October 06, 2016

そうだ、バスで、京都に行こう!<1> 大徳寺

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 久しぶりの京都駅です。普段の移動に使っているPASMOあるいはSuicaカードが京都市内バス・地下鉄・私鉄でも使えるのは便利です。前も書きましたが、私は1967〜71年、京都に在る大学(京大ではありませんが…)に通ったので一般の人よりも土地勘はあります。かなり前に市電が廃止されたのは残念ですが、今は地下鉄2路線が整備され、烏丸線烏丸御池で東西線に、三条京阪で京阪に乗り換え、昔は三条が終着駅でしたが、今は疎水の地下を叡電出町柳駅まで延伸されています。その出町柳で、一年ぶりに京阪沿線に住む姉と再会することになります。

 市バスに乗って大徳寺にやって来ました。それまでは紫野と呼ばれた原野、播磨国の守護赤松円心が寄進して基礎を築いた(1315)とあり,寺内「沸殿(?)」の欄間に並んで掲げられた花園帝と後醍醐帝の二つの扁額は、持明院統(後の北朝)の大覚寺統(後の南朝)両朝の帰依があったことを示しています。楠木正成を湊川の戦い(1336)で破り、後醍醐帝を叡山に退去させた足利尊氏は室町幕府を開きます(1336)。後に北山文化、東山文化と続く室町時代の到来です。大陸文化(明)と日本文化、あるいは、公家文化・武家文化・民文化など諸文化が融合、茶・花道・建築・造園、絵画、軍記物・御伽草子・連歌、能・狂言に代表される舞台芸術など、現代日本文化の源流・基礎はこの時代に完成されたと言えるでしょう。

 飲んだ茶の銘柄を当てる「闘茶」、高価な中国の茶器「唐物」を求め、これを使って茶会を催す「唐物数寄」が大名の間で流行しました。行き過ぎたこの風潮に代わり、亭主と客との精神交流を重視するわび茶の源流ができあがって行きます。摂津・河内・和泉の三国の「境(さかい)」であったことに由来する堺は当時、海外貿易で富の集まる商業港湾都市でると同時に、その富を背景に町衆による自治が行われ、「茶の湯好み(茶数奇)」の文化が発展していました。世の中は次第に茶会どころではなくなり、ついに、応仁の乱(1467-77)で京、そして大徳寺は灰燼に帰します。堺で禅宗の布教活動をしていた一休和尚(1394-1491)は大徳寺復興事業への援助を乞い、それに答えたのが彼に深く帰依していた堺町衆でした。

高桐院_1 堺町衆の茶の湯好み(茶数奇)が戦国武将と町衆茶人と大徳寺禅宗とを結びつけ、それまではあまり日の目を見なかった大徳寺を、安土・桃山時代最高の「晴れ舞台」の一つにのし上げることになります。利休自費で行われた大徳寺三(山)門重層工事が完成(1589)、それを記念して楼上に置かれた等身大の利休像に秀吉は激怒、利休切腹の大きな理由の一つとされます。これが「晴れ舞台」の上で演じられた最大の演目でした。総門を入ると右側にその朱塗りの三門を見ることが出来ます。利休、千家の菩提寺:聚光院を始めとする二十四にも及ぶ塔頭は、利休の弟子達・キリシタン大名達、その時代に生きた人それぞれの演目が刻まれた記念碑です。

 高桐院灯籠 その中の一つ高桐院は利休門下の細川忠興が細川家の菩提寺として建立されました(1601)。忠興の妻は珠(たま)、父:光秀は信長を討ち(「本能寺の変」)、自らも亡びます。その娘として隠遁生活を送っていたが覇権を制した秀吉の取りなしで世間に復帰します。禅宗に帰依していたが、密かにカソリックに改宗、ガラシャ(Gratia)の洗礼名を得ます。忠興は家康に従い上杉征伐に出陣、西軍の三成は大坂に残るガラシャを人質に取ろうとしたが、ガラシャは拒絶して自刃します。利休が愛用した「天下一」と称する石灯籠があり、利休切腹の折、遺品として忠興に贈られました。これが忠興と珠、ガラシャの墓となっています。
京街道光善寺辺り
 その日は姉夫婦の家に泊めてもらい、上の姉も参加して兄姉弟4人の同窓会となり、皆さん自分の知識を披露します。枚方(ひらかた)のこの辺り、淀川東岸を「京街道」と呼ばれる京大坂の往還道が通っています。古くは『土佐日記』で、赴任を終えた貫之が淀川を京に向かって遡上中、この辺りに「渚の院」を眺めながら通り過ぎる場面があるそうです。『太平記』では湊川に向かう正成を対岸の桜井駅で待つために正行(まさつら)が淀川を渡河したのはもう少し北か…、「本能寺の変」の後、光秀と秀吉は対岸の山崎天王山で戦い、筒井順慶はこの合戦の趨勢を傍観したという、日和見主義の代名詞として用いられる「洞ヶ峠」も此処から遠くはありません。

 極めつけは、茶屋四郎が家康の堺遊覧無事終了を信長に報告すべく京へ向かったが、信長の凶報を確認、急ぎ堺へ帰る途中、この辺りで家康一行と遭遇、事態は急変、家康の逃避行・脱出劇が始まります。家康が何故「京街道」を京へ向かっていたのか…、どのルートを辿って、伊賀(「伊賀越え」)・伊勢に至り、舟で三河に辿り着いたのか大いに興味のあるところです。

 時間はあってもお金のないのが今の私、初めて夜行バスに挑戦しました。問題はトイレ、如何にトイレ付きといえども初体験、やっぱり不安です。「あったらいいな、を形にする」〇〇製薬の夜間尿・頻尿の薬を服用したお陰か…、トイレに立つこともなく京都に着きました。帰りのバスは23時発、それまで、夜の京都の繁華街、どうやって時間をつぶすのですか?もちろん、新幹線で帰りました。
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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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