April 2017

April 26, 2017

最近聞いたこの曲<6> "Islands In The Stream"

 何度も触れましたが、私は「カントリーぽぃロック」が好きです。「ロック」は多くの人に判りやすいのですが、「カントリ−」を説明しろと言われたら、難しいと言わざるを得ません。日本の「カントリー&ウエスタン」は、戦後すぐ(1950年代)、ジミー時田(1936-2003)でピークを迎え、エルビス・プレスリーの「ロカビリー」出現に小坂一也(1935-1997)が追随、以来現在に至るまで、日本の「カントリー&ウエスタン」は進化を停止したままといってもよいでしょう。

 この「カントリー&ウエスタン」の「ウエスタン」がくせ者で、この「ウエスタン」は日本語で言うならば「西部劇」、私が子供の時に見たTVシリーズ:『ボナンザ』、『ララミー牧場』の類いをも含めたため大いに混乱したものと考えられます。アメリカ人でさえ大きな混乱があるようで、映画『ブルース・ブラザーズ The Blues Brothres』(2008)の中にこんなシーンがあります。週末、白人の集う田舎の「カントリー・ミュージック」専門の居酒屋で、名前の通りブルースを専門とするバンド:ブルース・ブラザーズがステージでブルースを演奏しますが全くのブーイング、そこで急遽『ローハイド』に変更、あなたも知っている〜ローレン、ローレン、ローレン〜です。やんやの喝采で無事ステージを終えるという筋書きです。ブルース・ミュージシャンにとって、あるいは映画の中の聴衆にとっては、「カントリー」も「ウエスタン(西部劇、日本で言えば時代劇)」も一緒なのでしょう。
 結論として、カントリ−歌手が歌う歌が「カントリー」である、としか言いようがないのではないでしょうか。

 もう一つの映画、『ボディー・ガード The Bodyguard』(1992)がありました。H・ヒューストンが歌う『オールウェイズ・ラヴ・ユー I Will Always Love You』は大ヒットしましたが、この曲は作詞・作曲共にカントリー歌手のドリー・パートンの曲、劇中に於いてジューク・ボックスから流れる『オールウェイズ・ラヴ・ユー I Will Always Love You』を聞いているケビン・コスナーに、「かなしい曲ね」とH・ヒューストンが語りかけます。「カントリー」のこの曲をR&Bのホイットニーが歌うと、少なくとも「カントリー」ではなくなくなってしまいました。

KENNY ROGERS & DOLLY PARTON この1年間、音楽と言えば、インターネット・ストリームラジオで今時のカントリー・ミュージックを聴いているのですが、新しく知ることばかりです。今まで耳にはしていたはずなのですが、この曲:『Islands In The Stream』は、1983年、「カントリー」の大御所:ケニー・ロジャースとドリー・パートンのデュエットで大ヒットしたとは知りませんでした。メロディ・リズムを聴いた限りではR&Bと言うか、ディスコ・ミュージックです。それもそのはず、このE.ヘミングウェイの同名の小説からヒントを得たというこの曲:『Island In A Stream』はあのビージーズの3兄弟がマービン・ゲイの為に書いたのだが、二人のレコードとなり、彼等もバックミュージシャンとして参加しているそうです。この曲、どう聞いても、いや、どう見ても「カントリー」ではなく、ディスコ・ミュージックです。しかし、やはり彼等はカントリー歌手、1985年の最も<<好きなカントリー>>部門の第一位、それから20年後、<<時代を超えたカントリー・デュエット>>部門の第一位に選ばれています。
 ビージーズと言えば、フォークぽい『マサチューセッツ』(1967)に始まり、J・トラボルタの『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)で絶頂期を迎えたところで、私の音楽からは彼等の消息は途絶えてしまいました。ところが、どっこい、ディスコ・ブームが陰りを見せると、私の知らない間に…、R&Bのマービン・ゲイから今度は「カントリ−」へ180度転換、彼等にはその時代時代を作りだす、表現する特別な才能があるようです。
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April 23, 2017

散歩の途中<<21>> 武州小山田荘

先日のNHKの番組:『日本人のおなまえっ!』で「山田」さんが日本人の代表的な苗字として取り上げられて小山田荘鳥瞰図_2いました。覚えやすい名前として、デビュー当時、そこに目を付けたであろう往年の新人(?)歌手、山田太郎まで現れました。この地にやって来た当初は、「小さな」+「山の」+「田んぼ」とは、何と薄っぺらい、あんちょこな地名なのか、と思ったこともありましたが、後に、平安時代の荘園、「小山田荘」に由来し、平安時代末期には、平氏である秩父有重が支配地の小山田にちなんで小山田有重(12世紀末)を名乗ったことを知ります。

 町田市(人口:43万 東京23区、八王子に次いで大きな街)は明治の一時期までは神奈川県に属し、電話市外局番が同じで、神奈川中央交通バスが走っていたりと、その面影が残っているだけではありません。多摩丘陵の一角にありながら、町田市の北部に位置し、大きな面積を占める小山田地区は、隣接する八王子市・多摩市との間を、大きな壁・段差で断絶されており、むしろ西の神奈川県との交通・交流が盛んであったようです。 〜 赤駒を山野にはがし捕りかにて 多摩の横山徒歩ゆか遣らむ 〜 『万葉集(7〜8世紀)』に歌われる「多摩の横山」がそれです。

かかし170 多摩丘陵は「横山」で急激に落ち込み小山田地域(野津田、小野路、図師)に至ります。鶴見川はここを源泉とし、東京湾に至る流域は豊かな水田耕作がされていたことであろうことは、食器用,煮炊き用,貯蔵用など,様々な弥生土器が出土したことで容易に想像出来ます。多摩丘陵・鶴見川流域の野津田、小野路、図師は「田方」と呼ばれるのに対し、市の南側(相模原市に隣接)は相模台地に在り「岡方」と呼ばれ、水田はない。近世までの米流通社会においては、「田方」に有力な農家が現れたのは偶然ではないでしょう。

小山田の風景 稲の水田耕作は弥生時代の前期には本州全土に伝播したと考えられています 。今の私達には田んぼ・水田と言えば一面の水田をイメージしますが、平野部を水田にするのは、一つ一つの田んぼをわずかな高低差で繋ぎ、全ての田んぼを豊かな水で満たしておくには、高度な測量・灌漑技術の蓄積が必要でした。

 ここで話はそれますが、非情に面白い本を読みました。樋口清之著『梅干と日本刀』で、〜日本人は最高!、驚くべき日本人!〜など、自虐史観の裏返しかと思ったりしたのですが…、違いました。中国人は「耕して天に至る」と言うが、これは畑だからで、水田の日本は逆、「耕して平地に至る」。日本の段々畑は、山から水を引いて、まず高いところに田を作り、上から下へ田が広がって行きます。これが、山田・本田・元田と、日本では多い苗字となり、下の下田・平田は後に分家したものと言う。インドネシア以外に世界に類がない合理的な耕作方法、焼き畑開墾して炭・灰のアルカリで土壌の酸性を中和。そこへカブ・ヒエ・豆をまいて収穫する(=「畑」)。耕しているうちに水平になり、木の根も腐り、妨害物のない耕作地となる(白い田=「畠」)。完全に水平になって水が引ける(=「田」)。私だけが知らなかったのか、余談ですが、「田」は漢字ですが、「峠」・「榊」・「働」と同じく、「畑」・「畠」は国字=和製漢字だそうで、「畑」→「畠」→「田」という文字は水田開拓の順序を証明していると言う。
 
 小山田は多摩丘陵という小高い丘陵地帯に多くの谷戸があり、鶴見川の豊かな流れを利用して、谷戸田から谷戸田へ水を繋ぎ、今日の豊かな水田地帯を作り上げました。この地では、苗字ではなく荘園の名、地名として存在し、後にこの地を支配した人間=秩父有重が地名を冠して小山田有重を名乗ることになります。自分の住む小山田桜台、「武州小山田荘」に変えたらいかがでしょう。すこし誇らしく思ってきました。
※ 参考資料:樋口清之著『梅干と日本刀
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express01 at 16:05|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote Local | History_Japan

April 14, 2017

散歩の途中<20>号外 こぶし公園の桜

0312こぶし公園 かみさんはまだ留守、朝食が終わると、愛犬:モモが散歩の催促にやって来ます。モモは滅多に吠えることはなく、ただやって来て、目を見ながら手で、いや前足でちょいちょいと、促す仕草をするのです。朝のコースはほとんど同じなのですが、今日は少し違います。いつもは、当地の散歩コースの定番:尾根道に向かうのですが、逆の方向に先導して行きます。団地の北側に、「こぶし公園」という、ひょっとしたら、我々夫婦だけがそう読んでいるのかも知れませんが、一本の大きなこぶしの木(左上は昨年3月)が目印の公園です。

 いつもなら遠くにそのこぶしの木が見えるのですが、今日は視界を遮るように公園の前の桜が満開です。0414こぶし公園あまりにも見事なので、昨日更新したばかりなのですが、その桜を皆さんに是非ご覧にいれたいと、愛犬:モモの紹介もかねて、号外版を出すことにしました。どうぞ、お楽しみ下さい。

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April 12, 2017

犬一匹 One Dog Night

 団地管理組合規約により犬・猫を始めとするペットの飼育は禁止されていましたが、我が家ではその「掟」を破って犬を飼ってきました。去年の組合総会で、ペットクラブによる規制を条件に、ペット飼育が認められることになり、別に他人様の目を避けている訳ではありませんが、晴れて「隠れキリシタン」の身から解放されることになりました。余談ながら、今までペット「反対」の声が大きく、これをひっくり返すのは難しいとの予想でしたが、総会の結果は「賛成」と飼育が認められることになりました。予想を覆す結果の種明かしは、住民の考えを聞くアンケートでは「反対」の声が大きいのですが、その年の理事会で「賛成」意見が過半数を占め、これが総会議案として提出されると、どんな議案でも(?)ほとんど間違いなく可決されます。理由は、アンケートに答えた住民の多くは、総会に出席せず、議決権さえも行使もせず、理事長宛の委任状を提出するからです。もちろん、私は結果にほくそ笑んだのです。

 かみさんは昔,冬場には必ず足温器がなければ眠られないぐらいの冷え性でしたが、更年期を境にした体質の変化に加えて、早朝1時間半、午後1時間半にも及ぶ愛犬の散歩という十分すぎる運動量のお陰で、体質が大きく変化したのか、今や冷え性に悩むことはなく、久しく足温器も見ておりません。愛犬:モモ、ビーグルの11歳、メス、体重9kg、人間で言えばそろそろ私達夫婦の年齢を追い越してよいはずですが、白髪は増えたものの、毛づやもよく、体力はまだまだ衰えを見せておりません。その愛犬と私を置いて、かみさんはまだ健在の母親の面倒を見に、明日から1週間、実家に行ってしまいます。

momo 愛犬:モモにすれば、散歩はかみさんと行くことに決めているのですが、彼女が居ない時は選択の余地がありません。私とモモは小山田緑地の山中(?)を4〜5kmは歩くでしょうか…、彼の地には、時々、本格的なハイキングの格好をした都内からの来訪者が地図を手にやって来ているのを目にしますが、彼等からすれば二人、私と愛犬はどのように映るのでしょうか。小山田有重の居城(現大泉寺)、万葉の横山の道、八幡太郎義家の「矢幹八幡宮」、護良(もりよし)親王・淵野辺義博の「縁切り榎木とわかれ橋」小山田高家に因んだ「忠生」地区、藤沢周平『蝉しぐれ』のタイトルバック「五反田谷戸の畦桜」、シャクナゲの群生「秘密の花園」、奥州古道「代官坂」、全ては愛犬:モモと二人で、あるいは三人で行ったところです。もし愛犬:モモが我が家に来なければ、こんな所まで行くことはなかったことでしょう。モモに感謝です。

 実は、「隠れキリシタン」にはもう一つ意味があります。今まで長い間、犬を飼っていない人、犬が嫌いな人の前では話題にしてはいけない、禁句のようなものと思っていました。そんな私に、かみさんが「新聞読んだ?」と、聞いてきます。

 『愛犬の暖かな添い寝』というタイトルの投稿でした。 投稿者は男性、毎朝出勤前に犬を連れて散歩に行くことが日課で、そのお陰で風邪もひかなくなったが、還暦を過ぎてからはやはり歳か…、久しぶりに寝込んでしまったそうです。問題はこれから…。「すると、いつもは妻と寝る犬たちが、私の枕元に来て付き添って寝てくれた。その暖かいことと言ったら…。心まで温かくなるものであった。 風邪の熱でつらい中、幸せなひとときであった。」
  今時、「犬は家族の一員」とばかりに、多くの人は室内で飼っているでしょうが、最近読んだ本曰く「愛犬との付き合いは、恋人ではなく、友人として」とあり、寝るところまで一緒というのは行き過ぎでは…、人に相談しようにも、こんな話しを出したら白い目で見られるのではないか…と、悶々とした日々を送ってきた、というのは大げさですが…、これを読んで安堵しました。

 続けて、男性は昔、エスキモーは冬の寒さを「今日は犬5匹の日だ」「いや8匹だ」などと、犬の数で表現するという話しを読んだと言う。そう言えば昔、「Old Fashioned Love Song」のヒットを飛ばした「スリー・ドッグ・ナイト Three Dog Night」というバンドがありました。

 明日からはかみさんがいません。しかたなく、愛犬のモモは私に添い寝してくれるはず。本格的な春はまだ、今日は「犬一匹」でしょう。

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April 01, 2017

花見に冷たい雨

 東京の桜の開花は全国で一番早かったのですが、それは観測地点の靖国神社だけの話し、それ以降の足取りは遅く、明日から近所の散歩の定番コース、尾根道で開催される予定のさくら祭も「ウソでしょ」といった感じで、雨にも祟られて最高気温は7℃、1ヶ月は後戻りしたような冷たさです。

 毎年、年が変わった1月はそうも感じないのですが、2月、3月に入るとその寒さが耐えがたいものになり、東北・北海道の寒さはこんなどころではないのでしょうが…、「暑さ寒さも…」、そのお彼岸も通り過ぎて、「将軍様、もうわかりましたから、勘弁して!」と思わず悲鳴が出てしまいそうです。春の到来の道程は、最も昼の時間が短い「冬至」を過ぎて徐々に昼が長くなり、「春分・お彼岸」で昼夜の時間が同じに、そして、次第に逆転して行きます。その道の先に「花見・さくら祭」、新たな舞台の緞帳(どんちょう)が開きます。

  昔、大阪支店でまだ新入社員だった頃、1972〜1973年か?、季節は夏、東京から転勤でやって来た先輩曰く、「大阪ではよほどの貧乏人でない限りエアコンを持っているが、東京ではよほどの金持ちでない限りエアコンを持つ必要はない。」 大阪の夏は「くそ熱い」と表現されるだけあって、8月の平均気温が鹿児島・沖縄より高く、ただ暑いだけでなら何とかしのげるのですが、あのまとわりつくような湿度の高さは半端ではありません。東国、町田(東京都)に住んで30年、それまで住んでいた関西を抜いて、人生で最も長く住んだ所になってしまいましたが、本当にエアコンの冷房が必要なのはほんの一ヶ月間ほど、逆に当地の冬場は寒さが厳しく、ましてや私の部屋は日の目を見られない北向き、一日中エアコンの暖房のお世話になっています。

 雨の花見とは散々ですが、かみさんが庭で育てる鉢植えは既に見頃を迎えています。
春の花

 冷たい春雨に、先輩の一言を思い出しました。

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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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