February 28, 2019
「渡り鳥」、「寅さん」、もうすぐ「徘徊老人」?


私が上野天神祭り同窓会に初めて参加したのが2012年10月、6年前。何処の祭り
も、それを担う若者が都会へ出て行ってしまい、山車を引く人すらも満足に集まらない状況は上野天神祭りも同じです。家族を小田原(南足柄)に残し、世話をするために彼は新潟で両親と同居、新潟からはるばる車でこの同窓会に参加するだけでなく、上野天神祭りにも山車を引いて参加。今や、『越乃寒梅』を土産に、山車を引き、地元の住民からも大いに当てにされる存在となっています。


2月初めから私の絵画展が開かれていますが、10日(日)の夜、6時ごろだったでしょうか…、彼から電話「近くまで来てるんだけど…」。「何処?」と聞くと、「家の前」。外に出てみると、長い旅路を物語る汚れた軽四ワゴン、同道の静岡から来た彼の友人に初対面の挨拶。「今日は日曜日で閉店」、小田原経由で静岡まで帰らなければならず、二人は団地内のスーパーで食品を買い込んで、あわただしく出発していきました。予定通り、15日に彼は現れ、喫茶店『嵐が丘』では、馬子にも衣装の額装された私の絵を見てもらうことが出来ました。店内では、私がまだ紹介していないのに、店の人・お客さんに親し気に話しています。ちょうど、上野天神祭りの山車を引いているように…。
22日、彼が、前回、挨拶だけに終わった静岡の友人とともに『嵐が丘』に現れ、私の絵を楽しんでもらうことが出来ました。感心した様子で、「こんなに臨場感のある絵が実況見分で使われたら楽だったろうに…。」 後で聞くと、ワンダーフォーゲルの同期、元静岡県警捜査官(?)、どうも絵手紙の展示会と思っていたようです。わずか30分の滞在でしたが、再び北へ向かう二人がわざわざ時間を割いて寄ってくれたことに感謝、「はなむけ」にコーヒー代は私がごちそうすることにしました。
彼らは小山田の『嵐が丘』を発ち、多摩の横山を超え、武蔵野(関東平野)鎌倉街道を北へ、上野国田沼から下野国日光に入り、鬼怒川温泉から陸奥国、現在の福島県会津若松、大内宿、喜多方、米沢、羽州街道(?)を北上すると云います。何やら、イザベラ・バードが踏破したルートとほとんど同じです。


季節が良くなったら、彼女ゆかりの日光「金谷ホテル(Kanaya Cottage Inn」を皮切りに、じっくりと、彼女の道程を辿ってみようではありませんか。
※参考資料:日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)
イザベラ・バードの東北紀行[会津・置賜篇]: 『日本奥地紀行』を歩く
※参考資料:日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)
イザベラ・バードの東北紀行[会津・置賜篇]: 『日本奥地紀行』を歩く