Music

July 19, 2019

この曲<30-2> "Islands In The Stream" その2

※「Bee Gees その1」から続きます。Wikipediaを参照してBee Geesの歴史を振り返ってみましょう。

Bee Gees_2 Barry(1946-)、Robin(1949-2012)、 Maurice Gibb(1949-2003)三兄弟は英国マン島で誕生。1958年、一家はオーストラリアに移住。1960年、ブリスベンに在るラジオ局のDJ、Bill Gates(ビル・ゲイツ MSの彼とは別人)を紹介され、彼の名前に因んで、バンド名を「BGs(ビージーズ 後にBee Gees)」としたそうです。1963〜66年、シドニーに居住、最初のメジャーヒット、『Spicks and Specks』が誕生したのはこの頃でした。しかし、それ以上の成功には恵まれず、1967年、三兄弟は英国へ帰ります。

 1967年、NEMSと契約、最初のシングル『New York Mining Disaster 1941』は全英・全米トップ20入りを果たします。1968年、最初の全英No.1シングル『Massachusetts』(全米No.11)を収録するファースト・アルバム『 Horizontal』は全米No.12、全英 No.16を記録、その頃が1960年代におけるビージーズのピークでした。一方では、兄弟間に亀裂が生じ、1969年、Robinがグループを離脱、残ったBarryとMauriceも別々な道を歩くことになります。1970年初めになると、ビージーズは終わったものと認識されていました。<<最初の高揚と凋落>> ※私も同じ認識で、以来、『Islands in the Stream』を耳にするまで彼らを毛嫌いしていました

 1970年、再結成。アルバム『Trafalgar』が1971年末にリリースされ、シングル『How Can You Mend a Broken Heart』はまず全米No.1を達成、初めてグラミー賞Best Pop Performance by a Duo or Group with Vocals部門にノミネートされました。その後、彼等の楽曲が映画『Melody』のサウンドトラックに採用され、1972年、『My World』が全米No.16、『Run to Me』は過去3年で初めて全英トップ10の地位に返り咲いたりしましたが、それもつかの間、彼らはマンネリ化してしまい、1974年になると、彼らは各地の小さなクラブで演奏する、ドサ周り状態に落ち込んでしまいました。<<二度目の高揚と凋落>>

 ビージーズは溺死寸前の状態で、ワラをも掴むかのように…、リズム&ブルースへのめり込んで行きました。これが、またもや、幸運が巡って来るきっかけになるとは…。1975年始め、録音を目的にマイアミに移住、全米No.1『Jive Talkin』やNo.7『Nights on Broadway』等のダンス志向のディスコソングが制作されました。アルバム『Main Course』がチャートイン、収録の2曲が同時に全米トップ10入りを達成、新しいR&B/ディスコ・サウンドは一部の熱心なビージーズ・ファンには全く不人気でしたが、このアルバムは彼等を、かつては全米で達成しえなかったスターダムの地位に押し上げることになります。
Movie Starday Night Fever 『Saturday Night Fever』サウンドトラック作成は彼らのキャリアにとって大きなターニング・ポイントでした。映画とそのサウンドトラックは世界に大きな衝撃を与え、3枚のシングル、『How Deep Is Your Love』『Stayin' Alive』『Night Fever』は英米はじめ世界各国でチャートの高位置に付け、ディスコ時代の絶頂期が始まりました。映画の成功とともに、サウンドトラックは4千万枚以上を販売、史上最も売れたアルバムになりました。『Saturday Night Fever』は歴代トップ5に入るサウンドトラック・アルバムとなり、グラミー賞各部門を総なめにします。しかし、今までのパターンを繰り返すかのように、1979年末までには、絶頂だったディスコは急激にその人気を失い、全米各地のラジオ局ではキャッチ・コピー『Bee Gees Free Weekend(ビージーズなしの週末)』も現れる始末でした。<<三度目、空前絶後の絶頂と凋落>> 

 1980年、Barryは  Barbra Streisandのアルバム『Guilty』制作に参加、結果は全米・全英ともにNo.1を獲得。収録の『Woman in Love』は今日に至るまで、彼女の最も成功した曲であり、デュエット曲『Guilty』及び『What Kind of Fool』は全米トップ10を達成します。1982年、 Dionne Warwickの名を冠したアルバムの収録曲の多くがビージーズの作であり、Barryとの共同プロデュースによる『Heartbreaker』は全米アダルトコンテンポラリーNo.1ヒットを達成。1983年、 ビージーズ作の、Dolly PartonとKenny Rogersの『Islands in the Stream』は全米No.1、全英トップ10入りを達成。Rogersの1983年のアルバム『Eyes That See in the Dar』の全曲がビージーズ作であり、Barryとの共同プロデュースによるもので、アルバム全米トップ10ヒットとなり、ダブル・プラチナに認定されました。
 
 1987年、ビージーズの『You Win Again』は多くの国で1位になり、60年代、70年代、80年代、それぞれの期間において全英No.1ヒットを記録した最初のグループとなりました。1987年、英国アカデミーのIvor Novello賞を受賞、1988年、Brit Award( Best British Group部門)を受賞。<<四度目、奇跡の復活>>

 1990年初めから、Mauriceはアルコール依存症でしたが、Barryも深刻な腰痛と関節炎に悩まされていました。1997年、ビージーズはラスベガスにてライブ・コンサート「One Night Only」を開催、このコンサート名はBarryの深刻な健康問題を反映したものでした。

 2003年、音楽的なリーダーであったMauriceは腸捻転の緊急手術を待つ間に、心臓発作で死亡。「Bee Gees ビージーズ」の名前は、グループ名から離れ、三兄弟を表すものとして残されることになり、ビージーズはグラミーLegend Awardを受賞、21世紀における最初の受賞者となりました。2011年、Robinは肝臓がんと診断され、2012年、肺炎に感染して健康状態が急激に悪化、肝・腎不全で死亡。Barryは兄弟唯一の生存者となり、音楽グル-プとしてのビージーズは解散となりました。

 ビージーズは自らパーフォーマーとして全世界で2億2千万枚以上のレコードを販売したというだけでなく、他の多くのミュージシャンに楽曲(その多くが大ヒットとなる)を提供するという、偉大なソングライティング・ユニットでも在りました。ここまでビージーズの歴史を振り返ると、英国マン島に生まれ、ブリスベン、シドニー、ロンドンそしてマイアミへと移住を重ね、その音楽は3人のハーモニーを基本に、フォーク、フォークロック、ロック、リズム&ブルース、ディスコ(ダンサブル(踊れる)・ミュージック)、カントリーと変遷、そして60〜70〜80〜90年代、現在に至るまで、何時の時代をもリードしてきました。好き嫌いは別に…、ビージーズはLennon/ McCartneyを超えた存在であると言えるでしょう。

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July 12, 2019

この曲<30> "Islands In The Stream" その1

 先日、ストリームラジオのカントリーを聴いていたら、カントリーらしからぬ…と云うか、ディスコぽぃ曲が流れて来るではないですか。

 Emily Ann RobertsとBlake Sheltonのデュエットが歌っており、さらに調べるとオリジナルはDolly PartonとKenny Rogersの『Islands In The Stream』、カントリー界の大御所が歌うれっきとしたカントリーで、日本で云うならば石川さゆりと北島三郎のデュエット演歌のようなものです。この曲がカントリーとは思いもよらず、ましてや1983年の二人のAcademy Of Country Music賞 Single Of The Year賞を受賞していたことを知って、カントリー好きの私には大きなショックでした。詰まるところ、カントリーはカントリー歌手が歌っているからカントリーであって、リズム&ブルースやディスコの曲でも、カントリ歌手が歌えば、カントリーになるということでしょう。それぐらいいい加減なジャンルと云えるのでしょう。

Bee Gees_1 それもそのはず…、1977年(日本公開1978年)の映画『Saturday Night Fever 』は世界中で空前の大ヒット、そのサウンドトラックを作り、演奏したのがビージーズでした。彼らの『How Deep Is Your Love』『Stayin' Alive』『Night Fever』はいずれも全米No.1始め、世界各国でチャートの高位置に付け、ビージーズ・ディスコ時代の絶頂期でした。あれ以来、長らく、私はビージーズを聴いたことがありませんでした(▶「アーバン・カウボーイ」)。

 あれほど盛り上がったディスコ時代は1979年末までに急激に凋落、ビージーズはディスコ路線を修正できず、全米はじめとする各国のチャートでは影が薄くなっていました。そのころから、ビージーズは、自らのためというよりも、他のアーティストの為に曲を提供することが多くなり、この『Islands In The Stream』も本来、R&BのMarvin Gaye(マービン・ゲイ)に提供すべく書かれたもので、曲自体がディスコぽぃのはこのことが理由か…、急遽カントリーの Kenny Rogers  and  Dolly Partonに変更されたそうです。

 嫌味な言い方をすると、ディスコで全盛期を迎えたビージーズは、時代が一転 ディスコからカントリーに180度変わると、ビージーズは節操もなくカントリーに乗り換えたとも言えなくもありません。多くの人がそうでしょうが、私とビージーズとの出会いは、1967年の『マサチューセッツ(Massachusetts) 』でした。時代はピーター・ポール&マリー、ブラザーズ・フォアなどのフォークからB.ディラン、バーズなどのフォーク・ロックへ、ビートルズの『ノルウェーの森(Norwegian Wood)』及びその曲が収録されているアルバム『『ラバー・ソウル(Rubber    Soul)』が発売されたのが1965年でした。

 ※「Bee Gees その2」に続きます。

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May 22, 2019

この曲<29> "Let's Twist Again"

「無事です」 災害発生時、家族に異常が発生した場合は「SOS」を、異常なしの場合は「無事」を示すマグネット・カードを玄関ドアに貼ることになっています。

 関西の友人から、安否を気遣う「LINEもご無沙汰、Blogの新たな投稿もなく、だいじょうぶ?」のメッセージあり。遠隔の友人にはこのブログが安否確認カードです。

 日曜日、私も組合員である管理組合総会に出席しました。同じ団地に住みながら、今まで話したことさえなかった者どうしが、2015〜2016の2年間、組合理事として種々難題(?)への対処を通じて、相互の団結が強まり、今回の総会においても同窓会の様相です。久しぶりの再会に「元気でしたか?」の挨拶。そういえば、最近は、外で会うことが少なくなった人もおられ、何らかの事情で外出する機会が減ったようです。洋楽ファンの皆様はよくご存じでしょう。昔(1970頃)、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(Crosby, Stills, Nash & Young)の歌う『Teach Your Children』、アメリカでは小学生のキャンプでも歌われるそうですが、その歌詞に"their father's <health> did slowly go by"、”父親たちもゆっくりと老いて行く”、というフレーズがありました。若い時には、長く感じられる一生から見ると老化は「ゆっくりと」進行するように思うのですが、この歳になってみると、「ゆっくりと」ではなく、階段を一段一段、ガクン・ガクンと下るようなもので、場合によっては足を踏み外してしまう例が周りを見回しても多く見られるようになりました。

 ※因みに、若い時の思いを『Teach Your Children』に寄せて語ろうと思ったのですが、調べてみると「health」が「hell」に変わっているではありませんか。ネット上でもちょっとした論争になっているようです。"their father's <hell> did slowly go by"は、”父親たちの地獄(の記憶も)もゆっくり失われて行く”という意味なのでしょうか…。「hell」とはベトナム戦争(の記憶)?。

 一寸先は闇。お金をかけないで…という条件は付くものの、人には迷惑をかけないことは言うまでもなく、やりたいことをやる。できれば、それが皆さんに喜んでもらえるのであれば尚よし…、とばかりに、夏の団地際のステージに出ようと考えています。我々のバンド、The K.A.Y.A. Bandは本来カントリー・ロックバンド。ドラム、ギター・アンプ、ボーカル・アンプ等のPA、出来ればこれらを調整するミキサーが欲しいところ、これらを主催者側が用意してくれることを条件にしています。団地住民で、先日、喫茶店『嵐が丘』でミニコンサートを実施したジャズ・デュオ(ほとんどセミプロ)がおられるなど、PAさえ用意してもらえば、団地内には1千5百世帯(4千人?)が居住、他にも出演するバンドがあるように思います。

 昨年11月、The Queenの映画『ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody)』公開時の熱狂は、普段ロック、カントリー、ポップス等、いわゆる洋楽に興味がない人さえも巻き込んでの大騒ぎで、私には信じがたい風景でした。この「洋楽に興味がない人さえも巻き込んで…」が私にとっては重要、ステージに上がるかどうかは別にして、どこかで聞いたことのありそうな曲、「ノリ」のよい、あるいは「ノリ」だけのロックン・ロール、そして誰もが耳にしたことのあるオールデイズを中心にやろうと計画しています。

 今回は練習中の曲、チャビィ・チェッカー(Chabby Checker)の『 Let's Twist Again』(1961)をご紹介します。曲間のセリフは難題、バックコーラスは一部がずれており、完成度は高くはないのですが、ブログ更新(「無事」を知らせること?)を優先して公開します。上述のCrosby, Stills, Nash & Youngのズーッと前、さらにはビートルズの出現する数年前、私も同時代ではなく、三十数年前、東京に転勤した時、よく行った中高年の溜まり場『KENTOS』で聴いたのが印象に残っています。

 ※またまた因みに…、『マサチューセッツ(Massachusetts 1976) 』や映画『サタデー・ナイト・フィーバー( Saturday Night Fever 1977)』でおなじみのビージーズ( Bee Gees)は当時、オーストラリア在住、1962年、このチャビィ・チェッカーのシドニー公演で彼の前座を務めたそうです。

 「ノリ」だけの曲、歌詞を訳そうか…とも思いましたが、アホらしくて…止めました。私の時代、そう『Teach Your Children』の時代に比べると、歌詞にひねりがありません。


Chubby Checker – Let's Twist Again

Come on everybody!
Clap your hands!
All you looking good!

I'm goona sing my song
It won't take long!
We're gonna do the twist
And it goes like this:

Come on let's twist again,
Like we did last summer!
Yeaaah, let's twist again,
Like we did last year!

Do you remember when,
Things were really hummin',
Yeaaaah, let's twist again,
Twistin' time is here!

Heeee, and round and round and up and down
We go again!
Oh, baby, make me know you love me sooooo,
And then:

Twist again,
Like we did last summer,
Come on, let's twist again,
Like we did last year!

Twist! Yo!

Who's that, flyin up there?
Is it a bird? Noooooo
Is it a plane? Noooooooo
Is it the twister? Yeaaaaaaahh!

Twist again, like we did last summer,
Come on, Let's twist again,
Like we did last year!

Do you remember when,
things were really hummin',
Come on, let's twist again,
Twistin'time is here

Heeee, and round and round and up and down
We go again!
Oh, baby, make me know, you love me sooooo!
And then:

Come on, twist again, like we did last summer,
Let's twist again, like we did last year!

Come on, let's twist again,
Twistin'time is heeeere! 

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May 01, 2019

この曲<28> "Tube Snake Boogie"

  お世話になっている喫茶店「嵐が丘」で面白い人と知り合いにった。ある時は仁平さんを羽織り手には扇子、ある時はカウボーイハットにジーンズ…、変わらないのはサングラス。私より一回りぐらい若いか…?、背が高く、昔は不良だったであろう、悔しいが…、カッコいい男。今は知らないが、昔はバイクを乗り回していたらしい。団地の住人ではなく、「在」の人。「嵐が丘」のママに花を届ける、それも、かなりサマになる男である。今のご時世に珍しく、彼はタバコを吸い、お店の外で雑談すると、ジャズは判らないがロックは好きと云う。録音したバンドのノブさんが歌う『Tube Snake Boogie』を聞いて、ZZ Top(ズィー・ズィー・トップ)は好きだと云う。

ZZ Top いつもの口調に戻って…、ロックンロールついでに、その『Tube Snake Boogie』をいってみましょう。1981年の大ヒット、ビルボードで最高4位。歌詞を訳そうか…、とも思いましたが、どうも日本語にすると卑猥になりすぎる感あり、歌詞の大意のみ記すことにしましょう。

 「チューブ・スネイク」とはサーンフィン用語(スラング)で、〜 snaking a wave 〜とは「いい波に乗る」という意味らしい。

 しかし、しかし…、この曲は三人の彼女を持つ男の話。一人目は街の向こうに住む娘、二人目は一つブロック先に住む娘、三人目は丘の上に住む娘。一番目と二番目の二人は「チューブ・スネイク」が大好き、それも、一晩中。三番目の娘は「チューブ・スネイク」が好きではないが、その妹は大好き。キワドイ、性的な隠喩に満ちている、とは私の考えすぎ?今回は和訳せず、原語のままにしましょう。


 
Tube Snake Boogie

I got a girl she lives cross town,
Shes the one that really gets down.
When she boogie,
She do the tube snake boogie.
Well now boogie little baby,
Boogie woogie all night long.

I got a girl she lives on the block,
She kinda funky with her pink and black socks.
She likes to boogie,
She do the tube snake boogie.
Well now boogie woogie baby,
Boogie woogie all night long.

I got a girl, she lives on the hill.
She wont do it but her sister will,
When she boogie,
She do the tube snake boogie.
Well now boogie little baby,
Boogie woogie all night long.
Blow your top blow your top blow your top.

 彼に似合う一曲です。

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April 26, 2019

この曲<27> "Rockin' All Over The World"

 『Rock'n Roll Christmas Live at 嵐が丘』以降、我々バンドの新曲はまさにロックンロール一色になって来ました。ブルースから派生したもので、3コード・12小節が基本。私のように長年ギターはやっているが、コードしかたたけない人間にとっては単純に「ノリ」の良さだけ。「リフ」の真似事は出来るのですが、本当の意味の「リフ」は小指がフレットに届かず、やっと届いたとしても、曲はさらに前を行っています。歌詞はコードに輪をかけたように単純、日々の生活の一こまを歌っただけのもの。単純なメロディ、リズムと歌詞、それの繰り返しは原始的な音楽と言えるでしょう。しかし、単純だからこそ、アフリカのブードゥー教や櫓の周りを回る盆踊りのように、人を狂わせ、恍惚・トランス状態に没入させるのです。

status quo 英国に「ステイタス・クオ(Status Quo)」というバンドがあり、Youtubeで見るも、単なるコピー・バンドと思っていたのですが、英国ではかなり有名で人気のあるバンドとは、バンドのノブさんの言。かつて、クリーデンス・クリア・ウォーター・リバイバル(Creedence Clear Water Revival)のメンバーの一人、ジョン・フォガティ(John Fogaty)が作った『Rockin' All Over The World』の歌詞を少し変えてカバーしています。歌詞の2番目、(※)内にジョンのオリジナルの歌詞を載せておきます。今では、ジョンのオリジナルよりも、「ステイタス・クオ」版の方が、少なくとも、英国では人気が高いようです。因みに、「Status Quo」とは「ラテン語 現状・現状維持」の由。

 本当のリフが出来ない私は、バックコーラスをするわけでもなく、やはりこの曲はThe KAYA Bandノブさんのギターソロが聞かせどころ、「ノリ」がすべての曲です。

 


さあ、ここらで、行ってみよう
みんな乗った 出発しよう
さあ行こう 世界中をびっくり仰天させよう

さあ行こう こんなところを抜け出して
俺たち気分が良くなって 今日のうちには出発だ
さあ行こう 世界中をびっくり仰天させよう

いい気分だ
最高だ
さあ行こう 世界中をびっくり仰天させよう

今からやろうとしていること お前のママに言っとくよ
(※ お前のパパがやっていること お前のママに言っとくよ)

早く出て来いよ ダンシングシューズを履いたままでいいから
(※ 彼は夜な夜な飛び出してやって来る お前のダンシングシューズを履いて)
さあ行こう 世界中をびっくり仰天させよう

いい気分だ
最高だ
さあ行こう 世界中をびっくり仰天させよう

いい気分だ
最高だ
さあ行こう 世界中をびっくり仰天させよう

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February 09, 2019

この曲<26> "Desperados Waiting For The Train"

  友人の一人、大学時代はワンゲル部員、その彼が軽四をネグラに全国を放浪、津軽海峡冬景色いや計画的に旅行しています。あれは3年前(?)…、箱根の峠を、最初は三島から東へ、二回目は箱根湯本から西へ越えようとして、いずれも時間切れで踏破出来ませんでしたが、その箱根峠に連れて行ってくれたのが彼でした。その彼からLINEメッセージ、「ご覧あれが竜飛岬北のはずれと〜♪」。厳寒の中、彼はワンゲル時代の友人と二人で東北地方を旅行中で、本州の北端、竜飛岬に到達したのです。

 「上野発の夜行列車降りた時から〜♪」の『津軽海峡冬景色』もそうですが、「汽車を待つ君の横で僕は〜♪(ここまで一気に…」の『なごり雪』等の楽曲は「鉄道ソング」と呼ばれるそうですが、アメリカでは「トレイン・ソング Train Song」と呼ばれます。私の好きなトレイン・ソングと云えばグラディス・ナイト(Gladys Knight)の『夜汽車よジョージアへ Midnight Train to Georgia(1974)』、R&Bの最高傑作の一つですが、これには元歌があります。 ジム・ウェザリー(Jim Weatherly)の『The Midnight Plane To Houston(1972)』、ペダル・スチールの入ったれっきとしたカントリーでしたが、残念ながらヒットしませんでした。

Guy Clark もう一曲、昔、『ミスター・ボージャングル Mr. Bojangles』『L.A. フリーウエイ L.A. Freeway』とともにジェリー・ジェフ・ウォーカー(Jerry Jeff Walker)が歌った『Desperados Waiting For The Train』です。ガイ・クラーク(Guy Clark)が書いた曲です。



"Desperados Waiting For The Train"written by Guy Clark

僕がレッドリバーバレーを歌うと
彼は台所に腰掛けて一緒に演奏し、そして泣いた
七十年の人生を振り返って指を走らせ
「神よ、俺が掘った井戸はどれも枯れるのか?」
二人、僕と老人は友達
汽車を待つならず者のよう

かつて彼は放浪者そして石油掘り
そして世界を教える年寄りの先生
酔っぱらって運転できなくなると、運転の仕方を教えてくれ
片目をつぶって、女の子と遊ぶ金をくれた
二人の日々は古い西部劇映画のよう

僕が歩けるようになると、彼は僕を連れて
グリーン・フロッグ・カフェという名の酒場に行った
そこにはビール腹の年寄り達と、そしてドミノ
彼らが遊んでいる間、辺りをゴロゴロ寝そべる
僕はまだ子供で、彼らは僕を爺さんの「相棒」と呼んだ

ある日、僕が見上げると、彼はもうすぐ八十
そして、タバコの茶色いシミがあごまで広がっていた
そう、僕にとって彼はこの国のヒーローの一人
名のある老人のように彼は全身をドレスアップして
ビールを飲み、「ムーン&42」で遊んだ

彼が亡くなる前日、僕は彼を見舞った
僕は大人になり、彼は間もなく逝ってしまう
二人は目を閉じ、あの日の台所を思う
あの古い曲の違う歌詞を歌った
「しっかりしろ! ジャック! ヤツがやって来るぞ」
二人は汽車を待つならず者のよう
汽車を待つならず者のよう
汽車を待つならず者のよう

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January 21, 2019

この曲<25> "Rainy Night in Georgia"

 最近、この曲『Rainy Night in Georgia』をよく耳にします。去年10月、高校時代の4人BJ Thomasと久しぶりに再開したのですが、そのうちの一人が当時、この曲を好きだったというのを思い出し、誰が歌っていたのかを尋ねました。BJトーマスの由で、今でもそのアルバムを持っているらしく、写真を送ってもらいました。私も、同じ頃にこの曲を聴いたのですが、BJトーマスではなかったように思います。

 カントリー歌手のクリス・ヤング(Kris Young)、少し古くてコンウェイ・ツウィティ(Conway Twitty 1933-93)がカバーしているのは知っていますが、実は恥ずかしながら…、この曲を作ったTony Joe Whiteの存在を知ったのはつい最近のこと、高校時代から50年以上もたっていました。

Tony Joe White トニー・ジョー・ホワイト(Tony Joe White 1943 - 2018)はルイジアナ州の綿花農家の7人兄弟の末に育ちました。彼が初めて演奏したのは高校のダンスパーティ、卒業後はテキサス、ルイジアナのナイトクラブで演奏します。1967年、ホワイトはモニュメント・レコードと契約、ロックン・ロール、カントリー、R&Bなど多種にわたる音楽をプロデュースしました。次の3年間に、彼は4枚のシングルをリリースするも、アメリカでは商業的に失敗でした。1969年7月、『Polk Salad Annie』がUSチャート入りし、8月にはTop10に入り、最終的にはNo.8に達し、ホワイト最大のヒットになりました。私はエルビスの歌う『Polk Salad Annie』をよく覚えています。彼が、ドーナツの穴を食べ過ぎて…、今でいうメタボになる前の話です。1967年、彼は『Rainy Night in Georgia』を書き、1969、年自らの手でリリースしますが鳴かず飛ばず、1970年、エルビスが『Polk Salad Annie』をヒットさせていた頃、R&B歌手、ブルック・ベントンによって本格的なヒットとなりました。ホワイトが若干24歳の時に書いた『Rainy Night in Georgia』がその後、その後50年、100人以上の歌手に歌い継がれているのは驚くべきことです。

 同窓生から『Rainy Night in Georgia』の入ったBJトーマスのアルバムの写真を受け取った同じ月、ホワイトは2018年10月、75歳でこの世を去ったと報道されています。


"Rainy Night in Georgia" by Tony Joe White

スーツケースの周りをうろうろしながら
夜を過ごせる暖かい場所を探す
ひどい雨が降っていて
お前の声が「大丈夫よ」と呼んでいるように聞こえる

ジョージア、雨の夜
ジョージア、雨の夜
きっと、世界中で雨が降っているのだろう
世界中で雨が降っているみたいだ

ネオンサインが眩しく
タクシー、トラック、バスが夜通し過ぎ去る
遠くに聞こえる列車のうなりは
夜への悲しいリフレインの演奏

ジョージア、雨の夜
ジョージア、こんな雨の夜
きっと、世界中で雨が降っているのだろう
世界中で雨が降っているみたいだ

何度思ったことだろう
答えはいつも同じ
お前がどんな風に見ていようと考えようと
人生、これでやって行くしかないのさ

貨車の中に居場所を見つけ
ギターを手に暇をつぶす
眠れない夜は
お前の写真を胸に抱きしめる
おれは大丈夫

ジョージア、雨の夜
ジョージア、こんな雨の夜
世界中で雨が降っている


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December 30, 2018

第10回 かってに、HKX紅白歌合戦

coffee 2_2
 「紅白」と云えば、最近『平家物語』を読み直しています。後白河法皇は朝廷政治の衰退を目の当たりにして、平家政権に抵抗、源氏を支援、源氏の勢いが強まるとその内部分裂を計り、台頭する武家の切り崩しを画策、彼は朝廷政治の延命にもがき苦しみますが、武士の台頭には抗しきれず、鎌倉武家政権の成立を許してしまいます。平家は「赤」、源氏は「白」を旗印に、東北から九州まで、日本全土を舞台にした大乱、源平合戦、「治承・寿永の乱(1180-85)」は終焉、新しい世の中が開かれたことを意味しました。以降、「赤」と「白」、「紅白」は階層・地域を越えて「ハレ」を現し、今日、運動会の赤白帽・横断幕・紅白の水引・紅白まんじゅう、そして紅白歌合戦に、身近なところに受け継がれています。

第10回HKX紅白歌合戦

 講釈はこれぐらいに、今回の『第10回 かってに、HKX紅白歌合戦』は先日の『Rock'n Roll Christmas Live at 嵐が丘』の続きです。12月5日のブログ『Rock 'n' Roll Christmas Live at 嵐が丘』で元歌を参考にお聴き下さい。カメラが大好きな友人が動画(ムービー)撮影に、 まさかの…失敗をしたために、代打としてドラムのKunさんがMP3レコーダーで録音した音源を使うことにしました。

 私はLivedoorでBlogを書いていますが、実は、音楽再生に大きな問題があります。HTML5のAudio要素を使えば簡単にブログ上で音楽の再生ができるものと聞くのですが、Livedoorでは出来ません。今回の動画撮影失敗を機に、三日三晩…ウソです、まる一日、色々私なりにやってみました。過去のページを振り返ると、Adobe Flash Playerを使って音楽の再生をしていますが、いちいちブログ読者の再生許可が必要で、これでは誰もFlash Playerの存在すら気付いてくれません。こういう訳で、Livedoorブログ上で音楽の再生を断念しました。どなたか、音楽再生の良い方法をお教え願えないでしょうか?

 仕方なく、このMP3音源に写真(スティル)を載せてスライドショウにしました。以下の3曲だけを作りました。どうもカメラ大好き友人の撮った動画の方が音が良く聞こえるのは、「逃がした魚は大きい…」の類いなのでしょう。

<1> Runaway

<2> Pretty Woman

<3> Johny B Goode

  良い年をお迎え下さい。Happy New Year!

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December 28, 2018

唯一の動画 "Rock'n Roll Christmas"

181016_Rock 'n' Roll Xmas At 嵐が丘_Post Card クリスマス・イブ・イブの12月22日、地元団地内の喫茶店『嵐が丘』にて、ミニ・ライブ・コンサートを開催しました。題して『Rock'n Roll Christmas Live at 嵐が丘』。今年の3月、私の絵画展と同時に実施したミニ・コンサートの続編で、クリスマスの時期にやらせてもらったのは光栄なことです。定員15人のところに、16人が来場しました。左がその時のポスター、「50's 60's 70's」とは、曲が流行った年代なのか、それともお客の年齢なのか…、迷うところです。この団地も御多分に洩れず、60%以上が65歳以上、ほとんど限界集落です。

 2回目だからなのか、あるいはロックンロールが多く、ほとんど「ノリ」だけでで嵐が丘正面きるからか、リラックスして演奏することができました。ライブ前の数週間、脚腰の痛みから始まって最後は喉、咳に悩まされる夜もあり、やっと「これは風邪!ひょっとしたらインフルエンザ?」と慌てて病院に行った次第です。単なる風邪との診断結果でしたが、のど飴を買うやら…、1弦の「ソ」の音が出るか心配でしたが、本番では何とかなったようです。

Live_1  大した演奏のチョンボもなく、Nobuさんの司会も好評、満員のお客様にも大いに楽しんでもらったようで、今回のライブ・コンサートは、今までの練習・数少ないライブの中では最高の出来映えだったのではないでしょうか。興奮冷めやらぬその夜、関西に住む友人に、「ライブは大成功、そのビデオが出来次第ご覧にいれます」と、自慢気に報告しました。久しぶりの心地よい疲労感でよく眠ることが出来ました。

 カメラが趣味の友人に写真(スティル)だけでなく、動画(ムービ−)の撮影を依頼。彼は動画だけでなく良い音を撮ろうと、このコンサートの為に外付けのマイクまで購入する入れ込みようで事に臨んだのです。店内には三脚を広げるスペースもなく、鴨居にクランプを付けてカメラを固定、彼自慢の手元のタブレットで操作する…、というものでした。

 …が、翌朝、スマホを見ると、LINEメッセージ曰く「ごめん!面目ない!」。肝心要の、コンサート本番の様子がほとんど撮影できていないことが判明しました。さぞかし本人はショックだったはずで、慰める言葉も見つかりません。

 唯一動画の撮影に成功したのがこれ、『Rock'n Roll Christmas』です。

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December 05, 2018

Rock 'n' Roll Christmas Live at 嵐が丘

181016_Rock 'n' Roll Xmas At 嵐が丘_Post Card

 お店のママに頼み込んで、むりやり恒例にしてしまった感のある、題して『Rock 'n' Roll Christmas Live at 嵐が丘』、開催日、12月22日(土)まで、考えてみれば3週間を切ってしまいました。ご披露する曲目が決まったのが1ヶ月前、前回(今年3月17日)演奏した14曲から7曲を引き継ぎ、新しく8曲(7曲+1曲)を加えました。

<1> Lodi
 我々K.A.Y.A. Band のルーツはと云えばC.C.R.にあります。ストレートなロックなのですが、<カントリーぽさ+南部ぽく>て好きです。今回も、この曲を含めて3曲を歌います。

<2> Black Is Black by Los Bravos
 非英語国(ポルトガル)出身で一時は英米のヒットチャートを席巻しました。我々の選曲からすれば異端ですが、皆さん知っている曲でもあり、レパートリーに加えました。<10>Del Shannonが亡くなる前、彼のオーストラリア公演で歌っていました。

<3> On The Road Again by Wllie Nelson
大御所、ウィリー・ネルソンの曲です。

<4> Peaceful Easy Feeling by The Eagles
 この曲が今回のライブの最大の難所の一つで、先ずは、ドラムKunさんの歌、私のバックアップコーラスに不安があり、次ぎにNobuさんのギターによる間奏がまだ安心して聞けるまでには至っていません。それに、好きな曲なのですが、やたらと長いのです。

<5> Proud Mary by C.C.R.


<6> Tequila Sunrise by The Eagles
 ギターのNobuさんが歌って、私がバックアップコーラスをいれます。私のセミアコギターのルンバ(?)ぽぃリズムにコードG6が効いています。何よりも救われるのは、曲が短いと云うことです。これも<4> Peaceful Easy Feelingと同じくThe Eaglesが当初、カントリーぽぃ路線を走っていた時期の曲です。 後に、彼等はジョー・ウォルシュを迎え、カントリーから離れていきます。


<7> Rock'n Roll Christmas by George Thorogood and The Destroyers
 唯一、クリスマスの曲。私はNobuさんの歌でこの曲を知ったのですが、どうも、ロックンロールが全盛の50年代の曲のようです。

ここで30分の休憩。

<8> Pretty Woman by Roy Orbison
1964年、全米・全英で第一位、1990年映画『プリティ・ウーマン』の主題歌として大ヒットしました。皆さんに楽しんで頂ける、今回の目玉の一つです。

<9> Who'll Stop The Rain by C.C.R.
 彼等の初期のヒット「Have You Ever Seen The Rain」のアンサーソングと云われていますが…。

<10> Runaway by Del Shannon
 目玉中の目玉。日本では飯田久彦(?)が歌って大ヒットしたことを知る人は今や70歳代です。本当は私が歌いたいのですが、サビの裏声が高くて出ません。名曲です。Nobuさんが歌って、私がバックコーラスをやります。

<11> Sister Golden Hair by America
 もう一つの難所です。Nobuさんの歌に、Kunさんと私がバックコーラスを付けるのですが、何回もやっているにも拘わらず、どこか不安の残る曲です。私がバックからはずれた方が良いかも…。

<12> Surfin' USA by The Beach Boys
 チャック・ベンリーの『Sweet Little Sixteen』の盗作、失礼、改作と云われています。



<14> Take It Easy by The Eagles
 やはり、これは名曲です。

<15> Johny B. Goode by Chack Berry
 誰がアメリカでロックンロールを始めたかは判りませんが、この人・この曲がすぐその近くにいた事だけは事実です。1985年の映画『Back To The Future』の高校のパーティ、マイケル・Jフォックスがギターの演奏を披露しています。

 バンドメンバー個々人の練習に加え、1週間前の16日、全員での練習日があり、なんとか難所を乗り越えたいと思っています。

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November 23, 2018

映画『ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody)』

Bohemian Rhapsody 自分で漬けた「日野菜漬け」を送ってくれた彼は、「食」に対してだけでなく、音楽・映画にも強いこだわりがあります。私の様に、BS放送で古い映画の再放送の録画すれば、15分おきに画面の左下1/4に現れる現れる受信料云々のお知らせを気にしないで映画を楽しんでいるだけとは大いに異なります。彼は京都市北区在住、市内には「京都シネマ」、最近は「出町座」という新しい映画館が出来た由にて、各地のシネコンで公開されるメジャーな作品だけでなく、マイナーな(「コア」な」)作品を観ている彼が、私に観るように薦めてきたのが『ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody)』でした。

 私の音楽の好みは「カントリーぽぃロック」で、クィーン (Queen)のデビューが1973年。73年と云えば、私の好みの極めつけ、イーグズ(The Eagles)の『ならず者(Desperado)』がヒット、その時期、イーグルズ以外に感心が移るはずもなく、クィーンというバンド名は知っていても、その彼等ががどんな曲を歌ってヒットしているのかを知るはずもありません。

 今回も、彼の事だから…と、「コアな」、「ツウ好み」で上映館も限られているものと勝手に思い込んでいましたが、ネットを検索すると、全国各地のシネコンで上映されています。ついでに彼等の曲を聴いてみると、多くの曲を知っているではありませんか、私でも知っているとは…、恥ずかしい話しですが、これらのヒット曲がクィーンの曲であるのを始めて知りました。
         
 クィーンのリード・ボーカリスト、フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury 1946 - 1991)は、映画ではパキスタンで生まれ、父親は英植民地政府の会計士で、ペルシャ系インド人、ゾロアスター教徒でしたが、Wikiによると、当時英領タンザニア、ザンジバル島に生まれ、父親の仕事のつながりでイングランドに移住したと云う。この頃、彼等にとって乗り越えるべき存在であったビートルやストーンズ始め、多くのロック・アーティストは概ねハイスクールを出ただけの、言わば不良音楽少年上がりでしたが、彼は専門学校で美術・グラフィック・アートを学び、彼が参加するバンド、スマイルのメンバーは何れも、歯科医学・天文学を学ぶ大学生です。映画のタイトルにもなっている『ボヘミアン・ラプソディ』を筆頭に、彼等が高学歴故か、曲の多くにクラッシク音楽(?)の要素が見られます。フレディの父親がペルシア系インド人、ゾロアスター教徒であったことも影響したのでは…。

 これが私のあまり好きではない理由の一つなのですが…、ある時はフリルネック・リザードのような、ある時はマッチョなタンクトップ姿等、フレディのステージ衣装、ステージ(舞台)造りは独創的でした。彼等の音楽そのものよりも、フレディの格好を毛嫌いしていたのです。アルバイト先の仲間で、昔小学生の頃(?)、このクィーンの大ファンだったご主人と一緒にこの映画を観に行った人がおられます。当時、クィーンは「変態バンド」と呼ばれ学校内でも白い目で見られたそうです。振り返ってみると、英米を除いて、日本において、クィーンはダントツの人気、「変態」と呼ばれながらもです。私にとっては、クィーンもキッス(Kiss)も、ほとんど同じ括りのバンドでしたが…。

 フレディの事にあまり興味がなかったのですが、映画を観て…、やはり彼は両性・同性愛者だったということです。当時からこの病気と同性愛との因果関係が疑われていましたが、1991年、彼はエイズ(HIV)が原因で亡くなります。あのマッチョなタンクトップとタイツ姿、世間的で云う「変態」ないでたちは、その種の人達に特徴的なものに映りました。

 フレディが両性・同性愛者であることは、今の段階の私には理解しがたいのですが、彼の、あるいは、クィーンの音楽は素晴らしいの一言です。戦国時代の武将、例えば信長も、元禄時代の芭蕉も、近くは、三島由紀夫も実は両性・同性愛者であったと云われています。その人の才能・能力とその人が両性・同性愛者であることが明らかになって低められることはありません。従来、その種の人間は一般社会(異性愛=正常)から軽蔑され、日陰者(「性的マイノリティ」と否定的・限定的)扱いされて来ましたが、近年、「LGBT(Lesbian 女性同性愛者, Gay 男性同性愛者, Bisexual 両性愛者, Transgender トランスジェンダー)」が肯定的に使われることが多くなり、そんな中での映画公開となりました。今の私には、まだ理解しがたい、と云うのが正直なところです。しばらくすれば、陽が当たるようになるのかも知れません。

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October 09, 2018

この曲<24> "Ashes By Now"

 私の新曲発掘方法はWinampから流れるストリーム・ラジオを百〜2百曲をそのまま録音、iTuneで重複した曲を削除、こうして収集した曲を一曲ずつ再生します。本当は流しっぱなしにして、気に入った曲があれば、これをプレイリストに保存すれば良いのですが、膨大な曲数でそんな訳にも行かず、各曲、イントロと中間、特にサビの部分だけを聞いただけで「好きか・嫌いか」を判断しています。もちろん、失敗もありますが…。

lee ann womack ashes by now この曲のイントロ、「8時だョ!全員集合」の「ちょっとだけよ…タブー」を思わせるコンガのリズム、を聴いただけで、普段の私ならばこの時点でパスしてしまうのですが、何故か聞き流しているうちに気になってしまい、サビ→ブレイクの部分では、一変して気に入ってしまいました。ブレイク部分では何故か石川さゆりの『天城越え』に通じるものを感じます。それもそのはず、カントリーの大御所の一人と言うべき、 歌唱力のあるリー・アン・ウーマック(LEE ANN WOMACK)が歌っているのです。Rodney Crowell and Emmylou Harris_2この曲、『Ashes By Now』はロドニー・クロウエル(Rodney Crowell)の曲、1980年にリリースされ、エミルー・ハリス(Emmylou Harris)など多くのミュージシャンによってカバーされています。

 ウーマックの『Ashes By Now』は2000年にリリースされ、US Hot Country Songs (Billboard)で4位、US Billboard Hot 100で45位を記録、商業的にも、クロウエルのオリジナルに比べて格段の成功でした。クロウエルの伝統に忠実なカントリーとウーマックの新しいカントリーの融合を好意的に評価する論評だけでなく、私がパス、スルーしようとしたコンガのリズムを「プロデューサー、マーク・ライトとウーマックの紡ぎ出す魔術の始まり」と表現するなど極めて高い評価を受けています。 二人の『Ashes By Now』を聴き比べてみれば判りますが、ウーマックの成功は、歌詞(バース)の思い切った削除、歌詞(バース)の順序入れ替え、効果的なブレイクの挿入等、卓越した編集力と本人の絶大な歌唱力にあったと云えるでしょう。

 これまでは、Wikipediaを読めば判ることです。それじゃ、歌詞の意味は…?、と聞かれたら、その答えに窮します。参考にすべく、インターネットで探しましたが、和訳はもちろんのこと、歌の内容に関する記述を見つけることは出来ませんでした。独自の恋愛論を持つ人間を歌った歌、それは二人に災いをもたらしかねない、という意味でしょうが、私の和訳には全く自信がありません。詩人・小説家は多くの単語・語彙を持っていて、此処と云った時に頭の引き出しを開けて、なるほどと思わせる言葉を引き出し、詩文を紡いでいきます。  私は、音楽、 この場合は洋楽(Countryぽぃ音楽)、そして英語を一般の人よりも、身近に親しんで来ただけで、ほとんど直訳に過ぎません。『天城越え』の作詞者:吉岡治だったら果たしてどう訳したのでしょうね。誰か、挑戦してみて下さい!
   
"Ashes By Now" by Lee Ann Womack

今朝は月曜
あなたは何処にいるの?
私の記憶を引き出して
私がそうしたくない時
おとなしくする方法を教える
 
あなたの愛は理解しにくい
今になってそれが解る
私を狂わせる
私がそうしたくない時
皆の前で私を一人にする

ベイビィ 二度とこんな目に遭いたくない
思い出したくもない
もうこれ以上
ちょうど、野火が広がるように
あなたは街中を走り廻る
あなたが私を燃やしただけ
今まで、私は灰になっていた

楽しい時は
長続きはしない
あなたの過去が詰まった
スーツケースの様に行ってしまった
とっくに、そして、足早に

ベイビィ 二度とこんな目に遭いたくない
思い出したくもない
もうこれ以上
ちょうど、野火が広がるように
あなたは街中を走り廻る
あなたが私を燃やしただけ
今まで、私は灰になっていた

あなたは街中を走り廻る
あなたが私を燃やしただけ
今まで、私は灰になっていた

あなたが私を燃やしただけ
今まで、私は灰になっていた


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August 23, 2018

この曲<23> "Beautiful Goodbye"

Jennifer Hansonこれも古い曲なのですが、久しぶりに聞いても、やはり良い曲です。『I Know A Heartache When I See One(1979)』のヒットを飛ばしたジェニファー・ウォーンズ(Jennifer Warnes 1947年生まれ)の2枚目のヒット…?、それにしては1枚目から時間がかかりすぎの感がありましたが…、今回ご紹介する彼女の名前はジェニファー・ハンソン(Jennifer Hanson 1973年生まれ)、単に、ジェニファー(Jennifer)の名前が一緒だったと云うだけで、前者は私と同世代、後者は2世代以上も若く、全く別世代のシンガー・ソングライターです。見た目から入った訳ではないのでしょうが…、ジェニファー・ハンソンは1994年ミス・カリフォルニアを務めたほどの美貌と教養を備え、ミュージシャンだった両親のもとに育った彼女は、進むべくして音楽の道に入ったと云えます。1996年レット・アトキンス(Rhett Akins)『Somebody New』のバッキング・ボーカリストとしてデビュー、2002年、キャピトルレコードよりセルフタイトルのデビューアルバムをリリース、自身の音楽活動を開始しました。収録の『Beautiful Goodbye 』がBillboard Hot Country Songs Chartのトップ20を記録することになります。

Beautiful Goodbye

あなたが今までに見た中で最も素晴らしい夕日の様な
全く同じものが他にあるはずがない
それはちょうど深い永遠の海に落ち
あなたを泣かせる映画のラストシーンの様な
終わって、あなたは悲しい、だが、終わりを迎えるのは嬉しい
あなたの内面を深く動かす瞬間

美しいさようなら、恋人よ、さようなら
ドライブを楽しみ、いつも二人は本当に一緒でした
それはある種奇妙な高揚
美しいさようなら

ここに一人立って、あなたが車で去って行くのを見ている
二人は成長して知りすぎたのか
日の光の中にどのように見えるのでしょう?
あなたが居なくてつらい、あなたは戻っては来ない
どうやって、もう上手く行かないことを知ったのか不思議
どうやって、甘い響きを共鳴させたのか不思議

美しいさようなら、恋人よ、さようなら
ドライブを楽しみ、いつも二人は本当に一緒でした
それはある種奇妙な高揚
美しいさようなら

それはあまりに皮肉、あまりに面倒
正しい事をやって、失ってしまうのは
私はいつも選択すべきところで立ち往生
それは人生と同じなの?
ヘィイェ、ヘィイェ

美しいさようなら、恋人よ、さようなら
ドライブを楽しみ、いつも二人は本当に一緒でした
それはある種奇妙な高揚
美しいさようなら

さようなら、イェ
ナナナンナナンナ、さようなら

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July 29, 2018

この曲<22> "Sister Lost Soul"

Alejandro Escovedo 好きな曲が流れて、思わずボリュームを上げてしまいました。『Sister Lost Soul』がそれなんですが、ご存じですか?私の好きな曲と云っても、ほとんどの場合、知らない人の方が多いのが事実です。この場合もそれに当たるのでしょう。オリジナルはAlejandro Escovedo(アレハンドロ・エスコヴィードウ 1951年生まれ メキシコ系)が、Chuck Prophet(チャック・プロフェット)と共同で作り、2008年の彼のアルバム『Real Animal』に修められています。彼はカントリーというよりは、パンク(?)・ロック・ミュージシャンとして活躍していたようで、これは彼の友人、ロック・バンド、The Gun Clubの Lee Pierce(1996年、37歳で脳出血で他界)を追悼して作られた曲です。

今回は、 カントリー・バンド、Micky & the Motorcarsがカバーします。
 



"Sister Lost Soul"

誰も壊れずにはいられない
誰も無傷ではいられない
誰も此処ではしゃべらない
世の中とは正にこんなもの

あなたは行かなければならなかった、私を置いて
一人で彷徨ってしまった
そしてネオンの光が
歩道に映る
我が家が気付かせてくれる
あなたはもう戻っては来ない

[Chorus]

姉妹、失われた魂
兄弟、失われた魂
あなたはなくてはならない人
姉妹、失われた魂
兄弟、失われた魂
あなたはなくてはならない人

全ての最後の心は許され
全ての最後の涙は嘆き
外の通りでは水が凍っている
そして私一人だけが生きていると感じる

[Chorus]

私はあなたの側に横たわりたい
あなたの息を私の耳元で感じたい
あなたが最初でも、最後でもない
側に横たわったのは
私はたった今、身を横たえよう
あなたはまだ此処に居る


[Chorus: x2]


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June 26, 2018

この曲<21> "Chevy Van"

 その車のブランド自体を知らない人もおられるかもわかりませんが、アメリカのGM( ジェネラル・モーターズ)のブランドの一つに『シボレー』があります。 では、この『シボレー』を英語で書いて、あるいは発音して下さい、 と云われてさっと出来る人は少ないことでしょう。正解は『Chevrolet   [ʃɛvrəˈleɪ]』、 フランス語に由来し、英語圏の人にも発音が難しいそうで、『シェビ−(Chevy)』と略されています。  このブランドで、1964年から1995年、発売されていたキャブオーバータイプのバンは2回のモデルチェンジがあり、特に第三世代(1971〜1995年)がシェビー・バン(Chevy Van)と呼ばれています。

chevy van ストリ−ミング・ラジオ(Winamp)でカントリー・ミュージックを聞き流していると、懐かしい曲が流れてきます。 サミー・ジョーンズ(Sammy Johns)の『シェビー・バン(Chevy Van )』は1975年、ビルボードチャートで最高5位、年間でも46位を記録した大ヒット曲で、彼の曲は後にも先にもこれしか知りません。1975年とは、サイゴンが陥落してベトナム戦争が終結し、1960年代から続いたヒッピー・ムーブメントが急速に衰退に向かう時期でもありました。当時、フォルクスワーゲン・トランスポルター(ワーゲンバス)と並んで、ヒッピーのアイコンとしての役割も担っていたのがシェビー・バン(Chevy Van )でした。時代は、自然回帰・反体制・ドロップアウト・放浪・反抗・女性解放を濃厚に引きずっていました。

 私にとって、好きな曲の一つであることは変わりないのですが、曲のイメージがどうも今まで持っていたものと違います。 歌詞の一字一句をを吟味すれば、今日で言えばとんでもない歌になってしまいそうなので、それは止めるとして…、一番で「僕の手を取って 僕を誘った シェビー・バンの中で 僕もそうしようと思っていたのさ」そして三番で「彼女を小さな町で降ろした 石を投げれば端から端まで届く様な小さな町 未舗装のメインストリート 裸足で立ち去っていく彼女 これを横目に 通り過ごす事なんて出来はしない」と歌う。

 如何に放浪・自由・フリーセックスの時代であろうが、「少女(a girl)に誘われたと言え、終わった後は、裸足で車外に追い出した」とは、極めて「反道徳的」であり、ましてやこの曲が全米No.5の大ヒットとなったことにシェビー・バンを製造するGMは頭を痛めたことでしょう。現にYoutubeでは、この曲の「健康的」なイメージのミュージックビデオが多い多く、もしかすると、「反道徳的」イメージを払拭しようとする、GMの意向あるいは操作があったのでしょう。sammy johns_2

 見知らぬ人の車なんかに乗ってはいけません。

 その後はカントリ−のソングラーターとして、ウエイロン・ジェニングス(Waylon Jennings)、サミ−・カ−ショウ(Sammy Kershaw)、コンウエィ・トゥィッティ( Conway Twitty)に曲を提供、2013年没、66歳でした。 

Sammy Johns -  "Chevy Van"

女の子を僕のワゴンに乗せた
彼女は這い上がって 運転しようとした 
彼女は疲れて 何故って 最悪の気分だったから
僕は言った 少し眠ってロックンロールの夢でも見たら

だって 女王のように 彼女はそこに横になって
彼女の髪の辺り 月の光が踊っている
彼女は起きると 僕の手を取って
僕を誘った シェビー・バンの中で
僕もそうしようと思っていたのさ

彼女の若い顔は天使の様
彼女の長い脚は茶色に日焼けして
道路の方を見ていなきゃ
車のスピードを落とさなきゃ

だって 女王のように 彼女はそこに横になって
彼女の髪の辺り 月の光が踊っている
彼女は起きると 僕の手を取って
僕を誘った シェビー・バンの中で
僕もそうしようと思っていたのさ

彼女を小さな町で降ろした
石を投げれば端から端まで届く様な小さな町
未舗装のメインストリート 裸足で立ち去っていく彼女
これを横目に 通り過ごす事なんて出来はしない

だって 女王のように 彼女はそこに横になって
彼女の髪の辺り 月の光が踊っている
彼女は起きると 僕の手を取って
僕を誘った シェビー・バンの中で
僕もそうしようと思っていたのさ

だって 女王のように 彼女はそこに横になって
彼女の髪の辺り 月の光が踊っている
彼女は起きると 僕の手を取って
僕を誘った シェビー・バンの中で
僕もそうしようと思っていたのさ

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June 08, 2018

この曲<20> "I Know A Heartache"

Jennifer Warnes 昔好きだった曲に再び出会うのは嬉しいことです。ましてや、好きだった曲を最近の歌手が歌っているのを聞くと、単に昔に比べて音が良いと言うことだけでなく、私に比べれば若い…、その歌手の歌う最近の曲はもちろん、その彼女が古い私の好きな曲を歌っているのは余計に嬉しいことです。昔から同じ傾向の曲、カントリーぽぃロックを聴いていおり、もうこの歳になれば、こんな事が在るのは当然でしょう。

 ジェニファー・ウォーンズ(Jennifer Warnes)の『I Know A Heartache When I See One』がヒットしたのは1979年でした。今から39年前の話で、ジャクソン・ブラウン、イーグルス、リンダ・ロンシュタット以降、久しぶりの好きなタイプの曲だったように思います。ジェニファー・ウォーンズ(1947年生まれ)はカントリー、フォーク系の歌手でしたが、レナード・コーエンのバック・ボーカルで活躍しました。確かアルバムを持っていたはずですが、この一曲しか覚えていません。

  BS放送で観たのですが…、リチャード・ギアの主演の、ちょっとアホらしい…青春映画『愛と青春の旅立ち An Officer and a Gentleman(1982)』の主題歌『Up Where We Belong』をジョー・コッカーとデュエットしたのを知って驚きました。1987年には『ダーティ・ダンシン グ Dirty Dancing』の主題歌が再び全米No.1の大ヒットの由で、一般的には80年代の青春映画の主題歌を歌った女性ボーカリストとして有名なようです。

   この曲をカバーしているのがジョージ・ディ・メッシーナ( Jo Dee Messina1970年生まれ)です。
 

I Know A Heartache (When I See One)

見てご覧 台無しにしてしまった誰かさんを
北極星みたいに輝いて
私の願いの全てに応える様なふりして
だけど わかってるわ 貴男が本当はどんな人だか

じゃ 私のドアをノックしてみない
私は家にはもう居ないから
私が日の光を浴びて歩いているのがわかるはず
貴男はそれをうまく隠している
言うのは簡単じゃないけど
心の痛みを知っているわ
人と出会う時には

本当の信者 そんな時もあったわ
貴男の愛が唯一の道だった
全ての甘い言葉はとっておいてあげなさい
誰か他のおバカさんの為に
おバカさんだけが貴男の言うことを信じるのよ

じゃ 私のドアをノックしてみない
私は家にはもう居ないから
私が日の光を浴びて歩いているのがわかるはず
貴男はそれをうまく隠している
言うのは簡単じゃないけど
心の痛みを知っているわ
人と出会う時には

時は教師 よく教えてもらったわ
敗者は泣く人間の事よ
貴男が赤ん坊みたいに泣いた時 地獄に落ちたのを感じたよね
顔つきからして 悪魔がわかるでしょう

じゃ 私のドアをノックしてみない
私は家にはもう居ないから
私が日の光を浴びて歩いているのがわかるはず
貴男はそれをうまく隠している
言うのは簡単じゃないけど
心の痛みを知っているわ
人と出会う時には

じゃ 私のドアをノックしてみない
私は家にはもう居ないから
私が日の光を浴びて歩いているのがわかるはず
貴男はそれをうまく隠している
言うのは簡単じゃないけど
心の痛みを知っているわ
人と出会う時には

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May 19, 2018

この曲<19> "There Is No Arizona"

180523_Arizona on Billboard
 ※WELCOMEの「O」が抜けていました。ごめんなさい。
現代、それとも西部劇の時代なの? ミュージックビデオは思い切り現代なのに、歌の内容は古風です。絵はがきの消印はアリゾナ州、トゥーム・ストーン、映画「OK牧場の決闘」は此処が舞台です。彼女をおいて去って行った男からのよい知らせを待つ女の姿はどこか古風です。1880年代始め、アメリカ陸軍の鉱山技師、エド・シフェリン(Ed Schieffelin)はアリゾナの荒野を貴重鉱石を探し求めて旅をしていました。近くの鉱山で三人がインディアンに殺される事件があったことを受け、「この辺で見つけられる石はお前の墓石ぐらいなものさ」と、友人からからかわれていました。その彼がついに銀鉱石を発見、その所有権・鉱山採掘権を宣言するに際して、その土地を仮に「トゥーム・ストーン(Tomb Stone 墓石)」と名付けたのです。その後トゥーム・ストーンは銀鉱山の町として急激に発展、新しく誕生したコチセ郡(Cochise County)の郡庁所在地にもなりました。しかしこれが絶頂、元来、砂漠地帯で水が不足、急激な人口増加もあって、二度の大火をきっかけに街は凋落の一途を辿り、1880年代中頃には、銀鉱は掘り尽くされ、ついにゴーストタウンとなってしまいました。今や年間45万人が訪れる一大観光地です。

 いつもとは少し違うメロディライン、歌の内容も男にだまされた女性の話で、少し古風に感じてしまいます。トゥーム・ストーンの消印…、墓石の…、既に死んでしまった彼と一緒に見た夢を追いかけていたのかも、…ふと思ってしまいました。

 ジェイミー・オニール(Jamie O'Neal)はオーストラリアのカントリー・シンガー・ソングライター。「There Is No Arizona」は彼女の2001年のヒット曲です。なかなか良い曲でしょう?


"There Is No Arizona"

彼はアリゾナでの新しい、ましな生活を約束した
永遠の青空の下で、迎える準備が出来たら連絡すると誓った
彼女を後に出て行ってしまった時には、思いもよらなかった

アリゾナなんてない
ペインテッド・デザートも、セドナもありはしない
もし、グランド・キャニオンがあるのなら
彼が言った嘘で満たすことができた
しかし、彼の言ったそんな夢はありはしない
彼女は夢から覚めて
アリゾナなんてないことに気付くだろう

差出人住所のない、ただトゥーム・ストーンの消印があるハガキ
「次に何処に行くかはわからない、そうする時はまた知らせる」
五月、六月、七月、何故待ち続けるのかわからない。

アリゾナなんてない
ペインテッド・デザートも、セドナもありはしない
もし、グランド・キャニオンがあるのなら
彼が言った嘘で満たすことができた
しかし、彼の言ったそんな夢はありはしない
彼女は夢から覚めて
アリゾナなんてないことに気付くだろう

来る日も太陽は西に沈み
彼女の心も深く沈む 
いつ彼を追いかけていくのかと友達は聞く
終いには言ったの あんたたちは知らない

アリゾナなんてない
ペインテッド・デザートも、セドナもありはしない
もし、グランド・キャニオンがあるのなら
彼が言った嘘で満たすことができた
しかし、彼の言ったそんな夢はありはしない
彼女は夢から覚めて
アリゾナなんてないことに気付くだろう

彼はアリゾナでの新しい、ましな生活を約束した

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May 07, 2018

この曲<18> レナウン"ワンサカ娘"

 最近、特に高齢者向けの広告が目立つ新聞ですが、私の目をとらえたのがこれです。
シルビィ・バルタン広告
『シルビィ・バルタン 〜最後の来日コンサート〜』、特に「最後の…」の言葉には何故か現実味みを感じさせます。シルビィ・バルタンは1944年生まれ、今年73歳、「最後の来日コンサート」と形容されるのも致し方ないことですが、彼女の大ヒット曲と言えば『アイドルを探せ La plus belle pour aller danse (1964)』でした。当時、私は中学生で、洋楽に夢中、ラジオからこの曲が流れてていたのを覚えています。時代は東京オリンピック前後、高度成長の時代、一般家庭にもテレビが普及していました。彼女の姿をブラウン管に観て、この世にこんな綺麗な人がいるのかと思ったのは、私がまだ少年だったから(?)かも知れません。当時彼女はまだ二十歳、もちろん綺麗なのですが、愛嬌の乏しい、笑みの少ない、少し冷たい感じに見えたのは私だけではなかったようです。子供心に合点したその理由は、歯並びが悪くて、それを隠すために出来るだけ唇を開かない、笑わないということでしたが、その真偽のほどはわかりません。
 一方、1960年代、「みゆき族」とともに成長したVANジャケットに並んで、レナウン(Renown)という会社がファッションだけでなく、そのTVCMが、サントリー、雑誌『平凡パンチ』と並んで、当時の若者文化を引っ張っていく役割を果たしました。弘田三枝子の歌う、小林亜星の出世作、yeye64『ワンサカ娘』のレナウン・プロモーションは国際的に高い評価を受け、これに勢いづいて、次にシルビー・バルタンを起用、彼女の日本語で歌う『ワンサカ娘』がさらなるヒットとなります。振り返ってみれば、弘田三枝子・シルビー・バルタンの歌う『ワンサカ娘』がTVCMで流れていた時代が「レナウン(Renown)」ブランドの絶頂で、その後は徐々に凋落、2013年、ついに中国資本、山東如意グループの傘下に入ってしまいました。シルビー・バルタン二人の消息は、少なくとも私にとって、はたと途絶えてしまいました

 我々のバンド、The K.A.Y.A. Bandは主にエバリィ・ ブラザーズ(The Everly Brothers)、クリーデンス・クリアウォター・リバイバル(CCR)、イーグルズ(The Eagles)の曲をやっていますが、一曲だけ日本語の曲が入っています。一曲とはこの『ワンサカ娘』、TVコマーシャルを目的に作られたので曲が短くあっという間に終わってしまうので、『ワンサカ娘』の前(イントロ)・1番と2番の間(間奏)・ 曲の後に『Copper Kettle』を入れているのは、Nobuさんの昔からの手法で、私も大いに気に入っています。もちろん、日本製の楽曲ですが、当時としてはメロディもどこか洋楽風、歌の内容もドライブウエイ、プールサイド、テニスコート、ロープウェイと今までになかった欧米風の生活スタイルが感じられ、日本語…と云うだけで、他の楽曲と比べてそれほどまでに違和感はありません。やはり名曲です。

 シルビィ・バルタンは一昔前のテレビ番組「あの人は今…(?)」の取材対象のようなもの、フランスで幸せな余生を送ってきたのであろうと思いきや、その後はアメリカに移住、フランスとロサンゼルスを行き来しながら現役でステージ・ツアーを続けて来たそうです。ポール・マッカートニー、E.クラプトンと、ここ数年の大物ミュージシャンが、 昔の大ファンで、好きなことにはお金に糸目を付けない日本の富裕老人を目当てに来日していますが、ミュージシャンもいつまで来日してステージに立てるのか、昔の大ファンもいつまで会場に足を運べるのか…、両者にとって「最後の…」が現実味を帯びて来ました。

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April 11, 2018

この曲<17> "A Thousand Miles from Nowhere"

Urban Cowboy  空前のディスコ・ブームはジョン・トラボルタ主演の映画『サタデーナイト・フィーバー Saturadynight Feever(1977)』で絶頂を迎えます。カントリーの復権を狙って1980年、同じトラボルタを主役に、『アーバン・カウボーイ Urban Cowboy』をヒットさせ、音楽の流れはディスコからカントリー・ミュージックに変わりました。 楽曲を例に取れば、「Night Fever(1977)」「Stayin' Alive(1977)」の大ヒットを放ったビージーズは、まだディスコ路線でいけるとばかりに…、1979年、『Islands In The Stream』を出しますが不発に終わります。『アーバン・カウボーイ Urban Cowboy(1980)』で音楽の潮目がまるっきり変わってしまった1983年、カントリーのドリー・パートンとケニー・ロジャースがカバーでこの『Islands In The Stream』が大ヒットとなります。「アーバン・カウボーイ・ムーブメント」、「ヒル・ブギィ」と呼ばれるポップ・カントリーの1980年代の流行はこの映画に始まったと言われています。

 因みに、1972年、『Take It Easy』でデビューしたイーグルス(The Eagles)は1977年、最高傑作『Hotel California』を世に出し,これの出来があまりにも良すぎたのか…、これをピークに、残念ながら彼らは急速に衰退して行きますが、奇しくも、この時期はディスコ・ブームに重なります。「アーバン・カウボーイ・ムーブメント」の1980年代、日本では周回遅れのようなディスコ・ブーム、バブル経済のまっただ中でした(1986 - 1992)。個人的には、大げさですが…、イーグルスで私の音楽の進化は終わったようなもので、以降、新しい音楽には全く興味を見いだすことが出来ず、60〜70年代の「カントリーぽぃロック」に退行していきました。歌謡曲ファンの友人は「ピンク・レディで終わった」、ある人は「昔は洋楽、今はカラオケでど演歌」と言います。多くの人が学生時代あれだけ音楽を聴いていたのに、いつの頃か、大人になるとほとんど聞かなくなってしまいます。

 私にとって、80〜90年代は、ロック、カントリーなど、それらしい曲を聞いてもどうもピンとくるものがありませんでした。自ずと、歌手・バンド名、曲名が記憶に残らず、たまたま「これは!」というメロディーを耳にしたとしても、その曲や歌手の名前とが結びつかない状態が長く続いておりました。インターネット・ブロードバンドが発達、光回線が自宅にも繋がるようになった21世紀に入ると、事態は一変、Youtube・ストリームラジオなどの新しいメディアが誕生、音楽はダウンロードして聴くもの、しかも「タダ」です。CD並みの音質でアーティスト名・アルバムジャケットはもちろん、必要であれば歌詞さえも取得できます。

Dwight Yoakam そんな歌手の一人がドワイト・ヨーカム(Dwight Yoakam、1956年生まれ )です。大学を中退して音楽キャリアを歩み始めた頃、ポップな「アーバン・カウボーイ」的な音楽を指向するナッシュビルでは大した評価も受けず、1977年、彼はロサンゼルスに転じ、1980年代に向けてNew Honky Tonk Musicを打ち出して行きます。自ら曲を書き、伝統的なカントリーミュージック系以外の店、ロサンゼルス近辺のロック、ロックンロール・クラブで演奏しました。バック・オーエンス、マール・ハガードにDwight Yoakam_3代表されるベイカーズフィールド・サウンドの後継者と見なされています。カントリーの歌手・バンドは概してデブの、いかにも農業・工場労働者風の無骨な大男が多いのですが、彼はカウボーイハットのかぶり方からも違います (実は…、「帽子命!」)。個人的には…、あの…幻が脚の動きが、カッコ付けすぎでイヤミなのですが、良い曲です。
 
A Thousand Miles from Nowhere

何処からか、1000マイルもやって来た
俺には時間は問題じゃない
何処からか、1000マイルもやって来たからさ
落ち着きたい場所なんてありはしない

ポケットには心の痛みが
頭には木霊が
聞こえるのは
お前の口にしたむごい、むごい言葉

何処からか、1000マイルもやって来た
俺には時間は問題じゃない
何処からか、1000マイルもやって来たからさ
落ち着きたい場所なんてありはしない

Oh, i

<くり返し>>

記憶の中の傷
手に残る涙の跡
鏡の中には
かつては男だった幻が

何処からか、1000マイルもやって来た
俺には時間は問題じゃない
何処からか、1000マイルもやって来たからさ
落ち着きたい場所なんてありはしない

<くり返し>>


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March 20, 2018

小山田有重絵画展特別企画 K.A.Y.A. Band Live at 「嵐が丘」

連合会掲示板 コブシ、モクレンが既に満開、例年より早いようですが、桜の開花もはじまり、当地、武州小山田ノ荘にも春がやって来たようです。そんな陽気の先日の土曜日、私の絵の発表会、『小山田有重 絵画展』を開催中の団地商店街に在る喫茶店「嵐が丘」を会場に、ライブコンサートを実施しました。「嵐が丘」は小さなお店で、ドアの外でも聴いて頂いた方がおられるなど、14人の予約客で満員でした。

 小山田有重 絵画展管理組合理事を務めた時に、組合員(住民)向け月刊の会報を担当したのですが、余白を埋めるために『小山田荘を歩く』を連載しました。ほとんど当ブログでご紹介している『散歩の途中』の焼き直しに私の描いた挿絵を添えたコラムなのですが、これが思いのほか好評で、同じく理事の一人から彼の奥さんが『嵐が丘』を運営されているので、そこで展示会をやればという話をもらったのがきっかけでした。ダメ元で、「ついでに…、ここでライブをやらしてもらえないでしょうか」と、バンド練習を録音したデモCDを聴いてもらい、快諾して頂いた経緯があります。
複数展示
 
 壁に飾るべき12点の作品(もっともらしく、絵をそう呼びます)を選定、「馬子にも衣装」の額縁・ガラスと作品の間に入れる窓の開いたマット台紙を用意、全てを額装して搬入・展示…と、初体験故か…、絵画展準備だけでも少々疲れ気味です。音楽に馴染みが薄い人でもクラッシクやジャズと云えば、ただ聴いているだけで一端の趣味人に見えるのですが、聴く人によっては…下品で、うるさいだけのロック、ロックンロールを主なレパートリーとする我がバンドのライブが地域住民に受け入れられるものか…、一抹の不安がもたげてきます。「絵」だけにしておけば良かったのに…と、一時は、ライブをお願いしたことを後悔したりもしましたが、とうとう3月17日(土)、ライブ当日がやって来ました。  Nobuさんは埼玉県熊谷から、途中Maruさんを拾って、2時間半をかけて、Kunさんは府中から1時間、いずれも私の住んでいる小山田桜台は始めて、ナビがあるにせよ、遠路を上手く辿り着けるのか…、事故にでも会ったら…とは心配のし過ぎ、メンバー全員は無事到着、重い機材を搬入・設置してくれました。お店側も前日から料理の仕込みをして、予約客の来場に備えます。

モモ 午後2時にオープン、お店の外にカメラを設置ライブの模様を録画してYoutubeに乗せようと計画していたのですが、撮影するためには、窓を開かなければならず、残念ながら昨日は窓を開くほどは暖かくなく、 これを断念せざるを得ませんでした。私は音楽の準備に追われ、いつものように、全く余裕がなく、会場の様子をカメラで撮影するのをコロッと忘れてしまいました(※残念ながら、当日の写真は全くありません)15人で満員のところを、14人が来場、60代〜70代(当団地も高齢化の波が…)、男女半々。これにお店の人5人、我々バンド4人、合計23人のパーティです。
 
 前半30分(7曲)+休憩30分(飲食)+後半30分(7曲+アンコール1曲)、歌は私とNobuさんが交互にリードを歌い、片方がバックのハモを担当します。開演早々、何の紹介もなく「Proud Mary」〜「Have You Ever  Seen The Rain」のメドレーもうまく終わり、住民である私が挨拶して、それからはNobuさんが曲間にしゃべりを入れて、大きな演奏のチョンボもなく、無事全曲を終えることが出来ました。Kunさんが録音してくれた何曲かをご紹介しましょう「Norwegean wood」「Memphis」「Luceil」「Black is Black」 と続き、最後はアンコールに応えて、Nobuさんの「Match Box」で終わりました。皆さん、あっけにとられた…?のか 、立ち上がって大きな拍手をもらったのが印象的でした。 ※ 「Pretty Woman」は皆さんにお聞かせするレベルまでには達しておらず、残念ながらボツとなってしまいました。

山ノ端橋辺り 前日、不安な私はお店を訪れたのですが、カウンターの横に座った年長の女性と話が弾み、「壁の絵を描いたのは、あなたでしたか…」と真顔でびっくり、ビッグバンド・ジャズが好きだったとか…、「明日のライブには来ます」と言ってくれた彼女が、当日、最後の曲が終わると、わざわざ前まで来てくれて「よかった」と言ってくれました。 救急車のお世話になる事態(?)も発生せず…、結果は「大成功」だったと言えるでしょう。

 テニス、理事同窓会の仲間を始め、お金を払って聞きに来て頂いたお客様、ライブを受け入れてくれたお店の方々にはもちろん、私の絵画展を応援するために 遠路はるばるやって来てくれたバンドの仲間に大感謝です。私が現役を退いて始めた絵、大阪に住む友人ご夫婦と私の二人の姉に絵はがきにして送っているのですが、彼らからは機会がある毎に好意的な助言をもらい、今回の「嵐が丘」における絵画展・ライブの原点は彼らの応援にあるものと感謝しております。ありがとうございました。
 
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February 19, 2018

最近聞いたこの曲<16> "Pretty Woman"

 前回ご紹介した14曲はご披露してもさほど差し支えない曲ばかりなのですが、バンドメンバー4人の選には漏れたものの、個人的に是非やりたい曲が、ロイ・オービソン(Roy Orbison)の『Pretty Woman』です。『プリティーウーマン、長い前段ですが…』がそれ、日付を見てみると2010年とあり、8年も前の事です。まだMaruさんのBa.(ベース)が未だ参加しておらず、コードを刻むことしか出来ない私は2nd Gt.+Vo.、NobuさんがLd Gt.+Vo.、そしてDr.のKunさんの3人でした。

 ロイ・オービソン、1964年の大ヒット曲『Pretty Woman』は私も良く知っているのですが、私には、リズムを正確にとっているはずなのに、どうも上手く入れないというトラウマのようなものがあって、ずっと避けてきた曲です。しかし、この時はNobuさんがこれを取り上げ、リード、本メロを歌うことをなり、私はバックコーラスを担当することになりました。バックコーラスの場合、仮に上手く入れなかったとしても、途中からでもそれなりの体裁を維持することが出来るからです。歌うだけならまだ大丈夫なのですが、私がNobuさんのLd Gt.(リードギター)を代われる技量を持っているはずもなく、この曲の印象的なイントロ、ドラムソロから始まるギターのリフ、エンディングまで、歌いながら一人でやらなければなりません。これは大変なことで、今回この曲が候補から外れたのもこの辺に理由がありました。
 
 結論から言えば、私がリード・ヴォーカルを歌うことが出来れば、前回と違い、今回はMaruさんBa.(ベース)という強い味方もあり、Nobuさんはイントロからエンディングに至り連続するリフに専念することができます。「嵐が丘」でのミニライブが3月17日、それまでに残された4人全員での練習日は2日のみ、次回に復活折衝をして、もし採用されるならば、何とか皆さんにご披露できるまでに持って行きたいと思っています。

 ブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen )とジョン・フォガティ(John Fogerty)のデュエットによる『Pretty Woman』、私はこれでジョンのバックハモをマネしました。とにかく、かっこいい2人です。

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February 09, 2018

発表会

IMG_0564 喫茶店「嵐が丘」における絵の「展示会」、ご大層に云えば「個展」、個人的には数十年ぶりの「発表会」も3月初めから始まることが決まり、最終的にどの絵を展示すれば皆さんに喜んでもらえるかを決めるまでにはもうしばらくは時間があるのですが、それ以外の準備はほぼ完了しました。私にとっては、作品の内容はともかく、小学生時代の以来初めての「発表会」です。 スチレンボードを加工した台紙マットもほぼ満足、 ネットで探したお気に入りの額縁も手元に届き、馬子にも衣装です。

 もう一つの「発表会」、 バンドのミニライブの日程が3月17日(土曜日)午後2時開始と決まりました。
171127_Rock'n'Roll Tea Party
  ほぼ(?)…皆様にご披露して差し支えない14曲を選びました。

<1>&<2>  Proud Mary / Have you Ever Seen The Rain 5:31
  長い間、Creedence Clear Water Revival(CCR 1968-76)はルイジアナか何処かアメリカ南部出身のバンドと思っていましたが、実はカリフォルニア出身、『Proud Mary』はミシシッピ河を行く船の写真を見ながら情景を想像して書いた由で、後にTina turnerなど多くのR&Bミュージシャンが歌う。2曲をメドレーにしたところがミソですが、その引継が上手くいきますでしょうか…。

<3> Let Your Love Flow  3:04
 Bellamy Brothers、1976年のヒット曲。数年前、九州熊本のCountry Goldに出演のBellamy Brothersが歌っているのを見て思い出しました。

<4> Norwegian Wood 2:17
 The Beatles、1965年の曲。「ノルウェー産松材の(家具)」よりも誤訳の「ノルウェーの森」の方が趣があります。

<5> Copper Kettle 〜 レナウンわんさか娘 3:12
 「Copper Kettle」、ジョーン・バエズの1962年の曲だそうですが、私はバンドのNobuさんのギターで覚えました。銅製のやかんではなくて、密造酒を造る蒸留釜の意味。「わんさか娘」は今や中国企業に買収されてしまったレナウンのコマーシャルソング。小林亜星の作詞・作曲(1961)によるもので、弘田三枝子シルビー・バルタンが歌うTVCMは人気がありました。短すぎ、すぐ終わってしまうので、「Copper Kettle」を挿入しています。

<6> Yellow River 2:46
 Christie、1970年のヒット。Nobuさんのバックハモを長年やって来ましたが、今回のバックが一番良いかも…。ついでに…、<4> <5><6> の曲順は、いずれも同じカポ2の曲でそれらをまとめただけの話です。

<7> Surfin' USA 2:35
 ご存じThe Beachboys、1963年のヒット。Chuck Berryの「Sweet Little Sixteen」の改作。大阪のフェスティバル・ホールで来日した彼らの公演を見て感激、七十を目前にして、まだ歌っています。

<8> Memphis 2:32
 昔はJohnny Riversの曲と思っていましたが、Chuck Berryの曲であると教えてくれたのはやはりNobuさんでした。Chuck Berryついでに、彼は「Johnny B. Goode」をやりたかったのでしょうが、私がどうも…ロックンロールが苦手で、ボロがでないようにとこの曲は採用されなかったのでしょう。

<9> Bye Bye Love 2:12
 The Everly Brothers、1958年のヒット。彼らと同時代ではありませんが、1970年、Simon & Garfankelがこの曲をカバーするのを聴いて、彼らを知りました。

<10> Who'll Stop The Rain 2:35
 <1>&<2>と同じくCCRの1970年のヒット。

<11> Sister Golden Hair 3:12
 Americaの1975年のヒット。

<12> Lucille 4:01
  Little Richardの1957年のヒットで、ロックンロールそのもので、The Everly Brothersもカバーしています。

<13> Take It Easy 3:39
 本当は、「Peaceful Easy Feeling」、「Tequila Sunrise」もやろうかとも思ったのですが、「 Take It Easy」のみに変更です。案内状にThe Eaglesと書いてしまったばかりに…、皆さんはイーグルズと聞けば十中八九「Hotel California」を想像してしているのでしょうが、正直言って、残念ながら我々には出来ません。

<14> Black Is Black 2:57
  Los Bravosは1966年、カナダで1位、UKで2位、USで4位とそれぞれのヒットチャートを独占した非英語国、スペインのバンドでした。それ故、気のせいか…歌詞が分かりやすいのですが、難点はキーが高過ぎます。

 バンドのライブは3月17日(土曜日)、それまでに、全員でのバンドの練習日は残り2日しかありません。万が一…、来られる場合は喫茶店「嵐が丘」への予約が必要です。

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December 31, 2017

第9回 かってに、HKX紅白歌合戦

 我が家にとって今年最大の出来事は、この夏、愛犬のモモが肝炎を発症したことです。9.2キロあった体重が急激に落ち、見る間に7キロまで落ち、肝臓が悪くなると腎臓も悪くなるらしく、かかりつけの開業医ではこれ以上の治療は無理と云われ、12歳を直前に最悪の事態を覚悟しました。開業医の紹介で獣医大学を紹介してもらい、かみさんは、毎週、彼女を連れて大学へ通い、治療を受けました。あれだけ食い意地のはった彼女ですが、治療食を受け付けず、食べても直ぐもどす有様。栄養補給のために皮下注射を打つのですが、もう刺すとことがないぐらいに痛々しい針の跡でした。かみさんが大学の指示通りの食事を作り、それを食べるようにようになると、体重が次第に増え、今では、腎臓の数値はともかく、体重だけは9キロと、体型だけは本来の姿に戻ったようです。今日も、モモと夫婦の三人で小山田緑地まで散歩に出かけたのですが、歩いた距離は8.2km、約12千歩を歩きました。犬の12歳と云えば老齢、昔はくっきりとしたブラック・タン・ホワイトでしたが、今や顔は真っ白、その三色の境目もぼけてきましたが、頭のボケはまだの様です。かみさんの献身的な介護でモモは元気を取り戻しました。もうしばらくは元気でいてくれることでしょう。

 こんな訳で毎年恒例の関西に行けるような我が家の雰囲気ではありませんでした。関西に住む姉弟、友人には会うことが出来ず残念でしたが、いい話もありました。というのは、団地内に「嵐が丘」と云う名の喫茶店があるのですが、残念ながらその名前の由来は未だ聞いていません…、そこで私の描いた絵の展示会をしていただけることになりました。展示会と云われても、小学校以来の話で…、皆さんに観てもらうにも額縁もなく、その展示方法は喫茶店のオーナーに任せるしかありません。

 先日、その喫茶店で奥さん4人組の「ウクレレ・ミニコンサート」があり、コンサートを見学させてもらいました。4人によるウクレレの演奏が主、演奏30分・休憩30分・演奏30分、客は15人(?)、男性は私のみ、他は全て女性(主婦)、喫茶店の常連客か出演者の友人の様子でした。内容的には良いコンサートでしたが、入場料が1千5百円(喫茶・軽食付き)とは安くはありません。

 絵の展示会だけでも感謝なのですが、我々バンドのコンサートをさせてもらえないだろうか…と、予め作成のデモCDを聴いてもらいました。毛色が違うと拒否されるかも知れないと危惧しましたが、去年、団地住民の一人が、サックス+リズム・マシンで、独演奏会をやったとかで…、我々の音楽も歓迎してくれるそうです。

 お店にはPAの設備は全くなく、私はギター2本のみ、ボーカルマイクは使わないデュオをイメージしていたのですが、バンドの皆に相談すると…、ボーカルアンプ、マイク3本、それぞれ楽器用のアンプを用意、今のバンドのままで出演することになりました。演奏45〜60分・休憩30分・演奏45〜60分、1曲3分と見て、前・後半10曲ずつ、予備に5曲ぐらいを用意しておけば、残りはしゃべりで埋めることができるだろう、というのが、私を除く、ライブ経験豊かな3人の意見です。

 持ち歌からすれば、The Everly Brothers(エバリー・ブラザーズ)、Creedence Clearwater Revival(クリーデンス・クリアウォター・リバイバル)からThe Eagles(イーグルズ)まで、と云うことになるのですが、ストレートにRock 'n' Roll Partyにしようという意見もあります。コンサートは3月に予定しているのですが、残り2ヶ月、皆で練習できるのはわずか3回か4回しかありません。

第9回紅白歌合戦 on 紅白幕
 これを機に、新曲をマスターすべく、次の2曲を今年の紅白の1位・2位に決定しました。

第2位 Everly Brothers - "Lucille "
Little Richardの1957年録音が
オリジナルで、1960年代のロックミュージックの先がけと云われます。ビートルズ始め多くのミュージシャンがカバーしていますが、今回は我々の路線の一つ、Everly Brothersのそれをお聴かせします。
 
 
第1位 The Eagles - "Peaceful Easy Feeling"
 1971年、彼らはデビュー、 "Take It Easy"の大ヒットを飛ばします。1972年、最初のアルバムに入っていたカントリーぽぃ曲です。
 
 
 これで何とかこの1年を終え、新しい年を迎えられます。ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。良い年をお迎え下さい。

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December 09, 2017

最近聞いたこの曲<15> "You're Not in Kansas Anymore"

grapes of wrath 『怒りの葡萄(The Grapes of Wrath 1939)』はJ・スタインベック(モンタレー郡サリナスに生まれる)の作、大恐慌の時代、大干ばつで土地を奪われたオクラホマを捨て、ルート66を西へ、カリフォルニアを目指す農民の物語ですが、1940年、ヘンリー・フォンダ主演で映画化され2つのオスカーを獲得して彼の名声を不動のものにします。

   映画『怒りの葡萄』から30年後、ヘンリー・フォンダの息 子、ピーター・easy riderフォンダは、父親とは逆に、同じルート66を東へ、ニューオーリンズのマルディグラ(謝肉祭)に向けて走ります。映画『イージー・ライダー(Easy Rider 1969)』は、ベトナム戦争への懐疑的傾向を社会的背景にした「アメリカン・ニュー・シネマ」の傑作の一つに数えられています。挿入歌が全てロック・ミュージックだったことも衝撃的でした。

 ベトナム戦争も終盤の時代,60〜70年代、にはロック・ミュージックが興隆します。プレスリー、ビートルズ、ビーチボーイズが現れたのもこの時代です。ジョニー・ミッチェル『California』を歌ったように、グラム・パースン、ママス&パパス、リンダ・ロンスタート、ジム・モリソン、ニール・ヤング、デビッド・クロスビー、スティーブン・スティルス、グラハム・ナッシュ、ジャクソン・ブラウンがその後の成功を獲得する以前に住んだロサンゼルス、ローレル・キャニオン(Raurel Canyon)は東のウッドストック(Woodstock)と並んで若いミュージシャンが多く集まり住んだ場所でした。ヒッピー対抗文化の音楽コミューン的性格を持つ場所でした。

 時代の終焉では…、ヒッピィー対抗文化の体験から抜け出せない人間を歌った(?)『ホテル・カリフォルニア Hotel California(1976)』、イーグルズ自らもこの枠を抜け出すことが出来ないままに終わってしまいました。ホテル・カリフォルニアとはこの対抗文化の音楽コミューン、ローレル・キャニオン(Raurel Canyon)のことかも知れません。
 
 ビーチボーイズに始まる私のカリフォルニアへの思い入れは『ホテル・カリフォルニア』以降も何ら代わることがありません。ストリーム・ラジオをリッピングしているのですが、私が好きになる曲はカリフォルニアに対するあこがれ、カリフォルニアを好意的に歌う傾向にあり、リトル・テキサス(Little Texas)の『Amy's Back In Austin』如きは歌詞の内容だけでなく、メロディラインもウエスト・コースト風に仕上がっています。最近は聞いたビッグ&リッチの(Big and Rich)の『California』はカントリーなのですが<<ど>>カントリーではなくなりました。

 今回、ご紹介するのもそんな曲の一つ、ジョージ・ディ・メッシーナ( Jo Dee Messina 1970年生まれ)の「You're Not in Kansas Anymore(1996)』です。

oz このタイトル〜もうここはカンザスじゃないわ〜は、初めての所にやって来てカルチャーショックを受ける、の意味です。映画『オズの魔法使い(1939)』の中の台詞、「Toto, I've a feeling we're not in Kansas anymore.(トト、ここはカンザスじゃないみたいよ)」に由 来、「There's no place like home.(お家が一番だわ)」と併せてアメリカ人の慣用句となっているそうです。先日、知り合いのカナダ人とイギリス人の二人に聞いてみると、アメリカ人だけでなく、英語を母国語とする人はこの慣用句を知っていると云います。※因みに、最近では、『ホテル・カリフォルニア』の「You can check out any time you like, But you can never leave!」も慣用句になっているようです。
  

You're Not in Kansas Anymore
メイベリーのようなウイチタに在る小さな街で育った、と彼は言う
上下つなぎの作業服を着て、日が沈むまで干し草を引っ張るのはうんざり
一日中、ジョン・ディアのトラクターに乗り土地を耕しているのでLAに憧れる、と言う
南カリフォルニアには高速鉄道が走っているよ、と教えて上げた

[Chorus]
もうここはカンザスじゃないわ
用心し過ぎることはないのは確か
街の灯があなたを誘い
朝が来ると消えてしまう
だから、壁に私の電話番号を控えておいて
何時でもいいから電話してきて
今、私は幸せ
もうここはカンザスじゃないわ

「カーソンがどこに住んで居るか知ってる?」それでマリブまでドライブしたの
サンセット通りを走り、キスの1回や2回は許してあげたの
ハリウッドの標識の下、にんまりしたのを気付かれないように、私は低くささやいた
ロデオじゃなく、ここはロデオ・ドライブ、こんなこと云うのは始めて

[Chorus]


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November 03, 2017

最近聞いたこの曲<14> "Something Like A Broken Heart"

Hanna-McEuen ハナ-マッキューエン(Hanna-McEuen)というカントリー・ミュージック・デュオの『Something Like A Broken Heart』が好きでした。これは2005年のヒットですからもう12年前の話です。内の一人、McEuenの発音が判らず、あのマックイーン(McQueen)でもなく、マッキューエンかマックユエン…(余談ながら「Mc」は「Son of 〜、〜の息子」の意味)、デュオの名前を覚えられないうちに、次のヒット曲にも恵まれず、この曲名さえも私の記憶から消え去ろうとしていました。いつものストリーム・ラジオ:Country4Youを流していると、この『Something Like A Broken Heart』が聞こえてくるではなにですか。久しぶりに聴いたこの曲、やっぱり良いのですが、名前の発音だけでなく、もう少し彼等のことを調べてみました。

 ジェイム・ハナ(Jaime Hanna )とジョナサン・マッキューエン(Jonathan McEuen)は従兄弟同士、驚いたことに、彼等の父親はジェフ・ハナ(Jeff Hanna )とジョン・マッキューエン(John McEuen)、二人は1970〜80年代に活躍したカントリー・ロック・バンド:ニッティ・グリッティ・ダート・バンド( Nitty Gritty Dirt Band)結成当時来のメンバーでした。The Byrdsと並んで、私が「カントリーぽぃロック」ミュージックに入り込むきっかけになったバンドの一つです。

Something Like A Broken Heart
(あまり自信がありませんが…)

千回も試み、百万回も言い方を変えて
説明しようとした
決して癒やされない傷のようなものに
一言もないので

それを考える時、全てがあなたに戻ってくる
どうして別れがそんなに理解出来ないのか
感じている痛みが本当であり、どんな感じなのか教えよう
機会があれば

孤独な金曜の夜の街のよう
知っている人は皆外へ出てしまって
回りにはラジオだけが友達
ただあなたの事だけを思ってしまう

ちょっとそれは古い悲しい歌のよう
あなたは打ちのめされ、一人で歌う
あなたを引き裂いてしまうそのメロディ
それは壊れた心のようなもの

100マイルも車を走らせた ずっと同じラジオ局のまま
放送が聞こえなくなるまで
聞こえるものは何もなく
こぼれ落ちる言葉を明確にするだけ

考えれば考えるほど、あなたのことを思ってしまう
どうして別れがそんなに理解出来ないのか判らない
あなたには決して会えないだろう いつも心の中に在るだけ
私がどこに居ようと

孤独な金曜の夜の街のよう
知っている人は皆外へ出てしまって
回りにはラジオだけが友達
ただあなたの事だけを思ってしまう

ちょっとそれは古い悲しい歌のよう
あなたは打ちのめされ、一人で歌う
あなたを引き裂いてしまうそのメロディ
それは壊れた心のようなもの

 セルフタイトルのアルバムがビルボードホットカントリー・チャートで最高42位(シングル:『Something Like A Broken Heart』は38位)を記録、このアルバムだけを残してデュオは解散してしまいます。

 父親のニッティ・グリッティ・ダート・バンドは今も健在。このバンドで二人も活躍いるようです。
50 years of NGDB

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October 13, 2017

『Surfin’ USA』 と『平家物語』その2

その1から続く、井沢元彦著『逆説の日本史 16』にある「識字率」に関する記事の抜粋です。

 13世紀初(?)、『平家物語』の時代、出版などはなく、本は全て肉筆の写本、身分の低い人間には入手困難で、盲目の琵琶法師にはそれを「読む」ことすら不可能。慈円は怨霊を鎮魂して、国の平和を実現することを第一目的に、藤原行長をして盲目の生仏に「教えて語らせ」、鎮魂の巡回僧は地方の津々浦々まで巡り、都の一流の作者が作った面白い物語を、琵琶の伴奏で語る(歌む)。「読み」さえ頭に入っていれば、すぐに読めるようになり、読むことが出来れば「書く」こともできるようになり、こうして「読み書き」ができるようになる。「音曲(音楽)」に乗った言葉ならなおさらである。このようにして、全国津々浦々での、盲目の琵琶法師による『平家物語』の興行は、「怨霊鎮魂の意図」とは別に、日本語習熟度の驚異的な向上をもたらし、室町時代には「太平記読み」という職業を生み、これが「講釈」・「講談」に引き継がれ、江戸時代の日本人の驚異的な識字率に繋がっていく。「門前の小僧、習わぬ経を読む」の通り、子供は難しい言葉でも、小さい頃から節・音曲(音楽)と共に聞かされれば、そしてそれが興味のあることであればいくらでも覚える。まさに「マイ・ルィジアナ・ママ フォム・ノリオリン」です。

 もう一つ日本で特徴的なのは、自国の最高レベルの文芸作品を上流階級及び庶民階級が「共有」しており、国家形成期の『万葉集』は今日の皇室の年頭行事、「歌会始め」に続いている。例えば、近松門左衛門、当時の最高レベルの劇作家の台詞を庶民が暗唱するというのは他国では考えられないことである。ヨーロッパでは『聖書』が古典として「共有」されているが、「読み書き」と「ラテン語」という二重の暗号に縛られていた。これが各国語に訳されたのは14〜16世紀、キリスト教成立から一千年以上経ってから(カトリック教会が聖書を独占するために翻訳を嫌った)、日本の慈円、『平家物語』から3世紀遅れた16世紀、ルターが聖書を讃える賛美歌を作って『聖書』を「音曲(音楽)化」、庶民向けの布教、これが「識字率」の向上を促し、宗教改革をおこなうことになる。

 以上で引用を終わります。

Beach Boys Classics 話は戻って、英語の話。 私は『Surfin’ USA』をバンドで歌いますが、Youtubeのカラオケのカラオケを見ると、英語の歌詞の上にはフリガナがうってあります。50年以上前の曲ですから、「マイ・ルィジアナ・ママ フォム・ノリオリン」と同じく、カタカナで覚えた人もおられたかも知れませんが、「洋楽」好きな私からすれば、見栄を張って、英語の歌詞を読んで歌うのは当然。…が、しかし、あれっ、私の使い古したレパ帳にある『Surfin’ USA』、下の歌詞の部分には、<歌い方>、<言い回し>をカタカナで記入しているではありませんか。

“Surfin’ USA”
Verse1
If everybody had an ocean / across the USA,
Then everybody'd be surfin' / like Califor-ni-a.
You'd see 'em wearing their baggies / huarchi sandals, too.
  ユ        シエム    ウェアリン
A bushy, bushy blond hairdo / surfin' USA.

You'll catch 'em surfin’ at Del Mar / Ventura County Line,
  ユ       キャチエム サーフィン
Santa Cruz and Tressels / Australia's Narabine,
All over Manhattan / and down Doheny way,
Everybody's gone surfin' / surfin' USA.

  『Surfin’ USA』はブライアン・ウイルソン(Brian Wilson)の作とされるが、実際はチャック・ベリー(Chuck Berry1926 - 1972) の『Sweet Little Sixteen』が本歌。ロックンロールは16小節の繰り返し、演歌・歌謡曲の様に「七五調」とは行かず、学校で学ぶ英語と違い、一小節内の単語数が多く、やたら「(アポストロフィー)」で省略されています。2分少しの8ビートの曲、英語の字面(じづら)を追っかけたら、目で確認している間に、曲は流れ去ってしまい、曲に歌詞がついて行けないことになってしまいます。どのような言い回しで歌っているのか頭にたたき込む(覚えさせる)為に、カタカナでメモ(注意書き)しておくのです。

 中学生と言えば、子供から大人へと変わる頃、かっこいいと感じ、「音楽(音曲)」から「洋楽」にはまり込みました。意味の判らない英語の歌声も伴奏と同じく、単なるかっこいい音色でしかなかったのです。「学習」を分解すると、「学ぶ」は「まねぶ」そして「習う」とは「倣う」の意味、特に「語学」は「まねてならう」ことが重要です。好きな「音楽=洋楽」から「英語」を学習できるのですから、これ以上の方法はありません。中学の英語の授業が始まると、ビートルズやビーチ・ボーイズが何を歌っているのか、知りたくて勉強し、授業が楽しくなるのは当然。高校生から大学生になると、自分なりに理解した歌詞の内容から、歌に歌われるアメリカの社会・歴史に興味を持つようになります。日本史は入試目的に丸暗記したのですが、世界史は、アメリカ→その先祖の国、イギリス及びヨーロッパ→その先祖、ローマに及び、次第に日本史も世界史の一つと考えるようになりました。きっかけは「洋楽」との出会いでした。

 外国人とコミュニケーションを取る場合、特に非英語国圏の場合、概ね、英語が多くの国の第一外国語の地位にあり、その意味で英語が順当な言語手段であることは間違いのないことです。英語をしゃべるからと云って、何を共通の話題にするのでしょうか?私の現役時代、仕事柄、英語そのものは不可欠でしたが、「洋楽」の知識はいろいろな国籍の人々との会話を盛り上げるのに大いに役立ちました。彼等も知っている曲を一緒に歌うことができるのです。これが、歌謡曲・演歌が趣味では、ほとんど役に立たないでしょう。

 ごく希に、美空ひばり、北島三郎ファンの外国人もいるかもしれませんが…。

 ※参考資料:『逆説の日本史 16』

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October 09, 2017

『Surfin’ USA』 と『平家物語』その1

Surfin' USA record jacket 私がラジオでThe Beach BoysSurfin USAを聴いたのが中学生の時(1963?)。あれから半世紀以上が過ぎた今でも、バンド(私)のレパートリーの一曲になっています。The Beach BoysThe Beatlesをきっかけにいわゆる「洋楽」に入り込んだのですが、 その背景には、時代が「東京オリンピック(1964)」からさらなる高み:「大阪万博(1970)」に向けて好景気は続き、テレビ受像器の普及と共に津々浦々の家庭に「サンセット77」「ローハイド」「ルート66」「ミステリーゾーン」等のアメリカ文化の大波が押し寄せて来ました。 第二の黒船の如きもので、私は中学生になると、それまでの小学校ではなかった、「英語 English」という新科目とThe Beach Boysがほぼ同時に登場したことになります。

 もちろん、歌っている歌詞の意味も判らず、ただ今まで耳にした歌謡曲、民謡、冷戦下のロシア民謡とは全く違う、新しいメロディ・リズムの「洋楽(特にアメリカ音楽)」は、アメリカ映画やテレビ番組のイメージと相まって、私にとってものすごくかっこいいものでした。「好きこそものの上手なれ」の通り、他の科目はダメでしたが…、「英語」だけは好きで、成績も悪くはありませんでした。

  私よりも少し前の時代、「ロカビリー(Rock N’ Roll + Hillbily」が流行し、そのうちの一曲、ジーン・ピットニー(Gene Pitney)の『Louisiana Mama(1961)』、日本では飯田久彦の『ルイジアナ・ママ』がヒットしていました。Verseの最後で繰り返される「My Louisiana mama from New Orleans」が子供心には「マイ・ルィジアナ・ママ フォムノリオリン」、特に「ノリオリン」が強く印象に残っているとは友人の言。これには妙に納得してしまいました。

  

私なりの判断基準ですが、その人の英語能力あるいは、英語を理解しているかどうかを知るには、「音読」、声に出して読み上げてもらえば判ります。単に発音やアクセントだけでなく、どこで文章を切るのか、英語だけではありませんが、「書き言葉」にせよ「話し言葉」にせよ、文章にはリズムがあります。振り返ってみると、英語らしい発音やアクセントの位置、英語らしいリズム…の多くは「洋楽」から学んだように思います。今日、語学の習得方法に音曲(音楽)・歌から入るのは極めて有効な方法とされています。

久しぶりに面白い本に出会いました。井沢元彦著『逆説の日本史 16』です。以下は「識字率」に関する抜粋です。

「江戸文化」の源泉は何か?どれだけ自国語を読み書きできるかを「識字率」と呼ぶが、現在、日本人の「識字率」は99%とほぼ100%と世界一、因みに世界平均:75%(1/4は読み書きできない)、江戸時代における男性40〜60%、女性15〜30%はダントツであったということです。ヨーロッパにおいて、庶民には「本を読む」どころか「文字を読む」習慣がない。グーテンベルグの印刷術の発明が15世紀中頃、16世紀に宗教改革、マルチン・ルター(1483-1546)が聖書のドイツ語訳を出版するが、これが直ちに識字率の向上に繋がった訳ではない。「文盲(差別語)」の人にとって本というものは全く意味を持たない。その前に「教育」が必要だった。

琵琶法師_平家物語日本史の通説では、日本の識字率の向上は江戸時代における「寺子屋教育」の普及が主要因だと考えているが、実は、それ以前の土台作りが存在した。13世紀初(?)の『平家物語』である。通説では作者不明としているが、著者は、吉田兼好の『徒然草』にある通り、『愚管抄』の作者、天台座主慈円(じえん)がプロデュースして、信濃前司藤原行長(物語作 作詞)と生仏(しょうぶつ 作曲 盲目の琵琶法師)に作らせたという。慈円は平家一門、安徳天皇の怨霊を鎮魂するために、二人のスポンサー、プロデューサーとなり、始めから「音曲(音楽)」にして読み書きが出来ない庶民が「文学」を楽しめるようにした。

中世ヨーロッパの農民にとって「読み書き」が出来なくても全く社会生活に支障なかった。マルチン・ルターは多くの賛美歌(キリストを讃える歌)を作り(作詞・作曲)、それまでラテン語で書かれていた聖書をドイツ語に訳した。「音曲(音楽)化」で、「読み書き」出来ない人に「文字を読みたい」という意欲を起こさせたのです。もし慈円自身に作詞・作曲の才能があれば、ルターのように自分で『平家物語』を作ったであろう。

次回に続きます。

※参考:井沢元彦著『逆説の日本史 16

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October 01, 2017

最近聞いたこの曲<13>  "Roll That Way"

  「カントリーぽぃロックが好き」を心情とする私としては、この曲は「どカントリー過ぎる」と躊躇したのですが、思い切ってご紹介します。

Cody Joe Hodges コーディ・ジョー・ホッジス(Cody Joe Hodges)は若くして音楽を始め、テキサスA&M大学寮にいた頃に初めての曲『Daddy's Dream』を書きます。2006年に卒業というこは、彼は1984年生まれか…、現在32歳前後と言うことになります。陸軍に入隊、コロラド州フォート・カーソンに拠点を置く軍のボーカル・アンサンブル:Harmony In Motionに参加して全米を公演。

 除隊後、2010年、電力会社に就職、電線保守管理業務に従事すると同時に曲作りを始め、その頃、バンド:ラインメン(LINEMEN)を結成、2012年に最初のアルバムを発表。彼の音楽は、例えばマール・ハガード(1937 - 2016)ウエイロン・ジェニングズ(1937 - 2002)ウイリー・ネルソン(1933 - )ジョージ・ジョーンズ(1931 - 2013)など、70年代後半と80年代のカントリー・ミュージシャンの影響を受けており、古い世代と新世代の両方に通じるミュージシャンというのが本人の評。

 「一日のきつい仕事を終え、外出して一時を好きな人と過ごす」とは昔からあるスタイル。私が「どカントリー過ぎる」と感じた彼の曲こそ本当の「カントリー」だと思っている人が多いのです。※設置した動画が削除されてしまいました。代わりに、彼の弾き語りによるプロモーションビデオをご覧下さい。
  

      

"Roll That Way" by Cody Joe Hodges

ベイビィ、君はつらい仕事を良くがんばった
毎週40時間も
家に帰って 掃除して
どうやって二人の時間を見つけるのか

だけど、そんなつらい気配を目にしたら
俺はおかしくなってしまう
君の狂気の側面を見て
君がそうやって
そんな風に振る舞うのが好き

<Chorus>
君が髪を下ろし
いろんな悩みや苦労を横に置いて
君が本当にくつろいでいる時
俺は嬉しい 間違いなく君は俺のもの

金曜の夜 二人は外出
君はかわいいドレスを着て
神様が君を造った様だ
そう言ってしまうとフェアじゃない

他の男達は俺の所に
やって来たい だから
君はあいつらに見せつける
そんな風に振る舞うのが好き

<Chorus>
灯りを消して
もう遅いわ 君は言う
君が疲れ切っていると思う時
君は炎に火をつける方法を知っている

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September 11, 2017

最近聞いたこの曲<12>  "Our Shangri-La"

Our ShangriLa ストリームラジオから聞こえるデュエット、バック・コーラスの女性はすぐピンと来て、エミルー・ハリス(Emmylou Harris)と判りましたが、男性歌手:マーク・ノップラー(Mark Knopfler)を知りませんでした。どうも彼はボーカルだけでなくギター弾きで、 イギリスのバンド、ダイアー・ストレイツ(Dire Straits)に繋がります。ダイアー・ストレイツは70年代後半に現れ、彼等の大ヒット曲『悲しきサルタン(Sultans Of Swing)』一曲しか知りませんが、何故か妙に印象に残っています。知らないついでに…、「Dire Straits」とは何処かの海峡に因んだものと思っていましたが、実は、「ひどい苦境」という意味とは知りませんでした。

 解散後、マーク・ノップラーはソロとして活動、2004年にヒットしたのが『Our Shangri-La』でした。エミルー・ハリスが参加しているぐらいですから、どこかカントリー、ルーツ・ミュージックぽく聞こえます。因みに、シャングリラ(Shangri-La)はジェームス・ヒルトン1933年著「失われた地平線 Lost Horizon」に登場する理想郷・桃源郷・地上の楽園。1937年には同名の映画が公開され、以降「シャングリ・ラ(Shangri-La)」は世界中に定着しました。


"Our Shangri-La"

サーファー・ボーイやガールの
満ち足りた一日が終わる
太陽は湾に沈み
世界からこぼれ落ちていく
空にはダイアモンド
二人の宵の明星
二人のシャングリラ

炎をもっと強く燃やそう
まさに此処、そしてまさに今
此処あり、そして行ってしまう
何の帆密もなく
二人はもう愛さないかも知れない
ギターの音楽
二人のシャングリラ

今宵、君は美しく燃え
私の記憶の中に
天国の輪は回る
二人の上で永遠に
これは二人が達した天国
まさに此処、そしてまさに今
二人のシャングリラ

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August 21, 2017

最近聞いたこの曲<11>  "Amy's Back In Austin "

Little texas 1970年代といえば約半世紀前、ウエスト・コーストは「花のサンフランシスコ」、ヒッピーの時代。彼等の車と云えばフォルクスワーゲンのヴァンかこのシボレーのヴァン(Chevy Van)でした。実は、今回、1973年サミー・ジョンズ(Sammy Johns)の大ヒット曲「シェビー・ヴァン(Chevy Van)」(1973)を今日の若いアーティストがカバーしているのを取り上げたかったのですが、どうも良いYoutubeの動画が見つかりません。急遽、予定を変更、リトル・テキサス(Little Texas)1995年のヒット曲、「Amy's Back In Austin」をご紹介します。

 二つの歌に共通するのは乗っている車、シェビー・ヴァン(Chevy Van)。前者は旅の途中で乗せた女と一夜を過ごし、街外れから石を投げればもう片方の外れに届くような小さな街で彼女を降ろす。未舗装のメインストリートを彼女は裸足で去って行ったことを彼は悔やむのです。このくだりが印象的でした。後者は、若い2人は駆け落ちしてテキサスを後にするが、ホームシックの為か、何か判らないのだが、ある日、彼女は彼のもとを去ってしまいます。彼女は何処に、何故行ってしまったのか、彼は途方にくれます、とは陳腐です。

 テキサスを発して、二人の駆け落ちは何処に向かったのかは歌詞にはありませんが、おそらくウエスト・コーストでしょう。少なくとも意識したはず。昔も今も、日本人の私だけでなく、アメリカ人にとってウエスト・コーストは太陽の輝く温暖な気候に恵まれているだけでなく、新しい文化が生まれる、若者にとってあこがれの地です。
 
 日本ではあまりヒットしなかったようですが…、



"Amy's Back In Austin " by Little Texas
テキサスを発ったのは風の強い夜だった
シェビー・のバンにたわいもない夢と
そして愛の全てを詰め込んで
自らの力だけで生きていくのが
どんなに難しいことかを知らなかった
夜遅く彼女が泣いていたり
故郷の人と話しているのを知った
何がまずかったのか
彼女が今どこに居るのか

きっとアミーはオースチンに戻って
ラゾナ・ローザ・カフェで働いている
二人の愛がなくなった夜のをことを
彼女が行ってしまった日のことを覚えている
怒りの言葉だったのか、それとも母親を恋しく思ったのか
僕には判らないけど、どこかおかしかった
きっとアミーはオースチンに戻っている
彼女のいない今夜はつらい

ウエスト・コーストの太陽の下での10時間働は
日々を長くする
月が海に沈むのを見ながら
一人老いていくのは確か
素晴らしい過去に思いを巡らす
彼女が今どこに居るのか

きっとアミーはオースチンに戻って
ゾナ・ラ・ゾラ・カフェで働いている
二人の愛がなくなった夜のをことを
彼女が行ってしまった日のことを覚えている
怒りの言葉だったのか、それとも母親を恋しく思ったのか
僕には判らないけど、どこかおかしかった
きっとアミーはオースチンに戻っている
彼女のいない今夜はつらい

この砂漠の風
もう一度僕を連れ戻してくれ
心の底から
彼女を恋しく思う

怒りの言葉だったのか、それとも母親を恋しく思ったのか
僕には判らないけど、何かおかしかった
きっとアミーはオースチンに戻っている
彼女のいない今夜はつらい


Big and Richの『California』では三日三晩を車を走らせ、あこがれの地、カリフォルニアまでやって来る女性を歌っています。彼女の車は日産のアルティマ(NISSAN ALTIMA)でした。

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August 01, 2017

最近聞いたこの曲<10>  "Only The Tequila Talkin' "

 10年以上前か…?、FMラジオで、音楽のメロディは判るがタイトルが判らない、というリスナーが電話で、覚えている曲の一部を〜♪〜とハミング、DJは番組の中でそれを聞きながら、「この曲でしょう」とタイトルを見事に当てるという趣向で、私はこの番組が大好きでした。

Only The Tequila Talkin' 先日、ストリーム・ラジオで放送局:Country 4 You(Your Nordic Country Music Radio)を流していると、「ピン!」と来る曲が流れてきました。Winampを使えば、タイトルとアーティスト名が表示され、必要あれば一日に何百〜何千曲の録音が出来るので、一昔前のように「メロディは知っているが、タイトルとアーティスト名が判らない」という事態は発生しません。それが、これです(年寄り夫婦の会話になりましたが…)。
 
"Only The Tequila Talkin' "
by Lisa Bouchelle featuring John Popper

その言葉をかけてもらいたかった、ちょうどその時に「君はきれいだ」と彼は言った
警戒心をなくして酔っ払った、テキーラは私の魂を昂ぶらせたみたい
「彼は誠実な男だ」と銀の舌をだして悪魔がささやく
だけど、これはきっとテキーラを飲んだせい 話半分に聞かなきゃ

「私の好みね」、「お金もポッキリ」と彼女は言った
彼女はどこか…若かったので、何も言わず、私はもう一度若くありたいと思った
甘い囁きの女性は通りを歩く人だったかも知れないが、彼女はジョージアのアスファルトよりも熱かった
だけど、これはきっとテキーラを飲んだせい 話半分に聞いておこう

神様、君はきれいだ 貴男、私のタイプ
君に恋してしまったようだ 今夜、家に送って行けるとは思わないで
あなたは紳士になるの?もし電話をしなかったら気になるかい?
だけど、これはきっとテキーラを飲んだせい 話半分に聞かなきゃ

スーパー8の中ではなくて、スペクトラビジョンの中のひどいブス
セックスは素晴らしい、…がしかし、それは本当にすごいものではなかった
互いについた嘘のせい、アルコールのせいにしよう
だけど、これはきっとテキーラを飲んだせい 話半分に聞かなきゃ

神様、君はきれいだ 貴男、私のタイプ
君に恋してしまったようだ 今夜、家に送って行けるとは思わないで
あなたは紳士になるの?もし電話をしなかったら気になるかい?
だけど、これはきっとテキーラを飲んだせい 話半分に聞かなきゃ


MUSICPAGEのバイオグラフィ曰く…、 

Quote
 リサ・ブッシェル( LISA BOUCHELLE )はボン・ジョビとデュエットを組み、ブルース・スプリングスティーンのバックを歌い、今までにユニバーサル音楽グループから2枚のCDを出しています。インディチャートのNo.1、カレッジチャートのNo.4を記録、スターバックス・ダウンロード・キオスク・プログラムの一つに選ばれています。   彼女はミート・ローフ、ブルース・トラベラーズ、アメリカ、ドン・フェルダー、テッド・ヌージェントの全国ツアーに参加、ブライアン・アダムス、ジョン・ウェイト、トレイン、ジョアン・ジェット、カンザスイングリッド・ミカエルソンとも共演しています。

 彼女は音楽仲間から大いに信頼されており、CD制作にブルース・トラベラーズのジョン・ポッパー、サウスサイド・ジョニー、ギャリー・ボンズ、ザ・フッターズのロブ・ハイマン、伝説のデビッド・ブロムバーグ、世界の音楽チャートトップに位置するエリック・ヒル、ボン・ジョビ(ギタリスト)、シェリル・クロウ(バイオリニスト)、エド・スタジウム(プロデューサー)、ジョン・エディーやグレン・バースニックなどのヒット・ソング・ライター等が参加してることでもその実力の高さが納得がいくことでしょう。

 両親の愛情の下、リサは幼い頃から歌っていました。…が、実は…、両親の口げんかが止むのは、唯一、幼い彼女が歌っている時だけでした。  両親を亡くしてからは、大陸を何千マイルにも及ぶ全米ツアーにせよ、鉄道駅でのわずかなチップの為にせよ、チャンスがあれば彼女は何処でも歌いました。現に、NPRラジオのインタビューに応えて彼女はフィラデルフィア鉄道駅における大道芸の経験を語っています。

NBC, ABC, Fox, ESPNのテレビ、人気のTVショー「ゴシップ・ガール」に出演。彼女がホストを務めるTVショー「ロック・スター・キッチン」は、最近のアーティストから、チャビー・チェッカーやギャリー・ボンドなどのクラシック・アーティストまでをゲストに、週に一度、中大西洋岸地域にてコムキャスト・ネットワークで放送されています。

リサは現在ジェフ・トロット(シェリル・クロウの大ヒット曲の共同プロデューサー/ソングライター)と2015年早々のニューアルバムのリリースを目指してレコーディングに望んでいます。
Unquote

 リサ・ブッシェルも上手いが、デュエットを組むジョン・ポッパーもかっこいいですね。

 最近では、今流れている音楽にスマホをかざすと曲のタイトルとアーティスト名を表示してくれるスマホのアプリがあると聞きます。そのアプリ、私のハミングも判読してくれるのでしょうかね。文字入力ではなく、音声認識技術が格段に進歩した今、こんな事も可能かも知れません。

※ 曲の3番、1行目と2行目の訳、全く自信がありません。
※ この音楽経歴(バイオグラフィ)は"Only The Tequila Talkin' " ヒット前のものでしょう。


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July 17, 2017

最近聞いたこの曲<9> "The Healin' Song"

『3.11』の大地震・東電福島原発事故以降のたび重なる自然災害故か、それとも多発する通り魔的殺人事件の発生故か、「癒やし」、「癒やされる」という言葉はもちろん在りましたが、今ほど使われることはなかったように思います。

Jo-El Sonnier ストリーム・ラジオから流れるカントリーの中から、 「アレっ、これは…」と思う良い曲が聞こえてきます。 ケイジャンと言えば『ジャンバラヤ』(焼き飯のそれとは違います)、フィドル(バイオリン)の出だししか知りませんが、ケイジアンの歌うそれらしくない歌が、最もそれらしい歌手によって歌われ(演奏され)ています。以下は、ケイジアン・シンガー):ジョー・エル・ソーニエ(Jo-El Sonnier)のサイトから引用しました。 『The Healin' Song』を訳そうとしましたが、歌詞の公開はなく、かと言って、歌詞を聴き取る能力もなく、今回は歌詞の和訳はあきらめましょう。

  ジェイ・ダーデンヌ副知事は、ジョー・エル・ソーニエや他のグラミー受賞者と共に、ソーニエとナッシュビルのソングライター、ビリー・ヘンダーソンとAJマスターズの2人が書いた『The Healin' Song』のビデオを発表。  正真正銘のケイジャン及びザイデコ・ミュージックの大御所たち、 ウェイン・トゥプス、チャビー・キャリア、スティーブ・ライリー、ロディ・ロメロ、バックホイート・ザイデコ、マイケル・ドセット、ソニー・ランドレス、ジョエル・サボイ、イヴェット・ランドリー、エリック・アドコック、ボー・トーマス、ブライアン・ブリニャック、 レイ・エレンダー、シャーレーン・ホワード、カイル・ハバート、デビッド・フォウルク等の面々が参加。 この歌はグラミー受賞のエンジニア、トニー・デイグルTony Daigleがルイジアナ州モウリスのドックサイドスタジオで製作したものです。

『9.11』(2001年9月11日)に続いて、ソーニエとその仲間達はこの曲を書いて、最近のルイジアナ州ラファイエットサンセットにおける銃乱射事件(前者は2015年7月23日、後者は2015年8月27日に発生)の悲劇を記録することにしました。

 彼はダーデンヌ副知事の助言を借りて、現に彼はビデオディレクターを務めたのですが、アケイディアナ・コミュニティ基金から寛大な協力を得ることに也、地域のコミュニティの要望に応える基金を設立することになりました。

  ソーニエは、約40のグラミー賞ノミネートと10のグラミー受賞者であるミュージシャンとスタジオの専門家のオールスター・アンサンブルの協力を得ることになりました。 彼等の参加によって、 レコーディング・アカデミー(グラミー賞を主催)のプロジェクトの支持を表明する手紙がルイジアナ州に送られ、これをダーデンヌ副知事が読んだのでした。
 
 良い曲です。…が、よく聞かれる言葉、「癒やし」、「癒やされる」はわざとらしくて、あまり好きではありません。

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June 25, 2017

最近聞いたこの曲<8> "California"

 ネット放送局、現在はCountry 4 You- Your Nordic Country Music Radio(アメリカではなく、北欧であることがミソ)の放送を流しっぱなしにしながら、思い出したようにそれを録音しているのですが、何日か経つとその曲数は何百曲になってしまいます。放送局と云っても、Shoutcast方式で、おそらく個人が彼の好みで選曲して、繰り返して放送しているのでしょう。自ずと、数日の内に何回も同じ曲が録音されてしまいます。フォルダーの中に蓄積されたMP3ファイルをiTuneに取り込み、重複したファイル(曲)を削除します。こうして収集した曲(今日現在:2,766曲)をiPhoneに同期させて、主に散歩中に聞いています。気に入った曲は即プレイリストに入れ、判明した曲名とアーティスト名を元にYoutubeで検索するのです。<曲名とアーティスト名>が判るというのがWinampの最大のミソで、これが判らなければYoutubeでも検索しようがありません。

Big & Rich - California 「アレっ」と、気になる曲を発見しました。Big and Richが歌う『California』がなかなかカッコいい。私はこの曲で初めて彼等を知ったのですが、ディスコグラフィーにある曲をYoutubeで見る(聞く)と多くが過去に耳にした曲で、余り良いとは思わなかったのでしょうが…、『Lovin' Lately』はTim McGrawとの共作、カントリーの業界ではかなりの実力者です。軽快なメロディと砂浜のイメージはこの曲を夏ぴったりの曲。この曲がラジオから流れて来ると、自然と窓を押し下げ、暖かな日の光を顔に受けることでしょう。2人の歌声はうまく補完し合い、そのボーカルで彼等の円熟した雰囲気を醸し出している、とは最近の業界紙のコメントです。

"California" by Big and Rich

[Verse 1]
徹夜でドライブすれば3日で着いてしまう
彼女は夜明けと共に旅立つつもりと言う
ひょっとしたら彼女はでたらめを言っているのかも知れない
けれども、彼女の気持ちはもうここにはもうない
荷物は既にまとめて、愛車のアルティマは満タン
ダッシュボードの上には地図が
おいらの気持ちは裏切られ
不幸な事態にもう我慢できない

[Chorus]
彼女はカリフォルニアに恋しているから
輝く西海岸の太陽の夢
森や林があってもハリウッドではなく
丘はあってもビバリーではない
脇道にはビーチもなく
大通りには夕日、サンセットはない
彼女はカリフォルニアに恋して
おいらはつらい

[Verse 2]
アイホップにウェイトレスの仕事を待って
石をユニバーサル・シティにぶつけ
ヒップポケットに卑猥な視線を集め
誰かが彼女をいい女と思ってくれるよう
明日の今頃はコロラドに
おいらはビームのビンの中で悲しみに溺れ
フラッグスタッフ手前で、ひょっとしたら、
引き返すかも知れないが…
それに賭けてもダメだろう

 確かに夏の曲です。

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express01 at 11:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

May 25, 2017

最近聞いたこの曲<7> "Long Cool Woman" 

Clint Black カントリー専門局のネットラジオ放送(Stream Radio)を聞き流していますが、最近、クリント・ブラック(Clint Black)が歌う『Long Cool Woman』をよく耳にします。これは、あの、ホリーズ(The Hollies)の曲です。ホリーズはイギリスのバンドで、1966年の大ヒット:『バス・ストップ Bus Stop』しか知らず、高校生の時、このタイトルを使ったダジャレをよく耳にした後は、長らくこのバンドに関わる話を聞くことはありませんでした。知ったかぶりをしていますが、 実は7〜8年前、バンドのNobuさんから聞くまで彼等がこんな曲を歌っているのを知りませんでした。バンドでもやってみた記憶があるのですが、録音も残されておらず、中途で頓挫してしまったのでしょう。

 このホリーズは、 アラン・クラークとグラハム・ナッシュの二人から始まりますが、そのグラハム・ナッシュは1968年末に抜けて渡米、ザ・バーズを抜けたデヴィッド・クロスビー、バッファロー・スプリングフィールドのスティーブン・スティルスと共にC,S & N、後にニール・ヤングも参加してC,S,N & Yで一世を風靡したのは皆さんご存じの通りです。

 そんな中、グラハム・ナッシュの抜けたホリーズは『Long Cool Woman (in a Black Dress)』で1972年全米2位、全英32位のヒットを飛ばします。ロジャー・グリーナウェイ、アラン・クラークと共にこの曲を書いたロジャー・クックは、1975年に渡米してナッシュビルに定住、クリスタル・ゲールやドン・ウイリアムスに楽曲を提供し、1997年には、イギリス人で初めての(おそらく唯一の)、「ナッシュビル・ソングライターの殿堂(The Nashville Songwriters Hall of Fame)」入りを果たします。

 前回のビージーズ(Bee Gees)が、英領マン島生まれの三兄弟から始まり、1963年にオーストラリアでデビューし、1973年に渡米して成功したのに似て、グラハム・ナッシュもロジャー・クックも格段に大きなアメリカ市場で成功したと言えます。イギリス、オーストラリアそしてアメリカと自分の才能をより活かすことの出来る場所を求めて移動する、出来るというのは、ビクトリア時代の英国が残した共通言語、英語の存在があるにせよ、我々日本人の多くにはなかなか理解しがたいものです。

 「全米2位」の通り、クリント・ブラックのみならず多くのカントリー歌手が歌っているようですが、今回は、カントリーを通り越して(?)、ブルーグラスの『Long Cool Woman (in a Black Dress)』です。

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express01 at 17:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

April 26, 2017

最近聞いたこの曲<6> "Islands In The Stream"

 何度も触れましたが、私は「カントリーぽぃロック」が好きです。「ロック」は多くの人に判りやすいのですが、「カントリ−」を説明しろと言われたら、難しいと言わざるを得ません。日本の「カントリー&ウエスタン」は、戦後すぐ(1950年代)、ジミー時田(1936-2003)でピークを迎え、エルビス・プレスリーの「ロカビリー」出現に小坂一也(1935-1997)が追随、以来現在に至るまで、日本の「カントリー&ウエスタン」は進化を停止したままといってもよいでしょう。

 この「カントリー&ウエスタン」の「ウエスタン」がくせ者で、この「ウエスタン」は日本語で言うならば「西部劇」、私が子供の時に見たTVシリーズ:『ボナンザ』、『ララミー牧場』の類いをも含めたため大いに混乱したものと考えられます。アメリカ人でさえ大きな混乱があるようで、映画『ブルース・ブラザーズ The Blues Brothres』(2008)の中にこんなシーンがあります。週末、白人の集う田舎の「カントリー・ミュージック」専門の居酒屋で、名前の通りブルースを専門とするバンド:ブルース・ブラザーズがステージでブルースを演奏しますが全くのブーイング、そこで急遽『ローハイド』に変更、あなたも知っている〜ローレン、ローレン、ローレン〜です。やんやの喝采で無事ステージを終えるという筋書きです。ブルース・ミュージシャンにとって、あるいは映画の中の聴衆にとっては、「カントリー」も「ウエスタン(西部劇、日本で言えば時代劇)」も一緒なのでしょう。
 結論として、カントリ−歌手が歌う歌が「カントリー」である、としか言いようがないのではないでしょうか。

 もう一つの映画、『ボディー・ガード The Bodyguard』(1992)がありました。H・ヒューストンが歌う『オールウェイズ・ラヴ・ユー I Will Always Love You』は大ヒットしましたが、この曲は作詞・作曲共にカントリー歌手のドリー・パートンの曲、劇中に於いてジューク・ボックスから流れる『オールウェイズ・ラヴ・ユー I Will Always Love You』を聞いているケビン・コスナーに、「かなしい曲ね」とH・ヒューストンが語りかけます。「カントリー」のこの曲をR&Bのホイットニーが歌うと、少なくとも「カントリー」ではなくなくなってしまいました。

KENNY ROGERS & DOLLY PARTON この1年間、音楽と言えば、インターネット・ストリームラジオで今時のカントリー・ミュージックを聴いているのですが、新しく知ることばかりです。今まで耳にはしていたはずなのですが、この曲:『Islands In The Stream』は、1983年、「カントリー」の大御所:ケニー・ロジャースとドリー・パートンのデュエットで大ヒットしたとは知りませんでした。メロディ・リズムを聴いた限りではR&Bと言うか、ディスコ・ミュージックです。それもそのはず、このE.ヘミングウェイの同名の小説からヒントを得たというこの曲:『Island In A Stream』はあのビージーズの3兄弟がマービン・ゲイの為に書いたのだが、二人のレコードとなり、彼等もバックミュージシャンとして参加しているそうです。この曲、どう聞いても、いや、どう見ても「カントリー」ではなく、ディスコ・ミュージックです。しかし、やはり彼等はカントリー歌手、1985年の最も<<好きなカントリー>>部門の第一位、それから20年後、<<時代を超えたカントリー・デュエット>>部門の第一位に選ばれています。
 ビージーズと言えば、フォークぽい『マサチューセッツ』(1967)に始まり、J・トラボルタの『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)で絶頂期を迎えたところで、私の音楽からは彼等の消息は途絶えてしまいました。ところが、どっこい、ディスコ・ブームが陰りを見せると、私の知らない間に…、R&Bのマービン・ゲイから今度は「カントリ−」へ180度転換、彼等にはその時代時代を作りだす、表現する特別な才能があるようです。
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express01 at 11:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote
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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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