November 2018

November 23, 2018

映画『ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody)』

Bohemian Rhapsody 自分で漬けた「日野菜漬け」を送ってくれた彼は、「食」に対してだけでなく、音楽・映画にも強いこだわりがあります。私の様に、BS放送で古い映画の再放送の録画すれば、15分おきに画面の左下1/4に現れる現れる受信料云々のお知らせを気にしないで映画を楽しんでいるだけとは大いに異なります。彼は京都市北区在住、市内には「京都シネマ」、最近は「出町座」という新しい映画館が出来た由にて、各地のシネコンで公開されるメジャーな作品だけでなく、マイナーな(「コア」な」)作品を観ている彼が、私に観るように薦めてきたのが『ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody)』でした。

 私の音楽の好みは「カントリーぽぃロック」で、クィーン (Queen)のデビューが1973年。73年と云えば、私の好みの極めつけ、イーグズ(The Eagles)の『ならず者(Desperado)』がヒット、その時期、イーグルズ以外に感心が移るはずもなく、クィーンというバンド名は知っていても、その彼等ががどんな曲を歌ってヒットしているのかを知るはずもありません。

 今回も、彼の事だから…と、「コアな」、「ツウ好み」で上映館も限られているものと勝手に思い込んでいましたが、ネットを検索すると、全国各地のシネコンで上映されています。ついでに彼等の曲を聴いてみると、多くの曲を知っているではありませんか、私でも知っているとは…、恥ずかしい話しですが、これらのヒット曲がクィーンの曲であるのを始めて知りました。
         
 クィーンのリード・ボーカリスト、フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury 1946 - 1991)は、映画ではパキスタンで生まれ、父親は英植民地政府の会計士で、ペルシャ系インド人、ゾロアスター教徒でしたが、Wikiによると、当時英領タンザニア、ザンジバル島に生まれ、父親の仕事のつながりでイングランドに移住したと云う。この頃、彼等にとって乗り越えるべき存在であったビートルやストーンズ始め、多くのロック・アーティストは概ねハイスクールを出ただけの、言わば不良音楽少年上がりでしたが、彼は専門学校で美術・グラフィック・アートを学び、彼が参加するバンド、スマイルのメンバーは何れも、歯科医学・天文学を学ぶ大学生です。映画のタイトルにもなっている『ボヘミアン・ラプソディ』を筆頭に、彼等が高学歴故か、曲の多くにクラッシク音楽(?)の要素が見られます。フレディの父親がペルシア系インド人、ゾロアスター教徒であったことも影響したのでは…。

 これが私のあまり好きではない理由の一つなのですが…、ある時はフリルネック・リザードのような、ある時はマッチョなタンクトップ姿等、フレディのステージ衣装、ステージ(舞台)造りは独創的でした。彼等の音楽そのものよりも、フレディの格好を毛嫌いしていたのです。アルバイト先の仲間で、昔小学生の頃(?)、このクィーンの大ファンだったご主人と一緒にこの映画を観に行った人がおられます。当時、クィーンは「変態バンド」と呼ばれ学校内でも白い目で見られたそうです。振り返ってみると、英米を除いて、日本において、クィーンはダントツの人気、「変態」と呼ばれながらもです。私にとっては、クィーンもキッス(Kiss)も、ほとんど同じ括りのバンドでしたが…。

 フレディの事にあまり興味がなかったのですが、映画を観て…、やはり彼は両性・同性愛者だったということです。当時からこの病気と同性愛との因果関係が疑われていましたが、1991年、彼はエイズ(HIV)が原因で亡くなります。あのマッチョなタンクトップとタイツ姿、世間的で云う「変態」ないでたちは、その種の人達に特徴的なものに映りました。

 フレディが両性・同性愛者であることは、今の段階の私には理解しがたいのですが、彼の、あるいは、クィーンの音楽は素晴らしいの一言です。戦国時代の武将、例えば信長も、元禄時代の芭蕉も、近くは、三島由紀夫も実は両性・同性愛者であったと云われています。その人の才能・能力とその人が両性・同性愛者であることが明らかになって低められることはありません。従来、その種の人間は一般社会(異性愛=正常)から軽蔑され、日陰者(「性的マイノリティ」と否定的・限定的)扱いされて来ましたが、近年、「LGBT(Lesbian 女性同性愛者, Gay 男性同性愛者, Bisexual 両性愛者, Transgender トランスジェンダー)」が肯定的に使われることが多くなり、そんな中での映画公開となりました。今の私には、まだ理解しがたい、と云うのが正直なところです。しばらくすれば、陽が当たるようになるのかも知れません。

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express01 at 14:31|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote Movie | Music

November 07, 2018

2018年関西の旅<2> 近江鉄道

 その日は一日かけて近江鉄道沿線の古い木造の駅舎を訪ねるのが目的でした。しかし、朝起きるのが遅くなり、出発もずるずると遅くなってしまいました。JR京都駅に着いたが10時頃か、これでは近江鉄道の始発の駅、米原に着くのが昼前になってしまいます。これでは終着駅、貴生川駅での友人との待ち合わせ時刻16時までわずか4時間しかありません。米原,泙嚢圓ず、一つ手前の彦根駅△ら近江鉄道の旅を開始しました。これで、予定していた本命の一つ、鳥居本駅舎をはずすことになりました。
181107近江鉄道
 近江鉄道の一日乗車券を買って、やおら時刻表を見ると、地方なので当たり前と云えば当たり前なのですが、1時間に1本の運転しかありません。彦根口駅で降りたのは間違いないのですが、 その駅舎の姿さえ憶えていません。私の勘違いかも知れませんが、写真を撮っていないところから見ると、少なくとも期待した木造駅舎はなく、駅周辺にもこれと云ったものもおらず、次の電車が来るまでの1時間をどう過ごすか途方に暮れてしまいました。

 他にすることもなく、沿線に関する知識をいくつかご披露しましょう。現在も交通の要衝である湖東地方、かつては北陸道・東山道(近世の中仙道)・東海道の三道の結節点であり、歴史の舞台でした。

 すでに鎌倉が新田義貞軍に滅ぼされた(1333年5月8日)のも知らず、京を落ちて鎌倉を目指す六波羅探題、北条仲時軍は近江国番場宿蓮花寺(現在の米原市 砲肪り着くも、前を佐々木道誉の軍勢に阻まれて万事休す。仲時は一族432人と共にここで自刃しました(5月9日)。哀れです。

 次の尼子駅ざ瓩、近江国犬上郡藤堂村には、戦国時代、藤堂高虎(1556-1630)が生まれています。信長・秀吉そして家康に仕え、外様ながら伊勢・伊賀国を支配しました。旅の目的地はこの伊賀上野ですが、近江にも甲賀があり、両者は間の山を県境に隣接しており、共に忍者の里として知られています。面白いことに、戦国期の伊賀国と甲賀では、守護大名(甲賀の六角氏)の支配は緩く非常に限定的で、「惣」と呼ばれる連合体が形成されるほどに、地侍(小領主)に依る自治がなされていました。 余談ついでに、小松左京の「敦賀・加賀・滋賀・多賀・甲賀・伊賀の「賀」の連なり…」を渡来文化に関する著作の中で読んだ記憶がありますが、湖東は大陸から伝わった文化が大和国地方へと広がる幹線ルートであったことは間違いありません。

 次ぎに立ち寄ったのが五箇荘駅ァ4儻客向けに、それらしい装いの駅舎ですが、絵に描いてみようという気持ちにはなりません。当地は近江商人発祥の地。西武グループの創業者:堤康次郎(1889 - 1964)も、一つ手前の愛知川駅の在る愛荘町で生まれました。私の乗る近江鉄道も西武グループの一員で、鉄道車両は西武鉄道のお下がり、県南部を走る近江鉄道の路線バスにも関東を走る西武バスのカラリングが施されて、関東に住む私は不思議な感覚に陥ります。本当かどうか知りませんが、滋賀県で一番人気のプロ野球チームは「西武ライオンズ」だそうです。

 街並みが保存されているようなのですが、そこまで歩いて往復するだけで1時間は必要、街並みを見て回るとなると…、次に乗る電車は2時間後になってしまいます。周辺を廻っただけで駅舎に戻ります。誰もいない駅舎で、一人、作戦の練り直しです。次はレトロな駅舎の新八日市駅、メンソレータムの近江兄弟社で有名な近江八幡駅を予定していたのですが、これだけでも一日は必要と理解して、今回は断念することにしました。まだ一枚の絵も描けず、時間だけが過ぎていきます。 …と、駅に置いてあるパンフレットに『厳選!近江鉄道本線こだわり旅』とあり、見所の一つに、私が予定していた桜川駅Гあります。

 八日市駅Δ乃生川行きに乗り換え、いくつか駅を過ぎ、桜川駅Г嚢濕屬靴泙靴拭2りを散策など…の余裕もなく、次の電車が来るまでの1時間、スケッチに没頭しました。陽が落ちるのも早く、影が長く感じられます。貴生川で畑を借りている友人から電話の一報、「今、何処?」、畑作業は間もなく終わるそうで、予定を変更して、貴生川より手前の水口駅で拾ってもらうことになりました。
181104_近江鉄道桜川駅駅舎_2
  予定していた日野駅┐蘯崛襪ら見るだけに終わりました。もう一つの近江商人、日野商人の拠点、蒲生郡日野町です。戦国時代、蒲生氏郷(1556 - 1595)が生まれた地でもあり、何故か…、彼に愛着を感じています。2012年、会津若松に旅行し、街中に偶然、氏郷のお墓を発見(興徳寺 遺髪のみ)して感激したことがあります。千利休の一番弟子で、千利休切腹後は彼の息子を会津若松に招いて千家存続、茶道発展に尽くしました。彼は名護屋布陣中に病死、京都大徳寺にある黄梅院に葬られています。彼は熱心なキリシタンでしたが、彼の死後、会津地方でキリスト教がどうなったのか大いに興味があります。

181107_日野菜 水口駅で降車、陽は西に傾き、駅舎の長い影に見入っていると、友人の車がやって来ました。私とは大いに異なり、彼には「食」に対するこだわりがあります。その一つが「京野菜を使った漬け物」です。先ほどの日野、此処が原産かどうかは知りませんが、「日野菜(ひのな)」というカブの一種の漬け物です。近江国が発祥、「千枚漬け」と並ぶ京漬け物の一つです。

 旅行から帰ると、約束通り、彼が自分で漬けた「日野菜漬け」が届いています。さすがに…、こだわりの彼が漬けた「日野菜漬け」、上品なおいしさで、ごはんが進みます。どうも、おおきに!また、よろしくお願いします。

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express01 at 15:33|PermalinkComments(2) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote Travel | Drawing
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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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