December 2017

December 31, 2017

第9回 かってに、HKX紅白歌合戦

 我が家にとって今年最大の出来事は、この夏、愛犬のモモが肝炎を発症したことです。9.2キロあった体重が急激に落ち、見る間に7キロまで落ち、肝臓が悪くなると腎臓も悪くなるらしく、かかりつけの開業医ではこれ以上の治療は無理と云われ、12歳を直前に最悪の事態を覚悟しました。開業医の紹介で獣医大学を紹介してもらい、かみさんは、毎週、彼女を連れて大学へ通い、治療を受けました。あれだけ食い意地のはった彼女ですが、治療食を受け付けず、食べても直ぐもどす有様。栄養補給のために皮下注射を打つのですが、もう刺すとことがないぐらいに痛々しい針の跡でした。かみさんが大学の指示通りの食事を作り、それを食べるようにようになると、体重が次第に増え、今では、腎臓の数値はともかく、体重だけは9キロと、体型だけは本来の姿に戻ったようです。今日も、モモと夫婦の三人で小山田緑地まで散歩に出かけたのですが、歩いた距離は8.2km、約12千歩を歩きました。犬の12歳と云えば老齢、昔はくっきりとしたブラック・タン・ホワイトでしたが、今や顔は真っ白、その三色の境目もぼけてきましたが、頭のボケはまだの様です。かみさんの献身的な介護でモモは元気を取り戻しました。もうしばらくは元気でいてくれることでしょう。

 こんな訳で毎年恒例の関西に行けるような我が家の雰囲気ではありませんでした。関西に住む姉弟、友人には会うことが出来ず残念でしたが、いい話もありました。というのは、団地内に「嵐が丘」と云う名の喫茶店があるのですが、残念ながらその名前の由来は未だ聞いていません…、そこで私の描いた絵の展示会をしていただけることになりました。展示会と云われても、小学校以来の話で…、皆さんに観てもらうにも額縁もなく、その展示方法は喫茶店のオーナーに任せるしかありません。

 先日、その喫茶店で奥さん4人組の「ウクレレ・ミニコンサート」があり、コンサートを見学させてもらいました。4人によるウクレレの演奏が主、演奏30分・休憩30分・演奏30分、客は15人(?)、男性は私のみ、他は全て女性(主婦)、喫茶店の常連客か出演者の友人の様子でした。内容的には良いコンサートでしたが、入場料が1千5百円(喫茶・軽食付き)とは安くはありません。

 絵の展示会だけでも感謝なのですが、我々バンドのコンサートをさせてもらえないだろうか…と、予め作成のデモCDを聴いてもらいました。毛色が違うと拒否されるかも知れないと危惧しましたが、去年、団地住民の一人が、サックス+リズム・マシンで、独演奏会をやったとかで…、我々の音楽も歓迎してくれるそうです。

 お店にはPAの設備は全くなく、私はギター2本のみ、ボーカルマイクは使わないデュオをイメージしていたのですが、バンドの皆に相談すると…、ボーカルアンプ、マイク3本、それぞれ楽器用のアンプを用意、今のバンドのままで出演することになりました。演奏45〜60分・休憩30分・演奏45〜60分、1曲3分と見て、前・後半10曲ずつ、予備に5曲ぐらいを用意しておけば、残りはしゃべりで埋めることができるだろう、というのが、私を除く、ライブ経験豊かな3人の意見です。

 持ち歌からすれば、The Everly Brothers(エバリー・ブラザーズ)、Creedence Clearwater Revival(クリーデンス・クリアウォター・リバイバル)からThe Eagles(イーグルズ)まで、と云うことになるのですが、ストレートにRock 'n' Roll Partyにしようという意見もあります。コンサートは3月に予定しているのですが、残り2ヶ月、皆で練習できるのはわずか3回か4回しかありません。

第9回紅白歌合戦 on 紅白幕
 これを機に、新曲をマスターすべく、次の2曲を今年の紅白の1位・2位に決定しました。

第2位 Everly Brothers - "Lucille "
Little Richardの1957年録音が
オリジナルで、1960年代のロックミュージックの先がけと云われます。ビートルズ始め多くのミュージシャンがカバーしていますが、今回は我々の路線の一つ、Everly Brothersのそれをお聴かせします。
 
 
第1位 The Eagles - "Peaceful Easy Feeling"
 1971年、彼らはデビュー、 "Take It Easy"の大ヒットを飛ばします。1972年、最初のアルバムに入っていたカントリーぽぃ曲です。
 
 
 これで何とかこの1年を終え、新しい年を迎えられます。ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。良い年をお迎え下さい。

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December 23, 2017

散歩の途中<<26>> 忠生(ただお)

 歩いて行くにはちょっと遠いので、自転車で忠生図書館に行ってきました。今まで、桜美林大学の図書館を利用していましたが、当然のことですが学術書が多く、最近はあまり利用していません。代わりに小説、娯楽書の多い忠生図書館に行くようになりました。貸し出し期限・冊数も桜美林ほどうるさくもなく、大いに利用しています。なかなか面白そうな場所で、近くには「かぶと塚公園」忠生小学校門松3があり、この「かぶと塚」の由来は、鎌倉攻撃に多摩川・横山を越えて南下する新田義貞軍に関係があるようです。今の時期、もう一つの見所は忠生小学校(1912年開校の忠生尋常高等小学校)です。かつての組合理事仲間の一人が父兄の人達と一緒に作った大きな門松が飾られています。

 平安後期、足柄峠(後の箱根)の坂の東側、坂東の地では新田・牧場の開墾・開発が隆盛、所領安堵を保障する棟梁に従い命を引き替えに戦場で働く、という「一所懸命」を信条とするの多摩(坂東)武士団に発展して行きます。彼らは頼朝を担ぎ上げて平家を倒し(1185)、その彼を征夷大将軍に鎌倉幕府を樹立(1185 or 1182)します。平家打倒の目標喪失で、頼朝への求心力を失った御家人を北条時政(伊豆)は、だまし討ち・暗殺で大量に粛正、執権職を北条得宗家で独占します。これは、棟梁の下では御家人は皆平等であるという考え方とは対立するものでした。鎌倉幕府の崩壊(1333)とともに1千3百人が自刃、それも北条氏一門のみで他の御家人はいなかったと云うのは極めて異様です。

 尊氏は京室町に幕府を開き(1336)、独立政権樹立を警戒して関東管領を置くも、関東一円には一足早く戦国の世が訪れます。上杉の支配が強まると小田原北条を迎え入れてその家臣団に入り、家康の関東入り(1590)するとまたこれに協力します。棟梁はあくまで仲間の代表でしかなく、棟梁の下では皆平等の意識が強く、棟梁は外部に依存し、仲間内から棟梁を出すことはしない。結局、多摩武士団は自ら大規模な組織作りができませんでした。

 家康は、信長・秀吉に滅ぼされた甲斐武田の遺臣、小田原北条の残党を厚く迎え入れ、大久保長安を始めとする旧武田の家臣に関東の支配を任し、一方、鎌倉・室町幕府・後北条氏とその時代の支配者に仕えた世襲代官、江川太郎左衛門(通称)に旧後北条の支配地、伊豆・相模・多摩を天領としてその経営を任せた。大久保長安は甲州街道及び八王子の街を建設、旧武田家家臣をして無禄ながら幕府公認の半農半士「千人同心」を組織して八王子周辺を開拓、江戸防衛の最前線とした。戦国の世が終わると、「千人同心」は日光東照宮の火の番が役目となり、江戸の旗本・御家人からは「芋侍」と軽蔑されるが、幕末には唯一の幕府直属の実戦部隊となります。

 江戸時代後期、商品経済・貨幣経済が発展、芝居や相撲の興行などの娯楽が盛んになり、もちろん賭博が盛んになります。これを生業とする博徒・無宿人が増加し、平和な時はさほど問題ないのですが、「天保の大飢饉(1833 - 39)」が発生、幕末に入ると開港の影響で物価が高騰、天然痘・コレラという未知の感染症が流行、社会は大混乱に陥ります。「攘夷」思想がうまれます。領地が複雑に入り組んだ関八州、特に上野国(群馬県)、天領である多摩地区は無宿者・博徒が逃げ込む絶好の場所でした。自衛のためか…、剣術が農民の間にも盛んになったのは全国で上野国と多摩地区だけという。国定忠治と新選組、上州と多摩、どちらも人々の気が荒く、喧嘩、武芸が盛んな風土です。一方では、豪農・名主などの上層農民と貧農などの下層農民の階層分化が進み、階層間の対立が激化、慶応年間には「世直し騒動」(武装蜂起)が激増します。

 江戸時代、百姓とは「百の姓を持つ庶民」、支配階級である武士以外の農民を含む被支配階級と云う意味でした。地方には藩があり藩主、その居城があり、藩士と呼ばれる武士が存在し、彼らは百姓が武士の格好をすることを許さなかった。髪型・服装・持ち物を見ればどんな身分かが判る身分社会でした。ところが、藩がなく、藩士もおらず、代官所の役人以外は武士のいない天領、多摩では武士の身分「千人同心株」さえも売買される有様、武士の真似事をしてもさしてとがめられることはなかった。勇は多摩郡上石原村(調布市)の裕福な農家、宮川久二郎の三男に生まれます(1834)。宮川」は「土方」と同じく隠し姓、武士の真似が昂じると、本当の武士になりたいと思うのは当然。ましてや、剣術が強ければなおさらのこと…。父久二郎の言「お前は武士になれ」で、近藤周助の養子となり、近藤勇、「天然理心流」の四代目宗家となります。近藤勇、土方歳三、沖田総司、井上源三郎は「千人同心」の流れをくむ「天然理心流」近藤周助の門人でした。

 浪士の狼藉に頭を痛めていた幕府は、清河八郎の献策を入れて、江戸に居る浪士を集め、将軍家茂の攘夷決行の為上洛の際、その警護に当たらせること、及び尊皇攘夷の発露を目的に「浪士組」隊員を募集(1863)、「天然理心流」近藤勇達はこれに参加しました。彼は「天然理心流」の宗家、一門をを引き連れて、既に結婚して子供も在りながら、それらを多摩に置き去りにして…何故? とは、現代に生きる人間の偏見でしょうか…。

 池田屋で密会する尊攘派志士20数名に対し当初わずか近藤以下4名が急襲、後に土方隊が到着して逆転勝利、9名を殺害・4名を捕縛して新選組の名を一躍世に知らしめました(「池田屋事件(1864)」)。この襲撃は新選組の常套戦法(一人の敵には三人以上で当たる)を用意する余裕はなく、強烈な天領「徳川恩顧」の思いに突き動かされた行動であったと思われます。遅ればせながら応援にやって来た桑名・会津兵の前に土方歳三はまだ血の滴り落ちる白刃を持って立ちはだかり、一歩たりとも彼等を中に入れなかったと伝えられています。この勝利は新選組が独占する。他の者には指一本触れさせないという強い決意の表れだったのでしょう。その土方歳三が作ったとされる「局中法度」。「士道ニ背キ間敷事」とあり、違反者は「士道不覚悟」として「切腹」でした。彼の言う「士道」とは「武士道」とは異なるのか…、出自も育ちも本当の武士ではないという彼のコンプレックスがそうさせるのか…、武士としての品位に欠ける、後味の悪い思いをするのは私だけではないでしょう。極めつけは…、伊東甲子太郎が思想の違いから新選組を離脱しますが、彼は近藤の妾宅で酒に酔わされ、その帰途に隊士の数名により闇討ちされ、その遺体は路上に放置され、仲間を誘い出す囮として使われました(「油小路事件(1867)」)。在京の5年間での新選組の死者は約50名、その内倒幕志士との戦闘による死者数はわずか6名、ほとんどが「士道不覚悟」という理由にならない理由による新選組内部の粛清・暗殺でした。どこか…、約七百年前の北条得宗家と共通点があります。

 新選組のやりかたは「桜田門外の変(1860)」、「天狗党の乱(1864)」、はるか昔に遡って「赤穂事件(1701-1703)」に登場する武士の仕業とは極めて異質なものです。天領、多摩郡には支配する武士階級が存在せず、幕府=将軍の代官として豪農・名主などの上層農民は「公儀=将軍の御百姓(将軍家の農民)」という強い優越感を持っており、そこで生まれ育った彼らに組織された新選組は自ずと幕府=将軍に忠誠を尽くすべく奔走したのですが、そのやり方は武士には到底思いつかない陰険なもので、これも彼らの出身地、多摩郡の「世直し騒動」(武装蜂起)鎮圧、博徒・渡世人相手の治安維持、あるいは祭の若い衆同士の喧嘩のやり方、多摩の特殊性だったのかも知れません。

 「尊皇=勤王」の本質は、天皇が絶対君主でありその座は不可侵(臣下は絶対に天皇にはなれない)、逆に言えば、天皇の下では将軍も武士も百姓も同じ臣下、平等であると云うことです。ヨーロッパ近代民主主義は、ルター、カルビンに依る宗教改革、神=絶対神の下にはローマ教皇も神父も、大衆も、大衆の手助けをする牧師も皆、平等である、に始まるのと全く同じです。その意味で「尊皇=勤王」には普遍性があります。

 「湊川の戦(1336)」で新田義貞は自分の馬を射られ、彼の危急を見た小山田高家は自分の乗馬を義貞に与えて逃がし、身代わりになって討死します。御一新がなり、今は明治の世、1889年、かつての「公儀=将軍の御百姓」は神戸では高家が大事に祀られていることを知って大いに感激、かつての天領南多摩の地に新村を作る際に、その名を「忠臣の生まれた村」、「これからも忠義の者が生まれ出る」ことを祈って、「忠生(ただお)村」と名付けました。染みついた「徳川恩顧」、「公儀=将軍の御百姓」意識、御一新から20年やそこらでは変わらないでしょう。
※参考:英傑の日本史―新撰組・幕末編 (角川文庫)

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December 09, 2017

最近聞いたこの曲<15> "You're Not in Kansas Anymore"

grapes of wrath 『怒りの葡萄(The Grapes of Wrath 1939)』はJ・スタインベック(モンタレー郡サリナスに生まれる)の作、大恐慌の時代、大干ばつで土地を奪われたオクラホマを捨て、ルート66を西へ、カリフォルニアを目指す農民の物語ですが、1940年、ヘンリー・フォンダ主演で映画化され2つのオスカーを獲得して彼の名声を不動のものにします。

   映画『怒りの葡萄』から30年後、ヘンリー・フォンダの息 子、ピーター・easy riderフォンダは、父親とは逆に、同じルート66を東へ、ニューオーリンズのマルディグラ(謝肉祭)に向けて走ります。映画『イージー・ライダー(Easy Rider 1969)』は、ベトナム戦争への懐疑的傾向を社会的背景にした「アメリカン・ニュー・シネマ」の傑作の一つに数えられています。挿入歌が全てロック・ミュージックだったことも衝撃的でした。

 ベトナム戦争も終盤の時代,60〜70年代、にはロック・ミュージックが興隆します。プレスリー、ビートルズ、ビーチボーイズが現れたのもこの時代です。ジョニー・ミッチェル『California』を歌ったように、グラム・パースン、ママス&パパス、リンダ・ロンスタート、ジム・モリソン、ニール・ヤング、デビッド・クロスビー、スティーブン・スティルス、グラハム・ナッシュ、ジャクソン・ブラウンがその後の成功を獲得する以前に住んだロサンゼルス、ローレル・キャニオン(Raurel Canyon)は東のウッドストック(Woodstock)と並んで若いミュージシャンが多く集まり住んだ場所でした。ヒッピー対抗文化の音楽コミューン的性格を持つ場所でした。

 時代の終焉では…、ヒッピィー対抗文化の体験から抜け出せない人間を歌った(?)『ホテル・カリフォルニア Hotel California(1976)』、イーグルズ自らもこの枠を抜け出すことが出来ないままに終わってしまいました。ホテル・カリフォルニアとはこの対抗文化の音楽コミューン、ローレル・キャニオン(Raurel Canyon)のことかも知れません。
 
 ビーチボーイズに始まる私のカリフォルニアへの思い入れは『ホテル・カリフォルニア』以降も何ら代わることがありません。ストリーム・ラジオをリッピングしているのですが、私が好きになる曲はカリフォルニアに対するあこがれ、カリフォルニアを好意的に歌う傾向にあり、リトル・テキサス(Little Texas)の『Amy's Back In Austin』如きは歌詞の内容だけでなく、メロディラインもウエスト・コースト風に仕上がっています。最近は聞いたビッグ&リッチの(Big and Rich)の『California』はカントリーなのですが<<ど>>カントリーではなくなりました。

 今回、ご紹介するのもそんな曲の一つ、ジョージ・ディ・メッシーナ( Jo Dee Messina 1970年生まれ)の「You're Not in Kansas Anymore(1996)』です。

oz このタイトル〜もうここはカンザスじゃないわ〜は、初めての所にやって来てカルチャーショックを受ける、の意味です。映画『オズの魔法使い(1939)』の中の台詞、「Toto, I've a feeling we're not in Kansas anymore.(トト、ここはカンザスじゃないみたいよ)」に由 来、「There's no place like home.(お家が一番だわ)」と併せてアメリカ人の慣用句となっているそうです。先日、知り合いのカナダ人とイギリス人の二人に聞いてみると、アメリカ人だけでなく、英語を母国語とする人はこの慣用句を知っていると云います。※因みに、最近では、『ホテル・カリフォルニア』の「You can check out any time you like, But you can never leave!」も慣用句になっているようです。
  

You're Not in Kansas Anymore
メイベリーのようなウイチタに在る小さな街で育った、と彼は言う
上下つなぎの作業服を着て、日が沈むまで干し草を引っ張るのはうんざり
一日中、ジョン・ディアのトラクターに乗り土地を耕しているのでLAに憧れる、と言う
南カリフォルニアには高速鉄道が走っているよ、と教えて上げた

[Chorus]
もうここはカンザスじゃないわ
用心し過ぎることはないのは確か
街の灯があなたを誘い
朝が来ると消えてしまう
だから、壁に私の電話番号を控えておいて
何時でもいいから電話してきて
今、私は幸せ
もうここはカンザスじゃないわ

「カーソンがどこに住んで居るか知ってる?」それでマリブまでドライブしたの
サンセット通りを走り、キスの1回や2回は許してあげたの
ハリウッドの標識の下、にんまりしたのを気付かれないように、私は低くささやいた
ロデオじゃなく、ここはロデオ・ドライブ、こんなこと云うのは始めて

[Chorus]


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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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