June 04, 2016

鎌倉新仏教(1) 時衆

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 奈良時代、「南都六宗」と呼ばれた仏教は「鎮護国家」の論理の下、各地に国分寺を建造、律令制強化の手段でした。仏教が定着してくると、実は日本の神々も元を正せば仏であり、仏が「権化」して神となったとする「本地垂迹説」が現れ、さらに盛んにった聖武天皇の時代、唐から鑑真を招き唐招提寺を建立することになります。次第に勢力拡大、政治ににも口を挟む「南都六宗」の拡大を嫌って桓武天皇は平安京に遷都、空海及び最澄を中国に留学させて密教を学ばせました。最澄は比叡山に天台宗を、空海は高野山に真言宗を興し、旧仏教勢力と対抗させたのです。

 古代律令体制は既に崩壊、摂関政治の下に荘園制が進み、平安後期に入ると、天台浄土教の興隆は摂関政治の確立にもつながったということになります。宇治平等院鳳凰堂に代表されるように、阿弥陀を信仰して極楽浄土へ往生することを目的とし、「穢れ」を忌避する伝統的な土着神祇信仰を巧みに取り込んで、浄土信仰は高まっていきます。

 平安の末期になると、「末法思想」が広く信じられ、貴族政治という一つの時代そのものが崩れ落ちていく終末感に加え、大地震・水害・干ばつなの天変地異、疫病や飢饉、大火災や度重なる戦乱で社会は騒然となり、人々の生死に対する問いかけに、閉塞した旧仏教勢力(「南都六宗」及び叡山・高野山)からは何の答えも得ることが出来ませんでした。

160620一遍上人 仏教学を修めた法然(1133-1212)は比叡山を降り、末法の世に生まれた悪人・俗人・凡夫も、それまでは不浄とされた女性さえも、一心に念仏を唱えさえすれば極楽浄土へ往生出来ると説いた。庶民には難解な密教の呪術性を徹底的に排除、国家権力(鎮護国家・貴族)の為のという旧来の仏教から決別して、個人の救済に専念したのです。従来、天台浄土教を信仰していた貴族・武士だけでなく、一般民衆にも急速に広がりました。文字を読めない、況んや難解な仏典を理解できない多くの庶民に対して、「ナムアミダブツ」と念仏さえ唱えれば…、あるいは「座禅」を組むだけで…、「念仏踊り」に身を委ねるだけで…、往生できると説いた鎌倉新仏教と呼ばれる浄土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗、時衆(宗)が誕生しました。当然、旧仏教勢力はこれを庇護する国家権力を動員して法然を徹底的に迫害・弾圧します。

 法然に始まる浄土宗は、彼の弟子、親鸞(1173-1263)に引き継がれてその革命性をさらに先鋭化、後の室町時代、蓮如(1414-1499)の時、ひたむき(純粋)に念仏を唱えて阿弥陀仏を信仰したとして、「一向宗」と呼ばれ、北陸・近畿・東海地方に興隆します。生活共同体(惣)であると同時に宗教共同体(講)、室町から戦国時代にかけて、各地で新しい村落自治共同体が出現することになります。

 鎌倉時代末期になると、行基(668-749)そして空也(903-972)の系譜を引く、法然の孫弟子になる、一遍(1239-1289 時衆(宗))が現れます。貴賤を問わず、阿弥陀仏への信不信は問わず、如何に穢れていようと、念仏を唱えさえすれば往生できると説いた。すべてを捨て、遊行によって、人々の心に大きな希望をもたらしました。人々の心の底から湧きあがる歓喜は、彼らの体を揺り動かして恍惚没我=トランス状態に導き、神(仏)と交信するシャーマンと化す、「踊り念仏」に至ります。

 室町期、この時衆(宗)に関係すると思われる「阿弥」号を持った芸能家・芸術家が現れます。猿楽能の大成者であり「風姿花伝」の著者:観阿弥・ 世阿弥父子を始め、竜安寺の石庭を造った相阿弥など、後の安土桃山時代、茶の湯を大成した千利休の祖父は千阿弥を号しました。彼らは「阿弥衆」あるいは「同朋衆」と呼ばれ、日本文化の多くの部分は彼らが大成したと言えるでしょう。こうして室町時代、時宗は全盛期を迎えますが、多数の念仏行者を率いて順調な遊行するには幕府・大名の庇護が必要となり、権力への接近が、逆に民衆の離反につながり、次第に勢力を弱め、浄土真宗や曹洞宗に吸収されていきます。

 去年出来たことが今年は出来ない、風邪を引いても、今まで1〜2日で治っていたものが3週間もかかったり、それも、若い頃のように100%元の状態に戻るのではなく、60〜70%しか戻らないのです。こうして、徐々に年をとって、死んでいくのでしょう。今まで漠然としていた死が、阪神大震災・東日本大震災そして最近の熊本大震災を経て、確実に迫ってきているのに気付く機会が多くなってきたように思われます。こういう訳でもないでしょうか…、最近、仏教に接近する自分に気付くのです。

 5年前、自転車で知り合った友人:Hさんに初めて連れて行ってもらったのですが…、先日、久しぶりに自転車で藤沢の時衆総本山:「遊行寺(正式名:藤澤山無量光院清浄光寺)」を再訪したのもこんな思いがあったからでしょう。案の定…、かろうじて藤沢に辿り着きましたが、さらに江ノ島までは到底無理、「去年出来たことが、今年は出来ない」を証明してしまいました。

 日本仏教各宗派の総本山・本山の多くは京都・奈良など近畿地方に多く見られるのですが、時衆の総本山はこの藤沢にあるのが少々不思議です。それだけでなく、あの国定忠治の子分、板割淺太郎の墓所、小栗判官と照手姫の墓所(?)や熊野詣の資料、六波羅蜜寺の空也像のレプリカ(?)、教科書で見る後醍醐天皇の肖像画、もちろん国宝:「一遍聖絵巻」など、遊行僧が全国を歩いて集めたであろう品々が「宝物館」に収納されています。「盆踊り」の起源は「念仏踊り」と聞きます。機会があれば、「時衆」を軸に芸能文化の歴史を探っていきたいと思います。
※参考:野間宏・沖浦和光「日本の聖と賎: 中世篇 」 桜井哲夫「一遍と時衆の謎 」 梓澤要「捨ててこそ 空也
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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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