June 27, 2019

山椒

このエントリーをはてなブックマークに追加
 前回のブログ公開からかなりの日数が過ぎ、そろそろ、読者である関西の友人から安否確認がありそうです。

 カミさんは山椒が大の好物。昔々、結婚前、彼女のお父さんは勤め帰りに、大阪堂島の地下センター(?)に在った「小倉屋山本」で、贈答用ではなく、家庭用の「山椒昆布(?)」を土産に買って帰り、彼女は山椒の実だけをよって食べたこともあるそうです。「死ぬ前に何が食べたい?」と聞かれれば、当然、「山椒の佃煮」と答えるはずです。

 別名、「ハジカミ」とも呼ばれる「山椒」、「椒」の字には芳(かぐわ)しい・香りがよいの意味があり、山の薫りが芳しい実、「山椒」となったそうです。雌雄の別があり、実がなるのは雌株のみの由。

 この「山椒」を冠した物語があります。確か、小学校の教科書で読んだような気がするのですが、森鴎外(1862-1922)の『山椒太夫』、あるいは『安寿と厨子王』というタイトルだったのかよく判りません。こどもの頃は当然ですが、大人になっても何故「山椒太夫」なのか、山椒で財を成した長者…?、ではないであろうし…。

 この物語の時代背景は平安後期、清盛(1118-1181)による武家政権樹立以前の話であろう。物語はご存知でしょうが、詳しくはWiki『安寿と厨子王丸』を参照をお願いします。安寿が丹後由良の浜で汐汲みをさせられることから、太夫は製塩業を営み、由良・岡田・河守、「三庄の長者」であった。各地の荘園から逃散(農民が土地を放棄して逃亡すること)・脱落して浮浪者となった民、「散所の民」を拉致したり、金で買ったりして利益を上げた者を「散所の長者」と呼びました。類似のものとして他にも、「算所」・「産所」がありますが、いずれも浮浪の民・芸能の民であり、鴎外は同音の「山椒」の文字を当てただけで、山椒の意味そのものは全くないようです。

 奈良時代に始まる、高野山における最下層の僧は高野聖と呼ばれ、勧進のために地方に遊行しました。鎌倉時代になると、『平家物語』を琵琶の伴奏に合わせて語る平曲が完成、琵琶法師(平家座頭)は説話・説経節を入れて全国を回る芸能者であり、これが後の浄瑠璃につながります。中世から近世にかけ、熊野比丘尼(くまのびくに)は地獄極楽、六道図などを絵解きをしながら熊野三所権現勧進のため、時にははやり歌を歌い、時には売春して諸国を歩きました。一方では、陸奥国津軽にはイタコと呼ばれる口寄せを行う巫女、越後国・北陸など日本海側を中心には瞽女(ごぜ)と呼ばれる女性の盲人芸能者集団が座を形成して諸国を歩きました。説話・説教節・はやり歌を共通項にした彼ら、芸能者集団は日本海沿岸を、南からやって来た近畿を源とする勢力と陸奥国・越後国在地の勢力との衝突と融合から出来た説経節を起源としています。奥羽の太守「一族の没落と再興の物語り」であり、見方・立場を変え、丹後由良の太夫が下人の復讐により没落する「長者没落の物語」であるともとも言えます。

 詳しくは、柳田国男はじめ多くの民俗学者・郷土史家・文学関係の諸氏の著作をご参照ください。津軽十三湊から京丹後半島由良に至る、日本海沿いに陸路で1,008キロ、海上ルートは若狭湾(丹後半島)で陸揚げして、琵琶湖を経由して京へ、さらには淀川水系を利用して難波津(大坂)に至る日本海沿岸・内陸水運ルートが存在したということです。これが近世の江刺・松前から、敦賀・下関経由、大坂に至る「北前船」に発展していきます。

 次に「山椒」を冠した生物。シーラカンスと同じく、「生きる化石」と言われるオオサンショウウオ(大山椒魚)は岐阜県以西の本州・四国・九州に生息する両生類。国の特別天然記念物(1952指定)ですが、かつては食用で美味であったとされています。食用を目的に捕獲したオオサンショウウオを縦に割いて、半身を川に戻すと失った半身が再生、元の一体に戻るという、トカゲのしっぽ切りを連想させる…?、言い伝えに由来、「ハンザキ、半裂」とも呼ばれていました。篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家にして料理家・美食家、北大路 魯山人(ろさんじん 1883-1959)は次のように評しています。

「世の中には珍しがられていても、美味くないしろものがいくらもある。ところが、山椒魚は珍しくて美味い。それゆえにこそ、名実ともに珍味に価すると言えよう。」
        ↓
       中 略
        ↓
「腹を裂いたとたんに、山椒の匂いがプーンとした。腹の内部は、思いがけなくきれいなものであった。肉も非常に美しい。さすが深山の清水の中に育ったものだという気がした。そればかりでなく、腹を裂き、肉を切るに従って、芬々ふんぷんたる山椒の芳香が、厨房からまたたく間に家中にひろがり、家全体が山椒の芳香につつまれてしまった。おそらく山椒魚の名はこんなところからつけられたのだろう。」

 その名前は、かつて食用として捕獲されていたオオサンショウウオは体に山椒に似た香りがあり、体を捌くと、より一層、山椒の芳香が広がることに由来するようです。

 京都市内に住む私の友人の健康方は早朝の散歩、先日、一晩中降った雨が180621_あじさい_2上がり、いつもの鴨川河川敷を歩いていると、目の前にオオサンショウウオがうずくまっていたそうです。梅雨の長雨で上流から流され、増水で河川敷に取り残されたらしく、友人はこれが天然記念物であることを認識しており、両手をオオサンショウウオの腹の下に差し入れ、抱えて水に戻してやった由。
オオサンショウウオ
 詳しい様子を聞くと、「体調は60〜70cm、ナマズかアンコウ、皮膚はヌルヌル、骨ばっていて気持ち悪い生き物」という感想でした。知り合いの中学校理科(生物)の先生に尋ねると、岩手県出身の彼女は、三重県赤目四十八滝に在る「日本サンショウウオセンター」まで行って、オオサンショウウオを勉強したそうです。オオサンショウウオの歯は鋭く、獲物を鵜呑みにするのではなく、その歯で噛んでからのみこむそうで、もう一つ、目が上の方に付いており上方の動きには敏感で、指を噛みちぎることもあるそうです。

 友人としてはあくまで善意で行った行為、指を食いちぎられることもなくて幸いでした。「後日、オオサンショウウオの恩返しがあるのでは…」とは、もうすぐ安否確認をくれそうな、仲間の感想でした。
Appreciate Your Support▼ご支援をお願いします
     にほんブログ村 歴史ブログ 諸文化の歴史へ  にほんブログ村 音楽ブログ カントリーミュージックへ       


express01 at 20:51│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote Recent Event | History_Japan

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
Profile

ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

Back Issues At A Glance
Comments
ISAO's Bookshelf
人気ブログ ランキング
NINJA
Search