May 2018

May 29, 2018

伊豆韮山へ小旅行 その1

 若い頃は、自分の好きなことに熱中している時、 あるいは、仕事が順調に推移している時には、「えーっ、もうこんな時間か…」などと思ったものですが、この歳になると、別に何の充実感も達成感も伴わなくても、時間だけがあっという間に過ぎ去って行きます。東京都内はもちろんのこと、町田駅周辺の繁華街にもほとんど出たことがありません。加えて、最近のテレビは全く面白くなく、ひな壇に並んだお笑いタレントがクイズ形式の質問に答えるという、何処のチャンネルを開けても同じような番組で、全く面白くありません。街中にも出ず、テレビも見ない。これでは世の中の動きから取り残されるのは必至です。

 幾度となく登場しているのですが、近くにある桜美林大学の学生を顧客に目論んだMACがあります。朝の早い時間は一杯百円のコーヒーを求めて私の様な年寄りが散歩がてらにやって来ます。フリーWiFiを使えるからかも知れませんが、毎回ほとんど同じ顔ぶれです。ある日の午後、MACで友人と会うことになったのですが、早朝と違い、店内は若い学生が多く、注文のカウンターに並ぶ彼等はやおらスマホを取り出して注文を終了しています。「おサイフケータイ」というやつか…と思っていたのですが、どうも支払いだけでなく、MAC会員のメンバーだけのポイントが付与され、獲得したポイントは次回の決済時に使うことが出来るのではないでしょうか…、複数の友人に尋ねますが、私の友人にはその詳細を知る人はいません。 もう一つ、町田の中心地に出るにはバスに乗らざるを得ないのですが、その運賃は現金で290円、これを「PASMO」で支払うとIC運賃288円、2円(0.68%)安くなります。新入社員の頃から長らく付き合ってきた都市銀行ですが、付き合いが長いだけでメリットは全くありませんでした。高額の残高もなく、今さら融資を受ける計画もなく、年金・アルバイト収入の入金先ということで団地内のゆうちょ銀行(ゆうちょダイレクト)に口座を作りました。日常生活を送るには近くのATMとオンラインで管理できれば十分です。事程左様に、IT(最近では「IOT」が使われているようです)・ネット社会の進展が加速しており、「仮想通貨」などは今の私には想像すら不可能ですが…、例えば、交通機関の「ICカード・キャッシュレス化」は実感しています。

 今年は「明治150年」ということで、受講している市民大学講座「町田の歴史」もそれにまつわる内容です。不勉強で恥ずかしいのですが、その話の中に江川英龍(担庵 1801-1855)という人物が登場します。世界遺産、韮山反射炉は彼の献策によるもので、幕府の代官を務める幕臣であり、その支配地は伊豆・駿河・甲斐・相模・武蔵(多摩川以西)に及んだそうです。幕末の多摩に大きな影響を果たしたであろう江川英龍は次回以降の講義にも登場するはずです。遅ればせながら彼のことを勉強しよう、というのがきっかけで、急遽、伊豆韮山への小旅行となりました。

熱海・三島・伊豆長岡

 朝6時過ぎ発のバスに乗って町田へ、小田急線急行に乗り換えて小田原に到着、JR東日本の東海道線に乗り換えます。此処まではICカード「PASMO」一枚で自動改札を通過、乗り込んだ電車は西へ走りますが熱海駅止まりです。しかし、当然のことながら、線路(東海道線)は熱海駅で途切れることなくさらに西へ続いています。熱海駅以西はJR東海、沼津・静岡方面行きに乗り換え西進、伊豆箱根の山塊をくりぬく丹那トンネル(7.8km)を抜けて静岡県(駿河国)へ、三島駅で下車、連絡改札のむこうで待つ伊豆箱根鉄道の電車に乗り込もうと自動改札にかざすと「X(バツ)」。伊豆箱根鉄道駅員曰く「一端JRを出て、切符を買って乗って下さい」、JR自動改札を通さず(PASMO不可)駅員に精算してもらい駅舎を一端出て、新たに伊豆箱根鉄道駅で切符を買って入場(PASMO不可)、まだ停車したままの先ほどの電車に乗り込み南下、伊豆長岡に到着したのは9時過ぎでした。ご理解頂きましたでしょうか?

 まだ現役で出張の機会が多いその友人は、出張先の大阪でもJR東日本の「SUICA(PASMOと互換性)」を使うことが出来るので、JR東海の「TOICA」と互換性があるはずと云います。同じ線路(東海道線)を走るJR東日本は熱海駅までがその管轄、熱海駅以西はJR東海の管轄、ということで一つにはさらに西に行く場合は熱海で電車を乗り換えなければならない。二つ目には発駅と着駅が同じ管轄内であればどのカードでも使えるが、発駅がJR東日本で着駅がJR東海と、発駅・着駅が管轄を跨ぐ場合には使えない、精算が必要ということです。加えて、三島駅でのJR東海と伊豆箱根鉄道との連絡自動改札、あれはJR東海の「TOICA」とJR東海内の精算機で精算を終えた人のみが通ることが出来るもののようで、よそ者にはバーミューダ・トライアングルです。

 伊豆長岡駅前のバス停の時刻表を見ると、小一時間は待たなくてはならず、レンタ・サイクルを借りてみようかとも思いましたが、商売っ気がなさそうなので、やめました。しばらくは乗り物はやめて徒歩で行こう、と向かったのが韮山反射炉です。

  今回はこれぐらいで終わりにしましょう。帰路、 三島駅だったでしょうか?駅の自動販売機に「PASMO」をかざすと…、ゴロンとボトルが出て来たのは感激でした。

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May 19, 2018

この曲<19> "There Is No Arizona"

180523_Arizona on Billboard
 ※WELCOMEの「O」が抜けていました。ごめんなさい。
現代、それとも西部劇の時代なの? ミュージックビデオは思い切り現代なのに、歌の内容は古風です。絵はがきの消印はアリゾナ州、トゥーム・ストーン、映画「OK牧場の決闘」は此処が舞台です。彼女をおいて去って行った男からのよい知らせを待つ女の姿はどこか古風です。1880年代始め、アメリカ陸軍の鉱山技師、エド・シフェリン(Ed Schieffelin)はアリゾナの荒野を貴重鉱石を探し求めて旅をしていました。近くの鉱山で三人がインディアンに殺される事件があったことを受け、「この辺で見つけられる石はお前の墓石ぐらいなものさ」と、友人からからかわれていました。その彼がついに銀鉱石を発見、その所有権・鉱山採掘権を宣言するに際して、その土地を仮に「トゥーム・ストーン(Tomb Stone 墓石)」と名付けたのです。その後トゥーム・ストーンは銀鉱山の町として急激に発展、新しく誕生したコチセ郡(Cochise County)の郡庁所在地にもなりました。しかしこれが絶頂、元来、砂漠地帯で水が不足、急激な人口増加もあって、二度の大火をきっかけに街は凋落の一途を辿り、1880年代中頃には、銀鉱は掘り尽くされ、ついにゴーストタウンとなってしまいました。今や年間45万人が訪れる一大観光地です。

 いつもとは少し違うメロディライン、歌の内容も男にだまされた女性の話で、少し古風に感じてしまいます。トゥーム・ストーンの消印…、墓石の…、既に死んでしまった彼と一緒に見た夢を追いかけていたのかも、…ふと思ってしまいました。

 ジェイミー・オニール(Jamie O'Neal)はオーストラリアのカントリー・シンガー・ソングライター。「There Is No Arizona」は彼女の2001年のヒット曲です。なかなか良い曲でしょう?


"There Is No Arizona"

彼はアリゾナでの新しい、ましな生活を約束した
永遠の青空の下で、迎える準備が出来たら連絡すると誓った
彼女を後に出て行ってしまった時には、思いもよらなかった

アリゾナなんてない
ペインテッド・デザートも、セドナもありはしない
もし、グランド・キャニオンがあるのなら
彼が言った嘘で満たすことができた
しかし、彼の言ったそんな夢はありはしない
彼女は夢から覚めて
アリゾナなんてないことに気付くだろう

差出人住所のない、ただトゥーム・ストーンの消印があるハガキ
「次に何処に行くかはわからない、そうする時はまた知らせる」
五月、六月、七月、何故待ち続けるのかわからない。

アリゾナなんてない
ペインテッド・デザートも、セドナもありはしない
もし、グランド・キャニオンがあるのなら
彼が言った嘘で満たすことができた
しかし、彼の言ったそんな夢はありはしない
彼女は夢から覚めて
アリゾナなんてないことに気付くだろう

来る日も太陽は西に沈み
彼女の心も深く沈む 
いつ彼を追いかけていくのかと友達は聞く
終いには言ったの あんたたちは知らない

アリゾナなんてない
ペインテッド・デザートも、セドナもありはしない
もし、グランド・キャニオンがあるのなら
彼が言った嘘で満たすことができた
しかし、彼の言ったそんな夢はありはしない
彼女は夢から覚めて
アリゾナなんてないことに気付くだろう

彼はアリゾナでの新しい、ましな生活を約束した

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express01 at 18:51|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Music 

May 07, 2018

この曲<18> レナウン"ワンサカ娘"

 最近、特に高齢者向けの広告が目立つ新聞ですが、私の目をとらえたのがこれです。
シルビィ・バルタン広告
『シルビィ・バルタン 〜最後の来日コンサート〜』、特に「最後の…」の言葉には何故か現実味みを感じさせます。シルビィ・バルタンは1944年生まれ、今年73歳、「最後の来日コンサート」と形容されるのも致し方ないことですが、彼女の大ヒット曲と言えば『アイドルを探せ La plus belle pour aller danse (1964)』でした。当時、私は中学生で、洋楽に夢中、ラジオからこの曲が流れてていたのを覚えています。時代は東京オリンピック前後、高度成長の時代、一般家庭にもテレビが普及していました。彼女の姿をブラウン管に観て、この世にこんな綺麗な人がいるのかと思ったのは、私がまだ少年だったから(?)かも知れません。当時彼女はまだ二十歳、もちろん綺麗なのですが、愛嬌の乏しい、笑みの少ない、少し冷たい感じに見えたのは私だけではなかったようです。子供心に合点したその理由は、歯並びが悪くて、それを隠すために出来るだけ唇を開かない、笑わないということでしたが、その真偽のほどはわかりません。
 一方、1960年代、「みゆき族」とともに成長したVANジャケットに並んで、レナウン(Renown)という会社がファッションだけでなく、そのTVCMが、サントリー、雑誌『平凡パンチ』と並んで、当時の若者文化を引っ張っていく役割を果たしました。弘田三枝子の歌う、小林亜星の出世作、yeye64『ワンサカ娘』のレナウン・プロモーションは国際的に高い評価を受け、これに勢いづいて、次にシルビー・バルタンを起用、彼女の日本語で歌う『ワンサカ娘』がさらなるヒットとなります。振り返ってみれば、弘田三枝子・シルビー・バルタンの歌う『ワンサカ娘』がTVCMで流れていた時代が「レナウン(Renown)」ブランドの絶頂で、その後は徐々に凋落、2013年、ついに中国資本、山東如意グループの傘下に入ってしまいました。シルビー・バルタン二人の消息は、少なくとも私にとって、はたと途絶えてしまいました

 我々のバンド、The K.A.Y.A. Bandは主にエバリィ・ ブラザーズ(The Everly Brothers)、クリーデンス・クリアウォター・リバイバル(CCR)、イーグルズ(The Eagles)の曲をやっていますが、一曲だけ日本語の曲が入っています。一曲とはこの『ワンサカ娘』、TVコマーシャルを目的に作られたので曲が短くあっという間に終わってしまうので、『ワンサカ娘』の前(イントロ)・1番と2番の間(間奏)・ 曲の後に『Copper Kettle』を入れているのは、Nobuさんの昔からの手法で、私も大いに気に入っています。もちろん、日本製の楽曲ですが、当時としてはメロディもどこか洋楽風、歌の内容もドライブウエイ、プールサイド、テニスコート、ロープウェイと今までになかった欧米風の生活スタイルが感じられ、日本語…と云うだけで、他の楽曲と比べてそれほどまでに違和感はありません。やはり名曲です。

 シルビィ・バルタンは一昔前のテレビ番組「あの人は今…(?)」の取材対象のようなもの、フランスで幸せな余生を送ってきたのであろうと思いきや、その後はアメリカに移住、フランスとロサンゼルスを行き来しながら現役でステージ・ツアーを続けて来たそうです。ポール・マッカートニー、E.クラプトンと、ここ数年の大物ミュージシャンが、 昔の大ファンで、好きなことにはお金に糸目を付けない日本の富裕老人を目当てに来日していますが、ミュージシャンもいつまで来日してステージに立てるのか、昔の大ファンもいつまで会場に足を運べるのか…、両者にとって「最後の…」が現実味を帯びて来ました。

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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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