August 30, 2014

箱根の山は天下の嶮

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 アフリカ大陸の東岸を離れて北上したインドは、4千万年前、ユーラシア大陸に衝突、現在のインド亜大陸になり、その北側には衝突で出来上がった幾重にも刻まれた深い皺(しわ)、大きな隆起:ヒマラヤ山脈が誕生しました。〜箱根の山は天下の嶮 函谷關も ものならず〜とは、その函谷關に行ったことがないので判りませんが…、箱根が難所要害の地であることには間違いなく、その南に位置する伊豆半島は地質学的、動植物学的にも他地域とは大いに異なっているそうです。遠く、太平洋の沖合、現在の八丈島・三宅島等(伊豆諸島 余談ながら、今は東京都)の位置に在った伊豆は火山島でした。フィリッピン海プレートに在った伊豆を含む火山島・海底火山は北に向かって移動、60万年前についに本州に衝突、現在の伊豆半島になり、その北側に大きな隆起:箱根が出来上がったのです。フィリッピン海プレートは伊豆半島を北端にユーラシアプレートの下に潜り込んでいきます。かつて、ウェーゲナーの「大陸移動説」のファンだった私は、箱根・伊豆半島にヒマラヤ山脈・インド亜大陸誕生と同じ現象が発生したのを知って驚いてしまいました。伊豆半島から途切れることのない箱根は、さらに北上して丹沢・秩父そして碓氷峠につながる大きな山塊を形成しました。

 地球の歴史のほんの一幕、大陸が移動した時代からすればほとんど現在と同じ、たかだか14百年前、百済滅亡(660)と白村江の戦の敗北(663)で唐・新羅による侵攻の危機に直面した大和朝廷:天智天皇は律令制を本格化します。「五畿七道」とは律令制下における地方行政区分ですが、その内の一つ:東海道は機内の東:伊賀国(三重県)から本州太平洋岸に沿って常陸国(茨城県)に至る諸国で、それぞれの国府は行政区と同じ名の幹線官道:東海道で結ばれていました。680年、駿河国より分離されて伊豆国が誕生、駿河国沼津から足柄峠を越え、相模国関本に至る「足柄路」が取られていたが、平安時代初期の富士山の噴火(貞観大噴火 864-866)によって通行不能となり、代替として、三島から箱根を縦貫する「箱根路」が開かれることになりました。

旧東海道西坂 律令制下において、伊豆諸島は隠岐・佐渡・鬼界ヶ島と並んで辺境の島、その入り口である伊豆半島も遠流(おんる)の地でした。「平治の乱(1159)」で清盛に敗れた頼朝は伊豆国蛭ヶ小島に流されます。伊豆半島〜箱根(箱根関・足柄関)〜丹沢・秩父〜碓氷(碓氷関)に至る山塊の東、「坂の東」=「坂東」に在る、新田・馬牧場の開墾・開発して、「一所懸命」という単純明快な論理と「名こそ惜しけれ」という精神と表裏一体して、実力をつけた牧場主のような彼等は、都の貴種:頼朝を征夷大将軍には担ぎ上げて鎌倉幕府を開きます。鎌倉幕府は険しいが距離の短い「箱根路」の開発を進め、鎌倉と京都を結ぶ最重要道路、鎌倉街道上の道と位置付けて整備しました。

 時代はさらに下って、江戸幕府(徳川家康)は沿道松並木や一里塚を整備(1603)、日本橋から三条大橋に至る「東海道五十三次」を設けたのですが、「箱根路」の雨水による泥濘に旅人は難渋しました。幕末の1860年、孝明天皇の妹:和宮が十四代将軍:徳川家茂に降嫁が決まり、嫁入りに備えて石畳の大補修がなされましたが、実際の花嫁行列は、東海道ではなく、中仙道が使われることになりました。

一里塚 その難所要害の「箱根路」に挑戦してきました。一人では不安…、と友人の友人:Akiraさんに付き合ってもらい、まずは7月、始発のバスで町田まで、小田急に乗り換え小田原に着いたのが7時過ぎ、その彼と待ち合わせますがJRへの接続に失敗、次の列車で三島へ向かいました。三島駅前のコンビニを出発したのが08:30で既に太陽の位置は高く炎天下、もちろん休憩も入れて6時間/17.4kmを歩いて芦ノ湖まで、峠を越えて箱根湯本まではたどり着けませんでした。1か月後の今週、同じ二人で今回は東坂、JR小田原駅を07:30出発、前回ほど暑くもありません。箱根湯本を過ぎて本格的な山道は前回の西坂よりも急峻で息も荒くなり、4時間半/12km、旗宿で昼食となりました。156年前に補修された石畳道の多くは、雨で沢となり、石の回りの土が流されてしまい、今や苔むした石が障害物として散乱、うっかりすると滑って捻挫、駿河国(静岡県)西坂に比べると相模国(神奈川県)東坂の遊歩道としての整備はお粗末です。当時いくら石畳が補修されていたにせよ、この道を乗馬で越したとは考えにくく、江戸を目指す新政府軍は、あくまでも馬をひいて、前で大砲・荷馬車を引っ張り、後ろから押す、人海戦術で峠を越したのではないでしょうか。

 幕末、若き英国人外交官:アーネスト・サトウも京からの帰路この箱根坂を歩いており、その印象を書き残しています(「一外交官の見た明治維新〈上〉 (岩波文庫) 」。156年前に補修された西坂の石畳を、紀元前後の「ローマの道」:アッピア街道と比較されると唖然として脚も萎えてしましますが、気を取り直して、元ワンゲルの彼についてここまで来ることが出来たことに満足することにしましょう。

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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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