってしまいました。夜明けとともに起き、日が沈むと寝る…、「節電の極意」のような生活ですが、どうもこれでは一日が短い上に、その大半を「もも」の散歩に使っているようです。禁教令廃止に向けての運動も進んでおり、夜明けもそう遠くないようです。
散歩の途中 見晴らし公園

散歩の途中で見つけた「お気に入り」、いくつかをご紹介しました。

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April 30, 2013

散歩の途中<2>

例年になく寒かった冬も終わり、やっとのことでやって来た春。昨年12月以来ご無沙汰していた自転車に乗ろうと、タイヤに空気を…と、バルブをつないでハンドルを押すとスカスカ。自転車と同じく購入して十年以上も過ぎたポンプ、パッキング(?)がダメになるのもしかたのないことです。ネットで調べると、このSILCAという名のポンプ、モデルチェンジで本体シリンダー部分はアルミに変更され、パッキングの径も大きくなっているようです。径が小さくなるのは問題でしょうが…、大は小を兼ねる…、エイヤっとばかりに、パッキングを購入しました。革製のパッキング自体は数百円のもの、これが届くまで、買って以来初めて分空気入れポンプ解、フォーミング・クリーナーで綺麗に洗浄、パッキングの到着を待ちます。いざパッキングが到着、早速、パッキングにグリースをたっぷり付けてシリンダーに入れようとしますが、なかなか上手くいきません。大は小を兼ねる…、がしかし、大きすぎたのか…と不安がもたげてきたのですが、すったもんだの末、なんとか無理やりはめ込んで完成したのがこれです。

まだ肌寒い朝、いつもの散歩の途中にある数百メートルにも及ぶ北側に降りる急峻な坂道、一団の自転車がそこを登って来るではないですか。以前、私も2回挑戦しました…が、残念なことに、何れも頂上を目前にリタイアしています。走るに快適なこの季節の今、もう一度挑戦を…、との思いが脳裏をかすめますが、去年より確実に年をとっているのが現実です。
散歩の途中 廃屋1
私の住む小山田桜台、名前の通り、尾根道の一角を占める台地にあり、入り込む主要道路は一本のみがなだらかに南下、桜美林大学、境川を超えて相模原市につながっています。残りの道は何れも「行きは良い良い、帰りは〜」の急峻な坂、自転車でその坂を降りようなら、帰りは大きく迂回して、唯一のなだらかな道を帰って来なければなりません。私にとって自転車で北側に降りるのは最大の鬼門、北側はあくまで徒歩で行くもの、例えばウォーキング、犬と一緒の散歩には最適です。
散歩の途中 廃小屋1
北側は昔から小規模ながらも豊かな稲作農家が散在、今からの季節、「谷戸(やと)」と呼ばれる谷間に棚田の水田風景が見られます。そんな里山の風景の中 、かつては人の住んでいた家、打ち捨てられた小屋、昭和で時間が止まったようなレトロなバス停(以前紹介しました)に何故か興味をそそられるます。
20121207大泉寺バス停

崩れかかった小屋の絵は増えそうですが…、おそらく今年も…、自転車で頂上を制する(?)ことはないでしょう。

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February 19, 2013

外は真冬

パソコンのWindows 7への移行も一段落、先日購入した中古のスキャナーの設定も、未解決な点はあるものの、ほぼ完了、本当はやらなければならないことがあるのですが、いつもながら、好きではないことには手を付けずに先送り、しばし忘れて…、前回の『西の大海と東の四畳半』の続きを書こうか…。そんなエネルギーもなく…、窓の外は今朝、雨から雪に、次第にその雪のつぶが大きくなっています。この冬4回目の雪か…、めったに凍らない近所の池に氷が張るのは珍しいことではありません。「年寄りが、この寒空に転んで怪我でもしたら…」と自分に言い聞かせて、長年続けてきた自転車も昨年12月早々に終了、今日のように、朝から一歩も外に出ず一日を終える日が多い冬です。

散歩の途中のスケッチ、さすがに真冬には出来ません。この冬空にスケッチは可哀想です。10分ぐらいならともかく、私のように小一時間もかかってしまうのでは、スケッチはトイレの近くに限定されてしまします。外出はやめて、今日は部屋にこもってスケッチです。

窓の外を描きましたが、季節は早、春、というか初夏の趣です。目障りな通りの向こうに見える建物、うっとうしい空中の電線を取り去ってしまいました。

窓の外

夏はすわり心地よい椅子なのですが、冬はちょっと…。

chair_2

ぬくぬくと過ごす愛犬:もも、南側の窓際が彼女の昼寝の定位置です。

画像4

その主人も似たような毎日、今日はスキャナーのテストだけで終わりました。


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December 25, 2012

真冬の散歩道

先日の衆議院選挙では自民党が圧勝、民主党は見る影もなく、少し期待の「維新の会」には石原さんや平沼さんの顔…、全くの興ざめで寝込んでしまいそうでした。という訳で、気力をなくしてしまった私、エネルギーの必要な『2012年 近江の旅』の続きを書く気にはなれず、ほんとうに、今年も余すところ〜日、ボケーっとした冬休みモードに入ってしまいました。

今年は夏が長く何時までも暑い日が続いたのですが、秋は短く、物思いに耽る晩秋などはアッという間…、一気に真冬に突入しました。年末までは毎朝、寒さをこらえながら自転車に乗っていたのですが、今年はのっけから池が氷る寒さ、年が変わるのを待つまでもなく、あっさりと自転車を放棄、歩いての散歩に切り替えたのは寒さだけが理由ではなく、寄る年波?、ということでしょう。20120818桜美林図書館裏

昨夏に始めた水彩画スケッチ、「絵」と呼ぶにははずかしいものかも知れませんが…、散歩に新しい楽しみを加えることが出来ました。線画で始めた私ですが、当初は小学生時代の絵の具のイメージしかなく、絵の具がこんなに便利に進化したのを知りませんでした。昔は画材といえば専門店で買う高価なも、というイメージでしたが、「絵手紙」ブームのお陰でしょうか…?、今や近所のホームセンターで揃えることができます。私の場合、鉛筆による下書き→ドロウ用の耐水ペン(黒)で清書→水彩絵の具で彩色、ではスケッチ(サイズ:F0 or A5)と言っても小一時間はかかってしまいます。

『2012年 近江の旅』でご一緒したKENさん、絵に関しては、人生と同じく…、大先輩です。彼は如何にもスケッチといった感じでまたたく間に描いてしまうのは驚異です。私には到底真似の出来ないことですが、最近、<鉛筆による下書き>を止め、いきなり耐水ペン(黒)で描き始めるようになったのは、大きな進歩です。最近描いたのがこれ、…といっても寒くなる前の話、歩いて20分ぐらいの所にある、レトロな看板は昭和初期の趣、大泉寺バス停。
20121107大泉寺バス停_342

昔、サイモン&ガーファンクルの曲で『真冬の散歩道 A Hazy Shade Of Winter』というのがありました。ドラムが入り、ザ・バーズ(The Byrds)と並んで、当時フォーク・ロックという新しいジャンルでした。


もうすぐ、孫達家族がやって来ます。孫娘には絵を描く私がただ者ではないように見えるらしく、「ジージ、すごい。」
ポチ袋の中身は増やせませんが…、ご所望とあらば、彼女と一緒のスケッチ散歩に付き合いましょう。

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October 11, 2012

散歩の途中<1>

ステージに上がった30分の持ち時間に備えて、少なくとも<イントロ >→< 間奏 >→< エンディング>の部分がピシッと決まった持ち歌を10曲確保することを目標に練習しています。…と、準備だけは進めているのですが、残念ながら今のところ、そのステージの話はありません。その進捗状況は、左コラムのミュージック・プレーヤーでお聴きください。新曲がないので、当面は音楽に関する記事も期待できないかも知れません。

10月5日、ビートルズが最初の大ヒット:『ラブ・ミ・ドゥ Love Me Do』の50周年記念行事がニュースで流れていました。これに便乗して音楽関係のブログを書こうか…とも思ったのですが、当時からこの曲があまり好きではなく、曲は知っているが何の思い出もなく、書かず終いになってしまいました。

音楽関係の記事は横へ置いて、その他の話題に…、また歴史の話か、と言われそうですが、今回は、この夏から始めたスケッチ、最近、「散歩の途中」で描いた絵をご覧にいれましょう。

2012.09.18 東京都町田市と神奈川県相模原市の境を流れる境川、この橋を渡ると相模原市です。この境川を下ると、大和・藤沢と通って江ノ島に至ります。この辺りは古くから集落があったようで、この大きな木立も古い集落でしょう。→『俺は相模の『原』だ!』『縁切り榎とわかれ橋』『バイクは好きですが、タイツ姿がどうも…』
散歩の途中_120918

2012.09.26 小山田の谷戸田、稲の刈りが終わりました。東京都がその景観を保存している里山。見方を替えれば…、近代の発展から取り残されたような、懐かしい風景です。近くには、小山田有重の居城跡:大泉寺、鶴見川の源流、東京都が管理する小山田緑地、幕末、近藤勇も訪れた小野路がつながっています。→ 『小山田の谷戸田(やとだ)』『忠生( ただお)、極めてローカルな話ですが…』『あ〜あ〜、川の流れのように…』
小山田稲刈り_120926


2012.10.02 小山田有重の妻を祀った(?)、小山田神社の石塔。回りは蓮田、8月には一面に開花が見られます。
小山田神社_20121002

2012.10.08 小山田桜台、尾根道近くの公園。
散歩の途中_121008

私が始めてビートルズのレコードを買ったのは、次のヒット:『プリーズ・プリーズ・ミー Please Please Me』、東芝= Odeon、340円(?)でした。あれから50年、ビートルズを生んだイギリスはますます普通の国になりました。翻って日本、坂の上の雲に届いたのはほんの一瞬、その後は下り続けて30年、日本は世界に何を遺産として残したのでしょうか。「かわいい」漫画文化だけ…? 少し憂鬱になっていたところに、飛び込んできたのが山中教授のノーベル医学生理学賞受賞のニュース。ちょっと、元気になりました。

eyecatch_amazon_2文房具:スケッチブック 本:スケッチの描き方 

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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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