February 2017

February 24, 2017

これで三度目、『テキーラ・サンライズ』

  バンド練習以外は、自分の住所を中心とした半径5kmの円内でほとんどの用を足している私です。先日はギターのピックを買おうとお店に入ると一枚百円もするではないですか。迷ったあげく、とうとう買わずじまいで店を出てしまい、後日、Amazonで20枚(郵送料込み)を860円で買いました。ピックさえもネット通販で買ってしまうのですから、お店に行く必要がありません。よく言われるように、街にある店舗の多くは、商品を買うところではなく、実際にサイズ・色・風合いを試す目的のショールームと化してしまうのではないでしょうか。街の本屋さんがなくなれば、これも長い目で見れば住民の損失になるのですが…。

 そんな私と比べて、ギターのNobuさんの行動範囲は、あくまでも音楽に関してですが、全く衰えていません。昨年末、元イーグルスのギタリスト、ドン・フェルダーが来日、彼のライブコンサートを聞きに六本木東京ミッドタウンに行ったそうです。私は旧防衛庁の跡地にその名前の施設が誕生するらしいとは聞いていましたが、ドラムのKunさんの勤務先の事務所が六本木ヒルズに彼を訪ねて行ったのが最後、以来、六本木には行ったことがありません。

 ドン・フェルダーだけでなく、ポール・マッカートニー、クラプトンなど、我々の世代の良く知っているミュージシャンが多数来日しています。我々の世代とは、(音楽)趣味の為にお金を払える人が多く、ミュージシャンもまだ来日してライブをこなす体力・気力があり、〜稼げる間に稼いでおかなければ〜、という気持ちが働くのではないでしょうか。

 1971年、リンダ・ロンシュタットのバックバンドとして集まった4人がイーグルスを結成、続く1972年、衝撃的な『Take It Easy』をヒットさせることになります。当初のカントリーの基調は商業的な成功には至らず、フロリダ出身のドン・フェルダーが参加することによってよりロック的色彩を帯びていくことになります。J.D.サウザー、ジャクソン・ブラウンに代表されるイーグルスの本来的なサウンドは大きく後退して、極めつけは、それまでカントリー的色彩をリードしてきたバーニー・レドンがバンドを離れ、替わりに、ジョー・ウォルシュが参加することでロック的色彩がより一層強まることになります。

hotel california 個人的には残念なことに、イーグルスはカントリーから次第にギンギンのロックに変遷して行きました。その結果として、皮肉なことに、1976年、彼等の代表作にして最高傑作、『Hotel California』が世に出ることになります。詩はドン・ヘンリーですが、作曲はドン・フェルダーというのも興味深いところです。それだけにとどまらず、パフォーマンスにおいて、あの印象的なイントロはドン・フェルダーが、この曲の聞かせ所、ギターソロは彼とジョー・ウォルシュの共演によるものです。傑作すぎて、後が続かなかったのも事実です。これをピークに、アサイラム・レコードが築いた西海岸の音楽活動は急速に衰退して行くことになります。

 ドン・フェルダーのライブ、彼のツインギターのイントロに始まる『Hotel California』は当然のこととして、初期(1973)のヒット、『Tequila Sunrise』にはいたく感激したようで、思い出したように、我々のバンドで久しぶりに(2008 & 2010)にやったのがこれです。
     

…昔の方が出来が良かった?

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February 15, 2017

最近聞いたこの曲<5> "A Broken Wing"

 私の音楽の好み、カントリーぽぃロック、は具体的にはThe Byrds(1964 - 1973)に始まってThe Eagles(1971 - 1980)で終わった…と今まで思っていました。当時、日本で云われた「ウエストコースト・サウンド」とほとんど同義語ですが、それもそのはず、David Geffen(1943 - )がロサンゼルスにアサライムレコードを設立、Crosby, Stills & Nash を手始めに、Jackson Browne, J.D.Souther, The Eagles等の新人を世に出し、Linda RonstadtやJoni Mitchelを大スターにのし上げたのです。今から思えば、度の強い偏向性の私はアサイラム(ASYLUM )に避難場所を求めたのでしょう。

 今も聴く曲と言えばその時代の曲か同じ類いでしたが、その流れを変えたのがインターネット・ストリームラジオでした。聴き流すだけではもったいなく、これをファイルとして録音、iTuneからiPhoneに転送して楽しんでいます(※1年前はStation Ripperを使っていましたが、現在はWinamp + Stream Ripperを使っています)。多くの方がYoutubeを使って音楽を楽しんでおられるようですが、聞き慣れた既知の曲ならともかく、「いいね」と思ったが、判っているのはメロディあるいは歌詞のほんの一部、どんな方法でタイトルもシンガーも判らない曲を探すのでしょうかね。Winamp + Stream Ripperなら曲名も歌手名も表示・記録されます。

 今回の最近聞いたこの曲、「なーんだ!」と思われるかも知れませんが、この曲です。
 
A Broken Wing』 by Martina McBride(マルティナ・マクブライド)

彼女は彼を愛してた
この世で最後の男であるかのように
彼女が全てを投げ出しても
彼は彼女の心を傷つけるばかり
気まぐれに彼女を愛し
少しは与え、そして奪っていった

彼女は夢を語り
彼は無惨にたたき落とす
彼は彼女を泣かせるのが快感だった
「君は飛ぶという夢に
取り憑かれているのさ」
「飛ぶのを知っているのは天使だけ」
彼はそう言うのだ

傷ついた翼で
彼女はまだ歌う
彼女の目は大空に注がれ
傷ついた翼で
夢を持ち続ける
男よ、見るがいい
彼女が飛ぶのを

ある日曜の朝
彼女は教会へ出かけなかった
彼が不審に思って
寝室に上がってみると
窓のそばに置き手紙
そよ風にカーテンが揺れている

傷ついた翼で
彼女はまだ歌う
彼女の目は大空に注がれ
傷ついた翼で
夢を持ち続ける
男よ、見るがいい
彼女が飛ぶのを

 またまた、恥ずかしい話しですが、Winamp + Stream Ripperで初めて聴いたのですが、曲も良いが、歌がうまいというのが第一印象でした。Martina McBride(マルティナ・マクブライド)が『A Broken Wing』でカントリー・チャート第一位を獲得するのは結婚して(1988)、最初の娘が誕生(1994)してからしばらく経った1997年、彼女が31歳の時とは、かなり長いキャリアの上に日の目を見たということなのでしょう。1966年生まれというと今年51歳、3人の娘の母親、「家庭内暴力支援団体」のスポークスマンを務めるそうです。

  遅ればせながら、良い曲を発見しました。
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February 05, 2017

『沈黙』、全てを腐らせてしまう底なし沼…か

 明治以降、日本文化に果たしたキリスト教文化の影響は大きく、特に大学を頂点とする高等教育に多大の影響を与えました。戦後、映画・文学その他アメリカ文化の氾濫が見られましたが、例えば、クリスマス、バレンタイン・デイ、加えて、最近ではハロウィンやサンクス・ギビング(アメリカだけの習慣)などの習慣が商業主義的に定着されつつあるとは言え、その文化の根幹であるキリスト教の布教はむしろ失敗に終わったと言えるのではないでしょうか。 

 私は辛うじて戦後生まれの戦後育ち、学校で学んだ英語もアメリカ英語(?)、テレビ番組の多くは西部劇やコメディ・ドラマ、中学生に始まる洋楽偏向趣味はほとんどがアメリカから輸入されたキリスト教的価値・道徳に裏打ちされたものでした。同じ頃によく訪れた神戸三宮、トアロード、元町にかけて、ガード下に並ぶ店舗はリバイスのジーンズを始めアメリカくさい商品で埋まり、車窓に見える東灘区から芦屋・夙川に立つキリスト教会の尖塔の風景はエキゾチックなものでした。確かにアメリカ文化に傾いたが、それ以上のものでもなく、その背景にあるキリスト教に興味はあっても、その信仰そのものに向かうことはありませんでした。

沈黙_3 先日観た映画、『沈黙』。イエズス会フェレイラ神父が長崎で拷問を受けて転向・棄教したという衝撃的な報告を受けて、かつて彼の指導を受けた弟子達が、禁教下の日本に潜入して恩師を探し出します。

〜 この国は全てを腐らせてしまう底なし沼だ。この国にはどうしてもキリスト教を受け付けぬ何かがある。〜 

フェレイラ神父の発した言葉です。

 1549年、そのザビエルが日本に来訪してキリスト教が正式に日本に伝わります。それから約40年で(秀吉によるバテレン追放(1587))キリスト教徒数は20万人を越えています。以来禁教となり、1889年明治憲法下、制限付きながら信教の自由が明文化され、西欧からの技術・科学・文化とともに、これを支えるキリスト教も流入、1945年の敗戦と共に信教の自由が保障されたにもかかわらず、信者数の増加は見られません。465年前の当時の人口(12百万)の1.6%がキリスト教信者であったことに比べ、今日(2014)のカソリック、プロテスタント及び正教信者数が1百万と、人口のわずか0.8%に過ぎません。
 
 鎌倉時代、庶民には難解な密教の呪術性を徹底的に排除、国家権力(鎮護国家・貴族)の為のという旧来の仏教(6世紀仏教伝来以来の「南都六宗」に天台宗、真言宗を加えた旧仏教諸派)から決別して、個人の救済に専念したのです。従来、天台浄土教を信仰していた貴族・武士だけでなく、一般民衆にも急速に広がりました。文字を読めない、況んや難解な仏典を理解できない多くの庶民に対して、「ナムアミダブツ」と念仏さえ唱えれば…、あるいは「座禅」を組むだけで…、「念仏踊り」に身を委ねるだけで…、往生できると説いた鎌倉新仏教が誕生しました。これは正に日本の宗教改革でした。

 その一つ、法然に始まる浄土宗は、親鸞(1173-1263)に引き継がれてその革命性をさらに先鋭化して浄土真宗となり、室町時代、蓮如(1414-1499)の時、ひたむき(純粋)に念仏を唱えて阿弥陀仏を信仰するとして、「一向宗」と呼ばれ、北陸・近畿・東海地方に興隆します。生活共同体(惣)であると同時に宗教共同体(講)、室町から戦国時代にかけて、各地で新しい村落自治共同体が出現するまでに発展します。「一向宗」の時代は、1580年、信長による石山本願寺敗北まで続くことになります。

 この時期にキリスト教が伝来したのです。イエズス会の意義は、宣教のみならず、ルネサンス後期の「人文主義(humanism)」に基づき、コレジオやセミナリオ等、高等・初等教育に積極的に取り組んだことです。当初、仏教僧、特に禅宗の僧侶がこれを学び、戦国武将の中に南蛮貿易の実需のために改宗する者、次第に真の信仰を行う改宗者が現れ、社会の指導者層のみならず一般大衆にまで広がります。 利休の高弟にも蒲生氏郷(レオン)、細川 忠興(その正室ガラシヤ)、高山右近(ジェスト)、大友宗麟(フランシスコ)、黒田如水(シメオン)等のキリシタン大名が少なくありません。鎌倉時代に遡る武士道の精神、禅を母胎とする茶の湯の精神、キリスト教の精神、これら三つに通じるのは「静寂の精神」「清貧の精神」です。

 〜 この国は全てを腐らせてしまう底なし沼だ 〜 

 はたして、そうでしょうか…。この国、この時代に、利休はキリスト教から学び、芸術、道徳、哲学、宗教など、日本文化の総体、「茶の湯」を完成させたのではないでしょうか。

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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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