June 2017

June 25, 2017

最近聞いたこの曲<8> "California"

 ネット放送局、現在はCountry 4 You- Your Nordic Country Music Radio(アメリカではなく、北欧であることがミソ)の放送を流しっぱなしにしながら、思い出したようにそれを録音しているのですが、何日か経つとその曲数は何百曲になってしまいます。放送局と云っても、Shoutcast方式で、おそらく個人が彼の好みで選曲して、繰り返して放送しているのでしょう。自ずと、数日の内に何回も同じ曲が録音されてしまいます。フォルダーの中に蓄積されたMP3ファイルをiTuneに取り込み、重複したファイル(曲)を削除します。こうして収集した曲(今日現在:2,766曲)をiPhoneに同期させて、主に散歩中に聞いています。気に入った曲は即プレイリストに入れ、判明した曲名とアーティスト名を元にYoutubeで検索するのです。<曲名とアーティスト名>が判るというのがWinampの最大のミソで、これが判らなければYoutubeでも検索しようがありません。

Big & Rich - California 「アレっ」と、気になる曲を発見しました。Big and Richが歌う『California』がなかなかカッコいい。私はこの曲で初めて彼等を知ったのですが、ディスコグラフィーにある曲をYoutubeで見る(聞く)と多くが過去に耳にした曲で、余り良いとは思わなかったのでしょうが…、『Lovin' Lately』はTim McGrawとの共作、カントリーの業界ではかなりの実力者です。軽快なメロディと砂浜のイメージはこの曲を夏ぴったりの曲。この曲がラジオから流れて来ると、自然と窓を押し下げ、暖かな日の光を顔に受けることでしょう。2人の歌声はうまく補完し合い、そのボーカルで彼等の円熟した雰囲気を醸し出している、とは最近の業界紙のコメントです。

"California" by Big and Rich

[Verse 1]
徹夜でドライブすれば3日で着いてしまう
彼女は夜明けと共に旅立つつもりと言う
ひょっとしたら彼女はでたらめを言っているのかも知れない
けれども、彼女の気持ちはもうここにはもうない
荷物は既にまとめて、愛車のアルティマは満タン
ダッシュボードの上には地図が
おいらの気持ちは裏切られ
不幸な事態にもう我慢できない

[Chorus]
彼女はカリフォルニアに恋しているから
輝く西海岸の太陽の夢
森や林があってもハリウッドではなく
丘はあってもビバリーではない
脇道にはビーチもなく
大通りには夕日、サンセットはない
彼女はカリフォルニアに恋して
おいらはつらい

[Verse 2]
アイホップにウェイトレスの仕事を待って
石をユニバーサル・シティにぶつけ
ヒップポケットに卑猥な視線を集め
誰かが彼女をいい女と思ってくれるよう
明日の今頃はコロラドに
おいらはビームのビンの中で悲しみに溺れ
フラッグスタッフ手前で、ひょっとしたら、
引き返すかも知れないが…
それに賭けてもダメだろう

 確かに夏の曲です。

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June 19, 2017

達磨寺 思惟の径

 中仙道、古代の東山道の急峻な碓氷峠を下り上野国(群馬県)の坂本宿辺りの風景に強烈な既視感を感じます。それは3年前、友人に連れられて、静岡県の三島から箱根峠を目指して歩いた東海道の風景とよく似ているだけではないようです。東山道は、日本の歴史・文化の「背骨」、下野国白川を越えて、はるか道・陸の奥、「陸奥」につながります。碓氷峠は「分水嶺」、その東坂は新世界が始まる第一歩の地です。
170611_碓氷峠めがね橋
 実在するかどうかは別に、日本武尊は焼津から荒れ狂う海に乗りだし、愛妻を生け贄にして海を鎮め、足柄山から東国に入り、反時計回りに平定、眼下に東国を見て、「吾(わが)妻よ…」と嘆いたそうです。これに因んで、東国をアヅマ(東・吾妻)と呼ぶようになったと言う。平安初期、724年、ヤマト朝廷は多賀城に陸奥国府を設け支配下に置こうとしたが、蝦夷の反乱が収束するのは征夷大将軍:坂上田村麻呂の遠征によるアテルイの降伏(801)でした。 平安末期には箱根・足柄から碓氷峠につながる巨大な山塊の東、坂の東に、「坂東武士」が誕生、後の鎌倉幕府に繋がっていきます。時代は下って戦国時代、関東制圧を目指して小田原北条を攻める秀吉は、1590年、前田利家・上杉景勝等の北国勢を別働隊に碓氷峠を越えて侵攻、上野・下野・武蔵・相模と時計回りに東国を制圧します。家康はその力を秀吉に恐れられ、山塊に隔てられた言わば異国の地に追いやられますが、関ヶ原勝利の後は、鎌倉幕府に倣って、武蔵国江戸に幕府を開きます。さらに下って幕末、皇女和宮は中仙道を通って江戸徳川家に降嫁するも、公武合体は失敗、幕府は崩壊、明治新政府は江戸を東京都と改め首都とします。今、国土のほぼ中心に首都:東京があるのは、江戸に幕府を開いた家康の先見の明があったということです。

達磨寺 中仙道(現在の国道18号線)をさらに東に走り、高崎に入り、碓氷川に沿った小高い山の中腹に黄檗宗(禅宗)少林寺達磨寺を見ることが出来ます。達磨寺の「だるま市」は有名ですが、今回は触れません。

 第一次世界大戦(1914-1918年)でドイツ帝国は敗北、大戦後に勃発したロシア革命(十月革命(1917)の影響を受けて社会主義思想に傾斜した建築家:ブルーノ・タウト(1880-1938)は、賠償金のの支払いにあえぐドイツの労働者の為に健康・安価で良質な集合住宅を作った。タウトの設計したガルテンシュタット・ファルケンベルク(1913- 1916)、ジードルング・シラーパルク(1924-1930)、グロースジードルング・ブリッツ(1925-1930)は2008年、「ベルリンのモダニズム集合住宅群」として世界遺産に登録されています。彼の社会主義思想・ソ連訪問をナチスは危険視、これを知ったタウトはドイツを逃亡、シベリヤ鉄道経由、1933年5月、敦賀に上陸します。京都・神戸・伊勢・飛騨高山・東京・日光等各地を訪れ、特に桂離宮の簡素で機能的な美しさに感激、「泣きたくなるほど美しい」と世界に比類のない傑作と評価し、桂離宮、伊勢神宮を皇室・神道芸術、日光東照宮を武家・仏教芸術として対比、後者を「いかもの」と酷評している。当時、国粋主義を推し進める日本政府にタウトの日本建築・文化の評価はは正に好都合であったが、対英米戦争必至の状況下、彼は危険分子として特高の監視下にあり、本来の建築家としての仕事はありませんでした。
170620_達磨寺洗心亭_2
 各地を訪問、地元の井上房一郎が高崎に招いて工芸品のデザイン・制作指導を依頼したのが始まりで、以降、達磨寺内に在る4畳半と6畳の小さな「洗心亭」タウト夫婦の住まいとなる。同じ山、南東の位置に、もう一つの高崎名物、白衣大観音像がありますが、房一郎の父で井上工業の創始者:保三郎が私費を投じて建立したもので、皮肉にも、タウトの評価では「いかもの」でした。日光東照宮・大観音像が「いかもの」には同感なのですが、京都駅近くにそびえる京都タワーはどうなるのでしょうね…。残念ながらタウト来日時には存在していません。

 元へ…。喘息が持病のタウトは日本の湿気を、特高の厳しい監視をきらい、トルコ政府の招聘で、わずか3年弱で日本を後にします。オスマン帝国は、ドイツと同じく、第一次大戦に敗北、英仏の植民地戦争にも敗北、その領土の多くを失い、帝国は崩壊、1922年、現在のトルコ共和国が誕生しました。イスタンブール芸術アカデミーからの招請により、教授としてイスタンブールに移住、日本では果たせなかった建築家タウトを実現します。…が、発見した日本の美を彼の地で活かすことはなかったようです。建国の父:ケマル・パシャの国葬会場を設計後、トルコの地で客死します。

 少林寺達磨寺にはタウトが散策したとされる「思惟の径」がありますが、残念ながら名前負け、私には「いかもの」でした。中仙道(東山道)碓氷峠の東坂にはまだまだ面白いことがありそうです。

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June 09, 2017

10年後は到底無理?

 団地に住んでいますが、若い時は階段の上り下りを何とも思わなかったのですが、いつしか高齢者の仲間入り、1階部分に住んでいることに感謝するようになりました。ましてや、その中で4世帯のみが身体障害者向け住宅で(実際に身障者がおられるのは1世帯のみ)、南側専用庭に駐車スペース、車いすが入れるように南側はスロープ、玄関ドアも一回り大きく、室内も段差がなく、風呂・トイレも車いすが回転出来るように大きくとってあります。2年前までは、南側専用庭に駐車スペースには、今は昔、お気に入りのSUBARU OUTBACKが大きく占めていたのですが、それも軽四に替わって駐車スペースは半分に、逆にかみさんの管轄下に在る庭の草花、気取って言えば、ガーデニングの面積が拡大してきました。南側ベランダ・専用庭は全面的にかみさんの占領下に置かれたことになります。

ベランダ_4 私の部屋は、夏場にかすかに朝日が入る、北側の一室。窓外の北側ベランダは、辛うじて…私の管轄下に在り、木板を張ってウッドデッキにして室内とベランダの床の高さを同じにしたり、プライバシー保護の為に、単に葦簀(よしず)を立てかけるのではなく、軒先に葦簀をつるしたり、ベランダのフェンスをルーバーの目隠しで覆ったりして、私はその出来映えに自己満足しているのです。ご近所を見回すと、今や子供さんは独立してしまい、多くの世帯が夫婦2人だけ、お一人の場合もあり、南側の部屋だけを使用し、ベランダ_2北側は部屋おろかベランダまで物置・納戸(?)にしている方が多いようす。況んや陽の当たらないベランダ下の敷地に目を向けるような人はおられません。我が家も二人暮らしなのですが、ガーデニング好きのかみさんは北側にも侵入、ベランダ下の敷地には、風で運ばれてきた種から勝手に育ったものも含めて、オキザリス、クリスマスローズ、ホトトギス、バラン、ぎぼうし、ナンテンから薬味のミョウガ、シソまで、日陰の身でありながら、元気に育っています。

 昔、八王子の山の中、雪の中に青々と茂る植物を見つけ自宅で繁殖させた植物で名前はわからず、我々夫婦の間では「北側のはちおうじ」で通じるのですが…、木製のプラーターカバーを自作、目隠しとして北側ベランダ・フェンスに設置していたのですが、昨年、10年に一度の大規模修繕工事が実施されたのを機に撤去を余儀なくされました。船舶デッキ用の堅い木材を使ったのですが、長年の風雨で朽ちてしまい、再利用の価値なしとして廃棄処分にしてしまいました。夏秋3ヶ月に及ぶ工事期間中は、外壁塗装のために建物の回りに足場を組む必要があり、夫婦2人で、南側専用庭・北側共有部分の草花はどうしようもありませんが、かみさんが育てた南側ベランダの鉢植えの数々、そして私が育てた「北側のはちおうじ」を北側の避難場所に、ベランダのデッキは分解して室内に移動させました。

プランター設置案_1プランター設置案_2

 その間、廃棄した「北側のはちおうじ」のプランターカバーをどうしようか、あれやこれやと考えた挙げ句に、従来の重量の伴うカバー自体を断念、プランターのみ、プランターむき出しの設置方法を考え出すに至りました。軽量化されフェンスへの負荷も大幅に軽減されたはずですが、一つだけ難点があります。厳密に言えば、ベランダ及びベランダ・フェンス等の共有部分にプランター等を設置するのはルール違反で、特に消火活動の妨げになる…ということで、検査がある時は移動させなければなりません。一階ですよ…、少しは大目に見てくれますように…。
ベランダ-3
 10年後の次の大規模修繕工事、同じ一階に住んでいたとしても、これだけの鉢植えを移動させるのは到底無理な話です。

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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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