My Scrap Book

January 29, 2010

エコノミック・アニマルの進化?草食系

その言葉は全くの死語になってしまったようで、久しく聞いたことがありません。馬は自分の後方に非常に敏感で、それが理由で馬車馬には前しか見えないように目隠しがされているそうです。その馬車馬の様に、戦後の復興・成長過程を、脇目もふらず駆け上った日本人は「エコノミック・アニマル」と呼ばれていました。その彼らが、自分の今までを振り返って、自らを投影したのが小説:『坂の上の雲』という訳です。

エコノミック・アニマルは老い、その子供達の世代は、今や草食動物、「草食系(男子)」と呼ばれているそうです。草食系は「酒は飲まずスゥィーツ、車も乗らない、セックスもいらない、海外旅行なんかしない、いわんやバックパッキングなんかとんでもない」ようです。

「今の若い者は…」と嘆くかつてのエコノミック・アニマルも、加齢には抗しきれず、目隠しを老眼鏡に替え、年金不安からか、「酒もチビチビ、車も高速道路を逆走、セックスもアニマルは昔、9時には就寝4時半起き」、どちらも今だけの、此処だけの「心地よいもの」を求める傾向のようです。
逃避
よく言えば日本も成熟したのでしょうか、国民全体が、「癒し」とか、なんで外国語にするのか判りませんが「スピリチャル」とか、最近言われる「内向き」傾向にあるようです。この「内向き」にはどうも消極性、陰性がつきまとい、「引きこもり≒後ろ向き≒後退≒逃避≒幼児化」とほとんど同義語で、否定的な意味合いが気になります。ケイタイのガラパゴス的進化、「MADE IN JAPAN 日本製」を全面に出した商品、「かわいい」デザイン、「和」のテイスト、社寺仏閣訪問、霊場・聖地巡り…等々。

「内向き指向」や「癒し指向」、まとめれば「草食系の自己愛」。90年頃からでしょうか、「海外から学ぶものはない」という思考と、グローバリズムの始まり、内を見れば第二の敗戦、バブル崩壊と期を同じくして始まったように思えます。とどめはリーマンショック。外からやってきた「災難」に、ただ、じーっと、頭を抱えて身を縮めるしかありません。

もちろん、「かわいいデザイン」も「和のテイスト」も本人の好みですから何ら問題ないのですが、「内向き」なガラパゴス的進化がケイタイに留まらず、思考・文化の領域にまで広がって来ているようです。進行すれば独善的、排他的な思考に落ち入る恐れもあるでしょう。

一方では、ちゃんとした日本語があるにもかかわらず、言語障壁故か、逆に「スピリチャル」、「リベンジ」、「ポジティブ、現状はネガティブでしょうが」…、カタカナ外国語が乱用されています。ひょっとすると、江戸、鎖国時代の「長崎の出島」のように、「外世界との窓口もちゃんと開いているよ…」とのシグナルでしょうか…。

窓、戸口はもっと大きく、そして外に出て、外世界を見なければ自己も見えません。そもそも、草食であろうが肉食であろうが、外に出て必要な食べ物を採って(捕って)来なければならないでしょう。

今回はエコノミック・アニマルになり損ねた人間の、今流行の「つぶやきtwitter-logo(ツイッター)」ではなく、「ぼやき」でした。

あまり好み…ではないのですが、とにかく元気がでます。草食系・肉食系・雑食系、かつてのエコノミック・アニマル、植物系、全ての生き物に贈ります。       "Born To Be Wild" by Steppenwolf



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今年も余すところ11ヶ月となりました。


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January 17, 2010

坂の上の『雲』は何処へ行ったの?

のぼっていく坂の上の青い天にもし 一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすればそれのみを見つめて 坂をのぼっていくであろう。哀愁の漂う後ろ姿-2

…この序章にはそぐわない、どこか、老臭ではなく…、哀愁の漂う後ろ姿です。→

年末のNHK大河ドラマの視聴率も19%と好調な滑り出しのようですが、司馬遼太郎によるこの歴史小説:「坂の上の雲」は1968年(昭和43年)から1972年(昭和47年)にかけて「産経新聞」に連載されました。戦国時代・幕末への興味は彼の小説に始まったのは私だけではないでしょう。特に、幕末から明治へ、世界は帝国主義の時代、小説:『坂の上の雲』は統一国民国家、近代日本を目指した革命(?)の時代、その成就に至る時代を描いています。

「どこからこんなに多くの逸材が出てきたのだろうか…」と思うように、登場するきら星のような人間群。幕末・明治にかけて、日本人は急にアドレナリンが体内を巡り、スイッチが別のモードに切り替わります。日本人・日本国全体がある種の高揚感に包まれた時代でした。それに加え、「さも、その現場で本人から直に聞いたような…」作者の語り口、臨場感、舞台を俯瞰するような、それこそドラマチックな仕立ては彼の最高傑作でしょう。

東京五輪音頭

敗戦のどん底からはい上がり復興を遂げ、時代は東京オリンピック(1964年)から大阪万博(1970年)、日本経済は頂点に達します。小説:『坂の上の雲』は世界の国からこんにちは 三波春夫まさに、この時代に発表されました。東京オリンピック・大阪万博に至る、日本人の成功体験を『坂の上の雲』の登場人物と重ね、人々がこの小説に感情移入するのはさほど難しいことではありませんでした。

戦後30年は、坂の上の雲どころか、一心不乱に坂を上ってきた日本人は、ふと気がつくと坂の上、峠にたどり着いていたのです。振り返れば、あれが峠、長い下り坂が続いています。

後にそう呼ばれる「団塊の世代」、かつて、『三丁目の夕日』で建設中の東京タワーを仰ぎ見た日本中の<古>行淳之介少年達は今や年金生活、かなり前に峠を越して、長い下り坂の続く日本、彼らはNHK大河ドラマ『坂の上の雲』をどう見ているのでしょうかね…。

ポール・マッカートニーはとっくの昔に還暦を迎えていましたが、彼の曲:「When I am 64」は同時代の<古>行淳之介少年世代だけではなく、その孫の世代、幼児向け番組の音楽として人気があるそうです。敢えて歌詞付きの動画を選びました。


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ご挨拶が遅れましたが、本年もよろしくお願い申し上げます。

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December 30, 2009

HKX紅白歌合戦

例年通り、クリスマスが終わると、一気に年末、師走モードに入りました。「家族みんながコタツに入って、ミカンを食べながらNHK紅白を観る」、というのが平和な日本人の大晦日のイメージですが、どうも私にはこの国民的行事、あるいは儀式(?):「NHK紅白」が苦手です。各地の除夜の鐘で始まる「ゆく年くる年」の11時45分まで、4時間半も続くそうで、ファンの方には申し訳ないのですが、始まる前からうんざりしています。

ということで、NHK紅白歌合戦の向こうをはって、Hong Kong Express Gazette では勝手に「第1回HKX紅白歌合戦」を開催することになりました。

私の好みは「カントリーぽぃロック」、いわゆる洋楽の中でも少数派のジャンルで、国民的行事になる可能性はほとんどありません。中には「ちょっと違うんじゃないの?」、というご意見もあろうかと思いますが、その辺のところは「私の好み」ということでお許し下さい。

紅白歌合戦
※ボリュームの調整はパソコンでお願いします。

カントリーのにおいの濃い,白組のトップは…、
リボン白#1. Too Many Highways by Ty England

それこそ、二昔前のカントリー歌手:Merle Haggard が同名の曲を歌っているようですが全く別のものです。彼の名前を知っているだけで、他にどんな曲を歌っているのか全く知りません。

紅組は
リボン赤#2. Send Me A Cowboy by Bonnie Bishop

新人ではありませんが、同じく、他の曲は全く知りません。女性の歌も好きなのですが、どうも、2曲目のヒットにはつながらない歌手が多いように思われます。



リボン白#3. Something Like A Broken Heart by Hanna-McEuen

もう10年は経ったでしょうか、ストリームラジオで見つけたのですが、当初、曲名が判りませんでした。予想通り、何回も繰り返されるフレーズが曲のタイトルそのものでした。2人組で上手いのですが、好みはこの曲だけです。

リボン赤#4. Good Hearted Man by Tift Meritt

カントリーというよりはポップスに入るのでしょうが、お気に入りの一つです。



リボン白#5. Sister Lost Soul by Aljandro Escovedo

今年は、はすかしながら、この曲をカバーしました。お聞きになった方もおられるでしょう。

リボン赤#6. Love Hurts by Gram Parsons/Emmylou Harris
オリジナルはEvery Brothersの曲。Emmylou Harrisがメジャーデビュー(?)のきっかけを作った曲The Byrdsにカントリーの要素を持ち込んだのはGram Parsonsでした。



リボン白#7. Take It Easy by The Eagles
彼らはこれから始まりました。

リボン赤#8. You Don't Seem To Miss Me by Patty Loveless/George Jones

カントリー界の北島三郎、大御所:George Jones とPatty Loveless のデュエットです。「どカントリー」ですが、お気に入りの一つです。



リボン白#9-10. It Makes No Difference/I Shall Be Released by The Band

カントリーというよりは、ルーツ・ミュージックでしょう。「トリ」はやはりThe Bandでしょう。

彼らの名前:「The Band」とはよく付けたもので、これを越えるアーティストは未だ現れていません…、とは審査委員長である私の意見。えこひいきで2曲も披露してしまいました。

今回は、白組の勝ち。← どうでもいいのですが、形だけ…。

最初で、おそらく最後の…、「第1回HKX紅白歌合戦」は無事終了いたしました。お気に入りの曲はありましたでしょうか?

除夜の鐘も鳴り始めました。
皆様にとって2010年が良い年でありますようにお祈りしております。

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来年もよろしくお願い申し上げます。


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December 23, 2009

ホテル・カリフォルニアって何処にあるの?

キリスト教はローマカトリックとコンスタンチノープル東方正教に別れます(1054年、正式に相互破門)。※参照→「ラテン系? ルーマニア」

中世におけるローマカトリックの興隆はイベリア半島でのレコンキスタ(国土回復)の成功で頂点を迎えます、スペイン王は、ローマ教皇の承認の得て、キリスト教をもその監督下に置きます。キリスト教という宗教的熱病、ローマ教皇のお墨付きを持って、さらに西、大西洋を越えて新大陸に向かいます。

時代は大航海時代。スペイン国内では、異端審問・宗教裁判による異教徒迫害、後には反宗教改革運動を、新大陸においては先住民の虐殺、略奪、奴隷売買…、陰に陽に、ローマ教皇のお墨付きがあったからでしょう。

16世紀、アステカ帝国を滅亡させ、スペイン領土:「ヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)」を宣言、彼ら:スペイン軍・商人そして宣教師(イエズス会)はさらに北に向かうことになります。1683〜1834年、バハ・カリフォルニアから北に向かったのが「エル・カミーノ・レアル(王の道) 」でした。
sibera alaska map一方のコンスタンチノープル東方正教はイスラム勢力を避けるように、一端北へ進路を取り、ロシア正教として東へ、シベリアに領土を広げ、17世紀末にはカムチャッカ半島、ベーリング海峡を渡って新大陸へ、1799年にはアラスカの領有を宣言します。シベリヤ経由、本国からの食料搬入途絶の事態に直面、彼らEl Camino Real & Ft Rossは食料を求めて南下、すでにスペイン領であったカリフォルニア、サンフランシスコ湾の北、ソノマに、全く孤立した植民地(飛び地)を築くことになります(1812)。これがフォートロス(Fort Ross)で、文字通り(…ほとんど…)「ロシアの砦」でした。

東西別の方向に分かれたローマカトリックとコンスタンチノープル東方正教は、800年後、それぞれ地球の反対側から現れ、ソノマ(Sonoma)で遭遇したことになります。

かつて、スペインの宣教師が辿った「US_101エル・the birds posterカミーノ・レアル(王の道) 」ゆかりの地、現在のパシフィック・ハイウエイ101沿いにはミッション・ベルが残されています。
フォートロスの在るソノマ郡ボデガベイ(Bodega Bay)はロアルフレッド・ヒッチコック監督の名作:「鳥(The Birds 1963)」の舞台でした。どこか陰鬱な中世の遺伝子が受け継がれているからでしょうか、それとも、当時の東西冷戦の時代が反映されたからでしょうか…。

「カリフォルニア」の由来は、「太平洋の何処かに在るとされた理想郷、伝説上の島」。さぞ、当時のヨーロッパ人の想像力をかき立てたことでしょう。

では、「ホテル・カリフォルニアって何処にあるの?」

背景はだらだらと述べた通り、舞台は『映画:「鳥」と同じ、ボデガベイの近くの何処か…』と、私の想像力はかき立てられます。皆さんは如何でしょうか?

暗く寂しいハイウェイ 涼しい風が髪を抜けてhotel california
コリタス草の甘い香りが漂ってくる
遠く向こうに かすかな灯り
頭は重く ぼやけてしまう
今夜はこの辺で泊まろう
戸口に女が現れ
ミッション・ベルの鳴るのが聞こえる

果たして
ここは天国なのだろうか、それとも地獄か
女はローソクに灯を灯し 僕を部屋へと導く
廊下の向こうから こう囁くのを聞いたような気がする

ようこそ!ホテル・カリフォルニアへ



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December 09, 2009

最後のFM? Last FM

受験勉強時代の深夜放送から始まり、その後のFM放送の音楽番組、いつの頃からか…、全く聞かなくなりました。FEN

今はAmerican Forces Networkらしいですが…、当時ははFEN(Far East Network)と呼ばれていました。関西に育った私には、関東ではこのFENが聞けるということがうらやましく思ったりしましたが、その後東京、といっても西の端:町田にやって来て、これが実現しました。ディスクジョッキーのしゃべりもテンポよく、しかも短い。問題は「いいな」…と感じた曲のタイトルが正確に、いや、ほとんど聞き取れないということでした。「アーティスト名・曲名は、曲の前ではなく、終わった後に言ってよ…、出来ればゆっくりと…」、もちろん叶えられませんでしたが…。

レコードもCDに替わり、パタパタパタパタとあれだけ速かったレコード探し、ジャケットに記されたミュージシャン名の確認も、CDが全盛になると、その頃から兆候のあった視力・気力の低下も伴い、探し出す根気がなくなってしまいました。ましてや、好きな音楽が「カントリーぽぃロック」となったら、昔は機能していた勘も働かず、どのジャンルで探せばいいのか全く見当もつきません。

youtube_logoそんな私の音楽事情を一変させたのがインターネットでした。ストリームラジオをダウンロードして編集、CDに焼くことから始まりましたが、革命的だったのはYoutubeの出現でした。日本国内では著作権がどうのこうの、と議論が沸騰しましたが、アメリカでもそれはあるでしょう。彼らのすごいところは、自分たちに有利でありさえすれば、著作権云々は横に置いて、Youtube を音楽・映画のプロモーションに使うということでしょう。

昔は雑誌本体の内容はともかく、付録に付いていた歌詞・ギターコードを大事にしたもので、コードしか弾けない私にとってタブ譜などは無用の長物、お金を出してまで手に入れようという気持ちは全くありません。今や、私の好きな曲のほとんど全てはアメリカのサイトから、タダで…これが重要!、ダウンロードすることが出来ます。

Craving ExplorerYoutube のファイルはCraving Explorer で、最後の(?)FMラジオ:Last FM (日本では有料、US$ 3.00/月)はLast Sharp でダウンロード、それらの動画・音楽ファイルを転送、last-fm-logoケイタイやI Pod で楽しむことも出来ます。出来るだけ「タダで…、上品に言えば、無料」にこだわる私は、もちろん手持ちのケイタイで楽Last Sharpしんでいます。昔、FENで叶えられなかった希望…、今や曲名だけではなく、アーティスト名、アルバム名、それにジャケット画像までも手に入れることができます。HMV、Tower Recordsは大丈夫か…、少々考えてしまいます。

そのLast FM で気に入った曲を見つけました。Alejandro Escovedo、アルジャンドロ・エスコベードと発音するのでしょうか、名前からも想像できるように、メキシコ系のカントリー歌手(Alternative Country あるいはTexas Country と呼ぶらしい)です。彼の曲:「Sister Lost Soul」をいつもの二人、Nobu & イサオがやってみます。リズムマシーン(ドラム)が初めてのイサオ、そればっかりに気をとられて、しどろもどろ…。※2010年4月、Nobu, Kun & Isao 版に差し替えました。



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November 26, 2009

「日光東照宮」、銭湯:「油屋」、それとも「仏壇」?

前回に引き続いて、「つまらないが、気になるもの」。2002年、小泉政権の時代、ブッシュ大統領夫妻を居酒屋に小泉&ブッシュ、居酒屋へ招待する場面をTVニュースで見て、日光東照宮か仏壇を思わすような造り、手すりの意匠、「あれは何処だろう」と気になっていました。後に「権八 Gonpachi」という店であることはわかりましたが、それっきりになっていました。

先日その長年の疑問を解き明かす機会が訪れました。友人が来日、都内で会うことになりました。彼女のご所望は、浅草で「ぜんざい」、こんな処に入ったことのない私には奇妙な感覚、周りを見回すと友達ずれのおばさんばかりです。彼女は韓国系アメリカ人、見た目には日本人の二人が外国語でしゃべりながら「ぜんざい」を食べているのですから、おばさんたちには奇妙に映ったことでしょう。

「ぜんざい」のお餅でおなかもふくれ、腹持ちもよさそう…。「これで夕食はあまりお金もかからないだろGonpati-3う」との読みから、彼女をダシに「権八」を探検することになりました。地下鉄六本木駅で降りて西麻布、平日、しかも雨。案の定、客はまだ少なく、良い席に案内されました。お店の第一印象は「千と千尋の神隠し」に登場する銭湯:「油屋」、外国人がイメージする(エキゾチックな)日本です。日本人である私から見れば、「奇妙な、どこか違う」、「タイムスリップしたような」感覚です。

二人の会話が英語故か、注文を聞きに来るウエイトレスも英語で応対。四方山話で時間が過ぎ、ふと階下の脱衣場、いや、フロアを見ると満席、それも半数以上は白人(外国人と判る意)、気がつけば全くの「異次元の世界」でした。

それもそのはず、この「権八」はクエンティン・タランティーノ(Quentin Tarantino)監督が映画:「キル・ビル Kill Bill 2004」で復讐に燃える女主人公が日本のヤクザ軍団を相手に派手な立ち回りをする舞台でした。彼がアカデミー賞脚本賞を受賞した「パルプ・フィクション Pulp Fiction 1994」から一貫している、文字通り、「大衆・低俗・三文小説」で、その荒唐無稽さは正に「コミック漫画」です。



小泉首相 プレスリーの真似2006年、ブッシュさんは、お返しに、小泉さんをメンフィスにあるエルビスの住んでいた豪邸:グレースランドに招待、エルビスファンの彼は遺品の(?)サングラスをかけて思わず踊り(歌い)出したそうですが、これにはブッシュさんも唖然、荒唐無稽な「コミック漫画」でした。そういえば、彼の治世は「小泉劇場」と呼ばれる「コミック漫画」の世界だった…のかも知れません。
そろそろ酔いが回って来ました。

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November 10, 2009

"I Will Always Love You" by John Doe

長い間頭の片隅に引っかかっていた疑問が解The Bodyguardけ、明らかになった時は何かトクしたような、うれしい気持ちになってしまいます。

映画:「ボディガード The Bodyguard」は1992年公開ですから、17年間引っかかっていたことになります。

「お気に入りのお店ね?」、「これ、お気に入りの曲?」、で始まるレストランのシーン。店のジュークボックスはこの曲を流し始め、二人は小さなダンスフロアに場所を移します。「これ、カウボーイの歌でしょう? 悲しい歌ね…」、レイチェル(ホイットニー・ヒューストン)は後に自分の歌として大ヒットさせるという筋書きです。



このジュークボックスから流れる「I Will Always Love You」を歌っている男性歌手は誰か…、というつまらない話です。ただ個人的には、歌唱力のホイットニー・ヒューストン、元祖ドリー・パートンよりも、断然、このジュークボックスから流れる「I Will Always Love You」が好きです。もちろん、カントリー出身の歌手が歌っているものと思っていました。

私と同じ疑問を抱いている人が世の中には少なからずいる、ということを知ったのも驚きでした。因みに、グーグルあるいはヤフーで検索語:「映画 ボディガード ジュークボックス I Will Always Love You 」で検索すれば、面白い(珍?)回答を見つけることが出来ます。

納得出来るのはこれです。→ In the Movie the Bodyguard、Who sang "I will always love you" on the Jukebox?

回答者曰く…、それはJohn Doe(ジョン・ドー)。引用されたYahoo Movie のクレジット:音楽の欄を見ると、確かに、John Doe:Song Performer ( I Will Always Love You )、Song producer、とあります。「優れたキャリアをもつミュージシャン。彼はアメリカで最も注目されているオルタナティブ・ロックバンドの一つ、X(エックス)を結成した一人で、ソングライター、ボーカリスト、ベーシストであり、一方では性格俳優としての名声を築き上げた人でもある。1954年生まれ 本名:John Nommensen Duchac とのこと。

まあ、「最も注目されているオルタナティブ・ロックバンドの一つ、X(エックス)」と言われても、何が「オルタナティブ」なのかも知りませんし、いくつかの曲を聴いてみる限り、カントリー出身の歌手ではないようです。「ほんまかいな!?」と、どうも気になるのは、彼の名前:John Doe(ジョン・ドー)で、これは日本語で言えば「名なしの権兵衛」、本名を明かしたくない、本人を特定できないときに使う男性名で、余計に話をややこしくしているように思えます。彼は、このシーンだけの為に歌ったのでしょうか…?

「John Doe」は多くの曲を出しているのですが、彼の歌う「I Will Always Love You」が見つかりません。あきらめかけた頃…、とうとう
Youtube で見つけてしまいました。→ THE BODYGUARD 申し訳ないですが、動画が気に入らないので、音だけをお借りして、これまた、映画のシーンをお借りして作ったのが上のクリップです。

こうなると著作権絡みでどうなるのでしょうね…。17年間もかかったのですから、どうぞ、大目に見てやってください。

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October 23, 2009

聖地巡礼

「巡礼」について書こうと思い立ち、キリスト教、イスラム教の聖地巡礼まではよかったのですが、こと話が日本の「四国八十八箇所巡り」に及ぶと、どうも気が重くなってきました。意識するかどうかは別に、我々日本人が生活の隅々にまで仏教に浸かっているからでしょう。

「四国八十八箇所」を地元では「遍路」、巡礼者を「お遍路さん」と呼ぶそうですが、多くの巡礼が「集団的」で、ある種の「熱狂・躍動感」を帯びているのに対して、「遍路」は「個人的」で、「静寂・哀愁・もの悲しさ」が漂います。ヘミングウェイの「日はまた昇る」の舞台、「サン・フェルミン祭、別名:牛追い祭り」で有名なパンプローナはサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路に在るように、「祭り」と「巡礼」が同居しますが、徳島の「阿波踊り」と「遍路」が同居するとはどうも考えられません。

「巡礼」とは聖地を目指して砂の器、あるいは聖地を巡る往路だけではなく、故郷への帰路も含まれていますが、帰路のない「お遍路さん」も少なくはなかったようです。
松本清張の小説:「砂の器」、これを原作とした映画での美しい回想シーン:「山陰地方を巡礼する親子」は強烈でした。                       「映画の森」より拝借

そろそろ話を換えましょう。
埼玉県日高市に1300年の歴史のある高麗(こま)神社というのが在り、今や「ヨン様の聖地」とのことです。ヨン様がドラマ「太王四神記」に主演してから口コミで広がり、熱狂的なヨン様信者(オバサン達)が全国から大挙して巡礼してくるそうです。

バグダッドカフェ私も負けていません。数年前、ギターの相方とカリフォルニア州をドライブしたことがあります。ロサンゼルスからラスベガスに向かう途中、モハベ砂漠、ハイウエイをそれて旧道、ルート66 (Historic Rrout 66_signoute 66)沿いに「バグダッドカフェ Bagdud Cafe」を探し当てました。

昼前だったでしょうか…、入ってみると、店の客は我々二人だけ、全く活気がありません。カウンターの中にいる中年男性に話しかけてもbagdad cafe無愛想、「オーナーはロサンゼルスに住んでいる…」と。この雇われ店主はおそらく在(ざい)の人で、映画「バグダッドカフェ Bagdad Cafe」を観たこともないし、我々が何を期待してやって来たかを想像することも出来ないのでしょう。

店の外に出ると、モハベ砂漠に続く荒れ地と青い大きな空。ここまでの道具立てはいいのですが、この映画のテーマ:「乾きを潤す、癒す」、その重要なシンボル:給水塔が立っていないのがいけません。何か、満たされない聖地巡礼でした。

映画:「バグダッドカフェ」から… "Calling You " ▼


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October 08, 2009

テネシーワルツ、Tennessee Waltz

音楽活動(?)、…と呼ぶほどご大層なものではありませんが、昔々ほんの少々かじった遊びを再開して2年以上が過ぎました。

 ビートルズ、ビーチボーイズのから始まりこの歳に至るまで、いわゆる「洋楽かぶれ」の持病を引きずってきています。これが、ある年代から「バッハが…」とか「コルトレーンが好きです」、はたまた「能・狂言に興味がありまして…」とか言うのであれば話はともかく、自分の好みが、世間様から見れば極めて狭いジャンル:「カントリーぽぃロック」というのですから、周りに同じ趣味の人を見つけるのは至難の業。「若い時にはレコードも買ったし、よく聞いたが…」の枕詞に続けて「今はカラオケ、演歌一本」と言われる人が多く、一般的にはある年代になると、幸か不幸か、「〜かぶれ」病(やまい)はウソのように治まってしまうようです。

そんな中で、この2年間、デュエットの相方として付き合ってもらっているノブさんは希有な人間です。彼とは音楽的好みが重なるところが多く、それは聴くための(…というか、聴くだけの)音楽の好みだけにとどまりません。聴くだけの音楽だけではなく、自分で演奏する音楽を楽しむことが出来るのは彼の音楽経験・ギターの技量のおかげです。感謝。

このブログで2008年1月「Sister Golden Hair」で恐る恐るデビュー(?)以来、5月「Tequila Sunrise」、10月「Match Box」、12月「Lodi」、2009年3月「Blue Suede Shoes」、5月「King Of The Hill」、7月「Train Kept A Rolling」、9月「Take It Easy」と、当初こそ多少の恥じらいもありましたが、最近は図々しくなり、ブログのネタが切れると、やおら、前に録音した曲を引っ張り出してその場をしのいでおります。 自分で楽しむのはいいのですが、これが皆さんに聴いてもらって楽しんでもらえるかどうかは別の話です。最近、「〜かぶれ」病などとっくの昔の話、そんなことがあったことさえ忘れてしまって、今や「かすれ」てしまった諸先輩方より強いリクエストがあります。ただ、「知っている曲をやってくれ」…と。
Patti Page江利チエミ
それに応えるべく、曲は「テネシーワルツ Tennesse Waltz」と決めましたが、実は少々後悔しております。彼らにとって「テネシーワルツ」と言えば江利チエミ、「Tennesse Waltz」と言えばパティ・ペイジ(Patti Page)、最近ではジャズピアノの綾戸智恵と、あまりにも定番、スタンダード、そのイメージが出来上がっています。 そのイメージを横に置いて、我々の「Tennesse Waltz」をお聴きください。

「かすれ」てしまった諸先輩方に贈ります。▼



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September 14, 2009

アサイラム ASYRUM RECORDS、 黄金の1970年代

odeonビートルズのレコードを初めて買った曲は 「Please Please Me」だったような気がします。当時は、APPLEではなく、まだODEON でした。その前後に(どちらが先であったかは忘れましたが)ビーチボーイズの「Surfin' capitolUSA」を買いましたが、彼らはCAPITOL 、どちらのレーベルも東芝レコードから販売されていました。少年であった私にはこの東芝レコードがあこがれの会社に映ったもので す。

ギターを楽しんでいますが、以前、その相方とその当時の話になり、彼は就職に際し て、東芝レコードかどうかは忘れましたが、レコード会社に会社訪問をしたそうです。人事担当者曰く、「勘違いしてもらっては困ります。ミュージシャンでは なく、レコードを売ってくれる営業マンを求めているのです…」。二人は関東と関西、育った環境も違うのですが、出会ったのは、音楽とは全く関係ない商社に 入社してからのことです。

もう一つ気に入ったレーベル、アサイラム(ASYLUM )がありました。Asylumlogo
まず、個人的にこの「アサイラム」という響きが好きで、「避難,亡命,保護、(亡命者な どの)保護施設、聖域、」の意、ますます好きになってしましました。

余談ですが、これに類似したレーベルでSHELTER  とShelterlogoいうのががありました。確か、レオン・ラッセルがそうだったと思うのですが…。

ロサンゼルスは1930年代 から映画産業の中心地でしたが、ビーチボーイズのCAPITOL Recordsも1942年の設立で音楽産業の中心地としても興隆してきましたが、やはりニューヨークにはかないませんでした。しかし、1970年代に入 ると、ニューヨークは景気の悪化、犯罪の増加、音楽スタジオの老朽化により、ミュージシャンには居心地の悪い街になってしまいました。一方、ロサンゼルス は冷戦下、地場の航空機産業が活況を呈し、流行・文化と繁栄の街を謳歌することになります。

ビートルズの 「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」は他のミュージシャンに多大な影響を与えますが、これを転機に、ロサンゼルスを拠点とするカントリーロック、「シンガー&ソングライター」の時代に入ります。

彼ら、ニューヨークのミュージシャン難民を受け入れたのがアサイラム(ASYLUM)でした。東海岸から多くのミュージ シャンをロサンゼルスに導くことになります。ジャクソン・ブラウン、JDサウザー、リンダ・ロンシュタット、ジョニー・ミッチェル、トム・ウェイツ、ニー ル・ヤング、クロスビー、スティルス、ナッシュ等そうそうたる面々です。

もう一人忘れてはならないのがグレン・ フライ。アサイラム(ASYLUM )は彼にドン・ヘンリー、バーニー・リードン、ランディ・マイズナーと共にイーグルス(Eagles)の結成を薦めるので す。

ロサンゼルスがアメリカ音楽産業の首都であったのは1970年代、この10年間だけでし た。

レコード会社への就職をあきらめた相方(あいかた)と二人でイーグルスのデビューヒット:「Take It Easy」をやります。いつもながら、お聞き苦しいところはどうぞご容赦ください。



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August 15, 2009

さらに西にあった、とてつもない文明、イスラム

遣隋使は607年、小野妹子が「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや」で始まる国書を持って訪問したことに始まります。なんと大きく出たものでしょうか、小気味いいのですが、見栄を張りすぎているように思えます。倭王が自分と同じ「天子」を名乗ったことで皇帝:煬帝は激怒しますが、皮肉なことに、それからわずか12年後、随はほんとうに「日没する処」となってしまいます(619)。

代わって興った唐にも、630年、遣唐使を再開することになりますが、「白村江の戦い(663年)」で唐と新羅の連合軍に百済と倭国は破れ、倭国は朝鮮半島より撤退します。

710年、言わずと知れた「せんとくん」の平城京遷都、唐の都:長安を模して造られた、と教わりました。当時東アジア最大の都市、世界の経済・文明(≒文化)の中心、長安に学び、最先端の文物を持ち帰るのが遣唐使でした。派遣された一握りのエリートが彼らの目で選んだ文明(≒文化)を持ち帰り、自国の文化を塗り替えてしまうのですからすごいことです。残念に思われるのは、それに続く国風文化がチマチマして、躍動性に欠けると言うことです。外交よりも内政、先進文明に恐れ入ってしまい、内向きにならざるを得なかったのでしょうか…。

唐及びイスラム帝国 AD700…が、しかし、彼らが学んだ唐のさらに西方には、もっと先進の、とてつもない、少なくともその後の世界史により多大の影響を与えた、文明(≒文化)が存在したのでした。イスラム帝国(私の時代にはサラセン帝国と学んだようですが…)ウマイヤ朝(661年 - 750年)、それに続くアッバース朝(750年 - 1258年)が西は北アフリカ、地中海から東は中東、現在のイランまでの広大な版図を築いています。   History of Asia より拝借↑

勢力を伸張する両文明の軍は、751年、中央アジアのタラス(Talas )河畔にて衝突、唐軍が大敗します。これを機に、イスラム帝国、アッバース朝はシルクロードを完全な支配下に置くことになります。さらに重大なことは、中国で秘密にされていた製紙技術が唐軍の捕虜から伝わります。以降、この製紙技術は、従来のパピルスや羊皮紙を駆逐、印刷技術とともに世界史的な意味を持つことになります。

イスラム文化はギリシャの書物(思想・哲学、錬金術・数学・医学・天文学・地理学等の自然科学)をアラビア語に翻訳、インド由来の数学(「0」の発見)を結びつけることによりさらなる発展を遂げていました。帝国周辺の高度な文明(≒文化)を積極的に受容し、製紙・印刷技術は帝国全土にさらに高度な文明(≒文化)を、さらに広く、速く伝搬させることになります。因みに、今でもそう呼ばれているかは知りませんが、「アラビア数字、算用数字」の呼称は彼らが計算方法を完成させたことを示しています。英語のアルジェブラ(algebra 代数)はアラビア語由来。

地球儀をさらに回転させて西ヨーロッパ。遠い昔に西ローマ帝国は滅亡(476年)してしまっており、「停滞した中世」、「暗黒時代」と呼ばれるものでした。西ヨーロッパ文化の「再生」、「復興」には、文字通り、ルネサンス(Renaissance)を待たなければなりません。

「オリエンテーション Orientation 方向付け」という言葉。Orient は Origin と語源が同じくラテン語(?)「日が昇る処 東」を指しますが、中世ヨーロッパから見て「東を指し示す」とは「先進の東方に学ぶ」という意味があったようです。

「日出ずる処」とは違い、中世ヨーロッパはなんと謙虚だった(…??)のでしょうか。

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August 09, 2009

「せんとくん」と阿修羅像

「あの文明発祥の地の今日は…」と、眼を日本国内に転じると平城京、奈良に突き当たってしまいます。どうも、「文明」という言葉はそぐわないのですが…。

「一国の文化はその首都に集約される」そうですが、まさに当時の日本文化は平城京に集約されていたのでしょう。

しかし、今日の奈良は、関西育ちの私にとっては、小中学校時代、退屈な遠足の目的地に過ぎませんでした。日本歴史の宝庫、それに関連する観光名所ではあっても、失礼ながら、今日の奈良から外部に向けて発信・放射され、外部からも普遍的と評価される「奈良独自の価値=文化」は1300年前の「平城京の天平文化」に尽きるのではないでしょうか。

平安京、京都が明治維新まで約1千年、日本の首都であったことに比べると平城京が首都であったのが短すぎる故か、今日でも使われる「くだらないものですが」と、京都に対する「あこがれの念」は、残念ながら、奈良に対しては持ち合わせていないように思えます。少なくとも庶民の「あこがれの念」という意味においては…。天平文化は平安京に継承されてしまい、その地でさらなる発展を遂げるの仏教寺院だけで、いや、「仏教こそ」が普遍的価値であったということなのでしょう。
せんとくん
関西ではおなじみ(?)の「せんとくん」,来年、2010年、「平城遷都1300年祭」のマスコット・キャラクターだそうです。有名な彫刻家によるデザインらしいのですが、あまり評判がよろしくないようです。

一方、先日の東京国立博物館での阿修羅像〔天平6年(734)興福寺蔵〕はその展示期間中、80万以上の人々を魅了しました。

「ぽっと出」のキャラクター:「せんとくん」は、阿修羅像の前では、比べるのも不遜で、酷な話ですが、全く勝負になりません。

久しぶりに奈良に行ってみたいものです。
世界につながっていた、天平文化を訪ねて…。

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June 27, 2009

マイケル・ジャクソンの死を惜しむ

Michael Jackson in young ageマイケル・ジャクソン死去のニュース。



唐突に話が変わりますが、…

歴史好きの大先輩が多くの世界遺産を訪ねて来ましたが、「エジプト、メソポタミア、インダス、黄河文明の4大文明発祥の地の今日は、過去の繁栄に比べると、あまりにも無残すぎる」という趣旨の感想を述べられています。私はそれらの世界遺産に行ったことはありませんが、彼の意見には大いにうなずかざるを得ません。その文明はそれを担った人間の子々孫々によって同じ地域で継承されることは希で、今日、その多くはただその土地の文化が残っているだけです。文明はより高度な文明に適した土地とその担い手である人間によって継承・発展していったということでしょう。

「文明と文化」をテーマとした読み物が多く見受けられます。確かに興味のあるテーマですが、もっぱら議論が活発なのは欧米や日本で、当の4大文明発祥の国々ではあまり議論されていないらしく、それがまた面白いところです。我々の生きている現代の文明といえば、教科書にある明治維新政府の「文明開化」の影響か?、イギリス産業革命以降の「ヨーロッパ・アメリカ文明(機械文明)」を指します。

言葉として、「文明」と「文化」があるのですからそれぞれの定義があるのでしょうが、どうも私にはわかりません。

その著『アメリカ素描』にある司馬遼太郎の言葉…
「文明はたれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なものを指すのに対し、文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。つまりは普遍的でない。」

納得できそうですが、私には、どうも、すとんとは腑に落ちない、どこかに引っかかる、つかえたところがあります。「文化」が特定の集団においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい場合は「文化」に留まりますが、その「文化」の中にも普遍性(のある価値)は生まれるものと思っております(それを即「文明」とは言いませんが…)。

thriller-2マイケル・ジャクソンは、如何に顔を整形しようが、白くしようが、彼の音楽は元来アフリカ系(黒人)が先祖の地からアメリカにもたらされ、発展した、彼らの特殊な『文化』、この場合は彼らの音楽=Blues として定着、白人層の心をつかみ Rock 'N' Rollや Rythm & Bluse に発展、その頂点に立つ「King Of Pops」でした。彼のアルバム:「スリラー Thriller」は、史上最高の数字、世界で1億5千万枚が販売されたそうで、人種・言語・宗教・国家の違いを超えて世界に受け入れられたのです。これは『普遍』の価値と言えるでしょう。

マイケル・ジャクソンの死に接して、こんなとりとめのないことを思い出しました。
ご冥福をお祈りします。

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June 03, 2009

ラテン系? ルーマニア

「ラテンのリズムに乗って〜」とか「ラテン系のように〜」という表現は、「情熱的な」、「明るく、陽気な」…と、中南米の文化に対するイメージなのでしょうが、「ラテン系」とは本来、ラテン語を起源とする言語を母語とする人々、およびその文化を指します。

ローマの文字を「ローマ字」と呼びますが、その言語は「ローマ語」ではなく、「ラテン語」と呼ぶのは妙な感じですが、言語学という専門領域では、西ローマ帝国崩壊(476年)の頃以降、ラテン語の口語体を総称して「ロマンス諸語」と呼ばれ、イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、そしてルーマニア語がそれに含まれるそうです。                            

「ルーマニア語もラテン系?」と少々違和感を感じますが、コマネチその名の通り、ルーマニア(Romania)は「ローマ人の土地」、正真正銘の「ラテン直系」ということになります。私の知っているルーマニアといえば、共産主義時代の独裁者:チャウシェスク(1989年処刑)、1976年モントリオールそして1980年モスクワオリンピック体操で金メダルを獲得したコマネチはなじみ深いのですが、その彼女はチャウシェスク共産主義政権を嫌ってアメリカへ亡命していまします。

ドラキュラ遠くは15世紀、オスマントルコと戦った救国の英雄:ヴラド・ツェペシュ公、後に残酷非道な「串刺し公」と吸血鬼伝説と合体して「ドラキュラ」のモデルとなります。これらが、「情熱的で、明るく、陽気な」というラテン系に冠せられた形容詞とは全く相容れない「暗い」イメージをルーマニアに与えています。

ラテン系の多くがローマ・カトリックで、彼らは16世紀に始まる大航海時代、これに続く植民地獲得競争はこれらラテン系言語(ローマン諸語)をアフリカ、新大陸(南北アメリカ大陸)そして東南アジアへ拡げます。一方、ルーマニアの属する東ローマ帝国の国教は「東方正教会」でした。ラテン系の中でルーマニアが唯一「東方正教会」に属し、彼らが新世界につながる大西洋に面しているのと対照的に、ルーマニアはローマ帝国の東端、地理的にはアジア、文化的にはイスラム教と対峙、ルーマニア語だけが孤立することになります。

1453年、首都コンスタンティノープルが陥落、東ローマ帝国は滅亡、代わってオスマン帝国がバルカン半島を支配、ルーマニアはオスマン、ハンガリー両帝国による支配が第一次世界大戦の終わる1918年まで続くことになります。アジアとヨーロッパ、イスラム教とキリスト教、後には南進するロシア帝国による支配、ソ連による共産主義国家の成立と、異質な文明・イデオロギーを持つ帝国間の抗争に翻弄された歴史でした。これが「異質なラテン系」:ルーマニアのイメージの背景にある根本原因であるように思えます。

古代ローマ五賢帝の2人目、トラヤヌス(101年 - 106年)はこのバルカン半島北東のこの地に遠征、ローマ帝国の属州:ダキア(Dacia)とし、ローマ帝国最大版図を築きました。彼の名は現ルーマニア国歌にも登場するそうで、彼らは正真正銘の「ラテン直系」なのです。
Dcia














次の皇帝:ハドリアヌス(117年 - 138年)の築いた「「ハドリアヌスの長城 Hadrian's Wall」」を訪ねることができましたが、もし機会があれば、ローマ帝国北東の防衛線の環(リム Rim)、同国を流れるドナウ河にも訪れてみたいものです。

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May 15, 2009

ロジャー・マッギィン Roger McGuinn

この1年半、相方(あいかた)に引きずられて、いや、教えてもらったブルース、そこから派生したロックンロールは、この歳になった私にとっては、大げさに言えば、「新しい領域への挑戦」でした。彼のいうように「12小節、3コード、あとはノリだけ」、昔は少々毛嫌いしていたロックンロールを好きになってしまいました。感謝しております。

そんな彼から次回に二人でやる課題曲なるものの連絡がメールで送られてきました。そこにはロジャー・マッギィン(Roger McGuinn) の名前があるではないですか。曲名:King Of The Hill。「はて、どんな曲だったかいなぁ」、とYoutubeを開きました。呼び戻されて、古巣に戻ってきたような感覚です。

1964年、一方ではフォークブームも全盛、その中で注目を浴びていた一人、Bob Dylan 作の曲:「Mr. Tambourine Man」でThe Byrds が登場したのは衝撃でした。イントロだけでも、後日知るDylan 自身の歌う「Mr. Tambourine Man」に比べ、断然、好みでした。余談ですが、Bob Dyaln の作った曲は他人が歌った方がいいと思っているのは私だけではないでしょう。異論はあると思いますが、例えば、The Band。

話を戻して、Roger McGuinn の(?)The Byrds は、俗にいうフォークロックに始まり、サイケデリック、そしてカントリーロックへと変遷して行きます。「ウエストコーストサウンド」も彼らによって始まったと言えるでしょう。どうも、アルバム:「Sweetheart Of The Rodeo 1968」,これこそがカントリーロックで、メンバーの離脱が始まったのもこの時期に重なります。ブルース、カントリー(あるいはフォーク)…を継承するロック文化が最高潮に達するのがウッドストック(1969年)でした。
The Byrds













                             <<画面をクリックして拡大>>

The Byrds は1972年に解散しますが、オリジナルメンバーといえばRoger McGuinn  ただ一人(?)ということになります。ウッドストック世代を継承したのが、ご存じThe Eagles、1976年、「Hotel California」で完結、大きな流れはこれで途絶えることになります。

私も何故か「Hotel California」以降、「これは聞きたい、買いたい」と思うCDがめっきり減ったように思います。社会人で、そんな暇もなかったのでしょうが、数少ないCDの一つが「King Of The Hill」の入った1993年のアルバム:「Back from Rio」でした。The Byrds 解散して21年後、結成から数えると約30年、良くも悪くも、Roger McGuinnの音作りは全く変わっていませんでした。Youtubeを開いたついでに、現在の彼の歌を聴くと、やっぱり変わっていません。

というわけで、古巣に戻ってくると少々はしゃぎすぎ、バックにかかわらず声が大きすぎました。お聞き苦しいのは勘弁してやってください。

King Of The Hill ▼

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April 07, 2009

花見で、「薔薇(バラ)戦争」

尾根道 菜の花畑自転車に乗るのをためらうような寒い冬の朝は、「尾根道」をウォーキング、いや、散歩と決め込んでしました。ここはウォーキング、ランニングだけではなく、地元では有名な桜の名所、この週末が桜祭りでした。桜祭り当日には、遊歩道だけではなく、車道も来場者に開放、普段の清々しい朝の風景はなく、昔の歩行者天国のように人であふれています。各地の「桜祭り」には、待ちわびた春の到来を喜ぶ、祝う、という単純明快な意味があるのでしょう。

桜の枝人でごった返す風景からは想像できないのですが、日本人は、時代、老若男女を問わず、桜に対して特別な感情、琴線に触れるものを持っているようです。私の想像ですが、先人が詠んだ桜は「山桜」で、今日多く目にする桜は江戸時代末期に作られた品種:ソメイヨシノ(染井吉野)がその後全国に拡がったもので、その風景は彼らの詠んだものとは違うように思えます。

桜がそれほどまでに愛されているのであれば、もちろん日本の国花であろうと思っていましたが、実は、「菊」あるいは「桜」、日本国花の規定はないが、それに準じた扱いを受けるようです。しかしパスポートの表紙には「十六菊」、言わずと知れた天皇家の「菊の御紋」が記されており、今に至っても「臣民」なの?…どうも腑に落ちません。

拝領(?)した「十六菊」のパスポートを持って訪れた英国(UK グレートブリテン及び北アイルランド連合王国) 、その国花は?。元々は4つの国(?)で成り立っており、スコットランドがアザミ、ウェールズが花ニラ、北アイルランドはシロツメクサ。臣民(?)である私が訪れたイングランドのそれはバラです。

15世紀、高校の世界史でおなじみの「百年戦争」が終結、イングランドはブリテン島に撤退、ヨーロッパ大陸の足がかりであるフランス北部フランダース地方を失うことになります。敗戦を契機にイングランド国内では不満が爆発、1455年、ヨーク公リチャードが現王家のランカスター朝に反旗を翻し、国内をランカスター家とヨーク家に二分する内乱はその後30年の長きにわたりました。血みどろの戦い
は両家の和解で終わりを迎え、1485年テューダー王朝の成立に繋がっていきます。Lancashire_roseYorkshire_rose
ランカスター家が赤薔薇、ヨーク家が白薔薇をそれぞれ紋章とするところから、「薔薇戦争 Wars of the Roses」と呼ばれるのはご存じの通りです。ランカスター家の血筋、ヘンリー・テューダーが「薔薇戦争」を勝利し、イングランド王Tudor_roseとなります。彼は両家和解の証として妻をヨーク家から迎え、その結婚を機に彼は両家の紋章を組み合わせた「テューダー・ローズ」をイングランドの紋章として採用、現代に至っています。

時代は極最近、昨年12月、ヨーク大学を訪問、学生達と話をする機会がありました。ヨーク大学とランカスター大学との間には「Roses Tournament」という大学間スポーツ対抗戦が、毎年夏、開催地を交互に実施されているそうです。通称、「薔薇戦争 Wars of the Roses」の由で、日本で言えば、「源平の戦い」に因んだ運動会の「紅組・白組」というところでしょうか。

近所のお花見から始まり、強引に薔薇戦争まで持って行ったのは少々無理があったようです。お許し下さい。

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March 09, 2009

ブルースェードシューズ Blue Suede Shoes

小泉元首相はプレスリーの大ファンだったそうです。私の記憶しているプレスリーは、映画に転向していた彼が、音楽活動に復帰する「エルビス・オンステージ」の時代です。既に中年の域に入り、「ドーナツの食い過ぎ…」とまことしやかに言われるほど、デビュー当時の面影は全くありませんでした。彼の体型はどうでもよいのですが、どうも音楽的に好きにはなれませんでした。Blue Suede Shoes

1956年、彼は「監獄ロック Jail House Rock 」に続いて「ブルースェードシューズ Blue Suede Shoes 」を大ヒットさせることになります。好きではありませんでしたが、曲の出だしは何故か覚えているのです。「One for the money, Two for the show, Three to get ready now 〜」の「〜」の部分がわかりませんでした。多くの皆さんもそうではないでしょうか…。

この曲がカール・パーキンスの作と教えてくれたのは相方(あいかた)の彼、「マッチボックス Matchbox」の次は、自然な流れとして、この「ブルースェードシューズ Blue Suede Shoes 」となってしまいました。お聞き苦しいとは思いますが、ご辛抱下さい。▼



Well, its one for the money,
Two for the show,
Three to get ready,
Now go, cat, go.

But don't you step on my blue suede shoes.
You can do anything but lay off of my blue suede shoes.

何故か記憶に残っている曲の出だし、歌詞はわかりましたが、その歌詞が何を歌っているのか全くわかりません。「ブルースェードシューズ」誕生にまつわるいくつかの逸話があるそうですが、最もそれらしいのがこれです。

サン・スタジオ(Sun Studio)の音楽仲間、ジョニー・キャッシュ (Johnny Cash)がカールと一緒に巡業中、これを基に曲を書けば、と軍隊時代に聞いた話を彼に聞かせたのでした。それは、ドイツでの兵役時代、支給された軍靴は「ブルースェードシューズ」と呼ばれ、ある時食堂で誰かが「俺のブルースェードシューズを踏むなよ!」としゃべっているのを聞いた、という話でした。

数日後、カールは次の巡業先で演奏中、ステージ近くで踊っているカップルが目に入りました。女性はとびきりの美人、相手の男性はブルースェードシューズを履いていました。踊りながら、彼はパートナーに曰く、「僕の靴を踏まないでくれよ!」 美人の彼女よりも、彼は自分の靴の方が大事だったようです。

少々出来すぎの感が…。
「僕をノックアウトしても、街中に僕の悪口を言いふらしても、僕の家を焼いてしまっても、僕の車を盗んでも、僕の酒を飲んでも、何でも好きにやっていいから、僕のブルースェードシューズを踏むのだけはやめてくれよ」と曲は続きます。

では、曲の出始めの「One for the money 〜」は?
アメリカ人でもこのフレーズがどこから来たもか知らない人が多く、諸説あるようですが、どうも、子供の「かけっこ」の合図、かけ声の類で、さらにそのルーツは「競馬」に辿り着くのでは…。

One for the money,
Two for the show,
Three to get ready
And four to go.

競馬に無知なのですが、3着馬を「ショーホース Show Horse」というそうで、この説に納得してしまいます。

当初の「Go Boy Go!」を、プロデュサー:サム・フィリップスのアドバイスにより「Go Cat Go!」に変更したそうですが、残念ながら、この「Go Cat Go」の意味はわからず仕舞いです。 フェンダーのギターには"Go Cat Go!" Model というのがある、あるいは、あったらしいほど有名な語彙らしいのですが…。

プレスリーファンの大先輩、ご教授下さい。

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February 14, 2009

グレートブリテン及び北アイルランド連合王国

幕末・明治以降、少なくとも第二次大戦に至るまで、日本が多くのことを学んできたのが「英国」でした。…が、「英国」のことをほとんど知りません。我々の呼ぶ「英国」あるいは「イギリス」の正式名称は「United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland」です。日本国外務省による正式表記では「英国(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)」となっており、( )の中の表記が正式名称の日本語訳です。

将軍かなり古い話で申し訳ないですが、映画:「SHOGUN 将軍(1980)」のモデル, 英国人航海士:ウィリアム・アダムス(三浦按針)が1600年、彼が乗船していたオランダ船が豊後(現在の大分県)に漂着したことに日英関係は始まるそうです。戦国・安土桃山時代、England(イングランド)はポルトガル語でIngles(イングレス)、オランダ語でEngels(エンゲルス)と呼ばれ、これが訛って「エゲレス、イギリス」、「英吉利」の字が当てられたそうです。

自分の無知をさらけ出すのですが、「ユナイテッドキングダム UK」、「グレート・ブリテン GB」、「イングランド England」の関係がよく判らないのは私だけではないでしょう(?)。アングロサクソン人のイングランドとケルト人国家であるスコットランド、ウェールズを含んだのが「グレート・ブリテン GB」、これに北アイルランドを加えて「連合王国 UK」となるのでしょう。

「グレート・ブリテン GB」を構成するスコットランド、ウェールズ、イングランドとは何でしょうか。「州」と思っている人もおられるのでは…(?)。国でもなく、州でもなく、「構成体」としか呼びようがありませんが、彼ら自身はどう呼ぶのでしょうか。それぞれ、独自の法制度、教育制度を持つが独立国家ではなく、国際連合・EUの直接構成国家ではない、と規定されているそうです。

因みに、サッカー・ワールドカップ欧州地区予選では、スコットランド、ウェールズ、イングランド、北アイルランドは独自にチームを参戦出来るようです。他の国がナショナルチームで闘うのに、彼らだけにこの特権(?)が与えられたのはこのスポーツが英国(=ユナイテッドキングダム UK)発祥だからでしょうか。

もう一つ、アイルランドはかつて英国の植民地でしたが、北アイルランドが英国領であることは知らず、まだ「英国の植民地支配が続いている地域」と思っている人も多いのではないでしょうか。アイルランド独立戦争(1919-1921)は1921年に休戦が成立、同年、英愛条約 (The Anglo-Irish Treaty)が締結され、北アイルランドの帰属は北アイルランド自身に委ねられることになり、これが宗教・帰属問題が絡み合った「北アイルランド問題」として現在に至り暗い影を落としています。

そんなところに、本来ならば、England(イングランド)のみを表す日本語:「イギリス」が、イングランドを含む、ブリテン島に加えて、北アイルランドまでをも含む国家を表すのは無理があり、しかたなく、日本語の正式名称を「英国」としたのでしょうが、これでは同国の歴史的経緯は見えてきません。

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January 19, 2009

イギリスの「アーツ & クラフト」と日本の「民芸運動」

Blackwell 1312月24日湖水地方、ウィンダミア湖畔に立つ「ブラックウエル館(Blackwell)」を訪れました。産業革命で財をなしたエドワード・ホルトがM.H.ベイリー・スコット(Mackay Hugh Baillie Scott 1865-1945)に設計を依頼、1900年に完成した館です。

ベイリー・スコットは世紀末を背景とする芸術潮流:「アーツ & クラフト運動」の一翼を担う建築家でした。

Blackwell design.ウィリアム・モリス(William Morris, 1834 - 1896)は、産業革命で大量生産された商品があふれ、一方ではかつての職人は工場労働者に没落、彼らの手仕事に依って創り出されたものが衰退して行く状況を危惧、「生活と芸術の統一」を目指す芸術運動を興します。

M.H. ベイリー・スコットも彼の意志を建築分野で継承、後にフランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright 1867 - 1959)にも大きな影響を与えることになります。建築分野にとどまらず、あらゆる生活用具において「アーツ & クラフト運動」が見られ、その後の「アール・ヌーボー」に引き継がれることになります。

一方の日本。日清戦争(1894 - 1895)に勝利したものの、来るべき日露戦争(1904 - 1905)に備えねばならず、芸術運動どころではなかったのでしょう。やっと余裕が出て、落ち着いてきた時代、1926年(大正15年)、柳 宗悦(やなぎ むねよし 1889 - 1961)は民衆の生活に欠かせない、陶磁器、漆器、木工品、織物等の日用雑貨、朝鮮李王朝時代の白磁、家具を評価、純粋芸術(Fine art)でもなく高価な古美術でもない、無名職人による工芸品に美を発掘、「民芸運動」という彼独自の芸術運動を興します。

その協力者の一人が、イギリス人陶芸家:バーナード・リーチ(Bernard Howell Leach 1887 - 1979)で、1909年日露戦争直後、日本の産業革命のまっただ中に、版画家として来日、以降、陶芸を学び、陶芸を純粋芸術ではなく、「日用品としての用を満たす器の形状や触覚」ととらえるに至ります。1920年、彼は日本を離れ、イギリスに製陶所を設立、工房活動に入ります。彼の活動は正に、ウィリアム・モリスの「アーツ & クラフト運動」継承し発展させたのでした。

イギリスの「アーツ & クラフト運動」、そして日本の「民芸運動」、時間差こそあれ、ともに産業革命=大量生産へのカウンター(対抗運動)でした。

柳 宗悦やバーナード・リーチと白洲 正子(1910-1998)との関わりは知りませんが、彼女の夫:白洲 次郎(1902 -1985)はケンブリッジ大学に学び、二人が結婚後、1940年、対米英戦を予期して、東京から離れた田舎(現在の町田市)に古い農家を購入、「武相荘(ぶあいそう)」と名付け、カントリー・ジェントルマンを実践したのは面白いことです。


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January 15, 2009

冬至祭、異教徒の見たクリスマス

Blackwell 1612月24日、 クリスマス・イブ。 日本でも「ピーター・ラビットの世界」として人気のある湖水地方、Lake Dsitrictに出かけましたが、予想以上に遠く、湖水地方のさわり、入り口を見ただけで引き返してYorkに帰って来ました。

商業主義に毒された(?)日本からやって来た私にとって、Yorkの街は寂しい限り、競ってイルミネーションを飾る光景には出くわしませんでした。通りを歩いていると、幾組かの若者が馬鹿騒ぎをしながら通りを歩いていくのが、それといえばクリスマス・イブらしい風景。馬鹿騒ぎが目立つのも、その周りがあまりにも寂しいということでしょう。若者以外の多く Minster Hotelの人たちは我が家に帰り、家族でクリスマス・イブを楽しんでいるのでしょう。


ホテルのロビーにはクリスマスツリーがかわいく飾ってあります。


一夜明けた、25日はクリスマス・デイ。ホテル内の客どうしが朝、「Good Morning」の替わりに「Merry Christmas or Happy Christmas」と挨拶。24日夜まであれだけ盛り上がったムードも25日を過ぎれば突然「賞味期限切れ」となる日本とは大違いです。朝8York 6時、Yorkの街に出てみると、静かな中にも厳かな雰囲気で、どこか昔の日本のお正月に近いものを感じます。ゴシック建築の最高傑作とされるミンスター寺院は、クリスマス・ミサの準備も整い、近郊からやって来たと思われる多くの信者を迎え入れています。寺院に入りましたが、やはり我々は異教徒、彼らの儀式に失礼があってはならないと、早々に失礼しました。

キリスト教徒にとってはクリスマスは最大の行事なのでしょうが、生誕の地:ベツレヘムから遠く離れた北ヨーロッパではもう一つ大きな意味があるようです。12月22日は冬至、北半球では太陽が最も遠くなり、その高度が最も低くなります。古代ローマにおいても、冬至を太陽が復活する日、新しい1年が再び始まる日として盛大な祭典を設けており、ガリアに住むケルト人・ゲルマン人には冬至祭の習慣がありました。後に、新興宗教であるキリスト教普及の為に「キリスト生誕」と土俗習慣「冬至祭」とを結びつけたのでしょう。クリスマスツリー、サンタクロース、トナカイにそり、全ての道具立てが北ヨーロッパのものです。

どんよりと雲に覆われた空、大地に広がる暗緑色の牧草地、信号機の赤・黄・緑が妙に鮮やかに映る街。たった1週間の滞在でしたが、より原始的な太陽復活・春への渇望であるケルト人・ゲルマン人の「冬至祭」の方がしっくりくるように思えるのは、我々が異教徒だからでしょうか。「春よ来い。早く来い。」とは、彼らには少々悠長、「ゆず湯」ぐらいでは暖まりそうにはありません。

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January 12, 2009

文明のかろうじて及ぶ最果ての地、ハドリアヌスの長城 Hadrian's Wall

Hadrian's Wall 412月23日、Yorkを出て、A1を北に向かう。ここに来ると国道:M1はA1に変わり、片道3車線が2車線になっています。なだらかな起伏の丘陵地帯が遙かに続き、日は既に昇っているはずなのに空は地平線まで、一面の雲に覆われています。高速道路の両側の景色はLondonからYorkとほとんど変わらず、どこまでも続く緑の牧草地、所有地を区分するためであろうが、スレート石を積み上げた石垣で囲まれており、なかに点々と羊が見えます。不思議なことに、農耕地は全く見あたらず、人家の周辺を除いて森や林も見あたりません。ただ、延々と羊の放牧地が続くのです。一面の灰色の空、石垣、石造りの民家、全くモノクロ写真世界です。そこに牧草の暗緑色を後からかぶせたような景色です。

3時間は走ったでしょうか、既に幹線道路をはずれ、簡易舗装となり道幅も狭く、頂きから前方をみてもその底が見えないような起伏の激しいジェットコースターのような道路がB6318と標識のある道路にぶつかります。これが目指す「ハドリアヌスの長城 Hadrian's Wall」に沿って造られた、古代ローマ人の道路とは後日知りました。

ハドリアヌス帝 ローマ帝国ハドリアヌス帝(117年 - 138年)は、それまでの版図拡大政策を断念、帝国防衛体制の確立・内政の整備へとその政策を大きく変換します。

日本では、存在自体も疑わしい、卑弥呼(175年頃? - 248年頃)が生まれるちょっと前、122年、彼はこの地に帝国最北の防衛線建設を命令します。これが「ハドリアヌスの長城 Hadrian's Wall」 です。

ライン河、ドナウ河と並んでこの長城はローマ帝国の防衛線の環(リム Rim)をなすもので、その以西(以南)を帝国絶対防衛圏と定めたものでした。因みに、Rhein(ライン河)及び英語のRim(車輪のリム、へり、周縁)の語源はこれのようです。

Hadrian's Wall 23灰色の雲に覆われた空、吹きっさらしの暗緑色の大地。ローマ帝国最北の防衛線、まさに辺境、文明のかろうじて及ぶ最果ての地。古代ローマのに思いを馳せるべく舞台は整っているのですが、どうもその北風の寒さに負けて十分には感情移入することが出来なかったようで、用意していたタイツ、手袋をホテルに忘れてきた事が悔やまれます。訪れたHousestead Roman Fort(ハウステッド、ローマ人の砦)は確か2〜3月は閉鎖のようで、この期間にはさらに厳しくなるのでしょう。

Hadrian's Wall 6この長城を建設した人たち、駐屯していた兵士は遠くローマからやってきたのか…と思いきや、技術者や兵士はドーバー海峡を越えたオランダ、ベルギー地方の、その当時既にローマ市民であった人たちがその任務に就いたようです。長城建設を命じたハドリアヌス本人も、ローマてはなく、属州の一つ、ヒスパニア(スペイン)出身なのですから、如何に帝国全土に渡ってローマ法での統治がなされていたか、ということでしょう。

5世紀に入ると、(西)ローマ帝国の防衛線の環(リム)はライン・ドナウ河でゲルマン人侵入を許すようになります。ここに至っては、西ローマ帝国政府にはもはや遠いブリタニアを維持する力はなく、AD 407年コンスタンティウス3世はブリタニアを放棄、残存ローマ軍を率いて撤退します。この政治的・軍事的空白、間隙を衝いてアングロ人・サクソン人(ゲルマン人の一派)がブリタニアに大挙侵入、その後「アングロ人の土地、England」が始まります。

時代は大英帝国終焉間近、時の首相:チャーチル曰く、「イギリスが過去、ローマ帝国に蹂躙され、影響されたことは、むしろ幸運なことだった。イギリスの歴史はそこから始まった。」 この言葉は、チャーチルだけではなく、ヨーロッパ全ての国の共通認識ではないでしょうか。…でなければ、誰がEU(欧州連合)の構想を持つことが出来たでしょうか。これこそがローマ文明の<<普遍性>>なのでしょう。

吹きっさらしの丘を下り、幹線道路近くの村の小さなレストラン(兼ホテル)で遅い昼食。暇そうな女主人が、「ミートパイがお奨め」の由で、早速それを注文します。あまり美味しいとは言えませんが、彼女曰く「イギリス料理ではなくアメリカ料理。中にコーンビーフが入っているの」。そういえば建物はイギリスの田舎風、内装はチープな張りぼて、食べたミートパイもそれにぴったりでした。相変わらず外は灰色の雲に覆われた空、日の暮れないうちにYorkへの帰路を急ぐことにしましょう。
* Image: Extent of Roman Empire at the time of Emperor Hadrian AD 117

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January 08, 2009

クリスマス、無理して、イギリスドライブ旅行

息子はヨーク(York)で9月から生活を始めたばかり、電車で2時間をかけて(約350km)、わざわざロンドンまで来てくれました。お金の面から見ればあまり気が進まなかったのですが、こんな機会はたぶん最初で最後(?)とばかり、その彼とクリスマス休暇を利用して、二人でイギリスをドライブ旅行しようということです。

まずは予想が的中。レンタカー営業所のスタッフ曰く、「当然マニュアル。オートマティックは例外で、アメリカ人旅行者が無理してマニュアル車を運転して潰してしまうこともある」。教習所ではマニュアルを運転するが、卒業後はオートマ車しか運転したことのない若い世代の人には困難、若いときにオートマ車を小馬鹿にした世代には、マニュアル車のクラッチとギアチェンジが体に染みついていて、オートマ車に乗り慣れた今でさえ何ら問題なく運転できるのが不思議なぐらいです。久しぶりに父親としての威厳を示すことは出来ても、全行程を運転する羽目になり、これが後日、「やっぱり」という結果になってしまいます。

Petrol Satattionそれにしても、予約してある車がありません。当初は「車のあるところ我々を連れて行く」という話が「やはり、車をこの営業所に持ってくる」に話が変わり、かれこれ1時間待たされてしまいました。「車を持たないロンドン子がクリスマス休暇を故郷に帰るべくレンタカーを使い、今が最も忙しい時期…」と我々には関係のない弁解。


やっとのことで出発! 巡航速度で走っているとマニュアルであることを忘れ、まして粘りのあるディーゼル車であれば、減速してもギアを落とすことを忘れてしまいます。停車までクラッチを踏まず、エンストしてしまうこともやらかしてしまいました。
M1_LDN to York
予想通り「イギリスの冬は曇って暗い」。太陽は東から昇り、北半球では南側を移動するはずなのですが、空は一面灰色太陽の位置が判りません。地図上で出発地は判るのですが、いざ走り出すと現在地がなかなか判りません。マニュアルが当たり前であれば、いわんやGPS(カーナビ)〜おや。実際に自分がいる場所を地図上に照合させるのはなかなか難しいものです。

イギリスですから、日本と同じ左側通行。ということで問題ないのですが、借りた車がプジョー、フランスの車でした。方向指示器を出そうとしたらワイパーが動き出します。ステアリングの左右にあるスイッチバーが逆ということです。それもそろそろなれてきた頃に次の難関が待っています。

効率的な交差点システムでイギリス発祥とされるラウンドアバウト(Roundabout)が現れます。なれると車の流れを極めてスムースに各自の行きたい方向に連れて行ってくれます。…が、日本人ドライバーにとってはこれがくせ者、左折は問題ないのですが、それ以外への進行が問題です、左折・直進・右折だけであればそれほどの問題はありませんが、道路が放射状の場合、ましてや、交わる道路・ラウンドアバウトが2車線の場合は戸惑ってしまい、島をぐるぐる回る羽目になります。これは、ニューヨークで外気温と遮断する為の回転ドア(Revolving Door)になれない日本人が戸惑うのと似ているような気がします。

雲がたれ込め、太陽の位置が判らなかった…ということで、ロンドン市街を抜け、M1と呼ばれる北へ向かうハイウエイに乗るまでにかなりの時間を要してしまい、ヨークに辿り着いたのは6時頃、既に日はかなり前に沈んでいます。

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December 15, 2008

ちょっと憂鬱、クリスマスカード

今年もその季節がやって来ました。昔、シドニーに住んでいたことがあり、私たち家族がお世話になったご夫婦から、毎年この季節、クリスマスカードに長い手紙を添えて送って来てくれます。当時、お宅に遊びに行くと敷地内にある25mプール、その横に付いているジャグジーの円形タブ、夕方みんなでその中に浸かりワインを飲みながらおしゃべり…、映画の一シーンのような風景が普通以上に裕福なご一家でした。今は引退して、都心から離れたリゾート地で悠々自適の生活を楽しんでおられるご夫婦です。その悠々自適ぶりは皆さんにも想像していただけるでしょう。

手紙をもらうことは素直にうれしいのですが、問題はその手紙で、A4一枚にびっしり手書きの文字で埋まっています。まずは、癖がなくてもも他人の手書きの文字を読むのは難しいものです。いわんや、それが英語だったら…。今年は、これに加えて新たな、ちょっと憂鬱なことが発生しました。

それは去年のクリスマスカードに始まります。12月と言えばオーストラリアは夏、余生にヨット、モーターボート、水上スキーを楽しんでいる彼らには手紙に書くことはたくさんあるでしょうが、当方には、それに見合うような話題は残念ながら見あたりません。日曜日のテニス、自転車の話(→「バイクは好きですが、タイツ姿がどうも…」)ぐらいではどうも太刀打ち出来ません。…と,考えたあげく、友人と始めた30年ぶりのギターの話題(参照下さい → 「よくそんなことが…。やってしまいした。」)で迫ってみたわけです。

私の「友人とデュエットを始めました」、「CDが出来たら送ります」にご夫婦は素速く反応、またまた手紙をもらいました。曰く、「どんな曲を演奏するのか?」「それは日本語?それとも英語?」「CD…とは、店頭で買えるのか?」、はたまた、「友達と一緒に来て、みんなで歌いましょう」、「娘の主人はギタリストで、プロの歌手。一緒にやれば…」と、思わず気が遠くなるような内容です。完璧なカウンターを喰らってしまい、この1年マットから立ち直ることが出来ませんでした。

友人とのデュエットも「自分たちで楽しむ」という当初の目的を果たしているものの、「人様(ひとさま)の前で…」は密かな目標にすぎず、彼らの手紙に応える返事が書くことが出来ず1年が過ぎ、12月がやって来てしまいました。意を決して、弁解がましい手紙を添えてクリスマスカードと、もちろん、我々デュエットのCDを送りました。そのうちの一曲:ローディ(Lodi)です。▼



日本人が歌う英語の歌を彼らはどのように感じるのでしょうか?あれから1年、今回は私のメールアドレスを連絡しています。彼らはパソコンとインターネットを始めているはず、次回は手紙ではなく、メールで歌の感想が入ってくるはずです。感想は大いに歓迎なのですが、正直なところ、英語でのコミュニケーションは疲れます。今は、彼らがSkypeを未だ使っていないことを、ただただ祈っている今年のクリスマスです。

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November 08, 2008

万里の長城 The Great Wall

今回はアメリカ大衆音楽ではなく、「歴史」に関するテーマで、書いている本人も少々緊張しています。

大先輩が先日中国を旅行、「アンコ−ルワット、バチカン、ピラミット、トルコのブル−モスク、そんなの目じゃありません。人類が作った最大の無駄。正しくその通りでした。」が「万里の長城」に登った彼の感想でした。

彼が今までに訪れた世界遺産(?)の内、1カ所さえも行ったことがないので、残念ながら論評しようがありません。しかし、「最大の無駄」かどうかはともかく、世界史的に言えば「意味」はあったように思います。

万里の長城総延長は6,352kmにも及び、音楽ネタで言えば「ルート66」のシカゴからLAまでの距離、2,000マイル=3,200kmどころの話ではなく、その2倍もの距離です。秦の始皇帝が作り始め(秦代:BC 221年 - BC 206年)、当初は人や馬が乗り越えられないぐらいの土塁だったようで、以降の王朝がこれを延伸・補強、現存している煉瓦・石作りの長城は明代(1368年 - 1644年)のもので、彼が見た長城はこれでした。

当初は「人や馬が乗り越えられないぐらいの土塁」だった、というよりも、「羊が乗り越えられないぐらいの土塁で十分」で、北方の遊牧民が彼らの生活の糧である羊の群れを連れて域内に入るのを防いだ、という話を読んだことがあります。田畑を耕す農耕民族としては牧畜を生業とする遊牧民族をその生活圏に受け入れることは出来ませんでした。
ローマ 水道橋
「万里の長城」といえば、それに比肩しうるのは、古代ローマ(BC 753年 - 476年 西ローマ帝国滅亡)の上下水道、道路、コロシアム等の土木建築でしょう。いずれも膨大な労働力と財力を費やした土木建築のでしょうが、どうも根本的な所に大きな違いがあるように思えます。前者が軍事的な、農耕民族の生活圏の防衛線ですが、後者は基本的に社会基盤であるということです。

土木工学は英語でCivil Engineeringなのですが、その語源は古代ローマまで遡ることができる…と読んだことがありますが、Civilization は文明化,文明を意味し、国境・民族の枠を越えて普及、普遍的に受け入れられる価値体系で、その形容詞がCivil、CivilにはCivicと同じく「市民の」との意味もあります。Civil Engineeringとは「文明化のための工学」ということになります。

「万里の長城」、古代ローマの水道、道路のいずれも文明の所産なのですが、古代中国文明は内向的、排外的であるのに対し、古代ローマは外向的、寛容です。前者には文明をまもる工学であっても、「文明化のための工学」の結果ではなかったようです。国境・民族の枠という地理的な拡がりだけではなく、現代に至るまでの時間的拡がりを考えれば、ローマ文明がより普遍的であるように思われます。例えになっていないかも知れませんが、漢字の普及は限定的ですが、ローマの文字:ローマ字の普及は世界に及びます。

秦朝は外敵に滅ぼされたのではなく、内部の蜂起、反乱が原因というのも皮肉な話です。後に興った後漢の時代(25年 - 220年),モンゴル高原の遊牧民族:<<匈奴>>は寒冷な気候に襲われて南下するも長城に阻まれ(?)、彼らは仕方なく西方に向けて移動することになります。その遊牧民族:匈奴の一派が<<フン族>>という説があり、その<<フン族>>が後に(4世紀〜5世紀)ヨーロッパに侵入、追い出される形で、皆さんおなじみの「ゲルマン民族の大移動」となり、これが原因で、ローマ帝国(西ローマ帝国)は476年に滅亡、以降、ヨーロッパは暗黒の中世に入っていきます。

「万里の長城」は「Civil」という意味では、大先輩の意見に賛成ですが、長城の存在がユーラシア大陸を西に巡ってローマ帝国滅亡に繋がった。これが世界史的な「意味」であったように思えますが如何でしょうか、大先輩。
*Image:万里の長城 and ローマ 水道橋


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October 30, 2008

マッチボックス Matchbox

ビートルズ、1964年のヒット(?):「マッチボックス」をご存じ、あるいは覚えておられますか?リンゴ・スターが歌っているのですが、どうもジョンやポールに比べると下手でした。「この曲をやろう」、ということになり、その結果がこれです。リンゴへの評価:「下手でした」は、我々と比較する限り、もちろん撤回せざるを得ません。



曲は知っていましたが、「下手でした」の印象の通り、全く興味もなく今に至っていました。モノ知りの相方(あいかた、友人)から、これがカール・パーキンス 「マッチボックス」のカバーということを初めて知りました。元来、この手の、いや失礼、古くはRockabilly(ロカビリー、既に古典芸能の感がありますが…)から始まるRock'n'Roll(ロックンロール)には、またまた失礼ながら、「教養?」というものが感じられず、あまり好きにはなれませんでした。

カール・パーキンスはデビューしたばかりのエルビス・プレスリーの歌をラジオで聴いて、「メンフィスには俺の音楽を理解する人がいる」、とあの伝説的なサン・スタジオ(SUN STUDIO)の門を叩きます(…道場ではありませんが…)。

彼の父親が自分の聞いたことがある曲をカールに奨めたのが「マッチボックス」でした。1956の録音、翌1957年の発売され、カントリーとポップチャートで上位を記録するヒットとなります。その後、ラジオからテレビへの移行時期とも重なり、不幸な事故が続いた為か、スターダムにのし上がることはありませんでした。失礼を繰り返しますが、あのいかにも土臭い、決して上品とは言い難い顔つきがテレビ時代に災いしたのではないか…と個人的には思っているのですが、傑作:「ブルースゥエードシューズ」を世に出したことは特筆すべきです。彼の歌っているのは知りませんでしたが、エルビス・プレスリーが歌って大ヒットしたことは私も知っています。

ここまではほとんど相方(友人)からの受け売りですが、最近、私にとって、新事実を発見しました。

さて、カールの父親が聞いたことのある、そして彼に奨めた「マッチボックス」は誰の曲だったのでしょうか?

ブラインド・レモン・ジェファーソン("Blind(盲目の)" Lemon Jefferson )、彼は1920年代、最も人気のあったブルースマンであり、以降「テキサス・ブルースの父」と呼ばれています。彼の音楽スタイルは彼独特のもので、同時代の若いブルースマンには影響を与えませんでしたが、後のブルース、ロックンロールミュージシャンは彼の曲及びスタイルを真似るようになります。彼の曲:「マッチボックス Matchbox Blues」はカールに受け継がれ、次いでビートルズに受け継がれることになります。

お聞きいただいた我々の「マッチボックス」に至るまで80年が過ぎている事になります。日本で言えば大正から昭和にかけて、80年前の歌、そんな時代の歌謡曲を今、誰が歌っているでしょうか。
Enjoy Texas Music license plate
テキサス州には「Enjoy Texas Music license plate」と呼ばれる車のナンバープレートがあるそうです。州政府により販売されており、それに含まれる寄付金が音楽教育振興の為に使われています。日本もちんきな「・・−・1」とか「88−88」ではなくて、このぐらいの事をやれば如何…? 描かれているのはブラインド・レモン・ジェファーソンです。

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September 05, 2008

「GO!! GO!」、海の向こうの1958年(昭和33年、「三丁目の夕日」の時代」)

GO! GO! ニーッテレ GO! GO!」 日テレが開局55周年を記念するイベントに、チャック・ベリーの名曲:「Johnny B. Goode(ジョニー・ビー・グッド)」が使われています。「三丁目の夕日」の時代の幕開け、1953年(昭和28年)、日テレが開局されたことになります。「55」が「GO!! GO!」のだじゃれ、はともかく、1958年(昭和33年)の続きを書きましょう。

1958年(昭和33年)、日本では「三丁目の夕日」の年、海の向こうのアメリカでは、「Johnny B. Goode(ジョニー・ビー・グッド)」がレコードリリースされ、大ヒットとなった年です。「三丁目の夕日」の主役の一人は小説家:<<茶>>川竜之介で駄菓子屋を営みながらで芥川賞を目指します。彼を父親と慕い、同居する小学生:<<古>>行淳之介君については既に触れています。→ 「映画:『三丁目の夕日』どうしてALWAYS?」

ジョニー・ビー・グッド。恥ずかしながら、昔の話であることを前置きして、「Johnny, Be Good.」、訳すならば「ジョニー、いい子にしてね!」と思い込んでいました。「Johnny B. Goode」が男の子の名前であることを知るには時間を要したようです。繰り返しますが、あくまでも昔々の話です。話を元へ…。

とにかく、一小節に登場する単語が多く、「かってにシンドバット」どころの話ではありません。日本語と違い、見事に<<韻>>を踏んでおり,耳に心地良く感じます。耳に、体に心地良い、ロック・ン・ロールの名曲ですが、ご多分に漏れず(…とは失礼ですが)、内容的にはほとんど何もありません。


ルイジアナを深く南に下り、ニューオリーンズの近く

深い森の行き止まり、
土と木で出来た小屋があった。
そこに、ジョニー・B・グッドという名の少年が住んでいた。
教育おろか、読み書きもろくに出来ないが、
ギターだけは鳴り響くベルのように見事に弾いた。

行け!行け!Go! Johnny! Go! Go!


Chuck Berry(チャック・ベリー)の曲なのですが、この少年の名前:Johnny B. Goode(ジョニー・ビー・グッド)、Johnnyは不明ですが、BはもちろんBerry、Goodeは彼の生まれた、Goode Avenue in St. Louis(セントルイス、グッド通り)に由来するそうです。

その後、<<茶>>川竜之介が芥川賞を受賞したか否かはわかりませんが、一方のジョニー・ビー・グッド少年はロック・ン・ロールの世界でアメリカンドリームを実現するのです。
Johnny B Goode, Tonight

母親が言うには、「いつか、お前は大物になって、
きっとビッグバンドのリーダーになるよ。
たくさんの人が遠くからやって来て、
日が暮れるまでお前の演奏を聞くのさ。
いつか、劇場の大看板にはお前の名前がスポットライトを浴び、
そこには『ジョニー・ビー・グッド、トゥナイト』と書かれているのさ。」

行け!行け!Go! Johnny! Go! Go!


彼は、母親の溺愛に応えたわけです。

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August 13, 2008

「中華民族の百年の夢」 北京オリンピック


「中華民族の百年の夢」、北京オリンピックの開催が高らかに宣言されました。
鳥の巣オリンピックが中国を訪れたことを意味する足跡の形をした花火が、実はCGによる合成、9歳少女による「歌唱祖国」の独唱、これも「口パク」だったと判り、少々興ざめはしましたが、映画監督:張芸謀(チャン・イーモウ)がプロデュースした開会式は圧巻でした。巨大な人海戦術の波が「紙」、「火薬」、「活版印刷」、「羅針盤」の世界に誇る4大発明を軸に中国5,000年の歴史を再現します。

皮肉なことに、この4大発明が十数世紀の後、中国を屈辱的な近代史に落とし入れる結果となるのですが…、
これらの発明が西進、ヨーロッパに伝えられ、改良された技術は14〜15世紀に火薬・羅針盤・活版印刷を「ルネッサンス3大発明」と称されるものになるのですが、紙の製法と印刷術が聖書の大量生産を可能にし宗教改革を、書籍の流通がヨーロッパ近代思想を産むことに繋がっていきます。このヨーロッパ近代思想が羅針盤、航海技術の進歩と共に、16〜17世紀の大航海時代、それに続く18〜19世紀におけるヨーロッパ諸国による植民地争奪の時代に繋がっていきます。

巡り巡って、この歴史の大きな流れが近代中国に環流して来るのです。その象徴であるアヘン戦争の結果、1898年、中国は香港をイギリスに植民地として割譲、「永遠」とほぼ同義語の「99年間」を耐え、1997年に香港返還を実現しました。それから11年、領土返還という実務ではなく、今や全世界に自らの近代史を塗り替えたことを知らしめる壮大な儀式:「中華民族の百年の夢」を実現しました。何よりも大切な面子を取り戻したのですが、ルネッサンスは起こるのでしょうか。

孔子の言葉、「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや(有朋自遠方来、不亦楽乎)。」が世界の人々への歓迎の挨拶でしたが、書き下し文から想像される、ノンビリした、牧歌的な雰囲気とは少々違うようです。

parasol on the beach
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July 28, 2008

バイクは好きですが、タイツ姿がどうも…

また来月もガソリン価格が上がるそうで、気に入って買った車も今になってしまえば分不相応の大きな車に映ります。今や、車は走るものではなく、眺めるだけのもの。来月からは、走りたけりゃ、後ろから押して行かなければならないのではないでしょうか。これが理由で自転車に乗り出したわけではありません。

もうかなり前の話ですが、その彼は私より10歳上、「自転車で江ノ島に行こう!」と言い出すではないですか。私は、立派な自転車に乗っていたわけでは境川ありませんが、その年齢差からみて、まあ大丈夫だろうと思っておりました。当日の朝、彼はロードレース用のジャージー、タイツに身をつつみ、ヘルメット、サングラスといういでたち。まさにウルトラマンか仮面ライダー、「ようやるわ」が正直な感想。

鵠沼海岸1地元でない皆様にご説明しますと、私の住む東京都町田市の北西部から、東京都と神奈川県の境に流れる、文字通り、境川沿いの自転車道を南下、境川が相模湾に注ぐところに江ノ島がありますが、全行程40kmでしょうか…。町田市〜横浜市〜大和市〜藤沢市、鵠沼海岸を経て江ノ島に至ります。その姿を眼前にした感激に浸る間もなく、何故かラーメン屋に直行、「おねーさん!ビールとギョウザ2人前!」、ためらいましたが、結局は気持ちよく飲んでしま鵠沼海岸サーファーいました。「往きはよいよい、帰りは…」の通り、帰路には自転車そのもの、着ているウエア、経験等、彼我の差がアルコールでさらに増幅、町田に辿り着く頃にはほとんど体力を消耗しきってしまいました。その夜は早い時間から寝込んでしまったのは言うまでもありません。

Bike 072508
その敗因は「やはり道具」ということで、思い切ってロードバイクを買うことになります。同じ買うなら…と、以前より気になっていた、フレームビルダーとして有名な地元の今野製作所で同社のブランド:ケルビム(CHERUBIM)を買ってしまいました。


※因みに ケルビム(CHERUBIM)とはヘブライ語でユダヤ教の「天使」の意味の由。スピルバーグの映画:「インディ・ジョーンズ レイダース 失われたアーク《聖櫃》 」、日本の御輿は鳳凰のようなものですが、アークには一対のケルビムが冠されています。話を元へ…。

明らかに「形、かたち」から入って行くのですが、どうもロードレーサーのジャージーとタイツが気に入りません。走行に最適ということで開発されたのでしょうが、本人(私)がその体型を人目にさらしたくない故か、どうも好きにはなれません。かといって、お尻の痛さに耐えられる訳でもなく、ショートパンツの下にはくことで妥協してしまいました。難関は、ペダルにつけるビンディングで、スキーのそれと機能は同じなのですが、足をペダルからはずしたいときにはずれず、パニックに陥ることがしばしば、無意識のうちにはずせるようになるまでには時間がかかったように思えます。

ガソリン価格高騰は当面続きそうで、今まで以上に自転車を利用したいのですが、問題はエンジン。このエンジン性能は悪くなることはあっても、今さら良くなることは考えられず、何とか現在の性能を維持していきたいものです。あれから8年(?)、今では都会の真ん中に住むその彼にはママチャリにしか乗る機会がなく、ウルトラマンには変身出来ないようです。近いうちに、もう一度一緒に走ってみましょう。

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July 05, 2008

Highway 61, I have not visited yet.

rout 66_sign 「ルート66」はシカゴからロサンゼルス(サンタモニカ)まで2,000マイル、調べるまでもなく、TV映画の主題歌に歌われているのを覚えています。…がしかし「ハイウエイ61」をご存じの方はそれほど多くhighway61 signはないのでは…。私はボブ・ディランの「追憶のハイウェイ 61 Highway 61 Revisited, 1965」でその存在を知りました。彼本人の音楽にとどまらずアメリカ音楽の方向を変えたことでこのアルバムは有名ですが、その話は別の機会に譲るとして、ハイウエイ61は、やはり南から順に、ニューオーリンズ、ベイトンルージュ、メhigway 61 MAPンフィス、セントルイス、セントポール、彼の生まれたミネソタ州ダルースを経てカナダ国境に至る1,400マイルのハイウエイです。

アメリカの国道システム(Interstate Highway System)では国道番号が東西が偶数、南北が奇数となっていますが、その原則の通り、ルート66がアメリカ大陸を東西に繋ぐ「母なる道路 Mother Road」、ハイウエイ61が南北を繋ぐ「ブルースハイウエイ Blues Highway」と呼ばれています。

ヨーロッパからの移民に始まる白人はフロンティア(辺境)を求めて東から西へ向かうという方向性があります。スタインベックの「怒りの葡萄」では大恐慌・大干ばつに襲われたオクラホマの農民がその耕作地を棄て、豊かなカリフォルニアを目指してルート66を西に向かう家族の姿が描かれています。(ご参照下さい。→「オクラホマ・ミキサー」) 住み馴れた地を棄て、芳醇な果実に満ちあふれた西(West)を目指して移動するという、西(West)への執着がアメリカ人及び文化の一つの特徴と言えるでしょう。そこには、苦難を乗り越え最後には芳醇な果実をもぎ取ることができるという明るさ、楽観主義があります。

highway 61 image一方、アフリカから強制的に連れてこられた奴隷を先祖とする黒人はミシシッピデルタと言われる南部諸州のプランテーションで働く最下層の労働者でした。ミシシッピの広大な綿畑からルイジアナの深い沼地まで、かつてのスペイン、フランス領のにおいを色濃く残す風土の中で、彼らの持ち込んだアフリカ音楽(文化)が融合、ブルース(Blues)が誕生したのでしょう。第一次世界大戦後、1920年〜30年にかけて、北部では鉱工業が発展、彼らは工場労働者・建設労働者としての職を求めて北へ…、メンフィス、セントルイス、オハイオそしてシカゴに向かいます。「北へ…」、彼らが職を求めて通った道がハイウエイ61、彼らの音楽が北へ広がっていく道が「ブルース・ハイウエイ Blues Highway」でした。ブルース(Blues)の定義は難しく、「鬱」「絶望」「苦悩」「あこがれ」の意味を伴うようで、土臭い、じめじめした沼地を抜け出して北に向かった彼らは、今度は都市でそれを味わうことになります。

西に向うルート66は我々の多くがイメージする明るい、希望の、軽いアメリカ。一方、北へ向かったハイウエイ61は陰湿で、絶望的、重苦しく映ります。しかし、アメリカ文化そのもの、ブルース、ゴスペル、R&B、ジャズ、ロックンロール、全てはここから始まります。

ボブ・ディランはエルビス・プレスリーを聞いて育ちますが、後年メンフィスにあるサン・スタジオ(SUN STUDIO)を訪れ、スタジオの床に口づけをしたそうです。 1954年エルビスがブルースシンガー:アーサー・クルーダップ (Arthur Crudup)の曲:「ザッツ・オールライト(That's All Right)」を録音という歴史的な場所への敬意を込めて…。


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June 30, 2008

1958年、昭和33年

1958年(昭和33年)。この年に誕生したのはホンダがスーパーカブを発売しただけではありません。ダイエーが神戸に初めてスーsubaruパーを開店、インスタントラーメン「チキンラーメン」を、厚木ナイロンがシームレスストッキングを、富士重工が「スバル360 」を発売します。

「いや、待てよ…」、ふと気がついたことがあります。ヒットした映画:『三丁目の夕日』の時代も1958年(昭和33年)でした。

戦後高度成長時代の好景気といわれる「岩戸景気」が始まり、若年労働者の所得が高まり、国民の間に「中流意識」が広がっていきました。これはホワイトカラーと呼ばれる技術者・中間管理者・販売管理者を大量に生み出し、彼らの所得増加に伴い、中間層を形成、大量消費社会を引っ張っていくことになります。

この年、「テレビ受信契約数100万台突破」は「皇太子と美智子さまの婚約発表、長島・王・巨人というプロ野球ブーム・「月光仮面」放送開始」という絶好のイベントを加えることによって大成功することになります。「東京タワー完成」は中間層(中流意識)の確立、大量消費社会幕開けの記念碑ということも出来るでしょう。

敗戦の失望感から抜け出して、日本国もその国民も「明日は明るい日」を信じて努力してきました。とうとう記念碑である東京タワーを満足げに仰ぎ見るに至ったのです。このパターンは、後に続く東京オリンピック(1964年)、大阪万博(1970年)と繰り返されることになります。「物質と観念」の議論、それとも「衣食足りて〜」なのかは別に、どこかで読んだのですが、国民一人当たりの年間所得が1,000ドルを超えると市民意識が芽生える(?)という説があります。当時1ドル=360円として、年間所得36万円。当時は冷戦のまっただ中、1960年の安保闘争から1970年にそのピークを迎える学生運動、反体制運動、市民運動の高まりがみられたのもこの時期でした。1980年代の韓国、そして今、中国で現在進行中なのではないでしょうか。妙に納得させられる説です。

「団塊の世代」はこの高度成長時代に育ち、大量消費を引っ張り、反体制意識を持ちながら1970年前後にホワイトカラーとして社会に出て行った世代。少々うがった見方をすれば、「団塊の世代」が社会に出た時点で、年功序列・終身雇用をはじめとする日本型企業・国家経営が絶頂を迎えたということでしょう。「明日は明るい日」を信じてこれまで生きてきた日本人が、自分の半生を劇中にダブらせることのできる「坂の上の雲」に出会うのは1968〜1972年(昭和43〜47年)のことです。
hat
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June 10, 2008

Little HONDA、50歳の誕生日

「そば屋の出前が左手でおかもちを持って、片手でも運転できる」をコンセプトに開発、1958年に販売を開始して以来、延べ6千万台が生産されたロングセラー、50年を経た今でもこれを超える商品は出ていないそうです。

中学生の頃、好きだったBeach Boys 関連の記事にメンバーの一人が、おかもちではなく、サーフボードを小脇に抱えて乗っている写真が印象に残っています。その彼らが、「リトル・ホンダ Little Honda」をヒットさせるのが1964年、東京オリンピックの年です。



そのカブの誕生日にふさわしい記事を見つけたので訳してみました。


45年前、ホンダ・カブ50 は低燃費チャンピオン
October 25th, 2007 by Paul Crowe - "The Kneeslider"

Honda50Ad.jpg


























「低燃費 」  〜   ホンダの新しいセールスポイントではありません。この広告のキャッチ:「倹約なホンダ50」は、まだガソリンが安かった時代にガロン当たり225マイル(リッター当たり95km)をうたっていました。この広告は1963年5月のものです。

1963年はオイルショックの起こる10年前、ガソリン価格には関心を払われず、いくらでも良かった時代です。同量のガソリンで「どれだけ遠くに行けるか」を強調したのは素敵なことで、ホンダ・カブ50を究極の低コスト移動手段にしました。1ガロン30セント(リッター28円 *360円換算)で買えた時代に、225マイル(95km)も走るのですから、走っている多くの車、オートバイに比べれば、ほとんどゼロにに近いことになります。

時代を早送りして2007年、ガソリン価格は1ガロン3ドル近くに上がっても、もしあなたが時速45マイル(72km)にこだわらないのであれば、あなたにまだまだスーパーチープな通勤通学手段があります。これまで続いた何かの理由があるのでしょうが、ホンダは今までに5千万台のこの小さなバイク(Little Honda)を作ってきました。しかし残念ながら、アメリカではもうこれを手に入れることは出来ません。

捜し物をしている時に出くわしたこの広告、クールです。

sunglass
本業のHong Kong Express にもお越し下さい。

以下原文 ▼
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express01 at 23:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

May 12, 2008

お前と俺 Little Fauss and Big Halsy

映画:「大いなる陰謀(原題:Lions for Lambs, 2007) 」を観た友人が曰く、「あんだけハンサムだったロバート・レッドフォードが歳をとってシワだらけのおじいちゃんになっている」と、映画の内容にではなく、彼の形相の変化に驚いた様子。全くの同感。テレビで再放送された「スパイ・ゲーム(SPY GAME, 2001)」を観てびっくりでしたから、映画館の大きなスクリーンで観ればなおさらのはず。

ハンサムな男に対する劣等感でしょうか…、彼を一躍スターにのし上げた「明日に向かって撃て! Butch Cassidy and the Sundance Kid (1969)」、当時アメリカンニューシネマの代表作の一つとしては評価するのですが、どうも共演のポール・ニューマンをひいきにしてしまいます。彼の出演作品、監督作品の全てを観たわけではありませんが、この作品以降、彼は若い映画人育成を目的にサンダンスを主催していますが、どうもこれといって印象に残る映画はありません。

1本だけ印象に残った映画があります。「お前と俺 (Little Fauss and Big Halsy,1970)」です。彼の出演した、あるいは監督した映画の数々はネット上で紹介さていますが、何故かこれだけが、意図的にかどうかは判りませんが、リストから抜け落ちている、ははずされている(?)場合があります。

どうも、駄作(?)だったようで、本人も気に入っていないようです。The Internet Movie Database のトリビア曰く、 <<彼が主演した気に入らない、好感を持たれない役柄を演じた数少ない映画の一つ。「大統領の陰謀(All the President's Men)」が公開された1976年、この映画がテレビで放映されて彼は非常に不愉快だったと伝えられています>>。

彼はハンサムで女にもてるオートバイレーサーのハルシィー役、バイクのメカニックの腕はいいがレースではいつもどん尻、風采の上がらないファウス。二人はコンビを組んでレースに出場します。

私は学生時代、場末の映画館でこの映画を観ました。ドジなファウスを演じるマイケル・J・ポラード、その銀(鉄)縁の眼鏡をかけたブスな男、レッドフォードとは対照的で妙に惹かれました。二人が遊びで乗るバイクがYAMAHA DT1 250、もちろんレッドフォードの方がかっこよいのですが、ポラードの方が雰囲気があって魅力的でした。



ファウスの完璧な整備で望んだレースはハルシィーが優勝。…と同時に何かが狂い始めます。元々テングだったハルシィーがなお一層テングなったことで問題が起こります。別れた二人は別々にレースに出るようになります。最初は調子の良かったハルシィーが途中でリタイア、その様子を横目で見ながらファウスがゴールをめがけて駆け抜けていきます。

押しつけがましく、世界に誇ってきた豊かなアメリカが「これはどうもおかしい、間Michael J.Pollard違っているのでは…」と思い始めた1970年の映画でした。

数年後、私はファウス(ポラード)が乗っていたのと同じYAMAHA DT1 250を、中古ながら、買うことになります。

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May 03, 2008

テキーラサンライズ Tequila Sunrise

中学時代に歌詞の意味もわからず、いわゆる洋楽を聞き始めました。たまに、人に誘われてカラオケ店で日本語の歌を歌うと、「なんと歌いやすいことことか」、…がしかし、何十年過ぎた今でも、やっぱり好きな曲は変わらないようです。そんな曲の一つに、Tequila Sunrise(by Eagles)があります。かっこいいから好き、英語も勉強していたので判ったような顔をして聞いていたこの曲を二人でやってみることにしました。



テキーラサンライズ

そしてテキーラサンライズをもう一杯
ゆっくりと空一面に始まり
僕はさよならをいう
彼はその日暮らし
やりたい事を夢見て働き
毎日が過ぎていった
テキーラサンライズの夜明け
毎日、日が沈むと
また一人、街に孤独な男がやって来て
女がまとわりつく

どうでもいい女じゃなかった
そんな思いを断ち切れずに
ずいぶん時間が過ぎてしまった
友人に話すと
惨めになってしまう
終わりそうにもない

勇気づけにもう一杯
どうしてちゃんとした言葉が出て来ないのだろう
おまえは感じないようだが
そしてテキーラサンライズをもう一杯
世界は同じ、以前のまま
次の一こまが始まる

この機会に、昔、判ったつもりでいた歌詞を真剣に訳してみようと始めましたが、今になってやってみてもどうも自信が持てません。詩人でも翻訳のプロでもない私カクテル テキーラサンライズには当然でしょう。

He was just a hired hand,workin on the dreams he planned to try → 彼は雇われ人なんだが、将来の夢を持って働いている。下級労働者?

And she's out runnin round → すると、彼女は夜の女(売春婦)?

Take another shot of courage → It's another tequila sunrise と対句なのですが、雇われ人(下級労働者)がテキーラサンライズを飲んでも様にならず、もっと安い酒でしょう。

And this old world still looks the same → 見方に依っては、自堕落な毎日?

皆さんはいかがでしょうか。

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March 13, 2008

ジョニー・B.グッド Johnny B. Goode

back to the future映画:「バック・トゥ・ザ・フューチャー(Back to the Future) 」は20年以上も前、1985年の作だったのですね。その後、何回となくテレビで再放送されていますが、飽きることもなく毎回見ているような気がします。舞台はそこから30年前の1955年、今から50年前も昔になってしまいます。

特に好きなのは、この映画のハイライトシーン、高校のダンスパーティの場面。バンドのメンバーの一人が指に傷を負い、彼のパートであるギターが弾けなくなってしまいます。その代役を果たすのが、主人公役のマイケル・J・フォックス。役者以前にギターが上手いのでしょうが、彼の歌う(弾く)「ジョニー・B.グッド(Johnny B. Goode)」は上手いものです。

ステージに上がって、それでは…、「オールディーを1曲、いやオールディーから来たんだ(?…と意味不明)」。みんながキョトンとするところからこの曲が始まります。

始めて聞く音楽に全員が興奮状態、盛り上がっている中、指を負傷して演奏に参加できないメンバーの一人も興奮して外部に電話をしています。


「チャック!チャック!俺だよ、俺!」 →オレオレ詐欺ではありません。
「探している音はこれだよ! すごいぞ! 聞いてみろよ!」
そうです。電話の向こうはチャック・ベリー(Chuck Berry)だった、というオチです。

ジョニー・B.グッド(Johnny B. Goode)はチャック・ベリー1958年のヒット、以降、現在に至るまで、この曲はロックンロール、ロックを通して定番中の定番、彼はロックンロールの創始者の一人に数えられています。

カラオケにもあるようですから多くの人に歌われているのでしょう。私もこの曲を歌うことにあこがれているのですが、どうも、ここまでノリのいい曲は苦手です。今からでも遅くはないはず、練習するこにしましょう。

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January 21, 2008

「よくそんなことが…(絶句)。」 やってしまいした。 Sister Golden Hair

「あれは半年前」、30年ぶりに押し入れの奥からギターを引っ張り出したのは去年の6月。友人に迷惑をかけるのでは…とおっかなびっくりに始めた彼とのデュエットはもう7ヶ月が過ぎました。その彼には迷惑をかけているのは承知していますが、途切れることなく続いているのを見ると、彼もまんざらではないのでしょう。…でなければ、こんなに続くはずもありません。

好きだとしても歌えない、弾けない、あるいは生ギター2本だけでは様にならない、という曲は除外しなければなりません。この条件を満たすのはなかなか難しく、新曲(新しく演奏できる曲の意味)の提案も最近は少なくなってきました。かといって、今はやりの現在の曲を受け入れられるほど二人は若くありません。この辺のところが少々危惧されるところで、今後克服していかなければいけない課題
でしょうか…、まあ、そんなに大きな悩みではありませんが…。

昔、録音といえばカセットデッキでしたが、今はPCMレコーダーというものがあります。ケイタイを一回り大きくしたぐらいのサイズ。楽器の練習、ライブコンサート等の録音に使うようで、音楽CDと同等あるいはそれ以上の音質で録音、パソコンに取り込むことが出来ます。

それを使ってみました。場所は二人の間の中間点、とある
、いつものカラオケ店の一室。皆さんはこのデュオがどんな歌を歌うのか、曲の名前ではなく、「ほんとうに歌えるの?」、「よくそんなこと(=恥ずかしげもなく人様に聞かせること)ができるね?」、「ブログでは一端のことを言ってるが、どうなの?」と興味津々なこどでしょう。厚かましくも、これら皆様の持っておられるであろう全ての疑問を完全に無視、そんな皆様に敢えてお聴かせしましょう。では、どうぞ…!。



お騒がせしました。m(_ _)m
はいっ、練習しておきます。
お騒がせしたついでに、曲のタイトルは「Sister Golden Hair」,アメリカによる1975年のヒット曲です。お見苦しい実写の画像はなく、過去にブログ上で公開したイラストを演奏に関係なく並べました。

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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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