May 07, 2019

散歩の途中<<29>> 忘れな草

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 この季節、庭や散歩の途中で目にする草木は次々と花を咲かせ、目を楽しませんてくれますが、私は草木の名前をほとんど知りません。何時も草木の好きなかみさんに聞くのですが、何回聞いてもその名前を覚えることが出来ず、若い時から痴ほう症のごとく言われています。一方では、高校生の時、古文が苦手で、別に古文だけではありませんが…、もう少し勉強しておけばよかった、とは万人が思っている通りです。

 「忘れな草」が花の名前であることは知っていますが、その名がどの草花を指すものかは判りませんでした。英語で「forget-me-not」、中世ドイツ語の「Vergiss-mein-nicht」に由来するそうです。現在の並び順「Don't-forget-Me」ではなく、中世においてはは日本語の並び順と同じというのが面白いところです。何語かを問わず、花の名前としては大変奇妙で、明治時代、このヨーロッパ外来の新種を日本語で「勿忘草、わすれなぐさ」と付けたとのが植物学者、川上瀧弥(かわかみ たきや 1871- 1915)でした。

 「勿忘草」の一文字、「勿」を知ったのはつい最近の事です。東北(昔の奥州)に憧れた人々の足跡を探るうちに、「白川関」・「念珠関(ねずがせき)」と並ぶ東北古代三関の一つ、「勿来関」にてその一文字「勿」にぶつかったのです。読みは「なこそ(の)せき」。源義家はじめ、紀貫之、小野小町、和泉式部、西行法師などの歌人も詠んだ歌枕ですが、「勿来(なこそ)」は「来る勿れ くるなかれ」の意味、中央政府が北辺の蝦夷の南下阻止を目的に築いた砦。しかし、「勿来(なこそ)」とは文学上の比喩、歌枕に過ぎず、実際にはその存在自体を疑問視する研究者も多いと聞きます。義家が通過したのは「後三年の役(1083-1087)」の時、まさに辺境の戦いの意味で「役」、彼は「勿来(関」に凱旋しました。

 「勿」は音読みで「モチ、ブツ」、訓読みで「なかれ、なし」。平安時代に使われた言葉が明治にも顔を出すとは、漢学が長らく知識人の必須であった事を示しています。「勿忘草」は原語の意味を良く伝えていますが、その読みは、「な>わすれ>ぐさ」ではなく、「わすれ>な>ぐさ」に変わって(?)、聞いてよりやさしい・心地よい日本語になっています。「忘れな草」は世界中、その国の言語で「忘れな草」と名付けられているそうです。因みに、中国語でも「勿忘草」、川上が付けた名前と同じです。

 かみさんのアドバイスで描いた「忘れな草」です。
190428_忘れな草
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express01 at 10:51│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Drawing | Recent Event

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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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