January 11, 2015

一年の計?

このエントリーをはてなブックマークに追加
早朝の神明神社

 一年の計? 今まで実行出来た例がなく、考えることすら時間のムダです。

 昨年は「官兵衛」に始まり「利休」、友人の住む伊賀上野は「芭蕉」生誕の地、話を合わせるためにも、「芭蕉」を勉強しなければなりません。そこで知り合った友人のまた友人に連れられ、箱根峠を東西から挑戦しました。元ワンゲルの「スジがいい」の一言に乗せられてトレッキングシューズを買ってしまいました。

面白いと思ったのは…、箱根から碓氷に至る山塊の東に「一所懸命」と「名こそ惜しけれ」、極めて合理的な論理とその行動を支える倫理観を備えた、牧場開拓者:独立自営農民:「武士」が誕生、後に鎌倉幕府という半独立国家が誕生したのは日本史上の奇跡ですが、その後の歴史の中で、この精神性が出現するのは、関東ではなくて、遠く離れた…よりによってと言うか、利に敏い上方:摂津(今日の大阪・神戸)に近い播磨国だったというのは興味深いことです。母里友信を歌った「黒田節」の真偽はともかく、黒田官兵衛、大阪夏の陣(1614)の後藤又兵衛の去就はその後も日本人男性の理想像とされ、もうひとつ、安土・桃山から引き継がれ元禄文化として開花する上方町人文化、その中で武士階級衰退の歯止めの作用を果たすことになる、「赤穂浪士事件」は明治維新の到来を遅らせた可能性があり、その後の歴史に大きな影響を与えました。例えば、「桜田門外の変(1860)」、雪の朝、その情景がそっくりじゃないですか…。現に、浪士は「赤穂浪士事件」を参考に襲撃を計画、実際の事件は登城途中を襲撃したのですが、事件後、当時の幕府は井伊彦根藩による復讐、水戸藩襲撃を警戒したのです。

 利休はキリスト教信者だったのか? 堺という町はイタリアのフィレンツェ、ベニスのような町で、利休はキリスト教信者だけではなく、ルネサンスの影響があったのでは?歌会でふるまわれた茶が発展したのが茶の世界、利休は芸術家ではあったが、どうも彼が創りだしたものは何もないのでは…?彼は鑑賞眼を芸術までに高めただけではないのしょうか?

 伊賀上野が生誕地であるが故か…、芭蕉という人間が面白そうです。利休・芭蕉のどちらも僧形、禅宗を学んでいますが、この鎌倉時代に入った禅宗というのがどうも曲者のように思えます。俳句など文芸には全く興味がないのですが、人間:芭蕉には興味があります。友人の奥さんは生まれも育ちも伊賀上野、愛着を込めて「芭蕉さん」と呼ぶそうです。これに同じく、好々爺のイメージを持っていたのですが、実は全くちがった芭蕉像があることを知って驚き、このほうがより人間臭いと好感を持った次第です。彼はかなり「やばい」人間のようです。元禄7年(1694)芭蕉が51歳で没して8年後、「赤穂浪士事件」が発生します。
MERRELL Moab GoreTex
 たぶん、今年もダメでしょうが、トレッキングシューズも買ったことですし…、少しでも、彼等の跡を辿りたいものです。

Momo holding sign board-HKX Radio※今までの曲は左サイド、Music Player でお聴きになれます。 
Your Support, Please. ▼ ボタンを押して下さい。このサイトの順位がわかります。にほんブログ村 歴史ブログ 諸文化の歴史へ にほんブログ村 音楽ブログ カントリーミュージックへ 

express01 at 11:18│Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック History_Japan | Travel

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
Profile

ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

Back Issues At A Glance
Comments
ISAO's Bookshelf
人気ブログ ランキング
NINJA
Search